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第8話 勇者、使命を果たす
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あの窃盗事件は、色々と腑に落ちない事はある。
まず、ホテル・アルニカのオーナーが、どうして長女が経営するゼロ番街を潰そうとしたのか。
ゼロ番街の客は、サービスのついでにあそこに宿泊する場合もあるから、ホテル・アルニカにとって商売敵ではある。
しかし、許可証を消して営業停止とは、随分荒っぽいやり方だ。ホテル・アルニカ以外にも沢山宿泊施設はあるのだから、その犯罪に釣り合う程の利益が出るとは思えない。
それに、もし俺が事実を告発したら、実行犯のリリーナはただでは済まなかった。ゼロ番街の黒服の魔術師たちが報復に来ただろう。リリーナに何かあっても、報復される方が悪いという魔術師理論が通って殺されることだってあり得るのに。
どうも俺には、魔術師一家の考えることは、よく良く分からない。
+++++
雨が降り出した午後、俺は日々の業務を置いておいて、ちょっとした小遣い稼ぎのために新しい魔術を構築していた。
過去の資料を漁るために広間に魔術書を積み上げて、紙に式を書き並べる。
朝からずっと広間に籠っていて、カップが空になったことに気付いてキッチンに向かった。
リビングのテーブルではニーアが魔術書を読み、テーブルの下ではコルダが丸まって午後のお昼寝をしている。リリーナはいつも通り、2階の自室に籠っている。
誰も仕事をしていない。雨の午後には相応しい気だるい雰囲気だ。
キッチンの戸棚は、半分がコルダのお菓子置き場になっていて、もう半分がニーアと事務所共有のお菓子や飲み物のスペースになっている。
リリーナは、人の物を勝手に食べるから特に置き場は決まっていない。俺のスペースは何故か無い。一応家主なのに。
俺が赤い紅茶の缶を手に取って中身を確認していると、ニーアがキッチンに駆け込んで来た。
「あ、勇者様。それはニーアの秘蔵の茶葉なので、ダメです。コーヒーにしてください」
「後で買って返す。魔術を考えてる時は紅茶がいい」
「ダメです!限定のですから。ニーア、今度アウビリスの勇者様が演説するのを聞きながら飲もうと思って、大事に残しておいたんです。とっておきの時に淹れるんです」
「俺の魔術だってとっておきだ。モべドスの奴が本にさせてくださいって、頭下げに来るんだぞ」
「それは素晴らしいですね。でも、ダメです」
それなら、ボードゲームで勝負を付けよう、と俺は食器棚にしまってあるボードと駒を取り出した。
チェスに似た王取りゲームだが、長くても20分くらいで勝負が付く。勝ち負けが分かり易いから、事務所で些細なケンカが勃発した時はそれで勝負を付ける習慣が出来た。
俺は手を抜いているけれど、他の3人は意外にもレベルが同じくらいで、コルダが訴訟に持ち込もうとすることも減ったし、リリーナだってゲームで負ければ渋々謝罪するようになった。
茶葉をかけた勝負のために俺がテーブルにボードを広げて駒を並べていると、雨の音に混じって玄関のチャイムが響いた。
「あれ?珍しいですね……はーい、今出まーす!」
ニーアは俺に取られないように赤い缶を抱えたまま玄関に駆けて行った。
しかし、妙だ。
この事務所には、勇者の不平不満が爆発した市民が押し入って来ないように、侵入禁止の魔法をかけてある。
庭を通り過ぎて玄関まで来てチャイムを鳴らせるのは、相当な魔術の使い手だ。ウラガノはチャイムを鳴らすなんて上品な事はしないでテラスからそのまま入って来るから違う。一体誰だ。
「御用件は…………ッ、きゃぁああああ!!!」
扉を開ける音がした直後、ニーアの叫び声が聞こえて来た。
テーブルの下で寝ていたコルダが驚いて起き上がり、天板に頭をぶつけて俺が並べていた駒が転がる。
「どうしたのだ?!敵襲?!」
コルダは大きな銀色の目を丸くして、獣人らしく軽く椅子を飛び越えて玄関に走って行った。
コルダに続いて俺も玄関に行くと、開いた扉の前でニーアが両手で口を覆って棒立ちになっている。
玄関にいた人物がマントのフードを下すと、雨の滴が跳ねて灰色の髪が露わになった。金色の瞳が、ニーアの叫び声に圧倒されたように瞬きをする。
