140 / 240
第25話 勇者、国際社会に対応する
〜3〜
しおりを挟む
さて、どうする。
俺はニーアの試験勉強から一時離脱して、ホーリアに戻っていた。3番街パン屋のカウンターに座り、飾り窓から外を眺める。晴れた午後、街では買い物の市民が賑やかに行き来している。
俺もパン屋に買い物に来ただけだったのに、パン屋夫婦の息子が腰をやってしまって看病に行くからと店を任せられてしまった。
勇者の仕事に店番が含まれていると街の人間がこぞって俺に店番を押し付けてくるだろうし、靴屋の人間に見つかったらニーアに伝わって正しい勇者とはどうあるべきかを説いて来るだろう。
俺は外から見えないように身を隠しつつ、「好きなだけ食べてていいから店番をしていてくれ」というパン屋夫婦の言葉に従って、客が来ない店内で好きなだけ食べていた。
「出世コースか……」
前世でも現世でも、俺には全く縁が無かった言葉をしみじみ呟いて見る。
国外勤務の話は、正直悪くないと思う。
掲示板の前で話していた生徒たちの様子では、昨年の集団昏倒事件の犯人が、実習でホーリアに来ているニーアの仕業だと怪しまれている。
元々ホーリアで魔法剣士として勇者と一緒に働いていて、事件の後も引き続き実習にも来ているのだから、勇者と癒着しているとか贔屓されているとか、変な噂が出て来るのは仕方が無い。
俺が国外に出れば、一応ポテコが来るだろうけれど、多分養成校の生徒が代わる代わる担当する。俺がホーリアにいた事が忘れられる頃には、事件も生徒の記憶から無くなっているだろう。
そうすれば、ニーアに余計な疑いが向けられる事もなくなる。市内で発生した事件の責任を勇者の俺が取るのは当然だとしてもそれでニーアが嫌な思いをするなら俺はホーリアと、ニーアと、少し離れていた方がいい。
「いや、違うな……」
俺は持て余していた4個目のジャムパンを握り締めた。
俺は、もっと自分に正直に生きた方がいい。俺が生きるのに、どうして俺以外の人間に配慮する必要がある。
ニーアを言い訳にしないで、もっと自分の欲望に忠実に考えよう。
事務室の勇者になれば、面倒な市民対応は無いし、空調の効いた部屋で内勤だし、滅多なことがなければ魔獣退治をすることもない。
しかし、3年間は激務。慣れない国外、あの閉鎖的な国で。
ディス・マウトには喜々として勇者を殺しに来る友好的な肉屋のような人間はいないだろう。多分、存在自体を無視されて、話しかけても誰も答えてくれなかったり、ゴミ出しを禁止させられたり。
村八分みたいな扱いをされて、繊細な俺は絶対に心を病んでしまう。
そして、事務室の勇者になった後も、楽な仕事はないばすだ。
現役の勇者の中では大臣に次いで威張っていられる立場だが、それなりに責任が伴う。
今のように仕事場で堂々と昼寝をしている俺に優しく毛布を掛けてくれる部下はいないし、雲が流れるのを眺めて午後が終わるという生活も無理だ。
出世の道を考えるとそのくらいの厳しさは当たり前だし、今までの俺が怠け過ぎていたと言われればそれまでだけれど。
しかし、俺は人に見張られながら仕事をすると実力が出せないし、頭が覚めるまで時間がかかるタイプだから昼過ぎまでのんびりしていたいし、夕方の匂いがしてきたらもう店仕舞いをしたい。
今の生活を手放して、激務を乗り越えてまで、俺は出世をしたいのか。
俺がカウンターに突っ伏して悩んでいると、パン屋の扉のベルが鳴る。
店の入口を見ると客が入って来たところだった。その客は店内に入ると、ガラスケースに並んだパンに目もくれず、俺の正面に立つ。
「ここの勇者ってお前?」
今の俺よりも10歳くらい年上に見える男だった。ターバンのように大きな布を頭に巻いて、顔の左半分が隠れている。
この辺りで見ない顔だから観光客かと思ったが、勇者のマントを着て勇者の剣を持っている俺を見て、勇者かどうか尋ねてきた。つまり、ヴィルドルクの国民ではない。そして、外交関係のある国の人間は、当然勇者の証は知っている。
俺の勇者の勘が冴えわたり、この男に関わると面倒臭いことになりそうな気がした。
「いや、俺は生活安全課の職員だ」
「職員?市の?」
「そう。ここの店主が急用で外出したから、防犯のために店番を頼まれている」
嘘を吐く時には少し真実を混ぜた方がいい。俺は流れるように答えたが、男は布で重そうな頭を傾けて不思議そうな顔をした。
