白砂の咎人

杏仁みかん

文字の大きさ
2 / 17
第一章 荷台に棲む獣〈こども〉たち

#prologue:攫う砂 - 2

しおりを挟む
 朝早く、父親が加工屋へ向かった後でリアンは目を覚ました。
 鼻をひくつかせると、スープの香りが空腹を思い出させる。
 寒い寝床から出るのはとても辛いが、朝食のために急いで着替えを済ませ、外套を羽織り、革の長靴を履いて天幕から出た。
 硬い赤土の感触にはすっかり慣れたはずだが、リアンにとっては、どちらかと言えば柔らかくて歩きやすい、砂の感触が恋しくなっていた。

「おはよう、リアン」
「おはよう、母さん」

 地平線が白み、眩い太陽が昇り始めていた。
 リアンは、いつもの癖で空を見上げ、五感を使って大気の様子を伺った。

「今日は……風が強くなりそうだね」
「荒れるかしら?」
「……そこまではいかないけど」

 なら、出かけるなら早く済ませるに限る。
 砂漠の強風はあらゆるものを台無しにする。
 ということは、店も早めに閉めるところが出てくるだろう。

「リアン。朝御飯を食べたら、店番をお願いね」
「うん。母さんは?」
「お前の言うことを信じて、早めに買い出しを済ませるわ。お昼までにね」

 そう言って、母親はカップに入れたスープをリアンに手渡した。
 乾燥した野菜をブイヨンと共に戻したスープである。冷えきった体を温めるには最適だ。
 柔らかい野菜をもぐもぐと溶かしながらスープと一緒に飲み込むと、喉、食道、そして胃の中へと温かい感触が伝わっていく。

「いい? リアン」

 母親は、温かいスープで気分を良くしている息子に水を差した。

「ただでさえ平坦な味で競争率の高い食べ物屋なんだから、お客さんには愛想よくするのよ?」
「……努力はするよ」

 リアンには、この愛想よく、という意味がよく分からなかった。
 どうして、赤の他人にわざわざ頭を下げたり笑わなければいけないんだろう。
 笑顔を見せて喜んで貰えるのは父さんと母さんだけのはずだ。

「お前がこうして食事をしていられるのは、父さんと母さんの笑顔のお陰でもあるのよ」
「え!? そうなの!?」

 嘘は言っていないはずだ、と母親は自分に言い聞かせた。
 多少、色を付けて話さなければ、この子は動こうとしないだろう。

「今は判らないでしょうけど、商売とはそういうものよ。……だから、食べたかったら笑顔で接客。いいわね?」
「……分かったよ。母さんがそう言うなら」

 と言って笑顔を見せるリアン。
 せめてこの表情が、自然に他人へと向けられるようになればいいのだが。

「じゃあ、行ってくるわね。昼までには戻るから」
「うん。気をつけて」



 そこは、街というよりはバザーと言った方が正しいだろう。
 砂漠からそう遠くない、ゴツゴツした赤土の上に建てられた定住用の家屋は二、三軒しかなく、その他は宿替わりの天幕と、通りになる場所にずらりと並ぶ、簡易設置の店だけだ。
 店を営むためには、砂漠共通のルールで、事前に場所を借りる必要がある。そのためには、この場所を仕切る元締めと呼ばれている人物から「設営券」を購入し、カウンターのよく見える位置に提示しなければならない。
 設営券は日ごとに色と番号が違う新しいものに交換され、隣町とその街において、一日前の分だけが販売される。無論、枚数には限りがあり、購入した段階でどこでも好きな場所を取れる、というわけだ。要するに、一番いい場所で商いをするためには、それだけ早く買いに来る必要があった。
 大きな街であれば、早朝から並ばなければ券を買うことが出来ない。そういう街ほど、二日前の分まで売り出すこともある。
 幸い、この日、リアン達が泊まっていた街は小さな街なので、並ぶこともなく店を出すことに成功していた。

 リアンが店の設営と店番の仕方を本格的に覚え始めたのは、二年前のことだった。
 店のカウンターとなるテーブルの出し方や組み立て方、商品の並べ方、そして値段の付け方と勘定まで見よう見まねで覚え、足りないところは父親に教わった。
 初めはたどたどしかったが、今ではてきぱきとこなせるようになっている。お陰で、両親の手を煩わせることなく、一人で留守番までこなせるようになっていた。

 この日、干し肉を買いに来た客は僅かで、リアンは両親の帰りを待ちながら罪悪感を抱いていた。

(母さんの言う通り、ぼくには愛想が足りないのかな……)

