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第一章 荷台に棲む獣〈こども〉たち
#1:半面の猟犬 - 1
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子供たちが住む荷台の中は、その壁際に小さな居住区を形成していた。
前方左奥はコシュカの居場所だ。壁際にねじで固定された蓋付きの箪笥には、乱雑に詰め込まれた衣類の他に、どこで拾ったかもよく分からない鉄くずや石ころといったガラクタが転がっている。
箪笥の横にも──きっと入りきらなかったのだろう、色々なものが山積みになっていて、カンテラの明かりだけでは何があるのかが分からない。
寝床は起きた時のままで、ろくに片付けもしていない。シーツや毛布はしわだらけになっているし、日を浴びればその惨状が如何なるものか露見するはずだ。
その反対側、前方右奥はクニークルスの居場所だ。箪笥は仕切りとなるように床にねじ止めされており、天井からは布を垂らして中を見られないようにしている。小物はそれほどなく、全体的にこざっぱりとした空間だ。
寝床もしっかりと手入れされており、傍らには誰かが作ったと思われる、耳の長い動物のぬいぐるみが置かれていた。
後方の左奥は、まだリアンと顔を合わせていないスクァーレルの居場所である。クニークルスやコシュカの空間に比べるとやや小規模ではあるが、寝床の他に何かを作るための作業台が用意されている。それ以外は、誰一人として覗いたことが無いと言う。
「……ってのが、アタシ達の住処」
クニークルスが語る一通りの居住区の説明に、リアンはただ黙って話を聞いていた。
一度は打ち解けたものの、他人同士がこぞって家族になるという経験は生まれて初めてであり、どう接すればいいのかが分からなかった。
「本当はアタシとスカーが隣にいた方がいいんだけど、出会った当初は一緒になるのが怖かったから、一番離れたところに来ちゃったのよね」
「オレ、交代してもいいんだぜ?」
と、コシュカが手を挙げる。
クニークルスは片目を細めてコシュカを睨みつけた。
「そんな臭いところにアタシたちレディが近寄るとでも? 少しは片付けなさいよ」
「ひでえこと言うなぁ……。そうは言っても、ここ数日は全員が風呂に入ってないんだぜ?」
クニークルスは途端に顔を真っ赤にした。
「バカ! そういうところがデリカシーなさ過ぎなの!」
「そ、そんなにムキになることか?」
なあ? と同意を求めるコシュカに、リアンは聞いてないフリを決め込んで俯いた。
風呂に入らない日が続くことは、旅人の間ではよくある話だ。
しかし、この家族の事情を知らないリアンには、何が正しいのか見分けがつくはずもなかった。
──そう。正しい判断が出来ないのだ。
リアンにとっては自分の家族こそが世界のルールだった。このまま人生を両親に捧げるつもりだっただけに、世間を知らないという反動は大きかった。
「……そういうわけで、あなたの居場所は右後ろね。物置に使ってたせいでごちゃごちゃしているところは、街に着いたら整理しましょ」
リアンはもう一度頷き、同意を示した。
痛みが引いてきたとはいえ、揺れの酷い移動中では満足に動けそうもなく、ただ荷台の中央で仰向けに晒されるしかない。
部屋の中央ほど不安な場所はないものだ。今のリアンは見守られていると同時に、三方の子供たちに監視されているようにも感じられた。
『クニークルス、コシュカ?』
どこからかノイズの入った女性の声が聞こえた。
クニークルスは四つんばいで這って自分のスペースから何かを取ってきた。──無線機だ。
「ルーシー、アタシよ。どうしたの?」
『もうすぐ街に到着するわ。正午前には着くと思う。あなたとコシュカは露店の準備をお願い』