「そうなん?そこの靴屋で、パン屋の店番してるのが勇者だって教えてもらったんだけど」
「……」
なんと、バレている。
俺は仕方なく体を起こして、パン屋の店番をする善良な市職員から、街をパトロールしている勇者に切り替えた。
「そうだ。俺がホーリアの勇者だ」
「へぇ…………」
「…………」
「…………」
そいつは黙ったまま俺を見てくる。
ここは目を逸らしたら負けだと思って奴の右目を見つめ返したが、無言のまま流れる時間に耐えられなくなり、俺は先に口を開いた。
「お前はどこから来たんだ?」
「ああ、マルデュリオンから」
「マルデュリオンから?」
俺の聞き間違いかと思って聞き返したが、男は頭の布を抑えつつ何ともない顔をして頷いた。
マルデュリオンは、独裁政治を行う貴族と、それに反対する国民と、獣人と魔術師が入り混じってが長く内戦を続けて、ほぼ壊滅状態になっている国だ。
戦争中の国を見つけると率先して協力姿勢を見せて漁夫の利を狙いに行くアムジュネマニスですら関わらないようにしている。過去にオグオンが勇者の派遣をする計画を何度か提案したが、見返りを期待できない後進国を助けてどうすると議会で止められている。
そして、マルデュリオンは国民の出国が禁止されているし、ヴィルドルクはマルデュリオン国民の入国を許可していない。
「つまり、不正出国して、不正入国して来たってことか」
「そうそう」
じゃあ帰った方がいいと俺はアドバイスしようとしたが、男は世間話を聞き流すように頷いて「それで、僕を保護してほしい」と勝手に話を続けた。
「強制送還させられたら無事じゃ済まないからさぁ。だから、何とか勇者に守ってほしいんだ」
おそらく、マルデュリオンに帰された時点で死刑だし、そうでなくても他の勇者に見つかった時点で死刑になる可能性が高い。
この男の提案を断って俺が仕事を遂行することもできるが、男は妙に余裕そうな態度だった。
小刀1つ持たない無防備な姿で、剣を下げた俺を前にして怯える様子もないから、何か奥の手を持っているのかもしれない。ここで断っても、逆に俺の立場が悪くなりそうな気がする。
担当の街のことは街の勇者に一任されている。
俺が不正入国者を保護しても、この男が市外に出ないで尚且つ国に不利益がなければ勇者の判断として問題ない。魔力も高くない男が1人だ。法律に沿った処分をするのは、スパイかどうか見極めてからでも遅くはないだろう。
「わかった。何かお前の物を1つ預けてくれ」
「えぇ……何もねーよ」
男の格好はボロボロで痩せて貧相な顔をしている。多分、死にそうな目に遭いながら入国して来たんだろうとわかった。
これ以上男の身ぐるみを剥ぐ訳にはいかないから、俺は手を伸ばして男の茶色い髪を一本抜いて、魔術で腕輪に変えて身に付けた。
「何だそれ?」
「お前に何かあったらこれが砕ける。その前には助けることを約束しよう」
「ああ、虫の知らせでマグカップが割れるみたいなヤツか?」
「名前は?」
「僕?えっと、カナタ」
俺は証書を書いてカナタに渡した。身分保障くらいにはなるから、ホーリア市内で雑用で雇われるくらいなら充分のはずだ。
「すげぇ。至れり尽くせりだな」
「妙な真似をしたらすぐに強制送還だ。何かあったら勇者の事務所に来るように」
「見張ってるってことか。了解」
カナタは俺が差し出したパンを受け取ると、軽く手を振って店を出て行った。
「カナタ、か……」
その名前といい、話し方といい、何となく俺と同じ前世持ちのイナムのような気がする。
俺の思い過ごしかもしれないし、向こうが言わないならわざわざ尋ねなかった。それに、例えカナタがイナムだとしても、この世界で勇者をやっている俺がイナムだと思わないだろう。
透視魔法で見ると、カナタは早速3番街の酒屋で仕事が出来ないか交渉していた。真面目に暮らしているなら、イナムであろうと不正入国者でも何でもいい。問題を起こしたら強制送還させてしまえば、俺が手を下すことも無く死刑になって終わりだ。
しかし、俺も相手がイナムかどうか察知できるようになるなんて、エルカに騙されて自白した時に比べると成長したものだ。
そんな事よりも、今は俺の出世コースの方が気掛かりである。
俺は新しいパンをケースから出してそれを咥えつつ、カウンターに突っ伏してパン屋の店番を再開させた。
