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第2話 勇者、分業制を提案する
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勇者養成校は、学力的にもヴィルドルク国最高峰だ。誰でも入学試験を受けられるとはいえ、文字も書けない貧乏人は逆立ちしたって受からない。教育に金を掛けられる商人の息子とか、親が勇者の二世とかが殆どで、俺のような孤児は滅多にいない。
そして、基本的に卒業後は街付の勇者になることが想定されているから、いくら頭が良くても奇人変人は途中で弾かれる。人格がまともで、市民対応をそつなくこなせる、典型的な優等生しか卒業まで行き付けない。力自慢の暴力野郎とか裏で薬を売りさばいていた奴もいたが、すぐに退学になった。
そうなると、俺はこの世界を生きてきた短い人生で、まともな人間にしか会った事がないようだ。
孤児院は教会の一角にあったから、シスターもそこに来る市民も皆信仰深くて穏やかで、見えない神に涙を浮かべて祈るほど想像力が豊かだった。そういう所で育った俺は、前世の職場への怨みに満ちていたとはいえ、礼儀の身に付いた好青年だ。
更に考えてみると、前世でも、俺はポストFランのくせに品行方正な学校に通っていた。授業は休まないし、試験も受けるのに単位を落とすような馬鹿の集まり。
その結果、卒業生たちは俺のように職場に飼い殺されて過労死するのだから、ある意味社会の歯車養成校としては最高峰だ。
つまり、俺は真面目だし、ニーアも真面目だし。頭が固い奴ばかりが集まっているとつまらないから。勇者のパーティーにも遊び人のような役職があるわけだし。
だから、つまり、俺はリリーナを採用した事に後悔なんて全然していない。
+++++
「勇者様、市民の方から依頼がありました。魔獣が出て塀が壊されたから、修理してほしいとのことです」
街に買い物に行っていたニーアがキッチンに荷物を置きながら、一緒に持って帰って来た余計な仕事を俺に報告してくれる。
そのままニーアがリリーナに伝えてくれないかと期待したが、ニーアは言うだけ言ってキッチンから出て来ない。
庭で剣の調子を確かめていた俺は、諦めて剣を収めて2階に上がり、リリーナの部屋のドアをノックした。
「リリーナ、仕事だ」
中からは何の返事も返って来ない。が、さっきまで足音は聞こえて来たから寝ているとは考え難い。リリーナはこの部屋の中で一応規則正しい生活をしているらしい。
「起きてるんだろ。出て来い」
「……」
「仲間と話すのも仕事の内だ。職務放棄だぞ」
「……」
「いつまでもこうしていられないってことは、自分が一番良くわかってるだろ?」
「……っせーなぁ」
部屋の中から荒々しい足音が聞こえて、俺の鼻先を掠めてドアが叩き開けられた。俺が一瞬でも下がるのが遅れていたら、激突して鼻が無くなっていたところだ。俺が勇者である事に感謝してほしい。
「飯ん時以外は声かけんなって言ってんだろ!」
乱れた白い髪を掻き回しながら、ぶかぶかのシャツだけ着たリリーナが廊下に出て来た。姿を見るのは、3日ぶりくらいだ。リリーナは、シャツの裾から覗く下着も気にしないで、ドアを蹴飛ばして閉める。
「給料分は働け」
「は?何?あたし、ちゃんとやってんじゃん?文句あんの?」
リリーナが、綺麗な青い目で俺を睨み付けて来た。美人に睨まれると無条件で降伏しそうになるが、ここでは俺が上司だ。前世では万年ヒラだった俺だが、今は首席卒業の勇者。部下に媚びてどうする。
俺がリリーナから一歩も引かずにいると、喧嘩が始まる気配を察したニーアが、パンの袋を持って階段を上がって来た。
「リリーナさん、くるみパン、いかがですか?」
「うっはー!食べりゅー」