「新入りはどうするんだ?」コシュカが横から尋ねた。「まだ動けるか分かんねーんだけど」
『あとで私から話をするわ。……お願いね、二人とも』
無線は静かになり、車の揺れは一層激しくなった。少しずつ、傾斜も加わっている。
荷台に乗せたあらゆるものが音を立て、小物があちらこちらに転がっていた。
「うわ、しまった!!」
山積みになっていたところから、ドライバーが転がり出た。
そいつは床を掻き鳴らしながらリアンの顔目掛けて滑っていく。
「…………っ!?」
リアンが身を捩ろうと体に力を入れるより早く、目の前にブーツの踵がガツン、と降ってきた。クニークルスの足だった。
「もう!! だから片付けなさいって言ってるのよ!」
「……悪ぃ」
クニークルスはドライバーを拾い上げると、這って歩き、コシュカにきっちり手渡した。
「一応止めたけど、あなたの方は何ともない?」
リアンはまた頭で頷き、それから、声を出して応えない自分に少しばかり苛立った。
あの時は感傷的になっていたせいでぶつかることも出来たのだが、今は呪いをかけられたみたいに言葉が話せなくなっている。
「…………」
そんなリアンを、クニークルスはどこか見下すような視線で眺めていた。
車が完全に停まると、左側面の大きな両開きの扉が左右に重々しく開かれた。
暗闇に慣れた目が光を拒む。
「みんな、お疲れさま」
逆光に立つ黒い影が言った。先程無線で話しかけてきた女性の声だ。
「やっと着いたー!」
コシュカは伸びをしながら荷台を飛び下り、走っていった数歩先でたたらを踏んだ。
「あんまし長いとふらふらするぜ」
「少し慣らして来なさい。……クニークルスも」
「……そうね。五分ぐらいぶらついてくるわ」
そう言って床に手を付き、荷台から飛び下りたクニークルスは、一度だけ背後を振り返り、リアンと目線が合った。
「…………」
何か言おうとしていたが、意志に背くようにぎゅっと唇を結び、急に走っていってしまった。
ルーシーと呼ばれていた女性は、その後ろ姿に軽く微笑み、何も言わずに荷台に向き直った。
「傷の具合はどう?」
ルーシーは入り口を遮るようにして荷台に上がり込み、リアンの前で腰を下ろした。
その仕種があまりにも母親と似ていたものだから、リアンはドキッとした。
「……まあまあ」
クニークルスの前では出なかった声がようやく出せたことに自分で驚く。
ルーシーは、手に持っていた革袋を差し出した。
「声が掠れてるわね。水を飲んでおきなさい」
「…………あり、がとう」
ぎこちなく礼を言うと、ルーシーはにこりと微笑んだ。
背中を支えられながら、震える手で何とか水を飲む。僅かだが、快方に向かっているようだった。
「私はルーシー。そっちにいるのが……」
「デュランだ」
いつの間にか、髭面の男が荷台の扉に寄り掛かっていた。一番見覚えのある顔だ。
「よう。元気になれて良かったな、坊主」
「……良くなんてないよ」
腹の虫はまだ治まっていないらしい。
「ご機嫌ナナメか。……まあ、無理もないな、あんなにいいご両親と別れちまったんだから」
「し、知った風に言うなよっ!!」
その言葉が本心でないことはリアン自身自覚していた。
ただ、やるせのない悔しさと怒りを、どこかにぶつけたかったのだ。
「……なあ、坊主」デュランは少しも動じずに尋ねた。「都合がいい、なんて思わなかったか?」
「え……?」
「隣町で出会った俺らがさ、何であの時、タイミング良く現れて坊主を救えたのか」
おかしな話だというのは、薄々感付いてはいた。
普通に考えれば、行き先も移動時間も他の家族に合わせられるはずがない。
デュランと出会ったあのバザーからは、来た道とは別に二方向の別の行き先があったはずだ。
