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第8話 勇者、使命を果たす

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 リコリスに見つめられて、俺は何も言えずに固まっていた。
 言われてみれば、リコリスの青い瞳はリリーナとよく似ている。しかし、リリーナが小動物を思わせる無垢な可愛さしかないのに、リコリスは裏で何を考えているのかわからない妖艶な美しさしかない。足して2で割ったら丁度良さそうだ。
 リコリスの妹でリリーナの姉の、その死んだ誰かはもしかしたらそうだったんじゃないかと思った。
 そう、死んだんじゃなくて、殺された。
 イナムの誰に殺されたんだ、と俺が尋ねる前に、リコリスが凍り付いていた表情を溶かして100%接客用の笑顔を見せた。

「なんてね」

 黒いドレスの裾を煙のように揺らしながら、リコリスは近付いて俺の頬を黒いネイルの爪先で抓った。

「そんな怖い顔しないで、勇者様。もしかして、イナムって何だか知ってるの?」

「いや、初めて聞いた」

 俺が答えた声は引き攣っていた。しかし、リコリスはそれ以上聞かずに俺に顔を近付けて、青い瞳に俺を映す。

「そう。もし、イナムを見つけたら、私に教えて。ね?」

 陶器のようにつるりと白い肌に煙草と酒の臭いに混じって、リコリスに似合わない子供のような甘ったるい白苺の香水の匂いがした。


 俺が知っているイナムは、今のところ自分とエルカの2人だけ。
 俺はリリーナの姉を殺していない。エルカも、人を殺したりなんかしない。三條は人を悪く言ったり傷付けたりする事を何よりも嫌っていた。生まれた世界が変わっても三條のそういう所は変わっていないはずだ。
 しかし、前世でエリート街道一直線、会社のために殉職までしたエルカが、この世界では暇そうにハープを弾いて小銭を投げて貰っている。しかも、皆でお茶会を開くためにイナムを探しているというのだから、万が一、億が一ということもある。

 エルカとリコリスが顔を合わせた時、リコリスは何も言わなかった。まだエルカがイナムだと気付いていないといいのだが。
 リコリスは妹を殺されてイナムを恨んでいるはずだ。エルカが犯人じゃないにしても、イナムを探し歩いているエルカを放っておくはずがない。



+++++


「話す事でもあった?それとも、また何かレシピでも聞きに来たの?」

 ゼロ番街許可証の盗難事件から数日後、俺はホテル・アルニカの最上級スウィートルームに来ていた。
 俺の心配など余所に、エルカはハープを片付けながら俺を揶揄うようにそう言って、のんびりと紅茶を淹れてもてなしてくれる。

「勇者様、私をレシピ帳か何かだと思っているよね」

「そんな役に立つものじゃないだろう」

 ソファーに座っていた俺は、エルカから受け取ったカップで表情を隠しつつ答えた。
 イナムについて色々とエルカに聞きたかったが、今日は無理だ。ニーアが部屋の隅のバーカウンターで遊んでいる。
 業務時間外ならニーアは俺のやる事にも文句を言わないし付いて来ないだろうと思ったのに、ニーアは魔術師の縄張りになっているホテル・アルニカに前から興味があったらしく、その最上級の部屋ならさぞかし凄いはずだと俺について来た。

「すごーい!エルカさん、このお酒の棚、開けて見てもいいですか?」

「どうぞ。宿泊料金に含まれているから、飲んでいいよ」

「え、本当に?でも、悪いですよ……」

「私は飲まないから勿体無いし、好きなのどうぞ」

「えーっと……では、いただきます!」

 ニーアは棚一面に並べられた色も形も様々な瓶の中から、俺が知る限り一番アルコール度数の高い青い酒の瓶を選んでグラスに注いでいた。業務時間外のニーアは無敵だ。
 エルカは、俺の正面のソファーに座って、ニーアに勧められた酒を断って俺と同じ紅茶の湯気を吹いていた。

「私も、勇者様には少し聞きたい事があったんだ。ちょうど良かった」

「なんだ?俺の前世の事なら教えられないぞ」

「いいよ。フランスの話は興味ないから。この前、揉めていた件、精神操作の魔術が使われたらしいね」

「部外者が、よく知ってるな」

「市の職員くんに教えてもらったんだ」
 
 副市長の意向で、許可証は犯人が未知の魔術を使って盗み出し、勇者の俺が死闘の末、取り返したことになっている。
 犯人扱いされたウラガノには真実を伝えたが、他の職員の魔術が完全に解けるまで誰にも言うなと伝えたはずだ。ウラガノの性格と頭なんぞ一切信用していなかったけれど、やはりそんな簡単な約束も守れなかったか。

「精神操作の魔術って、魔術師なら誰でも使えるのかい?」

「あー!ニーアも知りたいです!」

 ニーアの声はアルコールが混じって既に陽気になっていた。
 ホーリアの3番街の呑み屋はそこの住人以外はお断りになっている。大酒飲みの3番街の職人たちに合わせて酒を出していて、普通の人間が飲むと倒れるからだ。
 ニーアも、しっかり職人の血をひいているらしい。

