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その頃彼らと彼女たちは
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『伊達さんがまた私に聞きたいことがあるみたいだからちょっと警察に行ってくる』
午後の講義の最中、真紀から送られてきたLINEを見た俺は、それを特に訝しむこともなく、そのままスマートフォンをポケットにしまった。
我が青梛大学、それも俺達が通う三内キャンパスのサークル棟で発見された、奇妙な首無し死体。平和なキャンパスを震撼させたその事件の衝撃は、数日経った今もまだ学内に重々しい空気を蟠らせている。犯人はまだ捕まっておらず、どこに潜んでいるかわからないという状況なのだから無理もない。
世間的には首切り『殺人』と思われているこの事件だが、俺は偶然、少しだけ捜査の内情を知ることのできる立場におり、殺人ではなく自殺の可能性が高いことを知っている。
情報を得られた理由の一つ目は、容疑者に限りなく近い関係者の知り合いだったこと。もう一つの理由は、恋人が知る人ぞ知る探偵だったこと。前者の理由によって警察から所謂『聞き込み』を受け、また後者の理由によって、彼女が刑事から意見を求められる場にも同席していた。たったそれだけではあるのだが――まあ、この事件についてここでこれ以上触れるのはやめておこう。
小雨「真紀から?」
隣で同じく講義を受けている小雨が、ホワイトボードを見たまま言った。スマートフォンの画面を覗かれたわけでもないのに、彼女の勘はいつも異様に鋭い。
瞬「うん。伊達刑事に呼ばれて警察に行くって」
小雨「ええ? ……この間の事件のこと?」
瞬「おそらく、そうなんじゃないかな?」
小雨「でもあの時、結局もう一人の真紀は顔を出さなかったでしょ? それって、あの事件は殺人事件じゃない、って彼女は判断したんじゃないの?」
瞬「……そこまで言い切れるものかな? まあ、捜査はまだ続いてるみたいだし、何か確認したいことがあるのかもしれない」
小雨「そうなのかな……なんか、どうも気になるな」
小雨が楽観的なことを口にすると、その予測は大体外れる。その反面、悲観的、或いは懸念、つまりネガティブな方面の予測については、それなりに高い精度を持っているように思う。とはいえ、警察に行く、ただそれだけのメッセージをここまで心配するのは、さすがに気にしすぎではないだろうか。
それから数時間後。午後の講義を終えて学部棟を出た俺は、用事はそろそろ済んだかな、と真紀にLINEを送ってみた。しかし、五分待っても十分待っても返事はなく、既読すらつかない。普段返事が遅れて怒られるのは俺の方なのだが、今日に限っては真紀のレスポンスの遅さが妙に気になった。真紀はいつも俺に対しては即レスなのに。
彼女に対して少々後ろめたいことがあるせいか、既読無視されているのではないかと考える癖がついてしまったが、その可能性は現実的には極めて低いだろう。となると――昼間の小雨の発言が思い起こされる。
……いや、まさか。考えすぎだ。
俺はすぐにその不吉な思考を断ち切った。
小雨「どうしたの?」
瞬「……いや、何でもない」
小雨「なんでもなくはないでしょ」
と、その時。
心美「瞬さん、小雨さん、こんにちは」
まるで計ったようなタイミングで、心美ちゃんがこちらへ歩いてきた。今日の彼女は見覚えのある青いワンピース姿である。
小雨「あ、心美ちゃん。梨子ちゃんから聞いたんだけどさ、文芸部に入ってくれるって本当?」
心美「ええ、はい。もともと読書は割と好きですし、あんまり賑やかなところも性に合わないし……それに、色々お世話になった小雨さんのいる部の方が、何かと安心できそうですから」