その上、あの砂渦の状態で偶然リアン達を見つけて助けるのはもっと難しい話ではないか。
「頼まれたのよ。あなたのお父さんに」
ルーシーが代わりに言った。
「デュランとあなたが話しているところを、あなたのお父さんが偶然目撃していたの。
その後、ウチの子供たちと友達になって欲しいって、わざわざ頼み込んできたのよ。……ちょっと戸惑ったけどね、子供を抱える気持ちは私たちも変わらないし、だから、あなたに内緒で進路を共にしたわ」
嘘だ、と思った。
簡単に人を信じてはいけないと教えたのは、父さんの方だったのに。
「……本当は、あの街で子供たちを紹介するつもりだったのよ。砂渦さえ来なければ、ね」
「その言葉を、信じろって言うの?」
リアンは今にも食い掛かるような眼差しでルーシーを睨み付けた。
ルーシーは動じずに、目を伏せる。
「ご両親は、あなたが親離れしないことをとても心配なさっていたわ」
静かに放った一言は、リアンの胸を深く抉った。
それは、両親と別れた日の朝に言われたことに他ならなかった。
「本当は独りでやっていけるぐらいの技量を持ちながら、あなたは両親といつまでも一緒にいたいと願っていた。だから、子供の友達を作って、親離れさせるつもりだったのよ。……それが、あなたのお父さんとお母さんの遺志でもあった」
……分からない。
何が正しくて、何が間違っているのか。
この人たちを信用していいのだろうか。
その判断を下せる両親は、ここにはいない。
自分で決める……そんなこと、分かっているはずなのに。
「話は以上よ。後は、あなたが決めること。街には着いたんだから、自由にしていいわ」
意外な言葉に、リアンは目を丸くした。
「独りになりたければ、ここを出て行っても構わない。もちろん、このまま残って私たちの家族になりたい、というのなら、喜んで歓迎するわ。ただし……」
ルーシーは指を三本立てた。
「期限は三日よ。それ以上は待てないわ」
「……独りになりたくて、動けない場合も?」
「そんな場合は、言ってくれれば、私が適当な所まであなたを運んで行くわ」
どうやら、本気らしい。
全身の肌という肌が落ち着かなくなる感覚と共に、胃の辺りがきゅっと縮こまる。
「坊主。一つ、アドバイスをくれてやろうか」
デュランがよく通る、楽しげな声で言った。
「独りになったら、誰にも甘えられない。それは親御さんが常々教えていたはずだ。違うか?」
確かに、その通りだ。
父さんも母さんも、そのことを最後まで気にかけていたのだ。
「……だがな、坊主はまだ子供だ。本来なら独りじゃなく、保護者が必要なんだ。何故だか分かるか?」
「…………いいえ」
デュランは背後を親指で指差した。
「あのコシュカみたいにならないため、さ。それ以上はアイツの口から訊くといい。三日もあるんだから、話ぐらい出来るだろう?」
「簡単に言うんですね……」
「それだけ、砂漠は甘っちょろい世界じゃねえってことだよ。坊主だって身に沁みただろ? 今日生きていたからって、明日生きているとは限らない。お前一人のために、家族を犠牲にしてまで留まるわけにはいかねぇんだ」
リアンは眉間にしわを寄せた。
直ぐにでも助けが欲しい。……そんな気分すら、堪えなければならないのだ。
「……そうね。このくらいにしておきましょうか。自分で考える時間は、なるべく多い方がいいわ」
ルーシーは立ち上がり、荷台から軽やかに下りた。
「そういえば、あなたの名前を聞いてなかったわね」
リアンは少し考え、それから小さく呟いた。
「……ぼくは…………名乗りたくありません」
「あら、どうして?」
「この名前は、父さんと母さんに貰った、唯一の形見だから」
カタチあるものが何も遺されていなかったリアンにとって、その名は、両親がたった一つ遺してくれた決して失われることのない絆──彼らの息子だったという、唯一の証だった。