リリーナはニーアの足に抱き付くようにして、差し出されたパンを両手で食べ始める。聖母の施しというか、猫の餌やりみたいだなと思う。人に慣れ過ぎて可愛さよりもずうずうしさが目に余るタイプの白い猫。
「ついでに、お仕事をお願いできませんか?」
「えーあたしぃ、日に焼けんのヤだから夜じゃないとお外出たくなぁーい」
「そうですか。では、夜にお願いしますね」
「りょー」
リリーナは、ニーアが持って来たパンを全て奪い取って、ぼろぼろとパン屑を口から零しながら部屋の中に帰って行った。
リリーナが足で閉めたドアが大きな音を立てて閉まり、事務所の中はまた静かになる。
「と、いう事ですので、勇者様、市民との交渉よろしくお願いします」
「ニーア……知ってたな」
リリーナの思考を覗いて志望動機を見た時、あそこで強制遮断された理由を考えるべきだった。
金が欲しい。住み込みで働きたい。それ以外に、親に家を追い出されたから、とか、新しく引きこもる場所が必要だから、とか、ぼろが出てきたはずだ。
「ホテル・アルニカの最上級スウィートルームは、引きこもりの三女が住み着いているから予約できないと有名です」
「だったら、何で言わないんだよ」
「勇者様、あの時私が何を言っても、リリーナさんを採用しましたよね」
ニーアにずばりと言われて、俺は返事に窮した。
確かに、俺の独断でリリーナの採用を決めてしまったが。市の人間を仲間にするなら、なによりも最初に市の内情を良く知っているニーアに意見を求めるべきだったけども。
しかし、リリーナが重度の引きこもりでコミュニケーションに難有りだとしても、モベドス卒だ。白魔術の能力に疑いの余地は無い。
魔法剣士のニーアに勇者の俺が言い負かされたというのは流石に癪だから、俺は引きこもり一匹、事務所で飼うくらい何でもないような顔をしてみせた。
「まぁ、いい。リリーナの給与申請、副市長にしといてくれ」
「勇者様、リリーナさんのお給料は市から出ませんよ」
「……そうだったか?」
「魔法剣士以外の仲間は、勇者様が個人的に雇っている事になりますので、勇者様のお給料から出すんです」
「……」
そうだったな。
市の税金が使われていないなら、俺が自分の金でどんな役立たずを雇おうと、市職員のニーアからしてみれば「知ーらない」と言いたくなるわけだ。
静かになった俺とニーアの間を執り成すように、夕方の鐘が街から聞こえて来た。
「では、定時なので帰ります」
階段を下りて行こうとしたニーアの前に回り込んで、俺はさりげなく道を塞ぐ。
最近になってようやく俺は、ニーアは市から給料を貰っているから、時間外も休日手当もしっかり貰っていることに気付いた。無給で働かされているのは、俺だけだった。
「部屋は余ってるんだし、ニーアも事務所に住んだらどうだ」
「結構です」
「通勤が面倒だろう?」
「引きこもりと2人きりになりたくないからって、ニーアを巻き込むのは止めてください」
一体何を言っているんだ、と俺は溜息をついて額を抑えた。俺がそんな偏狭な事を考えるはずが無い。
俺は勇者だ。世を正し、弱き者を守り導くのがこの世界の勇者の役目。引きこもりの1人や2人、1人で充分満足しているからこれ以上増やす気は無いが、養うなど強き者の義務のようなものだし、なんなら社会復帰だってさせてみせる。
「てか、飯は?」
俺がニーアを説得している横から、リリーナの労働意欲の対極にありそうな声が聞こえて来た。引きこもりで日中は部屋から出て来ないのに、リリーナは時間になると何故かお腹が空くらしい。時を教えてくれる役目は、時計があるから充分間に合っている。
ニーアは「お先に失礼します」と俺の横をすり抜けて階段を下りて行った。
「飯ーまだー?」
俺はリリーナを無視して、剣の整備のためにニーアに続いて階段を下りた。
働かざる者、食うべからずだ。職務放棄をしている勇者の俺が言える立場ではないが。
無能な新人ばかり採りやがって、と前世で散々人事の悪口を言っていたバチが当たったのだと思う。甘んじて受け入れよう。
そして、基本的に卒業後は街付の勇者になることが想定されているから、いくら頭が良くても奇人変人は途中で弾かれる。人格がまともで、市民対応をそつなくこなせる、典型的な優等生しか卒業まで行き付けない。力自慢の暴力野郎とか裏で薬を売りさばいていた奴もいたが、すぐに退学になった。
そうなると、俺はこの世界を生きてきた短い人生で、まともな人間にしか会った事がないようだ。
孤児院は教会の一角にあったから、シスターもそこに来る市民も皆信仰深くて穏やかで、見えない神に涙を浮かべて祈るほど想像力が豊かだった。そういう所で育った俺は、前世の職場への怨みに満ちていたとはいえ、礼儀の身に付いた好青年だ。
更に考えてみると、前世でも、俺はポストFランのくせに品行方正な学校に通っていた。授業は休まないし、試験も受けるのに単位を落とすような馬鹿の集まり。
その結果、卒業生たちは俺のように職場に飼い殺されて過労死するのだから、ある意味社会の歯車養成校としては最高峰だ。
つまり、俺は真面目だし、ニーアも真面目だし。頭が固い奴ばかりが集まっているとつまらないから。勇者のパーティーにも遊び人のような役職があるわけだし。
だから、つまり、俺はリリーナを採用した事に後悔なんて全然していない。
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「勇者様、市民の方から依頼がありました。魔獣が出て塀が壊されたから、修理してほしいとのことです」
街に買い物に行っていたニーアがキッチンに荷物を置きながら、一緒に持って帰って来た余計な仕事を俺に報告してくれる。
そのままニーアがリリーナに伝えてくれないかと期待したが、ニーアは言うだけ言ってキッチンから出て来ない。
庭で剣の調子を確かめていた俺は、諦めて剣を収めて2階に上がり、リリーナの部屋のドアをノックした。
「リリーナ、仕事だ」
中からは何の返事も返って来ない。が、さっきまで足音は聞こえて来たから寝ているとは考え難い。リリーナはこの部屋の中で一応規則正しい生活をしているらしい。
「起きてるんだろ。出て来い」
「……」
「仲間と話すのも仕事の内だ。職務放棄だぞ」
「……」
「いつまでもこうしていられないってことは、自分が一番良くわかってるだろ?」
「……っせーなぁ」
部屋の中から荒々しい足音が聞こえて、俺の鼻先を掠めてドアが叩き開けられた。俺が一瞬でも下がるのが遅れていたら、激突して鼻が無くなっていたところだ。俺が勇者である事に感謝してほしい。
「飯ん時以外は声かけんなって言ってんだろ!」
乱れた白い髪を掻き回しながら、ぶかぶかのシャツだけ着たリリーナが廊下に出て来た。姿を見るのは、3日ぶりくらいだ。リリーナは、シャツの裾から覗く下着も気にしないで、ドアを蹴飛ばして閉める。
「給料分は働け」
「は?何?あたし、ちゃんとやってんじゃん?文句あんの?」
リリーナが、綺麗な青い目で俺を睨み付けて来た。美人に睨まれると無条件で降伏しそうになるが、ここでは俺が上司だ。前世では万年ヒラだった俺だが、今は首席卒業の勇者。部下に媚びてどうする。
俺がリリーナから一歩も引かずにいると、喧嘩が始まる気配を察したニーアが、パンの袋を持って階段を上がって来た。
「リリーナさん、くるみパン、いかがですか?」
「うっはー!食べりゅー」
リリーナはニーアの足に抱き付くようにして、差し出されたパンを両手で食べ始める。聖母の施しというか、猫の餌やりみたいだなと思う。人に慣れ過ぎて可愛さよりもずうずうしさが目に余るタイプの白い猫。
「ついでに、お仕事をお願いできませんか?」