小雨「梨子ちゃんのウザいぐらいの勧誘もあるし?」
心美ちゃんは口元を隠して上品に微笑んだ。
心美「……はい、それもあって、前向きに考えています」
小雨「なるほど。瞬も真紀も帰宅イチャコラ部だからねえ、たしかに面倒見てやれるのはあたしだけか」
瞬「なんだ、その部活」
小雨は切れ長の目を眇めて一瞬俺を睨んだ、ような気がしたが、すぐに心美ちゃんに向き直った。
小雨「そういえば心美ちゃん、織原さんの件で、まだ警察に事情聴取とかされたりしてる?」
心美「事情聴取……ですか? いいえ、あの日以来警察には一度も行ってませんよ」
小雨「そうなんだ……いや、なんか今日、真紀が警察に呼ばれて行ったらしくてさ」
心美「真紀さんが……? どうして?」
小雨「だよね? なんか、ちょっと気になって」
心美「確かに、それは気になりますね……」
そこまで気になると連呼されると、まるで遠回しに俺が鈍いと言われているように感じられるし、小雨は実際に当てこすりをしているのかもしれない。
しかし、いくら気にしたところで、我々に与えられた情報は『真紀が警察に行った』、このたった一つだけ。心配するにはあまりにも情報が不足している。現に、小雨も心美ちゃんも、その先の言葉は続かなかった。
だが、考えても仕方ないだろう、と俺が言いかけた瞬間、更なる情報を持った珍客が現れたのである。
伊達「……おや? どうもこんにちは、皆さんお揃いで」
噂をすれば影とはこのことか。これまた狙いすましたようなタイミングで現れたのは、誰あろう、渦中の伊達刑事だ。中途半端に伸びたボサボサの髪に、ズボンから堂々とはみ出したワイシャツの裾。事件以降、制服に身を包んだ警官と共に行動して顔を覚えられているからいいものの、何の断りも前触れもなく単身キャンパス内に乗り込んで来たら、間違いなく警備員に呼び止められるであろう出で立ちだ。
既に何度も顔を合わせて人柄も知っているとはいえ、我々一般人が刑事に慣れるということはない。特に、人前ではどんな時も笑顔を絶やさない心美ちゃんが、ほんの一瞬だけ目元を強張らせたのを俺は見逃さなかった。
心美「こんにちは、伊達刑事」
すぐさま表情を取り繕い、軽やかな所作で頭を下げる心美ちゃん。一昨年までスポーツ少女だったとは思えないお淑やかさだ。
小雨「あ、どうも、お疲れ様です」
瞬「お疲れ様です。捜査の方はどうですか?」
世の中には、刑罰に問われるような罪を犯していないにも関わらず、警察に対して何となく後ろめたい感情を覚える人間と、そうでない人間がいると思う。ちなみに俺は前者である。伊達刑事がいくら刑事らしくないとはいえ、やはり刑事だと意識してしまうだけでどうにも居心地の悪さを覚えてしまう。
伊達刑事は、どこかわざとらしく見える(というのは単なる俺の勘であり根拠はない)渋面を作り、頭を掻きながら答えた。
伊達「ええ、まあ、ぼちぼちですよ」
小雨「真紀には何を聞いてるんですか? 今、警察にいるんですよね?」
伊達「……は? 西野園さんが?」
小雨の質問に伊達刑事は、口を半開きにして、今度は困惑した表情を浮かべた。
小雨「え? あの、伊達さんに呼ばれて警察に行くって、真紀からLINEが来てた……んだよね?」
瞬「あ、ああ。たしかに来てましたよ」
伊達「う~ん? そんな指示出した覚えはないんですが。片倉かな……? 或いは、西野園さんの顔写真を見た誰かが、一目あの美貌を拝んでみたくて俺の名前を使ったとか」
小雨「そんないい加減な理由で人を呼び出したりするんですか、警察って?」
伊達「いや、ははは、冗談ですよ」
心美「被疑者をディナーに誘う刑事さんが言っても、説得力がありませんね」