その名を呼んでいたのは他でもない、両親だけだ。もし、他人に呼ばせたりでもしたら、大事な思い出を踏みにじられるような気がしてならなかった。
「……そっか」
ルーシーは寂しそうに微笑んだ。
彼女はリアンの気持ちを、どのように解釈しただろう。
「その話はいずれ決めるとして……あなたたち! 話は終わったわよ!」
近くに停めてあった別の車の影に隠れていた二人が、「やばっ」と声を洩らした。
「盗み聞きだなんて趣味が悪いじゃない。とにかく、さっき言った通り露店の準備をしなさい」
「はぁい」
クニークルスは口を尖らせながら返事をし、荷台に戻った。
後ろから続くコシュカは、何故か機嫌がいいようで頭の後ろで手を組みながら鼻唄を歌っていた。
「さて」
と、ルーシーは再びリアンに注目した。
「あなたは動けなさそうだし、ここでお留守番になるけど、いいかしら?」
一応訊いてくるだけの優しさはあるらしい。
どの道、選択する余地などないので、リアンは必然的に頷くしかなかった。
「スカーは? 起きてる?」
ルーシーが暗闇に顔だけを突っ込んで呼びかけると、金色に輝く二つの瞳が現れ、問いかけるようにぱちくりと瞬いた。
「ここにいるお兄ちゃんとお留守番するか、クニークルスのお姉ちゃんと出かけるか」
金の瞳はキョロキョロと忙しなく動いた後、また暗闇に消えた。
どうやら行きたくない選択をしたらしい。
「……そういうわけだから、お留守番ぐらいは頼めるかしら?」
「動けないし、見てるだけでいいなら」
「ええ、それでいいわ。お願いね」
ルーシーはそう言って、リアンに微笑んだ。
「ルーシー! 荷物全部出し終わったわよ!」
いつの間にか必要なものを出し終わっていたクニークルスが、荷台の外から呼びかけた。
「分かったわ、行きましょう。……じゃあ、ここは閉めていくから。ゆっくりとお休みなさい」
また、ガラガラと重い扉が閉じていく。
リアンは少しずつ消えていく僅かな光を、最後まで名残惜しそうに見つめていた。
前方左奥はコシュカの居場所だ。壁際にねじで固定された蓋付きの箪笥には、乱雑に詰め込まれた衣類の他に、どこで拾ったかもよく分からない鉄くずや石ころといったガラクタが転がっている。
箪笥の横にも──きっと入りきらなかったのだろう、色々なものが山積みになっていて、カンテラの明かりだけでは何があるのかが分からない。
寝床は起きた時のままで、ろくに片付けもしていない。シーツや毛布はしわだらけになっているし、日を浴びればその惨状が如何なるものか露見するはずだ。
その反対側、前方右奥はクニークルスの居場所だ。箪笥は仕切りとなるように床にねじ止めされており、天井からは布を垂らして中を見られないようにしている。小物はそれほどなく、全体的にこざっぱりとした空間だ。
寝床もしっかりと手入れされており、傍らには誰かが作ったと思われる、耳の長い動物のぬいぐるみが置かれていた。
後方の左奥は、まだリアンと顔を合わせていないスクァーレルの居場所である。クニークルスやコシュカの空間に比べるとやや小規模ではあるが、寝床の他に何かを作るための作業台が用意されている。それ以外は、誰一人として覗いたことが無いと言う。
「……ってのが、アタシ達の住処」
クニークルスが語る一通りの居住区の説明に、リアンはただ黙って話を聞いていた。
一度は打ち解けたものの、他人同士がこぞって家族になるという経験は生まれて初めてであり、どう接すればいいのかが分からなかった。
「本当はアタシとスカーが隣にいた方がいいんだけど、出会った当初は一緒になるのが怖かったから、一番離れたところに来ちゃったのよね」
「オレ、交代してもいいんだぜ?」
と、コシュカが手を挙げる。
クニークルスは片目を細めてコシュカを睨みつけた。
