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第29話 勇者、学業に励む

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 首席卒業の勇者ともなれば、逆立ちをしても常人が走るのよりも速く走ることができる。田舎の役所の庁舎一周程度、大した運動にはならない。
 ニーアは「良いもの見れました!」と笑顔で帰って行ったことだし、俺のゴールを待たずにさっさと帰って行ったウラガノについては一旦忘れてやろう。
 花壇に凭れて暫く休憩していると、職員が帰って暗くなった庁舎から市長が飛び出して来た。

「勇者様!何か面白いことをなさっていたでしょう!どうして教えてくれなかったんですか!!」

「……全然面白くない」

「職員の歓声が市長室まで聞こえて来ましたよ!すぐに行こうと思ったのに副市長に止められてしまいまして……」

 悔しそうに呻く市長の後ろの方から、市長を探す副市長の声が聞こえて来た。

「もう気付かれたか……!勇者様、こちらへ!」

 市長に腕を掴まれて、引き摺られるように裏口に回って庁舎の中に隠れた。しかし、俺が勇者の仕事をサボるのはすでに通常営業として認められているから、俺は副市長から隠れる必要はないはずだ。
 市長は少しずつ元の姿に戻っている。ニーアの母親の兄だと聞いてるから、本当の年齢は30後半か40歳くらいだろう。前はコルダと同い年くらいの子供だったのに、今は俺と同じ歳くらいに見えてルークによく似ていた。

「ホテル・アルニカのオーナーから聞きました。学園へ入学を希望しているらしいですね」

「オーナーから……?」

 市長は副市長が追って来ないの窺いながら、そっと尋ねて来た。
 俺は頭に血が上って何をしていたのか忘れてしまったが、マントの下の書類入れの感触で思い出す。
 俺は、モベドスの入学のためにサインを集めていたんだった。

「勇者様、もしかして、あの者の変質を戻そうと?」

「市長は、そんな事まで把握するのが仕事なのか?」

 オーナーは、俺がモベドスに行きたがっているだけではなく、カナタのことまで市長に伝えたらしい。
 市長も魔術師と同じようにあの病気を嫌悪していてカナタを街から追い出そうとしているのかと警戒したが、市長の表情は暗い庁舎の中でもわかるくらい、暗い顔をしていた。
 何故親しくもないカナタを哀れんでいるのかと思ったが、そうではなくて何か別の事を思い出すように遠くを見て悔しそうに顔を歪める。

「あれは元に戻せません。病気や魔術ではないんです。誰も獣人の手足を切り取って人の手足にしようとは考えないでしょう。それと同じです」

 俺の願いを切り捨てるように、市長は冷たく言った。
 いつもニーア以上の問題児で面倒臭いほど勇者の俺を慕ってくれる市長だが、中身は今の俺よりも年上で、市長のという地位にある人間だ。
 冷静に落ちて来た言葉に、「そんなのわからない」と俺が返した言葉は情けないくらい弱かった。
 市長はニーアによく似た緑の瞳で俺を見て、先程とは違って優しい口調で言葉を続ける。

「この街の人間の祖先は、剣なんです」

「祖先?剣が人を産むのか?」

 冗談のつもりで言ったのに、市長は「ええ、そうです」と誇らしそうに頷いた。

「人に姿を変えることができたんです。遥か昔、柱が世界を支えていた時はそうだったんですよ」

 柱が世界を支えている世界は、コルダが読んでいる昔話の舞台だ。
 どこの世界の創世記も、神という都合の良い物を作り出すためのおとぎ話だと思っていた。
 だから、この世界が大昔は17柱の柱で支えられていたこととか、柱が崩壊して世界が崩れそうになった時に人々は永遠に生きる権利を手放して世界を守ったこととか、全部作り話だと思ってまともに読んでいなかった。

 しかし、それは俺に前世の記憶があって、隕石が衝突して生物が発生したこととか、猿から進化して人間になったことを知っているからかもしれない。矛の滴が大陸にならないことも、人が肋骨から作れないことも知っている。
 でも、この世界の人はそれを知らない。魔法がある世界で生きている。祖先が剣だと言われたら信じるだろうし、事実それが真実だろう。

「物を祖先に持つ人の体が、その記憶を思い出して先祖返りする。この世界に時折そういう現象が起こる。そういうものなんです」

「どうして市長がそんな事を知っているんだ?」

「私も以前、その治療法を探していました。首都に行って伝手を辿ってあの学園に研究生として入り、そこでも研究を続けて……でも、何も見つからず、間に合わなかった」

 魔術を使えない市長がモベドスに行くなんて、相当思い切った決断だ。言葉が通じないレベルの異文化ではなかっただろう。
 そこまでして市長が研究したかった理由は何だろうと考えて、ニーアの母親、市長の妹が病気で死んでいることを思い出した。
 そして、俺が前世の世界に帰ってしまった時、ニーアが俺の剣になってしまったことも。

「まさか、ニーアは?大丈夫なんだろうな?」

 俺の声が無人の庁舎の中に反響して、市長は暫く待って副市長が追って来ないことを確認してから頷いた。

「血筋で現れる現象ではありません。その時に世界に1人出現するかしないかの、とても稀な現象ですから。ただ、勇者様が学園に治療法を探しに行くと言うのなら、それは無駄です」

 市長にはっきりと言い切られて、そんなのやってみないとわからないとまだ駄々を捏ねたい気分だった。しかし、これ以上押し問答を続けていても仕方が無い。

「……いや、それ以外にも調べたいことがあるんだ」

「そうですか。それなら協力いたします!」

 俺が伺書を差し出すと、市長は胸ポケットからペンを出してサインをした。見慣れた市長のサインは、すぐに銀色に変わり、そして伺書のタイトルが入園許可書に変化する。

「お気を付けて、勇者様」

 市長は笑顔で書類入れを返して来たが、俺はとても笑える状況ではなかった。
 しかし、3人分サインが集まって、どうやら俺はモベドスに入学できるらしい。
 俯いたまま礼を言ってさっきよりも重く感じる書類入れを受け取った。
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