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第7話 勇者、探偵業に手を伸ばす

〜5〜

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 許可証の再発行のために、俺とリコリスと付き添いのニーアは、トルプヴァールのネイピアス市に向かっていた。

 何故、ただの歓楽街の営業許可証に隣国ネイピアス市長のサインが必要なのか。
 それは、ヴィルドルクとトルプヴァールの国境線が、ゼロ番街の真ん中に通っているからだ。

 ヴィルドルクのウエスト地区に所属しているホーリア市は角のように細く飛び出していて、南をトルプヴァールに、北をオルトー連合国に、西の先端をアムジュネマニス・ゴルゾナフィールに接している。
 3年前、トルプヴァールの国境線が変更した時に、当時のゼロ番街の半分がトルプヴァールの領土になるはずだった。
 街の人間は皆ホーリア市に移住したが、国境変更の寸前にリコリスが街ごと買い取ってしまった。そして、接する2市の市長に営業許可をとってゼロ番街を開始した。
 当事者といえる2市が承諾しているし、表面上は友好的な、しかし血の気が多い国家とわざわざ争いを起こすこともないと、国境線の変更は今でも保留になっている。一応、元はヴィルドルクの国土だから、ヴィルドルク国内という事になっているらしい。
 国の決定に逆らって営業しているとは、いい加減きな臭くなって来た。ホーリア市もゼロ番街を遠巻きにしているわけだ。

「勇者様、書庫の中に入れたんでしょう?」

 呼んでいないのに入国門の前に突然現れたリコリスは、黒いつばの広い帽子を被ってネイピアスの街を眩しそうに眺めている。
 出入国の手続きは副市長に頼んでニーアと勇者の俺は問題無く入国出来た。しかし、ゼロ番街の住人のリコリスは正確にはホーリア市民ではないから止められて、俺が入国門で話を付けてついでに管理官にチップを払うことになった。痛い出費だ。

「何かわからなかった?」

「魔術が使われている気配があったが、残滓が微かで何の魔術かわからない」

「誰の魔術か、検討もつかない?」

「それも薄すぎて無理だ。全くわからない」

「そう」

 俺の言う事を信じたのか分からないが、リコリスは日差しを避けるように帽子の縁を下げて表情を隠した。
 ニーアはリコリスに警戒して俺の横で息を潜めていたが、リコリスの背後に御付きのように控えている男を見て安心したように表情を緩めた。

「カルムさんも一緒に来てくれるんですか?」

 ニーアに声をかけられて、男は黙ったまま頷く。カルムという男は、リコリスと同じか少し年上に見えた。黒いスーツを着ているからゼロ番街の黒服で、おそらく魔術師だろう。1人だけリコリスに付いて来るからリコリスのお気に入りなのかと思ったが、リコリスはカルムを見てつまらなそうにヒールの踵で自分の影が映る地面を軽く蹴る。

「見張ってなくても、何も悪いことなんてしないわ」

 カルムが黙ったまま首を横に振って、リコリスは溜息を吐いた。この様子だと、御付きというよりも御目付役といった人間だろう。

「さ、行きましょうか、勇者様」

 ニーアは調子を取り戻して先に立って歩き出す。走って来た車に轢かれそうになって、俺はニーアの腕を引いて寸前で交わさせた。治癒魔術が使えないトルプヴァールで怪我をされると厄介だ。

「ニーア、考えたんですけど職員の誰かに盗んで来るように魔法をかけて、それを後で受け取るっていうのはどうでしょうか!パスワードを知っている職員を操れば資料も呼び出せるし……あ、でもケースが開けられないんでした……」

 1人で盛り上がって1人で落ち込んでいるニーアを、リコリスは物珍しそうに眺めていた。

「精神操作系の魔術の使用を考えるなんて、魔術に詳しいのね」

「私は魔術は使えないけど、勉強だけしてるんです」

「そう。いいと思うわ。魔術の強さは生まれ持った血ではなく、知識の量で決まるから」

 リコリスにそう言われて、さっきまでリコリスに警戒していたはずのニーアはすぐに嬉しそうな顔になった。リリーナに魔術を教えて欲しいと言ってから、暇さえあれば本当にニーアは魔術の勉強をしている。
 魔術を使えないのに勉強するなんて、ピアノを見た事がない人間がレッスンをするようなものだ。魔法剣士の魔法レベルで充分だと思うが、ニーアが楽しそうだから業務時間中の自習だとしても好きにさせている。