「そんな臭いところにアタシたちレディが近寄るとでも? 少しは片付けなさいよ」
「ひでえこと言うなぁ……。そうは言っても、ここ数日は全員が風呂に入ってないんだぜ?」
クニークルスは途端に顔を真っ赤にした。
「バカ! そういうところがデリカシーなさ過ぎなの!」
「そ、そんなにムキになることか?」
なあ? と同意を求めるコシュカに、リアンは聞いてないフリを決め込んで俯いた。
風呂に入らない日が続くことは、旅人の間ではよくある話だ。
しかし、この家族の事情を知らないリアンには、何が正しいのか見分けがつくはずもなかった。
──そう。正しい判断が出来ないのだ。
リアンにとっては自分の家族こそが世界のルールだった。このまま人生を両親に捧げるつもりだっただけに、世間を知らないという反動は大きかった。
「……そういうわけで、あなたの居場所は右後ろね。物置に使ってたせいでごちゃごちゃしているところは、街に着いたら整理しましょ」
リアンはもう一度頷き、同意を示した。
痛みが引いてきたとはいえ、揺れの酷い移動中では満足に動けそうもなく、ただ荷台の中央で仰向けに晒されるしかない。
部屋の中央ほど不安な場所はないものだ。今のリアンは見守られていると同時に、三方の子供たちに監視されているようにも感じられた。
『クニークルス、コシュカ?』
どこからかノイズの入った女性の声が聞こえた。
クニークルスは四つんばいで這って自分のスペースから何かを取ってきた。──無線機だ。
「ルーシー、アタシよ。どうしたの?」
『もうすぐ街に到着するわ。正午前には着くと思う。あなたとコシュカは露店の準備をお願い』
「新入りはどうするんだ?」コシュカが横から尋ねた。「まだ動けるか分かんねーんだけど」
『あとで私から話をするわ。……お願いね、二人とも』
無線は静かになり、車の揺れは一層激しくなった。少しずつ、傾斜も加わっている。
荷台に乗せたあらゆるものが音を立て、小物があちらこちらに転がっていた。
「うわ、しまった!!」
山積みになっていたところから、ドライバーが転がり出た。
そいつは床を掻き鳴らしながらリアンの顔目掛けて滑っていく。
「…………っ!?」
リアンが身を捩ろうと体に力を入れるより早く、目の前にブーツの踵がガツン、と降ってきた。クニークルスの足だった。
「もう!! だから片付けなさいって言ってるのよ!」
「……悪ぃ」
クニークルスはドライバーを拾い上げると、這って歩き、コシュカにきっちり手渡した。
「一応止めたけど、あなたの方は何ともない?」
リアンはまた頭で頷き、それから、声を出して応えない自分に少しばかり苛立った。
あの時は感傷的になっていたせいでぶつかることも出来たのだが、今は呪いをかけられたみたいに言葉が話せなくなっている。
「…………」
そんなリアンを、クニークルスはどこか見下すような視線で眺めていた。
車が完全に停まると、左側面の大きな両開きの扉が左右に重々しく開かれた。
暗闇に慣れた目が光を拒む。
「みんな、お疲れさま」
逆光に立つ黒い影が言った。先程無線で話しかけてきた女性の声だ。
「やっと着いたー!」
コシュカは伸びをしながら荷台を飛び下り、走っていった数歩先でたたらを踏んだ。
「あんまし長いとふらふらするぜ」
「少し慣らして来なさい。……クニークルスも」
「……そうね。五分ぐらいぶらついてくるわ」
そう言って床に手を付き、荷台から飛び下りたクニークルスは、一度だけ背後を振り返り、リアンと目線が合った。
「…………」
何か言おうとしていたが、意志に背くようにぎゅっと唇を結び、急に走っていってしまった。
ルーシーと呼ばれていた女性は、その後ろ姿に軽く微笑み、何も言わずに荷台に向き直った。
「傷の具合はどう?」