心美ちゃんが珍しく悪戯っぽい口調で言うと、伊達刑事はほのかにハードボイルドな雰囲気が漂う独特の苦笑を見せた。
伊達「……こりゃ、一本取られましたね。西野園さんの件は、署に確認してみます。それじゃ皆さん、ご機嫌よう」
ディナーって何の話だ? と突っ込む間もなく、伊達刑事は逃げるように、サークル棟の方向へ早足で歩いて行った。
誤魔化されると気になるのが人の性というものだが、心美ちゃんに尋ねるのは気が引けるし、訊いてみたところで、彼女はきっと上手くはぐらかすだろう。
女性の魅力(という言葉を用いることで生まれるジェンダー的な語弊を承知の上で敢えてこの言葉を使う)にも様々な種類が存在するが、彼女は清楚な外見と裏腹に、秘密と嘘をアクセサリーとして使うタイプの女性であり、尚且つそれと気取られないよう巧妙に隠す術をも心得ている。この一、二か月ほどで、その魔力じみた艶やかさにはさらに磨きがかかったように思う。理由は恐らく――と、これもまた蛇足になるか。
兎も角も、俺はそんなことを考えながら、去り行く伊達刑事の背中を見送ったのだった。
!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i
心美ちゃんと別れた俺達は、そのままぶらぶらと家路についた。
小雨「なんか、二人で帰るのもちょっと久しぶりだよね」
瞬「そういえばそうだな」
このところ以前にも増して真紀と共に過ごす時間が増えたから、日の高いうちに小雨と二人きりになるのも、言われてみれば久しぶりかもしれない。ついさっきまで真紀の心配をしていた小雨の口数が急に少なくなったのはきっと、彼女も俺と同様、俺達がまだ単なる幼馴染だった頃の記憶を引っ張り出しているからなのではないか。純真な子供だったあの頃、俺達は何の罪悪感もなく手を繋ぐことができたのだ。
懐かしさが齎すセンチメンタリズムが呼び水となって、思考は微かな後悔へと至る。ノスタルジーに後悔が癒着しない人生を送れた人間なんて、果たしてこの世に存在するのだろうか? 未だ学生の身分の俺ですらこんな有様なのに。
しかし、感傷的な気分はあまり長くは続かなかった。それは、小雨と同様に幼馴染である、
鮫太郎「お、瞬さん! と姉貴!」
小雨の弟、鮫ちゃんこと京谷鮫太郎に声をかけられたからだ。考え事をしていて気付かなかったが、辺りの風景は俺達がもう家の近くまで歩いてきたことを示している。となると、鮫ちゃんとのエンカウント率も自然と高まる。
瞬「おう、鮫ちゃん」
小雨「あんたも今帰ってきたとこ?」
鮫太郎「うん、まあ、そんなとこ。なんか、二人で歩いてる姿久々に見た気がする」
学生服姿の鮫ちゃんの両耳からは白いイヤホンのコードが伸びていた。聴いているのは『メトロポリタン・ヴァンガード』の曲だろうか、或いは、最近熱心に受験勉強をしているそうだから、何かの教材の可能性も否めない。といいつつ、一番ありがちなのは『単にYoutubeを見ていただけ』なのだが。
鮫太郎「瞬さん、今日は真紀さんは一緒じゃないんすか?」
瞬「ん? ああ、ちょっとね」
鮫太郎「そっか。珍しいっすね。あ、じゃあ俺、ちょっと買い物行ってくるんで、あとは若いお二人さんでよろしくどうぞ! んじゃ!」
鮫ちゃんはそう言うと、意味深な笑みを浮かべながら俺達が歩いてきた道を颯爽と駆けて行った。わかりきったことながら一応補足しておくが、彼は俺たちより年下である。
小雨「若いお二人さんって何だよ」
瞬「まったくな」
小雨「そういえば、結局真紀、どうなったんだろ? 伊達さんに呼ばれたわけじゃないってことは……」
言い訳めいて聞こえるかもしれないが、断じて忘れていたわけではない。ただほんの少し別のことを考えていただけだ。
