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第25話 勇者、国際社会に対応する
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生徒が集まる教室から離れた場所にある事務室には、在籍していた時でも滅多に入らなかった。
学校生活で色々と世話になる部署だが、備品を壊して謝罪に行く時とか、教師を怒らせて口を利いてくれなくなったから間を執り成してもらう時とか、生徒が用があるのはそういう時くらいだ。
狭い会議室の紅茶のカップが置かれたテーブルに着くと、正面に腰掛けたのは事務室長だった。枯れた大木のような風格がある老人は引退した勇者で、今は事務室のトップとして養成校の運営だけでなく、大臣の事務に関しても影で糸を引いている。
これは、もしかして真面目な話か。
事務室に呼ばれたから、作り直した剣の代金をやっぱり払えとか言われるのかと思っていた。
だからもし話が拗れたら泣いて済ませてもらおうと、俺はクラウィスの姿をしたままだ。元に戻るタイミングを失ってしまった。
このままだと、俺が見た目が可愛ければ人生楽勝みたいな舐めた考えを持っていて、本気で幼女の変身願望があるみたいに思われてしまう。少し恥ずかしくなってきた。
「ディス・マウトに行ったことは?」
「……いや」
何故俺が呼ばれたのか教えられないまま、室長がいきなり話を始めた。
この世界には触れてはならないものが3つある。
ヴィルドルクの勇者、アムジュネマニスの魔術師。そして、祖の国ディス・マウト。
ディス・マウトは、ヴィルドルクの隣国オルトー連合国の隣の小国だ。古い文化を残した歴史ある国だが、目立った資源もないから豊かな国とは言い難いし、観光客を迎え入れるような社交的な国でもなく、アムジュネマニス以上に閉鎖的な国だ。当然、ヴィルドルクと仲がいい国でもない。
ただ、この世界の始まりから存在したと尊ばれていて、ディス・マウトが右と言ったらヴィルドルクもアムジュネマニスも、全世界が右を向く。この世界はそういう仕組みになっている。
話が見えないけれど、行ったことも無いし、多分今後行くこともないと正直に答えた。
「今、ディス・マウトに勇者を派遣する計画が出ている。オルトー連合国との国境の辺りの地域に就いてもらうことになる」
「……そうか」
なんだか嫌な話の流れになっている。
俺の記憶では、ディス・マウトに勇者はいない。その計画で派遣される奴が最初の1人だ。だから面倒臭い式典の類も、国同士の細かい調整も、全部ゼロからやらなければならない。
そういえば、俺はニーアに勉強を教えなくては。室長の話が本題に入る前に事務室から脱出を試みたが、狭い会議室は室長の後ろのドア以外逃げ道はなかった。
「ホーリア、国外勤務になった場合、何か支障は?」
「……」
これは、左遷か。
今こそ美少女の涙を使う時だ。しかし、信用できるはずの事務室が俺の敵になったことに思った以上にショックを受けていて咄嗟に泣く事も出来ない。俺の周りはそんなに敵だらけだったのか。
事務室は勇者をサポートする立場だが、室長は元勇者なだけあって現役勇者にも遠慮が無い。今の俺がいくら可愛く泣いても、見逃してもらえないだろう。
「今のところ、任期は3年程度を予定している。任期終了後は、外交担当として事務室に所属してもらう」
「それは……」
少し話が見えて来て、俺は思わず呟いた。馬鹿な事は言わないでおこうと言葉を止めたが、室長が促すように俺に視線を向けてくるからそのまま続けてしまう。
「まるで、出世コースみたいだな」
俺の言葉を聞いて、室長は呆れてズッコケるだろうと思っていた。
しかし、室長は厳格な面持ちを崩すこともなく、誰にも聞かれていないことを確認するように会議室の外を視線だけで窺い、抑えた声で答えた。
「そう考えてもらっても、構わない」
これは、ドッキリか。
とりあえず、俺は室内に隠しカメラがないか確かめた。俺が騙されて大喜びしている所を記録して笑い者にするつもりだ。
しかし、この世界に人を騙して楽しむ番組は無いし、狭い会議室にカメラは無い。どうやら室長の言っている事は本気らしい。