俺はニーアの試験勉強から一時離脱して、ホーリアに戻っていた。3番街パン屋のカウンターに座り、飾り窓から外を眺める。晴れた午後、街では買い物の市民が賑やかに行き来している。
俺もパン屋に買い物に来ただけだったのに、パン屋夫婦の息子が腰をやってしまって看病に行くからと店を任せられてしまった。
勇者の仕事に店番が含まれていると街の人間がこぞって俺に店番を押し付けてくるだろうし、靴屋の人間に見つかったらニーアに伝わって正しい勇者とはどうあるべきかを説いて来るだろう。
俺は外から見えないように身を隠しつつ、「好きなだけ食べてていいから店番をしていてくれ」というパン屋夫婦の言葉に従って、客が来ない店内で好きなだけ食べていた。
「出世コースか……」
前世でも現世でも、俺には全く縁が無かった言葉をしみじみ呟いて見る。
国外勤務の話は、正直悪くないと思う。
掲示板の前で話していた生徒たちの様子では、昨年の集団昏倒事件の犯人が、実習でホーリアに来ているニーアの仕業だと怪しまれている。
元々ホーリアで魔法剣士として勇者と一緒に働いていて、事件の後も引き続き実習にも来ているのだから、勇者と癒着しているとか贔屓されているとか、変な噂が出て来るのは仕方が無い。
俺が国外に出れば、一応ポテコが来るだろうけれど、多分養成校の生徒が代わる代わる担当する。俺がホーリアにいた事が忘れられる頃には、事件も生徒の記憶から無くなっているだろう。
そうすれば、ニーアに余計な疑いが向けられる事もなくなる。市内で発生した事件の責任を勇者の俺が取るのは当然だとしてもそれでニーアが嫌な思いをするなら俺はホーリアと、ニーアと、少し離れていた方がいい。
「いや、違うな……」
俺は持て余していた4個目のジャムパンを握り締めた。
俺は、もっと自分に正直に生きた方がいい。俺が生きるのに、どうして俺以外の人間に配慮する必要がある。
ニーアを言い訳にしないで、もっと自分の欲望に忠実に考えよう。
事務室の勇者になれば、面倒な市民対応は無いし、空調の効いた部屋で内勤だし、滅多なことがなければ魔獣退治をすることもない。
しかし、3年間は激務。慣れない国外、あの閉鎖的な国で。
ディス・マウトには喜々として勇者を殺しに来る友好的な肉屋のような人間はいないだろう。多分、存在自体を無視されて、話しかけても誰も答えてくれなかったり、ゴミ出しを禁止させられたり。
村八分みたいな扱いをされて、繊細な俺は絶対に心を病んでしまう。
そして、事務室の勇者になった後も、楽な仕事はないばすだ。
現役の勇者の中では大臣に次いで威張っていられる立場だが、それなりに責任が伴う。
今のように仕事場で堂々と昼寝をしている俺に優しく毛布を掛けてくれる部下はいないし、雲が流れるのを眺めて午後が終わるという生活も無理だ。
出世の道を考えるとそのくらいの厳しさは当たり前だし、今までの俺が怠け過ぎていたと言われればそれまでだけれど。
しかし、俺は人に見張られながら仕事をすると実力が出せないし、頭が覚めるまで時間がかかるタイプだから昼過ぎまでのんびりしていたいし、夕方の匂いがしてきたらもう店仕舞いをしたい。
今の生活を手放して、激務を乗り越えてまで、俺は出世をしたいのか。
俺がカウンターに突っ伏して悩んでいると、パン屋の扉のベルが鳴る。
店の入口を見ると客が入って来たところだった。その客は店内に入ると、ガラスケースに並んだパンに目もくれず、俺の正面に立つ。
「ここの勇者ってお前?」
今の俺よりも10歳くらい年上に見える男だった。ターバンのように大きな布を頭に巻いて、顔の左半分が隠れている。
この辺りで見ない顔だから観光客かと思ったが、勇者のマントを着て勇者の剣を持っている俺を見て、勇者かどうか尋ねてきた。つまり、ヴィルドルクの国民ではない。そして、外交関係のある国の人間は、当然勇者の証は知っている。
俺の勇者の勘が冴えわたり、この男に関わると面倒臭いことになりそうな気がした。
「いや、俺は生活安全課の職員だ」
「職員?市の?」
「そう。ここの店主が急用で外出したから、防犯のために店番を頼まれている」
嘘を吐く時には少し真実を混ぜた方がいい。俺は流れるように答えたが、男は布で重そうな頭を傾けて不思議そうな顔をした。
「そうなん?そこの靴屋で、パン屋の店番してるのが勇者だって教えてもらったんだけど」
「……」
なんと、バレている。