ルーシーは入り口を遮るようにして荷台に上がり込み、リアンの前で腰を下ろした。
その仕種があまりにも母親と似ていたものだから、リアンはドキッとした。
「……まあまあ」
クニークルスの前では出なかった声がようやく出せたことに自分で驚く。
ルーシーは、手に持っていた革袋を差し出した。
「声が掠れてるわね。水を飲んでおきなさい」
「…………あり、がとう」
ぎこちなく礼を言うと、ルーシーはにこりと微笑んだ。
背中を支えられながら、震える手で何とか水を飲む。僅かだが、快方に向かっているようだった。
「私はルーシー。そっちにいるのが……」
「デュランだ」
いつの間にか、髭面の男が荷台の扉に寄り掛かっていた。一番見覚えのある顔だ。
「よう。元気になれて良かったな、坊主」
「……良くなんてないよ」
腹の虫はまだ治まっていないらしい。
「ご機嫌ナナメか。……まあ、無理もないな、あんなにいいご両親と別れちまったんだから」
「し、知った風に言うなよっ!!」
その言葉が本心でないことはリアン自身自覚していた。
ただ、やるせのない悔しさと怒りを、どこかにぶつけたかったのだ。
「……なあ、坊主」デュランは少しも動じずに尋ねた。「都合がいい、なんて思わなかったか?」
「え……?」
「隣町で出会った俺らがさ、何であの時、タイミング良く現れて坊主を救えたのか」
おかしな話だというのは、薄々感付いてはいた。
普通に考えれば、行き先も移動時間も他の家族に合わせられるはずがない。
デュランと出会ったあのバザーからは、来た道とは別に二方向の別の行き先があったはずだ。
その上、あの砂渦の状態で偶然リアン達を見つけて助けるのはもっと難しい話ではないか。
「頼まれたのよ。あなたのお父さんに」
ルーシーが代わりに言った。
「デュランとあなたが話しているところを、あなたのお父さんが偶然目撃していたの。
その後、ウチの子供たちと友達になって欲しいって、わざわざ頼み込んできたのよ。……ちょっと戸惑ったけどね、子供を抱える気持ちは私たちも変わらないし、だから、あなたに内緒で進路を共にしたわ」
嘘だ、と思った。
簡単に人を信じてはいけないと教えたのは、父さんの方だったのに。
「……本当は、あの街で子供たちを紹介するつもりだったのよ。砂渦さえ来なければ、ね」
「その言葉を、信じろって言うの?」
リアンは今にも食い掛かるような眼差しでルーシーを睨み付けた。
ルーシーは動じずに、目を伏せる。
「ご両親は、あなたが親離れしないことをとても心配なさっていたわ」
静かに放った一言は、リアンの胸を深く抉った。
それは、両親と別れた日の朝に言われたことに他ならなかった。
「本当は独りでやっていけるぐらいの技量を持ちながら、あなたは両親といつまでも一緒にいたいと願っていた。だから、子供の友達を作って、親離れさせるつもりだったのよ。……それが、あなたのお父さんとお母さんの遺志でもあった」
……分からない。
何が正しくて、何が間違っているのか。
この人たちを信用していいのだろうか。
その判断を下せる両親は、ここにはいない。
自分で決める……そんなこと、分かっているはずなのに。
「話は以上よ。後は、あなたが決めること。街には着いたんだから、自由にしていいわ」
意外な言葉に、リアンは目を丸くした。
「独りになりたければ、ここを出て行っても構わない。もちろん、このまま残って私たちの家族になりたい、というのなら、喜んで歓迎するわ。ただし……」
ルーシーは指を三本立てた。
「期限は三日よ。それ以上は待てないわ」
「……独りになりたくて、動けない場合も?」
「そんな場合は、言ってくれれば、私が適当な所まであなたを運んで行くわ」
どうやら、本気らしい。
全身の肌という肌が落ち着かなくなる感覚と共に、胃の辺りがきゅっと縮こまる。