「大臣の提案だ。投票で3位になる新人など今までいなかった。エイリアスの件、最終的な判断をホーリアに任せたのは彼女だから罪滅ぼしのつもりだろう」
カメラを探すのを止めて椅子に戻った俺に、室長が表情を崩さずに続けた。この様子だと、オグオンと室長の2人で進んでいる話で、事務室の職員たちにも伝わっていないらしい。
ゼロ番街の騒動でオグオンに対応を丸投げされた時、どうして俺は上司に恵まれないんだと真剣に転職を考えたし、正直殺意も抱いた。
でも、責任は取ると言ってくれて、その後もここまで俺の事を考えてくれていたなんて。感動のあまり目頭が熱くなってくる。
「一応聞いておくが、ホーリアはどこまで出世したいんだ?」
室長が額を寄せて、より声を潜めて尋ねて来る。
泣きそうになってお腹が空いた俺は、隠しカメラを探すついでに見つけたクッキー缶を開けて、テーブルのカップを手に取った。ニーアの勉強に付き合っていて、昨日はまともに食事をしていない。ニーアは力尽きて寝る前にちゃんとご飯を食べただろうか。
「俺はアウビリスの勇者になりたい」
「大臣になりたいのか?」
「いや、大臣はいい。でもアウビリスがいい」
「それは、複雑だな……」
俺は偉くなって世の中の人間全員を見下したい。でも、大変な仕事はやりたくないし、責任が増えるのも嫌だ。
室長はこの複雑な感情が理解できなかったらしく、眉間に皺を寄せて理解不能という顔をしている。
「しかし、ホーリアの勇者がいなくなったら、実習に来ている生徒はどうなる?」
「それなら問題は無い。卒業が決定している候補生を常駐させる。短期間の実習よりも正式な配属に近いから、予備生の実習を受け入れる余裕もあるはずだ」
その場合、おそらく既に事務所に入り浸っているポテコがホーリアを担当する候補生になるだろう。ポテコは成績は悪くないから、いい加減卒業が決まるはずだ。そのままホーリアの街付きになっても、ニーアと顔見知りだから上手くやってくれると思う。
ニーアの実習が続けられるなら、俺が国外勤務になっても何の支障も無い気がしてきた。
「正式な人事ではなく、あくまでこちらからの提案だ。いい返事を待っている」
室長がそう言って話が終わり、俺はカップを空にしてから事務室を出た。
学校生活で色々と世話になる部署だが、備品を壊して謝罪に行く時とか、教師を怒らせて口を利いてくれなくなったから間を執り成してもらう時とか、生徒が用があるのはそういう時くらいだ。
狭い会議室の紅茶のカップが置かれたテーブルに着くと、正面に腰掛けたのは事務室長だった。枯れた大木のような風格がある老人は引退した勇者で、今は事務室のトップとして養成校の運営だけでなく、大臣の事務に関しても影で糸を引いている。
これは、もしかして真面目な話か。
事務室に呼ばれたから、作り直した剣の代金をやっぱり払えとか言われるのかと思っていた。
だからもし話が拗れたら泣いて済ませてもらおうと、俺はクラウィスの姿をしたままだ。元に戻るタイミングを失ってしまった。
このままだと、俺が見た目が可愛ければ人生楽勝みたいな舐めた考えを持っていて、本気で幼女の変身願望があるみたいに思われてしまう。少し恥ずかしくなってきた。
「ディス・マウトに行ったことは?」
「……いや」
何故俺が呼ばれたのか教えられないまま、室長がいきなり話を始めた。
この世界には触れてはならないものが3つある。
ヴィルドルクの勇者、アムジュネマニスの魔術師。そして、祖の国ディス・マウト。
ディス・マウトは、ヴィルドルクの隣国オルトー連合国の隣の小国だ。古い文化を残した歴史ある国だが、目立った資源もないから豊かな国とは言い難いし、観光客を迎え入れるような社交的な国でもなく、アムジュネマニス以上に閉鎖的な国だ。当然、ヴィルドルクと仲がいい国でもない。
ただ、この世界の始まりから存在したと尊ばれていて、ディス・マウトが右と言ったらヴィルドルクもアムジュネマニスも、全世界が右を向く。この世界はそういう仕組みになっている。
話が見えないけれど、行ったことも無いし、多分今後行くこともないと正直に答えた。
「今、ディス・マウトに勇者を派遣する計画が出ている。オルトー連合国との国境の辺りの地域に就いてもらうことになる」