「エイリアス様!!お久しぶりです!」
「やぁ……久しぶり。って言っても、この前少し会ったな」
面白くもない奴が来たと俺は少しがっかりしたが、ニーアはどこから出したのかファイリングされたブロマイドを出していた。
リコリスが胸元から色々出して来るのは魔術だけど、ニーアは勇者への愛が暴走した結果の奇術だ。
「あ、あの、サインを……いただけないでしょうか?」
「あれ?この前、書かなかった?」
「いえ、あの……と、友達の分!ダメですか……?」
俺はニーアの友達と何人か会った事があるから、他に勇者が好きな友達がいないのは知っている。
嘘を吐いてまで保存用が欲しいんだろうな、とすぐに察しがついた。これは転売を疑われても文句は言えない。
しかし、エイリアスはニーアが引っ込めようとしたブロマイドを受け取って、笑顔のまま魔術でサインを焼き付けた。
「いいよ。サインくらい、何枚でも書くって」
「あ、ありがとうございます……!」
ニーアはサインが書かれたブロマイドを受け取ると、恭しくファイルに保存し直して胸元にしっかりと抱きしめた。
「やっぱり本物の勇者は違う」と何とかブツブツ言っているのが聞こえるが、偽物の勇者なんてどこにも存在していないだろうに。
「あの、今、お茶淹れますね!限定の、いい茶葉があるので!」
「ああ、お構いなく」
ニーアは赤い缶を開けながらキッチンに走って行った。今がニーアのとっておきの時らしい。
++++++
応接室のドアの外から、「あれ、誰?」とリリーナがニーアに聞く声が聞こえて来た。近頃、俺はずっとリリーナに冷たくされていたから、「別に」と「いらない」以外のリリーナの声を聞くのは久しぶりだ。
「リリーナさんは、前にネイピアスで会ったじゃないですか。フリーの勇者の、エイリアス様です」
「それじゃあ、勇者様の友達なのだ?」
「コルダさん、違います。エイリアス様に失礼な事言っちゃだめですよ」
何やら俺に失礼な事を言って、トレイを持ったニーアがノックをして応接室に入って来た。
エイリアスに興奮していつものようにトレイを振り回したりしないかと見ていたが、サインを貰って落ち着いたニーアは、エイリアスと俺の前に音も立てずに紅茶のカップを並べる。
流石、勇者に狂っていても魔法剣士だ。勇者が交渉している時、警備を兼ねて魔法剣士が接待するから、学校ではお茶出しの練習もすると聞いたことがある。
しかし、トレイに3つカップが乗っているのが気になる。
「で、何の用だ」
「ホーリアが呼んでくれないから、遊びに来たんだ」
「そんなに友達がいないのか?」
「まさか、勇者様じゃあるまいし」
ニーアは3つ目のカップを俺の横に置いて隣に座った。
どうして出て行かないのかと俺が視線を向けると、勇者様の補佐が魔法剣士の仕事ですから、と胸を張る。
ニーアはこういう時だけ、俺の傍を離れない。職権乱用も甚だしい。
「まぁ、冗談だ。仕事の話で来た」
ですよね、とニーアが深く頷く。別に遊びに来たと言ったって俺は責めたりしないのに、エイリアスは遠慮深い奴だ。
「ラドライト王国が北と南に分かれて内戦状態なのは知ってるだろ?」
「ああ、もう1年くらいか」
ラドライト王国は、ヴィルドルクから北にある小さな国だ。
長く王政派と軍事派が衝突して各地で小さな諍いが絶えず、観光に向いている国とは言い難い。
そして、1年前にトルプヴァールが北に化学兵器を、アムジュネマニスが南に魔術師を送り込み、不相応の戦力を得た両勢力の戦争は激化の一途を辿っている。一般人も合わせると、犠牲者は既に数千人は超えていると聞いている。
「その件で、話があるんだ」
「北に金貨5枚」
「いや、賭けをしに来たんじゃない」
ニーアが横から軽蔑の視線を向けてきた。
しかし、戦況で賭けをするのも勇者の訓練の1つだ。
強大な戦力を秘めていて今は従うべき国、数年もすれば地図から消える国、国民に見限られていて先が無い国。それらを見分けるセンスも国家間の交渉を行う勇者には求められている。
俺は養成校に在籍していた2年間、こういう賭けには負け無しで、戦火の風見鶏とあだ名を付けられて一財産築いた。お蔭で卒業近くは誰も賭けに乗ってきてくれなくて、ひもじい思いをしたものだ。
「仕事だ、ホーリア。その内戦を止めろって」