瞬「ああ、何か連絡ミスがあったのかもな」
小雨「そうだといいけど……なんか、妙に、気になるんだよなあ」
小雨は首を傾げながら、夕刻を迎えてもまだ暮れる気配のない五月の空を見上げた。
午後の講義の最中、真紀から送られてきたLINEを見た俺は、それを特に訝しむこともなく、そのままスマートフォンをポケットにしまった。
我が青梛大学、それも俺達が通う三内キャンパスのサークル棟で発見された、奇妙な首無し死体。平和なキャンパスを震撼させたその事件の衝撃は、数日経った今もまだ学内に重々しい空気を蟠らせている。犯人はまだ捕まっておらず、どこに潜んでいるかわからないという状況なのだから無理もない。
世間的には首切り『殺人』と思われているこの事件だが、俺は偶然、少しだけ捜査の内情を知ることのできる立場におり、殺人ではなく自殺の可能性が高いことを知っている。
情報を得られた理由の一つ目は、容疑者に限りなく近い関係者の知り合いだったこと。もう一つの理由は、恋人が知る人ぞ知る探偵だったこと。前者の理由によって警察から所謂『聞き込み』を受け、また後者の理由によって、彼女が刑事から意見を求められる場にも同席していた。たったそれだけではあるのだが――まあ、この事件についてここでこれ以上触れるのはやめておこう。
小雨「真紀から?」
隣で同じく講義を受けている小雨が、ホワイトボードを見たまま言った。スマートフォンの画面を覗かれたわけでもないのに、彼女の勘はいつも異様に鋭い。
瞬「うん。伊達刑事に呼ばれて警察に行くって」
小雨「ええ? ……この間の事件のこと?」
瞬「おそらく、そうなんじゃないかな?」
小雨「でもあの時、結局もう一人の真紀は顔を出さなかったでしょ? それって、あの事件は殺人事件じゃない、って彼女は判断したんじゃないの?」
瞬「……そこまで言い切れるものかな? まあ、捜査はまだ続いてるみたいだし、何か確認したいことがあるのかもしれない」
小雨「そうなのかな……なんか、どうも気になるな」
小雨が楽観的なことを口にすると、その予測は大体外れる。その反面、悲観的、或いは懸念、つまりネガティブな方面の予測については、それなりに高い精度を持っているように思う。とはいえ、警察に行く、ただそれだけのメッセージをここまで心配するのは、さすがに気にしすぎではないだろうか。
それから数時間後。午後の講義を終えて学部棟を出た俺は、用事はそろそろ済んだかな、と真紀にLINEを送ってみた。しかし、五分待っても十分待っても返事はなく、既読すらつかない。普段返事が遅れて怒られるのは俺の方なのだが、今日に限っては真紀のレスポンスの遅さが妙に気になった。真紀はいつも俺に対しては即レスなのに。
彼女に対して少々後ろめたいことがあるせいか、既読無視されているのではないかと考える癖がついてしまったが、その可能性は現実的には極めて低いだろう。となると――昼間の小雨の発言が思い起こされる。
……いや、まさか。考えすぎだ。
俺はすぐにその不吉な思考を断ち切った。
小雨「どうしたの?」
瞬「……いや、何でもない」
小雨「なんでもなくはないでしょ」
と、その時。
心美「瞬さん、小雨さん、こんにちは」
まるで計ったようなタイミングで、心美ちゃんがこちらへ歩いてきた。今日の彼女は見覚えのある青いワンピース姿である。
小雨「あ、心美ちゃん。梨子ちゃんから聞いたんだけどさ、文芸部に入ってくれるって本当?」
心美「ええ、はい。もともと読書は割と好きですし、あんまり賑やかなところも性に合わないし……それに、色々お世話になった小雨さんのいる部の方が、何かと安心できそうですから」
小雨「梨子ちゃんのウザいぐらいの勧誘もあるし?」
心美ちゃんは口元を隠して上品に微笑んだ。