 +++++


「お断りします」

 市庁舎の応接室で、俺とリコリスと向き合ったネイピアス市長は、前と同じ年齢に合わない無邪気な笑顔でばっさりとそう言った。
 勇者がわざわざ出向いてやってるんだ、と言いたいところだが、高慢な態度が取るにはこちらの分が悪い。リコリスが俺を引き連れているのと同じように、ネイピアス市長の後ろにエイリアスが立っているからだ。

「先に聞いておくが……勇者の俺が頭を下げても?」

「無理です」

 ネイピアス市長の強情な態度に俺は余裕のある表情を崩さずにいたが、エイリアスが苦笑いをしているのが見えて腹が立つ。
 礼儀としてネイピアス市長は少しだけ申し訳なさそうに目尻を下げた。皺が寄って目の下にある鍵の刻印が歪む。

「前市長が取り交わした契約です。反故にするつもりはありませんが、私の代で同じ契約を交わすつもりはありません」

「許可証が無いと、営業は?」

「即刻、停止していただきます。正式な連絡がホーリアから来るのを待っています」

 では、公務がありますので、と言い残してネイピアス市長は応接室を出て行った。
 交渉の場に勇者を連れてくるなんて、人が良さそうに見えてなんて卑怯な人間なんだ。


 早々と話を切り上げられてしまった俺達は、応接室を出て庁舎内のラウンジで休憩をしていた。このまま何の収穫も無くホーリアに帰るのは癪だ。何かしらの成果が欲しい。
 そう言えば、俺は結局、まだコロッケを食べれていない。せっかくネイピアスまで来たのだから探して買って来よう。この際、肉屋のコロッケで無くてもいい。

「勇者様、勇者に不可能は無いとか言ってましたよね」

 ラウンジのソファーでくつろいでいる俺に、ニーアから厳しい意見が飛んできた。
 それは、エイリアスも勇者だから。ネイピアス市長が許可したくないと考えていたのなら、それを向こうの勇者が可能にしてしまったのだ。つまり、勇者に不可能は無いという俺の言葉に間違いはない。最強の盾と最強の鉾がぶつかり合ってしまったのだから。

「そうは言っても、こっちの一方的な負けじゃないですか」

「ホーリア、アポを取るなら市に入る前にやってくれないと。勇者が国外から来るから何事かと、慌てて俺が呼ばれたんだ」

「そうですよ。非常識ですよ」

 応接室から一緒に出て来たエイリアスが言うと、ニーアはすぐに俺を責める方向性を変えて来た。
 ネイピアスに入ってすぐ電話を使って役所と連絡を取り、ちょうど空いていた市長と会う事が出来たけれど、他の職員はそわそわしているし、市長の秘書が睨んで来るし。勇者といえども、非常識だったか。
 いや、副市長が出入国の手続きのついでにアポくらい取っておいてくれれば良かったんだ。俺は悪くない。

「そもそも、前市長がゼロ番街に許可を出したのがおかしいんだ。一市長が国に叛逆する契約をするとは思えない。魔術で精神操作でもしたんじゃないか」

 エイリアスがラウンジのソファーに腰掛けたリコリスを見た。
 リコリスは、ハーブを濃縮した物をがっぽがっぽ飲んで平気な顔をしていたから、恐らくそれなりのレベルの魔術を使えるはずだ。精神操作の魔術を使えてもおかしくない。
 しかし、リコリスは黒いドレスの胸元から煙草入れを出しながら、エイリアスの言っている意味が理解できないように首を傾げた。

「今の市長は退魔の子だから、その手は使えないよ」

 エイリアスが言うと、リコリスは煙草を咥えつつ「そう」と短く返事をした。我関せずの態度に、エイリアスは金色の鋭い瞳を向けたが、ニーアがエイリアスを見上げた時にはすぐに元の笑顔に戻る。