俺は仕方なく体を起こして、パン屋の店番をする善良な市職員から、街をパトロールしている勇者に切り替えた。
「そうだ。俺がホーリアの勇者だ」
「へぇ…………」
「…………」
「…………」
そいつは黙ったまま俺を見てくる。
ここは目を逸らしたら負けだと思って奴の右目を見つめ返したが、無言のまま流れる時間に耐えられなくなり、俺は先に口を開いた。
「お前はどこから来たんだ?」
「ああ、マルデュリオンから」
「マルデュリオンから?」
俺の聞き間違いかと思って聞き返したが、男は頭の布を抑えつつ何ともない顔をして頷いた。
マルデュリオンは、独裁政治を行う貴族と、それに反対する国民と、獣人と魔術師が入り混じってが長く内戦を続けて、ほぼ壊滅状態になっている国だ。
戦争中の国を見つけると率先して協力姿勢を見せて漁夫の利を狙いに行くアムジュネマニスですら関わらないようにしている。過去にオグオンが勇者の派遣をする計画を何度か提案したが、見返りを期待できない後進国を助けてどうすると議会で止められている。
そして、マルデュリオンは国民の出国が禁止されているし、ヴィルドルクはマルデュリオン国民の入国を許可していない。
「つまり、不正出国して、不正入国して来たってことか」
「そうそう」
じゃあ帰った方がいいと俺はアドバイスしようとしたが、男は世間話を聞き流すように頷いて「それで、僕を保護してほしい」と勝手に話を続けた。
「強制送還させられたら無事じゃ済まないからさぁ。だから、何とか勇者に守ってほしいんだ」
おそらく、マルデュリオンに帰された時点で死刑だし、そうでなくても他の勇者に見つかった時点で死刑になる可能性が高い。
この男の提案を断って俺が仕事を遂行することもできるが、男は妙に余裕そうな態度だった。
小刀1つ持たない無防備な姿で、剣を下げた俺を前にして怯える様子もないから、何か奥の手を持っているのかもしれない。ここで断っても、逆に俺の立場が悪くなりそうな気がする。
担当の街のことは街の勇者に一任されている。
俺が不正入国者を保護しても、この男が市外に出ないで尚且つ国に不利益がなければ勇者の判断として問題ない。魔力も高くない男が1人だ。法律に沿った処分をするのは、スパイかどうか見極めてからでも遅くはないだろう。
「わかった。何かお前の物を1つ預けてくれ」
「えぇ……何もねーよ」
男の格好はボロボロで痩せて貧相な顔をしている。多分、死にそうな目に遭いながら入国して来たんだろうとわかった。
これ以上男の身ぐるみを剥ぐ訳にはいかないから、俺は手を伸ばして男の茶色い髪を一本抜いて、魔術で腕輪に変えて身に付けた。
「何だそれ?」
「お前に何かあったらこれが砕ける。その前には助けることを約束しよう」
「ああ、虫の知らせでマグカップが割れるみたいなヤツか?」
「名前は?」
「僕?えっと、カナタ」
俺は証書を書いてカナタに渡した。身分保障くらいにはなるから、ホーリア市内で雑用で雇われるくらいなら充分のはずだ。
「すげぇ。至れり尽くせりだな」
「妙な真似をしたらすぐに強制送還だ。何かあったら勇者の事務所に来るように」
「見張ってるってことか。了解」
カナタは俺が差し出したパンを受け取ると、軽く手を振って店を出て行った。
「カナタ、か……」
その名前といい、話し方といい、何となく俺と同じ前世持ちのイナムのような気がする。
俺の思い過ごしかもしれないし、向こうが言わないならわざわざ尋ねなかった。それに、例えカナタがイナムだとしても、この世界で勇者をやっている俺がイナムだと思わないだろう。
透視魔法で見ると、カナタは早速3番街の酒屋で仕事が出来ないか交渉していた。真面目に暮らしているなら、イナムであろうと不正入国者でも何でもいい。問題を起こしたら強制送還させてしまえば、俺が手を下すことも無く死刑になって終わりだ。
しかし、俺も相手がイナムかどうか察知できるようになるなんて、エルカに騙されて自白した時に比べると成長したものだ。
そんな事よりも、今は俺の出世コースの方が気掛かりである。
俺は新しいパンをケースから出してそれを咥えつつ、カウンターに突っ伏してパン屋の店番を再開させた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
141
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる