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第3話 勇者、出張旅費を申請する

〜1〜

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 今日の午後、副市長が勇者の皆様に会いたいそうです。

 今朝方、事務所に出勤して来たニーアに言われて、俺は溜息をついた。
 まったく、あの副市長はせっかちだ。せっかく仲間が1人増えて、うまくやれているというのに。
 そもそも、勇者の行いの是非が一朝一夕で理解できるはずがない。長い歴史の中で迫害されたこともあったが、現代まで勇者が受け継がれ、語り継がれていることが、人の営みには勇者が必要だという証明だというのに。


 というわけで、俺は法律全集に目を通している。

 勇者養成校では法知識も叩き込まれた。街付の勇者になった時に住民同士のトラブルを公平に解決するために、どこに居ても頼られる勇者が行いに責任を持つために、住民を守るために別の人間を害した時に自分を守るために。
 しかし、使っていない知識は薄れて行くもので、俺は午後からの決戦に備えて記憶を呼び起こしていた。

 ヴィルドルク国の労働基準法は、解雇は相当の期間前に予告しなくてはならないだとか、解雇事由証明書の交付請求だとか、俺の前世のものと大体同じだ。
 解雇された従業員が社員寮に住んでいた場合、所謂借地借家法の適応外でも相当の猶予期間を設けなければいけないのも同じ。
 だから、今日解雇されたとしても、事務所として住んでいるこの洋館から即日追い出される心配は無い。

 しかし、国の職員で更に特別職の勇者に一般的な法律が適用されるかは不明だ。

 そもそも、勇者は来てくださいと頼まれて街に付いているのだから、街から解雇されるなんて前例があるのだろうか。
 他国に派遣されていたが、ヴィルドルク国と戦争が始まってしまい強制帰還させられた、といった話は聞いた事があるが、職務放棄をしていた勇者に副市長がキレてクビになるなんて話は今のところ聞いたことがない。
 つまり、俺がパイオニアだ。
 俺とあの憎き副市長の対決で、今後の勇者の権利保障が決まる。前世の俺には労働法など適応されなかったが、この世界では俺は戦おう。

「勇者様、それはまだ気が早いんじゃないですか?」

 俺が判例を調べているのを見て、「いつもそれくらい真面目に仕事をしていれば、そんな心配をする事もなかったんですけどね」とトドメの一言を言ったニーアだったが、俺に優しい声を掛けた。

「勇者様は、アウビリスの勇者様に無理を言って派遣していただいたので、少なくとも1年は返せないと思いますよ」

 そうだよな、と俺は法律全集を閉じた。
 何と言っても、飛び級首席卒業の勇者の俺だ。そう簡単にクビにしてしまっては、オグオンの面目丸潰れだし、勇者養成校もホーリア市をただじゃ済まさないだろう。あの学校とオグオンの手に掛かれば、ホーリア市を丸ごと潰して山に戻すなど赤子の手を捻るようなものだ。

「ですので、来年まではよろしくお願いします」

 ニーアの中で、俺の任期が最短に決定しているのは少し気になる。
 しかし、クビになる心配が消えたのはいい知らせだ。首席で卒業しておきながらクビになったと知られたら、養成校の恥だと俺まで地面の塵に変えられる危険性がある。

「ただ、勇者の皆様と言っていたので……」

 ニーアがそっと天井を見上げた。勇者の皆様には、俺とニーナと、最近仲間になったリリーナも含まれているはずだ。
 リリーナは、ニーアがお菓子を渡してお願いすれば、深夜から明け方にかけて魔獣に壊された街を直しに行ったり市民の治療をしてくれるが、明るい時に外に出るのを今のところ見た事がない。
 最近、市内放送の‟きょうのゆうしゃ”に、「仕事をしてくれるとはいえ、夜中にごそごそやられるのは迷惑だ。平穏な生活を脅かしている」と投書があったけれど、リリーナは我関せずといった様子だ。

「リリーナ、仕事」

 俺は2階に呼びかけながら、リリーナを呼ぶ用に置いてある棒を魔法で動かして天井を突いた。
 もう少し長い棒にすれば魔法で動かさなくても済むんじゃないですか?と、ニーアは最近になってようやく言わなくなった。
 2、3回天ドンをすれば、すぐにリリーナが気付いて声を飛ばして来るのに、今日は何度突いても反応がない。

「仕事だぞ」

「寝てるんじゃないですかね?」

「業務時間中にか?しょうがない奴だな」

「でも、勇者様もよく本読んでるフリして居眠りしてるじゃないですか」

「……」

「寝るのは良いと思うんですけど、仕事をしている風に誤魔化して寝るのは止めてください」

 俺は無言のまま、棒が天井を突いているのを見上げていた。
 ニーアの声が聞こえないフリをするために、しばらく天井を激しく突いていると、2階からドカンッと音が響く。築年数に不安があるこの事務所の天井から、ぱらぱらと埃が落ちて来た。
 足音を立てて階段を飛び降りて来たリリーナは、部屋に飛び込んで来ると俺をソファーに押し倒して胸倉を掴んで揺さぶってきた。
 白い頬にシーツの跡が付いていて青い目が潤んでいるから、珍しく昼寝をしていたらしい。

「飯か?!飯なんだろうな?!飯以外呼ぶなっつってんだろ!そんなにあたしに来て欲しいってか?あ?」

「飯じゃない。仕事」

「リリーナさん、副市長が午後に来てほしいって言ってるんです」

 ニーアに呼ばれて、リリーナは俺をぽいっと捨ててニーアの足に抱き着いた。ニーアがポケットからクッキーを出して渡すと、もちゃもちゃと床に零しながら食べ始める。

「うえー?午後はぁ聞かなきゃいけない番組あるんだけどにゃー」

「勇者の皆様って言ってるので、リリーナさんも来てくれませんか?」

「んーん、お腹痛いから無理ぃ」

「そうですか。では、仕方ないですね」

 リリーナは、ニーアのポケットを探ってそれ以上クッキーが無いことを確認してから、また盛大な足音を立てて2階の自室に帰って行った。
 さて、とニーアが俺の方を向く前に、俺はソファーに転がって体を丸める。

「あー俺もお腹痛くなってきたかも……うーん、駄目だ。これは無理だ」

「ご自分で治したらどうですか。そろそろ出ないと間に合わないので行きますよ」

 ニーアがリリーナに甘いのは、リリーナの給料は俺の財布から出ていて、市政と何も関係無いからだろう。
 対して俺に厳しいのは、仲間としての愛情からだ。決して、自分が希望して呼んでもらった勇者が役立たずで肩身の狭い思いをしているからとかではないと思う。
 俺はニーアに急かされて、放り投げていた剣を背負って事務所を出た。
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