心美「……はい、それもあって、前向きに考えています」
小雨「なるほど。瞬も真紀も帰宅イチャコラ部だからねえ、たしかに面倒見てやれるのはあたしだけか」
瞬「なんだ、その部活」
小雨は切れ長の目を眇めて一瞬俺を睨んだ、ような気がしたが、すぐに心美ちゃんに向き直った。
小雨「そういえば心美ちゃん、織原さんの件で、まだ警察に事情聴取とかされたりしてる?」
心美「事情聴取……ですか? いいえ、あの日以来警察には一度も行ってませんよ」
小雨「そうなんだ……いや、なんか今日、真紀が警察に呼ばれて行ったらしくてさ」
心美「真紀さんが……? どうして?」
小雨「だよね? なんか、ちょっと気になって」
心美「確かに、それは気になりますね……」
そこまで気になると連呼されると、まるで遠回しに俺が鈍いと言われているように感じられるし、小雨は実際に当てこすりをしているのかもしれない。
しかし、いくら気にしたところで、我々に与えられた情報は『真紀が警察に行った』、このたった一つだけ。心配するにはあまりにも情報が不足している。現に、小雨も心美ちゃんも、その先の言葉は続かなかった。
だが、考えても仕方ないだろう、と俺が言いかけた瞬間、更なる情報を持った珍客が現れたのである。
伊達「……おや? どうもこんにちは、皆さんお揃いで」
噂をすれば影とはこのことか。これまた狙いすましたようなタイミングで現れたのは、誰あろう、渦中の伊達刑事だ。中途半端に伸びたボサボサの髪に、ズボンから堂々とはみ出したワイシャツの裾。事件以降、制服に身を包んだ警官と共に行動して顔を覚えられているからいいものの、何の断りも前触れもなく単身キャンパス内に乗り込んで来たら、間違いなく警備員に呼び止められるであろう出で立ちだ。
既に何度も顔を合わせて人柄も知っているとはいえ、我々一般人が刑事に慣れるということはない。特に、人前ではどんな時も笑顔を絶やさない心美ちゃんが、ほんの一瞬だけ目元を強張らせたのを俺は見逃さなかった。
心美「こんにちは、伊達刑事」
すぐさま表情を取り繕い、軽やかな所作で頭を下げる心美ちゃん。一昨年までスポーツ少女だったとは思えないお淑やかさだ。
小雨「あ、どうも、お疲れ様です」
瞬「お疲れ様です。捜査の方はどうですか?」
世の中には、刑罰に問われるような罪を犯していないにも関わらず、警察に対して何となく後ろめたい感情を覚える人間と、そうでない人間がいると思う。ちなみに俺は前者である。伊達刑事がいくら刑事らしくないとはいえ、やはり刑事だと意識してしまうだけでどうにも居心地の悪さを覚えてしまう。
伊達刑事は、どこかわざとらしく見える(というのは単なる俺の勘であり根拠はない)渋面を作り、頭を掻きながら答えた。
伊達「ええ、まあ、ぼちぼちですよ」
小雨「真紀には何を聞いてるんですか? 今、警察にいるんですよね?」
伊達「……は? 西野園さんが?」
小雨の質問に伊達刑事は、口を半開きにして、今度は困惑した表情を浮かべた。
小雨「え? あの、伊達さんに呼ばれて警察に行くって、真紀からLINEが来てた……んだよね?」
瞬「あ、ああ。たしかに来てましたよ」
伊達「う~ん? そんな指示出した覚えはないんですが。片倉かな……? 或いは、西野園さんの顔写真を見た誰かが、一目あの美貌を拝んでみたくて俺の名前を使ったとか」
小雨「そんないい加減な理由で人を呼び出したりするんですか、警察って?」
伊達「いや、ははは、冗談ですよ」
心美「被疑者をディナーに誘う刑事さんが言っても、説得力がありませんね」
心美ちゃんが珍しく悪戯っぽい口調で言うと、伊達刑事はほのかにハードボイルドな雰囲気が漂う独特の苦笑を見せた。