なんで俺が、と断ろうとしたが、言われてみれば、そんなことも勇者の仕事だった気がする。
まず、ホテル・アルニカのオーナーが、どうして長女が経営するゼロ番街を潰そうとしたのか。
ゼロ番街の客は、サービスのついでにあそこに宿泊する場合もあるから、ホテル・アルニカにとって商売敵ではある。
しかし、許可証を消して営業停止とは、随分荒っぽいやり方だ。ホテル・アルニカ以外にも沢山宿泊施設はあるのだから、その犯罪に釣り合う程の利益が出るとは思えない。
それに、もし俺が事実を告発したら、実行犯のリリーナはただでは済まなかった。ゼロ番街の黒服の魔術師たちが報復に来ただろう。リリーナに何かあっても、報復される方が悪いという魔術師理論が通って殺されることだってあり得るのに。
どうも俺には、魔術師一家の考えることは、よく良く分からない。
+++++
雨が降り出した午後、俺は日々の業務を置いておいて、ちょっとした小遣い稼ぎのために新しい魔術を構築していた。
過去の資料を漁るために広間に魔術書を積み上げて、紙に式を書き並べる。
朝からずっと広間に籠っていて、カップが空になったことに気付いてキッチンに向かった。
リビングのテーブルではニーアが魔術書を読み、テーブルの下ではコルダが丸まって午後のお昼寝をしている。リリーナはいつも通り、2階の自室に籠っている。
誰も仕事をしていない。雨の午後には相応しい気だるい雰囲気だ。
キッチンの戸棚は、半分がコルダのお菓子置き場になっていて、もう半分がニーアと事務所共有のお菓子や飲み物のスペースになっている。
リリーナは、人の物を勝手に食べるから特に置き場は決まっていない。俺のスペースは何故か無い。一応家主なのに。
俺が赤い紅茶の缶を手に取って中身を確認していると、ニーアがキッチンに駆け込んで来た。
「あ、勇者様。それはニーアの秘蔵の茶葉なので、ダメです。コーヒーにしてください」
「後で買って返す。魔術を考えてる時は紅茶がいい」
「ダメです!限定のですから。ニーア、今度アウビリスの勇者様が演説するのを聞きながら飲もうと思って、大事に残しておいたんです。とっておきの時に淹れるんです」
「俺の魔術だってとっておきだ。モべドスの奴が本にさせてくださいって、頭下げに来るんだぞ」
「それは素晴らしいですね。でも、ダメです」
それなら、ボードゲームで勝負を付けよう、と俺は食器棚にしまってあるボードと駒を取り出した。
チェスに似た王取りゲームだが、長くても20分くらいで勝負が付く。勝ち負けが分かり易いから、事務所で些細なケンカが勃発した時はそれで勝負を付ける習慣が出来た。
俺は手を抜いているけれど、他の3人は意外にもレベルが同じくらいで、コルダが訴訟に持ち込もうとすることも減ったし、リリーナだってゲームで負ければ渋々謝罪するようになった。
茶葉をかけた勝負のために俺がテーブルにボードを広げて駒を並べていると、雨の音に混じって玄関のチャイムが響いた。
「あれ?珍しいですね……はーい、今出まーす!」
ニーアは俺に取られないように赤い缶を抱えたまま玄関に駆けて行った。
しかし、妙だ。
この事務所には、勇者の不平不満が爆発した市民が押し入って来ないように、侵入禁止の魔法をかけてある。
庭を通り過ぎて玄関まで来てチャイムを鳴らせるのは、相当な魔術の使い手だ。ウラガノはチャイムを鳴らすなんて上品な事はしないでテラスからそのまま入って来るから違う。一体誰だ。
「御用件は…………ッ、きゃぁああああ!!!」
扉を開ける音がした直後、ニーアの叫び声が聞こえて来た。
テーブルの下で寝ていたコルダが驚いて起き上がり、天板に頭をぶつけて俺が並べていた駒が転がる。
「どうしたのだ?!敵襲?!」
コルダは大きな銀色の目を丸くして、獣人らしく軽く椅子を飛び越えて玄関に走って行った。
コルダに続いて俺も玄関に行くと、開いた扉の前でニーアが両手で口を覆って棒立ちになっている。
玄関にいた人物がマントのフードを下すと、雨の滴が跳ねて灰色の髪が露わになった。金色の瞳が、ニーアの叫び声に圧倒されたように瞬きをする。
「エイリアス様!!お久しぶりです!」
「やぁ……久しぶり。って言っても、この前少し会ったな」
面白くもない奴が来たと俺は少しがっかりしたが、ニーアはどこから出したのかファイリングされたブロマイドを出していた。