 向かいの店に目を向けると、そこはアクセサリ店のようで、何故か食べ物屋であるリアンよりもよく売れているように思える。店番をしているのはリアンよりも若干年上らしい、日の光に輝く金髪を頭の左右に結わえた女の子だった。
 リアンはさりげない視線で、少女の様子を観察してみた。
 確かに、客が来れば笑顔で接客をしている。当初は買うか迷っていた客も、少女の巧みな交渉で買う気になったらしく、財布の紐はたやすく緩んでいった。

(それに、看板も大きくて派手な色を使っている。これなら、たくさんある店の中から立ち寄りたくなるのも無理はないか……)

 食べ物屋だから、と安心していたのは大間違いだった。場所も最上級というわけではない。モノを売るためには売るための努力をしなければならないということに気付かされ、リアンは自分の慢心に深く落ち込んだ。

「どうした、坊主? 売れなくて落ち込んでるのか?」

 はっとなって顔を上げると、いつの間にか不精髭でガタイのいい中年男性が立っていた。

「い、いらっしゃい、ませ!」

 慌てて接客モードに切り換えるリアンに、男はガハハ、と豪快に笑った。

「そんなんじゃあ、客も不安になっちまうだろうよ」
「は、はあ……」

 リアンは呆気に取られた。
 いきなり何をしに来たのだ、この男は。

「おっと、すまないな。向かいでアクセサリや雑貨を売ってる者なんだが、子供の店番って余所じゃ珍しいモンだから、ちょっと覗いてみたんだ。気を悪くしたら謝るよ」

 どうやら、リアンが眺めていたお店の店主らしい。
 そうと分かると、リアンの中で強い対抗意識が芽生えた。

「……でしたら、干し肉を買って頂けますか?」
「お、言うねえ! そう来なくっちゃな。じゃあ、干し肉を十の四人分頂こうか」

 十の四人分とは、四人分を十日分、という意味だ。このような呼び方になったのは、一般的に一人につき一つずつ肉用の革袋を持参しているからだ。
 しかし、時には革袋を一日ごとに分けている場合もあるので、差し出された革袋の数から判断する必要がある。
 例えば、十の四人分の場合、革袋が四つなら人数で分けていることになるし、革袋が十もあれば、日数で分けていることになる。
 干し肉の一人当たりの一日分は店によって基準が異なるが、基本的には重さと一食分の枚数を三倍した枚数で判断され、それらは看板にしっかりと明記される決まりだ。

「一の一人分で銅四です。十の四人分なら、銀一、銅六十を頂きます」

 リアンは直ぐに暗算をして応えた。

「おう。今払うよ」

 その間にリアンは干し肉を革袋に詰め込み、客は懐に仕舞っていた頑丈な革の巾着袋から「銅百」に値する銀貨を二枚取り出し、リアンに渡した。
 リアンは、「銅十」に値する大銅貨四枚を渡し、それから干し肉を詰め込んだ袋を客に返した。

「ありがとうございます」
「うむ。確かに頂いた。……しかし、偉いな。その歳で暗算もしっかりしている。一人で留守番なのか?」

 男が褒めると、リアンは少々戸惑い気味に「はい」と頷いた。

「親御さんは?」

 そう訊かれると、リアンは応答に迷った。
 客は客として扱え。それ以上の会話をしてはならない──いつも、そう言い聞かされていたからだ。

「……おっと、余計な詮索は無しだったな。すまないことをした」

 気さくな男も、困惑しているリアンの顔から事情を察し、謝った。
 リアンは「いえ」と軽く首を振ってみせる。
 この人なら、もう少し心を許してもいいのではないか、という誘惑があったのだが、仕事だから、と、何とか心の底に押し止めた。

「じゃあな。頑張れよ、坊主」

 その背中を見送りながら、リアンは両親に教わった通りに深く頭を下げた。



 夕方頃、いつもの肉の匂いを漂わせながら、大きな頭陀袋を担いだ両親が帰って来た。

「お帰りなさい、父さん、母さん」

 リアンは店の片付けをしながら二人を迎えた。

「ただいま、リアン。ごめんね、遅くなっちゃって」

 昼過ぎ、と言っていた母親は申し訳なさそうに言った。本来なら早めに帰り、リアンと共に店を畳む予定だったはずなのに。
 リアンは曇りのない笑顔で母を安心させる。「いいよ。ぼくに出来ることだから」と。

「ありがとうね、リアン。今日はゆっくり休みましょう」

 母親はそう言って、リアンの頭を優しく撫でた。
 独特の肉の匂いがしたが、リアンにとってはそれが慣れ親しんだ母の匂いでもあった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...