伊達「……こりゃ、一本取られましたね。西野園さんの件は、署に確認してみます。それじゃ皆さん、ご機嫌よう」
ディナーって何の話だ? と突っ込む間もなく、伊達刑事は逃げるように、サークル棟の方向へ早足で歩いて行った。
誤魔化されると気になるのが人の性というものだが、心美ちゃんに尋ねるのは気が引けるし、訊いてみたところで、彼女はきっと上手くはぐらかすだろう。
女性の魅力(という言葉を用いることで生まれるジェンダー的な語弊を承知の上で敢えてこの言葉を使う)にも様々な種類が存在するが、彼女は清楚な外見と裏腹に、秘密と嘘をアクセサリーとして使うタイプの女性であり、尚且つそれと気取られないよう巧妙に隠す術をも心得ている。この一、二か月ほどで、その魔力じみた艶やかさにはさらに磨きがかかったように思う。理由は恐らく――と、これもまた蛇足になるか。
兎も角も、俺はそんなことを考えながら、去り行く伊達刑事の背中を見送ったのだった。
!i!i!i!i!i!i!i!i!i!i
心美ちゃんと別れた俺達は、そのままぶらぶらと家路についた。
小雨「なんか、二人で帰るのもちょっと久しぶりだよね」
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このところ以前にも増して真紀と共に過ごす時間が増えたから、日の高いうちに小雨と二人きりになるのも、言われてみれば久しぶりかもしれない。ついさっきまで真紀の心配をしていた小雨の口数が急に少なくなったのはきっと、彼女も俺と同様、俺達がまだ単なる幼馴染だった頃の記憶を引っ張り出しているからなのではないか。純真な子供だったあの頃、俺達は何の罪悪感もなく手を繋ぐことができたのだ。
懐かしさが齎すセンチメンタリズムが呼び水となって、思考は微かな後悔へと至る。ノスタルジーに後悔が癒着しない人生を送れた人間なんて、果たしてこの世に存在するのだろうか? 未だ学生の身分の俺ですらこんな有様なのに。
しかし、感傷的な気分はあまり長くは続かなかった。それは、小雨と同様に幼馴染である、
鮫太郎「お、瞬さん! と姉貴!」
小雨の弟、鮫ちゃんこと京谷鮫太郎に声をかけられたからだ。考え事をしていて気付かなかったが、辺りの風景は俺達がもう家の近くまで歩いてきたことを示している。となると、鮫ちゃんとのエンカウント率も自然と高まる。
瞬「おう、鮫ちゃん」
小雨「あんたも今帰ってきたとこ?」
鮫太郎「うん、まあ、そんなとこ。なんか、二人で歩いてる姿久々に見た気がする」
学生服姿の鮫ちゃんの両耳からは白いイヤホンのコードが伸びていた。聴いているのは『メトロポリタン・ヴァンガード』の曲だろうか、或いは、最近熱心に受験勉強をしているそうだから、何かの教材の可能性も否めない。といいつつ、一番ありがちなのは『単にYoutubeを見ていただけ』なのだが。
鮫太郎「瞬さん、今日は真紀さんは一緒じゃないんすか?」
瞬「ん? ああ、ちょっとね」
鮫太郎「そっか。珍しいっすね。あ、じゃあ俺、ちょっと買い物行ってくるんで、あとは若いお二人さんでよろしくどうぞ! んじゃ!」
鮫ちゃんはそう言うと、意味深な笑みを浮かべながら俺達が歩いてきた道を颯爽と駆けて行った。わかりきったことながら一応補足しておくが、彼は俺たちより年下である。
小雨「若いお二人さんって何だよ」
瞬「まったくな」
小雨「そういえば、結局真紀、どうなったんだろ? 伊達さんに呼ばれたわけじゃないってことは……」
言い訳めいて聞こえるかもしれないが、断じて忘れていたわけではない。ただほんの少し別のことを考えていただけだ。
瞬「ああ、何か連絡ミスがあったのかもな」
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