白砂の咎人

杏仁みかん

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第一章 荷台に棲む獣〈こども〉たち

#prologue:攫う砂 - 1

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 その夜、リアンは天幕の中で仰向けになりながら、入り口から顔を出して夜空を見上げていた。
 雲一つなく、月すら顔を出さない、万全で真っ黒なキャンバス。普段は見えづらいような小さい星々まで輝きを放っている。

「リアンは、本当に空を見上げるのが好きね」

 空の色と紛うほどに黒い長髪の女性は、温かいスープを入れたカップを手に、天幕の脇に腰を下ろした。

「砂漠よりか、ずっとキレイだから」
「まぁ、この子ったら。いつからそんなロマンチストになったの?」

 リアンは、答える代わりに屈託のない笑顔を浮かべた。

「ねえ、母さん」リアンは地平の一点を指差した。「毎晩見える、あの大きな星って何の星?」

 それは、砂漠を旅する者にとって、決して欠かせない星だった。

「あれは『灯星あかりぼし』って言ってね、常に北を指す大事な星なの。方位磁針が壊れても、あの星を思い出せば、自分がどっちを向いているか直ぐに分かるわ」
「じゃあ、北の方角にはいったい何があるの?」

 リアンの母は地平に目を凝らした。そこには、変わり映えのない白い砂の砂漠が続くだけだ。
 彼女は少しばかり目を閉じ、頭の中で地図を思い出しながら語りだした。

「……山があるわ。西の果てから東の果てまで連なる、天の川のような大きな山々が。そこでは、毎年冬になると、雪が降るの」
「雪? 雪ってなに?」

 母親はリアンの黒髪を優しく撫でた。
 ……もう、目を覆うほどに前髪が伸びてしまった。そろそろ短く切ってやらねば。

「白くて冷たいものよ。たくさん降ったら、砂のように積もるのよ」

 母親は、砂を例えに出し、少しばかり胸が痛んだ。
 この子は、生まれてから砂以外の景色を見たことがないのだ……。

「雪って、いつ降るの?」

 そんな母親の心境も知らずに、少年は無邪気な質問を続ける。

「……冬よ。夜のように、とても寒い季節」

 冬なんてものは、砂漠にはない。

「じゃあ、冬の次にはどんな季節が来るの?」
「春。……暖かい季節ね」

 無論、春なんてものも、この砂漠にはない。

「春には、何があるの?」
「そうね……。もしも、春がそこにあるんだとしたら」

 母親はもう一度目を瞑り、いつか見た、本物の春の風景を頭の中に描いた。

「……色とりどりのお花が一面に咲いて、キレイな昆虫たちがいっぱい集まるでしょうね」

 リアンはぱあっと顔を輝かせた。

「いつか、絶対に行きたいな。父さんと母さんとぼくの三人で!」

 行くって言ったって、とてつもなく遠い距離だ。行こうとして簡単に行けるような所でもない。
 確かに、砂の影響をあまり受けないという山ならば──或いは、今話したような「春」を見られるかもしれないだろう。
 母親がかつて幼い頃に見たように、数少ない大自然が、そこに広がっているのかもしれない。

 だとしたら、この大切な息子には見せてやりたい。
 世界の本来の姿。
 世界が砂に覆われる以前の姿を。

「……そうね。いつかきっと、ね」



 やがて、リアンが寝ついたのを確認すると、母親は息子の伸びすぎた髪をかき分けて額に軽くキスをし、砂が入り込まないよう、天幕の戸をしっかりと閉じて出ていった。
 すっかり冷めたスープの残りを飲み干しながら、焚き火で今も燻製を続けている夫の隣に腰掛ける。
 悩みの種は、スープを焚き火で温め直せばいい、という判断を鈍らせた。

「リアンは眠ったのか?」
「ええ。……今日もお疲れさま、あなた」

 そう言って寄り添う妻の肩は、どことなく重く感じられる。

「お前こそ、リアンの面倒で疲れが溜まっているんじゃないか?」
「いいえ。そうじゃないわ。……ただ、あの子がちょっと心配になってきただけ」
「心配?」

 母親は長く白い息を吐き出し、身震いをした。
 父親は直ぐに自分が羽織っていた外套を、妻の肩にかけてやった。
 母親はありがとう、と言ってから、たき火を俯くように見下ろし、話しだした。

「リアンはとてもいい子だわ。最近では手伝いも良くしていて、お店の仕事も覚え始めてる」
「そうだな。その上、頭もいいし、十桁の計算も暗算で出来るぐらいだ」

 自慢の息子だ。我が儘を言ったり、反抗したこともない。
 だというのに、たき火に照らされる妻の顔は、未だに暗く見える。

「……それなのに、あの子、まだ離れたがらないの。もう十二歳にもなったっていうのに、眠るときだって、小さな子供みたいに話したがるわ」
「言われてみれば、そうだな。それに……そうか、もう十二年も経つのか……」