「では、俺は仕事があるからこの辺で。呼んでくれないから今度こっちから遊びに行くよ」

「あ、あの、待ってますから……」

 手を振って立ち去って行ったエイリアスの背中をニーアが名残惜しそうに見送っている。しかし、今日はエイリアスに会っても前のように叫び声は上げないし、少し元気が無いような気がする。

「営業停止、ね……」

 リコリスはソファーから立ちあがって窓際に行くと、マッチで煙草に火をつけた。庁舎内は禁煙らしく、周囲の職員がそわそわし出しだす。しかし、黒いドレスを着たリコリスが気だるそうに煙草を吸っている様子が絵画のようで、誰も注意して来ない。カルムも、禁煙程度なら咎める気はないのか、この事件の行く末に興味が無さそうに窓から街を見下ろしていた。
 いよいよ打つ手無しでゼロ番街もお終いかという状況になっているらしいが、ニーアの表情は何故か晴れない。
 ニーアはゼロ番街が嫌いだから喜ぶ所ではないのかと尋ねると、「そうですけど……」と頷きながら複雑な顔をしている。

「元々あの街に住んでいた人は、ホーリアに来ても働き口がないから、ほとんど街を出てっちゃったんです……アルヴァやミミ-は残ったけど、仕事が無くて困ってて」

 確か、あの2人が妙に家事が出来るのは、ホテルの下働きをやっていたからだと言っていた。しかし、下働きの給料なんてたかが知れている。1人が生活していくのでやっとだ。
 ホーリアは税金は普通だし観光地の賑わいもあり比較的住み易い街だと思うが、交通の便が悪くて物価が高いし定住できるような仕事も少ない。都会への移住を選ぶのは当然だ。

「でも、ゼロ番街ができてそこで働けるようになったんです。だから、無くなったら、皆出てっちゃうかも……ニーア、ゼロ番街は嫌いだけど、アルヴァたちがいなくなっちゃうのは嫌です……」

 ニーアがぐすんと鼻を啜って目を擦った。ニーアはアルヴァをからかって遊んでいたが、この前ニーアが風邪をひいたときには、アルヴァはチコリが中抜きしたせいで僅かになったバイト代に文句も言わずに看病してくれたし、本当に仲良しのようだ。ホストもニーアの同級生だし、ゼロ番街にはニーアの知り合いが沢山いる。
 何か良い知恵は無いか、俺は真昼間から夜の街の雰囲気を醸し出しているリコリスに近付いた。うっすら紫の煙を吐き出しながら、感情の読めない無表情で街を見下ろしている。

「さっきの彼、フリーの勇者なのに、どうして街の名前を名乗ってるの?」

「親が勇者だからだ。勇者は、思い入れがある務めた街の名前を、子供につける」

 実際には、本名で仕事をする勇者の方が少ない。街付は街の名前を名乗るし、フリーの勇者なんて働き方ができたのも、ここ最近の事だ。
 フリーで働く場合は仕事が貰えそうな気取った強そうな名前を名乗るのが普通だが、エイリアスは親が勇者で養成校に入学した時から顔も名前も知られていたし、2代目勇者というのは最強のステータスだから、本名で仕事をしているのだろう。
 名前だけでバックにベテラン勇者が付いていることを匂わせるとは。虎の威を借る狐と言いたいところだが、勇者自身が虎だから、もはや最強だ。

「そう……なら、勇者様は子供にホーリアってつけるの?」

「いや、俺はアウビリスってつけるな」

「本当に、許可証がどこにあるのかわからない?」

 突然話が変わって、リコリスが吸い途中の煙草を俺の口に咥えさせた。青い瞳が何の遮るものも無く俺を見つめて来る。何故か見覚えのある無垢な色の瞳だ。

「私、あんまり気が長い方じゃないの」

 リコリスの右手にはどこから出したのか瓶が握られている。紫色のキラキラした液体が昼の日差しの中で揺れていた。瞳は純情な子供に見えても、リコリスは酸いも甘いも噛み分けたゼロ番街の支配人だ。
 わかりました、と俺は咥えていた煙草を掌で握り潰した。
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