リコリスが胸元から色々出して来るのは魔術だけど、ニーアは勇者への愛が暴走した結果の奇術だ。
「あ、あの、サインを……いただけないでしょうか?」
「あれ?この前、書かなかった?」
「いえ、あの……と、友達の分!ダメですか……?」
俺はニーアの友達と何人か会った事があるから、他に勇者が好きな友達がいないのは知っている。
嘘を吐いてまで保存用が欲しいんだろうな、とすぐに察しがついた。これは転売を疑われても文句は言えない。
しかし、エイリアスはニーアが引っ込めようとしたブロマイドを受け取って、笑顔のまま魔術でサインを焼き付けた。
「いいよ。サインくらい、何枚でも書くって」
「あ、ありがとうございます……!」
ニーアはサインが書かれたブロマイドを受け取ると、恭しくファイルに保存し直して胸元にしっかりと抱きしめた。
「やっぱり本物の勇者は違う」と何とかブツブツ言っているのが聞こえるが、偽物の勇者なんてどこにも存在していないだろうに。
「あの、今、お茶淹れますね!限定の、いい茶葉があるので!」
「ああ、お構いなく」
ニーアは赤い缶を開けながらキッチンに走って行った。今がニーアのとっておきの時らしい。
++++++
応接室のドアの外から、「あれ、誰?」とリリーナがニーアに聞く声が聞こえて来た。近頃、俺はずっとリリーナに冷たくされていたから、「別に」と「いらない」以外のリリーナの声を聞くのは久しぶりだ。
「リリーナさんは、前にネイピアスで会ったじゃないですか。フリーの勇者の、エイリアス様です」
「それじゃあ、勇者様の友達なのだ?」
「コルダさん、違います。エイリアス様に失礼な事言っちゃだめですよ」
何やら俺に失礼な事を言って、トレイを持ったニーアがノックをして応接室に入って来た。
エイリアスに興奮していつものようにトレイを振り回したりしないかと見ていたが、サインを貰って落ち着いたニーアは、エイリアスと俺の前に音も立てずに紅茶のカップを並べる。
流石、勇者に狂っていても魔法剣士だ。勇者が交渉している時、警備を兼ねて魔法剣士が接待するから、学校ではお茶出しの練習もすると聞いたことがある。
しかし、トレイに3つカップが乗っているのが気になる。
「で、何の用だ」
「ホーリアが呼んでくれないから、遊びに来たんだ」
「そんなに友達がいないのか?」
「まさか、勇者様じゃあるまいし」
ニーアは3つ目のカップを俺の横に置いて隣に座った。
どうして出て行かないのかと俺が視線を向けると、勇者様の補佐が魔法剣士の仕事ですから、と胸を張る。
ニーアはこういう時だけ、俺の傍を離れない。職権乱用も甚だしい。
「まぁ、冗談だ。仕事の話で来た」
ですよね、とニーアが深く頷く。別に遊びに来たと言ったって俺は責めたりしないのに、エイリアスは遠慮深い奴だ。
「ラドライト王国が北と南に分かれて内戦状態なのは知ってるだろ?」
「ああ、もう1年くらいか」
ラドライト王国は、ヴィルドルクから北にある小さな国だ。
長く王政派と軍事派が衝突して各地で小さな諍いが絶えず、観光に向いている国とは言い難い。
そして、1年前にトルプヴァールが北に化学兵器を、アムジュネマニスが南に魔術師を送り込み、不相応の戦力を得た両勢力の戦争は激化の一途を辿っている。一般人も合わせると、犠牲者は既に数千人は超えていると聞いている。
「その件で、話があるんだ」
「北に金貨5枚」
「いや、賭けをしに来たんじゃない」
ニーアが横から軽蔑の視線を向けてきた。
しかし、戦況で賭けをするのも勇者の訓練の1つだ。
強大な戦力を秘めていて今は従うべき国、数年もすれば地図から消える国、国民に見限られていて先が無い国。それらを見分けるセンスも国家間の交渉を行う勇者には求められている。
俺は養成校に在籍していた2年間、こういう賭けには負け無しで、戦火の風見鶏とあだ名を付けられて一財産築いた。お蔭で卒業近くは誰も賭けに乗ってきてくれなくて、ひもじい思いをしたものだ。
「仕事だ、ホーリア。その内戦を止めろって」
なんで俺が、と断ろうとしたが、言われてみれば、そんなことも勇者の仕事だった気がする。
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