「魔法剣士の学校で勉強しただろ」

「魔術については習いませんでした。魔法剣士って、ニーアが自分で言うのも何ですけど、頭使うの苦手な人が多いんですよね!」

 自虐で笑っているニーアにつられて、確かに、と答えそうになったのを堪えた。
 魔法剣士は、ニーアのように魔術のレベルが至らずに勇者を諦めてなる人間ばかりだ。だからか、魔術なんて使えなくてもやったるぞ!という心意気が強い。
 魔術に頼り過ぎてしまう勇者にとって、サポートでついてくれる体力自慢の魔法剣士は、勇者のパーティーに一人はいる体育会系の脳筋キャラだ。

「学ばないってことは、知らなくていいんだよ」

「じゃあいいです!リリーナさんに聞きますから」

「待て。それは止めろ」

 リリーナは姉に怒られて大泣きしているのを俺に見られたせいか、最近、俺に余所余所しい。
 ここ2、3日でようやく傷が癒えかけて、向こうから話しかけて来ないが、俺と顔を合わせても走って逃げなくなった。
 ニーアの言葉で思い出してしまったら、また思春期の娘を相手にするように俺だけ無視される生活が続いてしまう。

「精神操作の魔術は、言葉通り、人の精神を操る魔術だ」

 俺は2人に説明したが、ニーアは酒を飲んでいるし、吟遊詩人のエルカは多分魔術なんて全然知らないだろうから、教えても無駄だ。しかし、エルカには紅茶の礼の分くらいは教えてやろう。

「方法は2種類ある。1つは、普通の高度魔術の発動と同じように宣言して発動する方法。これは一般人に使う事は禁じられている」

 ここでいう一般人とは、魔術の知識を持ち合わせていない人間を指す。だから、魔術師と勇者に使用するのはオッケーだ。魔術師と同じレベルで魔術が使えることが前提になっている勇者には、「かけられる方が悪い」理論が適用される。

「もう1つは、ハーブを用いて発動する方法。ハーブを吸わせたり飲ませたりして相手の体に入れて精神操作する。これは、魔術を使えない一般人にも使用できる」

「えー?何でですか?!」

 ニーアはもう表情がにこにこと緩んでいるから、今俺がどんなに丁寧に説明したところで、あんまり覚えていないだろう。オブラートに包むのが面倒で俺はそのまま説明をした。

「普通の人間はハーブを過剰摂取すると死ぬから、精神操作も限りがある。でも、宣言で発動すると体には影響が無いから、生かしたままずっと操れる。それは倫理的に問題があるから、使用上限があるハーブを用いた方法は認可されているんだ」

 ゼロ番街の許可証の盗難事件の時は、庁舎の外で犯人が七輪か何かでパタパタハーブを焚いていたはずが無いから、宣言で発動した禁術だ。
 一般人に禁術を掛けた犯人はヴィルドルクの法で罰せられるが、魔術師は一般人に対しても「魔術を掛けられるくらい弱いのが悪い」という言い分で反省しない。だからといって犯人を庇うわけでもなく、「魔術がバレるような隠蔽魔術をしか使えないのが悪い」と言い出す。身内にも厳しい奴らだ。

「ハーブの効用は?」

 グラスを空にしているニーアと違って、真面目に俺の話を聞いていたエルカが尋ねて来た。

「記憶障害、知力低下、四肢の麻痺、意識混濁……種類によって色々だ。全てに重い依存性があると確認されている」

「魔術師たちは、このホーリアでハーブを大量に仕入れて行くんだよね……」

 穏やかじゃないなぁ、とエルカが呟いた。
 ハーブといってもお茶や香料に使うような可愛いものではない。麻薬とか違法薬物とか、法で規制するような劇物だ。
 しかし、この世界ではホーリアの街中の土産物屋で売られている。この世界の勇者の俺は、この世界の常識に適応しなくてはならない。だから、俺はエルカに答えず、ソファーを立ち上がった。

「ニーア、俺は戻るからな」

「えー!ニーアも帰ります。1人で9thストリート歩きたくないですし……」

「あ、帰るなら、お酒、好きなの持って帰っていいよ」

 エルカに言われて、ニーアは歓声を上げて酒瓶が並んだ棚の前に行って物色し始めた。
 今度からニーアの機嫌が悪くなったらお酒を出してあげよう。ニーアは真面目だから、業務時間中は使えない手かもしれないが、ご機嫌とりくらいはできるだろう。

「本当は、何を考えてるんだ?」

 ニーアの興味が逸れたうちに、エルカに小声で尋ねると、エルカは帽子の下から俺を見上げてふーん?と鼻歌のように気楽な返事をした。

「妙な事を企んでないだろうな。イナムを集めてお茶会なんて、つまらない嘘は止めろ」

「本当だよ。勇者様は、疑り深いんだね」

 エルカは、教壇から俺を見下ろしてきた三條と全く同じ目でそう言った。
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