「えーあたしぃ、日に焼けんのヤだから夜じゃないとお外出たくなぁーい」
「そうですか。では、夜にお願いしますね」
「りょー」
リリーナは、ニーアが持って来たパンを全て奪い取って、ぼろぼろとパン屑を口から零しながら部屋の中に帰って行った。
リリーナが足で閉めたドアが大きな音を立てて閉まり、事務所の中はまた静かになる。
「と、いう事ですので、勇者様、市民との交渉よろしくお願いします」
「ニーア……知ってたな」
リリーナの思考を覗いて志望動機を見た時、あそこで強制遮断された理由を考えるべきだった。
金が欲しい。住み込みで働きたい。それ以外に、親に家を追い出されたから、とか、新しく引きこもる場所が必要だから、とか、ぼろが出てきたはずだ。
「ホテル・アルニカの最上級スウィートルームは、引きこもりの三女が住み着いているから予約できないと有名です」
「だったら、何で言わないんだよ」
「勇者様、あの時私が何を言っても、リリーナさんを採用しましたよね」
ニーアにずばりと言われて、俺は返事に窮した。
確かに、俺の独断でリリーナの採用を決めてしまったが。市の人間を仲間にするなら、なによりも最初に市の内情を良く知っているニーアに意見を求めるべきだったけども。
しかし、リリーナが重度の引きこもりでコミュニケーションに難有りだとしても、モベドス卒だ。白魔術の能力に疑いの余地は無い。
魔法剣士のニーアに勇者の俺が言い負かされたというのは流石に癪だから、俺は引きこもり一匹、事務所で飼うくらい何でもないような顔をしてみせた。
「まぁ、いい。リリーナの給与申請、副市長にしといてくれ」
「勇者様、リリーナさんのお給料は市から出ませんよ」
「……そうだったか?」
「魔法剣士以外の仲間は、勇者様が個人的に雇っている事になりますので、勇者様のお給料から出すんです」
「……」
そうだったな。
市の税金が使われていないなら、俺が自分の金でどんな役立たずを雇おうと、市職員のニーアからしてみれば「知ーらない」と言いたくなるわけだ。
静かになった俺とニーアの間を執り成すように、夕方の鐘が街から聞こえて来た。
「では、定時なので帰ります」
階段を下りて行こうとしたニーアの前に回り込んで、俺はさりげなく道を塞ぐ。
最近になってようやく俺は、ニーアは市から給料を貰っているから、時間外も休日手当もしっかり貰っていることに気付いた。無給で働かされているのは、俺だけだった。
「部屋は余ってるんだし、ニーアも事務所に住んだらどうだ」
「結構です」
「通勤が面倒だろう?」
「引きこもりと2人きりになりたくないからって、ニーアを巻き込むのは止めてください」
一体何を言っているんだ、と俺は溜息をついて額を抑えた。俺がそんな偏狭な事を考えるはずが無い。
俺は勇者だ。世を正し、弱き者を守り導くのがこの世界の勇者の役目。引きこもりの1人や2人、1人で充分満足しているからこれ以上増やす気は無いが、養うなど強き者の義務のようなものだし、なんなら社会復帰だってさせてみせる。
「てか、飯は?」
俺がニーアを説得している横から、リリーナの労働意欲の対極にありそうな声が聞こえて来た。引きこもりで日中は部屋から出て来ないのに、リリーナは時間になると何故かお腹が空くらしい。時を教えてくれる役目は、時計があるから充分間に合っている。
ニーアは「お先に失礼します」と俺の横をすり抜けて階段を下りて行った。
「飯ーまだー?」
俺はリリーナを無視して、剣の整備のためにニーアに続いて階段を下りた。
働かざる者、食うべからずだ。職務放棄をしている勇者の俺が言える立場ではないが。
無能な新人ばかり採りやがって、と前世で散々人事の悪口を言っていたバチが当たったのだと思う。甘んじて受け入れよう。
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