 すっかり忘れていた。
 子供の成長とは、何故こうも早く感じられるのだろう。

 この十二年の間に、世界も大きく変貌した。
 かつて訪れた街はことごとく砂の海に沈み、ただの廃墟、遺跡と化した。今では、それが当たり前になっている。
 だからこそ、街に居続けるのではなく、旅人として移動を続けなければならなかった。
 そのために両親は、リアンが生まれる少し前から商売を始めた。主に干し肉を取り扱う、乾物屋である。
 野菜の栽培が難しい今の世の中では、主食となるのは主に乾物──特に、腐る程増やすことの出来るクローン牛やクローン豚の肉だ。
 食べ物屋は、商売の仕方さえ間違わなければ、決して潰れることがない。誰もが必要とする生業だからであり、いざとなれば自分で店の商品を食すことも可能だからだ。
 だが、店を営めるのは客が集まる昼間だけであり、原料となる豚肉を加工屋から仕入れられるのも、同じく昼間のみである。どうしても、一人が店番を、もう一人が加工屋との交渉、及び大量の仕入れに赴かなければならない。
 更に言えば、生活に必要なその他の日用品を揃えるためには、他の店へ行く必要も出てくるだろう。結局、三者がそれぞれ分担をせねば、満足にやっていけないのだ。

「……お前が言いたいことはよく分かる」

 父親は妻の髪を撫でて言った。

「確かに、これまでは俺とお前だけで商いを続けられたが、街の数も大幅に減り、移動の時間も長くなった。分担はもちろんのことだが、リアンにはもしもの時のために一人で生きて行ける術を身に付けてもらわなければ、後々困ることになる。そのために、いつまでも我々の腕の中で甘えているわけにはいかんだろうな」

 リアンは生まれて以来、両親の手から離れることなく大切に育てられた。
 幼い頃から旅をすれば世間に慣れるだろう――そんな父親の考えを知ってか知らずか、友達というものを知る機会が全く無かったリアンは、親だけを信じ、親だけを愛して育っていった。そのため、必然的に彼を呼ぶ名も、両親だけのものになっていた。

 やがて、小さな好奇心が芽生えてくると、次第に両親以外の存在に惹かれるようになったのだが、それでもリアンの辛抱強さは驚くほど人並み外れていた。留守番をさせられても不平や不満を言うことはなかったし、店番をしてくれと言われれば必ずそれに従った。
 環境のせいか、とにかく「生き方」に不器用だったので、とりあえず両親の手伝いをする、とりあえず両親の言うことを聞く……といった感じで過ごせば「いい子」でいられると考えていた。……良くも悪くも、子供らしからぬ子供に育っていた。

 この過酷な砂漠の環境下では、基本的に他人と関わり合う余裕がない。ましてや、少子化が当たり前になった世の中だ。同世代の友達を作る機会もない。
 例え気の合う人間に知り合えたとしても、旅の道筋まで全く同じという偶然はほとんどない。せいぜい、隣町までの間ぐらいだ。
 一生に一度しか会えないかもしれない人間と知り合いになっても無駄だということは、子供のリアンでも分かることだった。

 ……だからこそ、リアンが頼れるものは両親ぐらいしかいなかった。リアンが両親に甘える理由は、そこなのだ。

「基本的に私たちの言うことは良く聞いてくれる子だけど、だからこそ、独り立ちのことになると、その時だけは凄く意固地になるのよ……。せめて、彼に同じ歳頃の友達さえいればね……」

 父親は少し考えてから、妻の肩に手を置き、安心させるように微笑んだ。
 作り笑いではない。何か秘策でも思いついたようだった。

「大丈夫だ。近い内に俺から話をしてみよう。お前はもう、休んでなさい。明日も買い出しがあるんだろう?」
「ええ。そうしますわ。あなたも程々にね」

 母親は立ち上がり、着ていた外套を夫に返した。

「それと、あの子には、私たちが生きているうちに山を見せてあげたいわ」
「……それも、考えておこう」

 母親はお礼の代わりに少しだけ微笑み、天幕に戻った。

「…………」

 父親は白い溜め息を吐き出した。

 山。そこへ行くことがどれだけ困難なことか。それは山出身の妻が良く知っているはずなのに。
 もし本当に山を目指すのだとしても、それまでにリアンには独りで生きられる心構えと術を──山登りの技術も──身に付けてもらう必要がある。
 下手をすれば、山を登るだけで家族の誰かが欠けてもおかしくはない──それだけに過酷な旅になるのだから。
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