「坊主。一つ、アドバイスをくれてやろうか」
デュランがよく通る、楽しげな声で言った。
「独りになったら、誰にも甘えられない。それは親御さんが常々教えていたはずだ。違うか?」
確かに、その通りだ。
父さんも母さんも、そのことを最後まで気にかけていたのだ。
「……だがな、坊主はまだ子供だ。本来なら独りじゃなく、保護者が必要なんだ。何故だか分かるか?」
「…………いいえ」
デュランは背後を親指で指差した。
「あのコシュカみたいにならないため、さ。それ以上はアイツの口から訊くといい。三日もあるんだから、話ぐらい出来るだろう?」
「簡単に言うんですね……」
「それだけ、砂漠は甘っちょろい世界じゃねえってことだよ。坊主だって身に沁みただろ? 今日生きていたからって、明日生きているとは限らない。お前一人のために、家族を犠牲にしてまで留まるわけにはいかねぇんだ」
リアンは眉間にしわを寄せた。
直ぐにでも助けが欲しい。……そんな気分すら、堪えなければならないのだ。
「……そうね。このくらいにしておきましょうか。自分で考える時間は、なるべく多い方がいいわ」
ルーシーは立ち上がり、荷台から軽やかに下りた。
「そういえば、あなたの名前を聞いてなかったわね」
リアンは少し考え、それから小さく呟いた。
「……ぼくは…………名乗りたくありません」
「あら、どうして?」
「この名前は、父さんと母さんに貰った、唯一の形見だから」
カタチあるものが何も遺されていなかったリアンにとって、その名は、両親がたった一つ遺してくれた決して失われることのない絆──彼らの息子だったという、唯一の証だった。
その名を呼んでいたのは他でもない、両親だけだ。もし、他人に呼ばせたりでもしたら、大事な思い出を踏みにじられるような気がしてならなかった。
「……そっか」
ルーシーは寂しそうに微笑んだ。
彼女はリアンの気持ちを、どのように解釈しただろう。
「その話はいずれ決めるとして……あなたたち! 話は終わったわよ!」
近くに停めてあった別の車の影に隠れていた二人が、「やばっ」と声を洩らした。
「盗み聞きだなんて趣味が悪いじゃない。とにかく、さっき言った通り露店の準備をしなさい」
「はぁい」
クニークルスは口を尖らせながら返事をし、荷台に戻った。
後ろから続くコシュカは、何故か機嫌がいいようで頭の後ろで手を組みながら鼻唄を歌っていた。
「さて」
と、ルーシーは再びリアンに注目した。
「あなたは動けなさそうだし、ここでお留守番になるけど、いいかしら?」
一応訊いてくるだけの優しさはあるらしい。
どの道、選択する余地などないので、リアンは必然的に頷くしかなかった。
「スカーは? 起きてる?」
ルーシーが暗闇に顔だけを突っ込んで呼びかけると、金色に輝く二つの瞳が現れ、問いかけるようにぱちくりと瞬いた。
「ここにいるお兄ちゃんとお留守番するか、クニークルスのお姉ちゃんと出かけるか」
金の瞳はキョロキョロと忙しなく動いた後、また暗闇に消えた。
どうやら行きたくない選択をしたらしい。
「……そういうわけだから、お留守番ぐらいは頼めるかしら?」
「動けないし、見てるだけでいいなら」
「ええ、それでいいわ。お願いね」
ルーシーはそう言って、リアンに微笑んだ。
「ルーシー! 荷物全部出し終わったわよ!」
いつの間にか必要なものを出し終わっていたクニークルスが、荷台の外から呼びかけた。
「分かったわ、行きましょう。……じゃあ、ここは閉めていくから。ゆっくりとお休みなさい」
また、ガラガラと重い扉が閉じていく。
リアンは少しずつ消えていく僅かな光を、最後まで名残惜しそうに見つめていた。
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