「……そうか」
なんだか嫌な話の流れになっている。
俺の記憶では、ディス・マウトに勇者はいない。その計画で派遣される奴が最初の1人だ。だから面倒臭い式典の類も、国同士の細かい調整も、全部ゼロからやらなければならない。
そういえば、俺はニーアに勉強を教えなくては。室長の話が本題に入る前に事務室から脱出を試みたが、狭い会議室は室長の後ろのドア以外逃げ道はなかった。
「ホーリア、国外勤務になった場合、何か支障は?」
「……」
これは、左遷か。
今こそ美少女の涙を使う時だ。しかし、信用できるはずの事務室が俺の敵になったことに思った以上にショックを受けていて咄嗟に泣く事も出来ない。俺の周りはそんなに敵だらけだったのか。
事務室は勇者をサポートする立場だが、室長は元勇者なだけあって現役勇者にも遠慮が無い。今の俺がいくら可愛く泣いても、見逃してもらえないだろう。
「今のところ、任期は3年程度を予定している。任期終了後は、外交担当として事務室に所属してもらう」
「それは……」
少し話が見えて来て、俺は思わず呟いた。馬鹿な事は言わないでおこうと言葉を止めたが、室長が促すように俺に視線を向けてくるからそのまま続けてしまう。
「まるで、出世コースみたいだな」
俺の言葉を聞いて、室長は呆れてズッコケるだろうと思っていた。
しかし、室長は厳格な面持ちを崩すこともなく、誰にも聞かれていないことを確認するように会議室の外を視線だけで窺い、抑えた声で答えた。
「そう考えてもらっても、構わない」
これは、ドッキリか。
とりあえず、俺は室内に隠しカメラがないか確かめた。俺が騙されて大喜びしている所を記録して笑い者にするつもりだ。
しかし、この世界に人を騙して楽しむ番組は無いし、狭い会議室にカメラは無い。どうやら室長の言っている事は本気らしい。
「大臣の提案だ。投票で3位になる新人など今までいなかった。エイリアスの件、最終的な判断をホーリアに任せたのは彼女だから罪滅ぼしのつもりだろう」
カメラを探すのを止めて椅子に戻った俺に、室長が表情を崩さずに続けた。この様子だと、オグオンと室長の2人で進んでいる話で、事務室の職員たちにも伝わっていないらしい。
ゼロ番街の騒動でオグオンに対応を丸投げされた時、どうして俺は上司に恵まれないんだと真剣に転職を考えたし、正直殺意も抱いた。
でも、責任は取ると言ってくれて、その後もここまで俺の事を考えてくれていたなんて。感動のあまり目頭が熱くなってくる。
「一応聞いておくが、ホーリアはどこまで出世したいんだ?」
室長が額を寄せて、より声を潜めて尋ねて来る。
泣きそうになってお腹が空いた俺は、隠しカメラを探すついでに見つけたクッキー缶を開けて、テーブルのカップを手に取った。ニーアの勉強に付き合っていて、昨日はまともに食事をしていない。ニーアは力尽きて寝る前にちゃんとご飯を食べただろうか。
「俺はアウビリスの勇者になりたい」
「大臣になりたいのか?」
「いや、大臣はいい。でもアウビリスがいい」
「それは、複雑だな……」
俺は偉くなって世の中の人間全員を見下したい。でも、大変な仕事はやりたくないし、責任が増えるのも嫌だ。
室長はこの複雑な感情が理解できなかったらしく、眉間に皺を寄せて理解不能という顔をしている。
「しかし、ホーリアの勇者がいなくなったら、実習に来ている生徒はどうなる?」
「それなら問題は無い。卒業が決定している候補生を常駐させる。短期間の実習よりも正式な配属に近いから、予備生の実習を受け入れる余裕もあるはずだ」
その場合、おそらく既に事務所に入り浸っているポテコがホーリアを担当する候補生になるだろう。ポテコは成績は悪くないから、いい加減卒業が決まるはずだ。そのままホーリアの街付きになっても、ニーアと顔見知りだから上手くやってくれると思う。
ニーアの実習が続けられるなら、俺が国外勤務になっても何の支障も無い気がしてきた。
「正式な人事ではなく、あくまでこちらからの提案だ。いい返事を待っている」
室長がそう言って話が終わり、俺はカップを空にしてから事務室を出た。
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