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第32話 勇者、候補者を支援する

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「勇者様、一体どうしたんですか?」

 オグオンが自分と顔も合わせずに消えたのを見て、ニーアも只事ではないとわかったらしい。オグオンと同じく黙って事務所に戻ろうとした俺の腕を掴んで引き留めた。
 ニーアの力で掴まれて一歩も動けなくなった俺は、仕方なく口を開く。

「オグオンが……」

「アウビリス様が?」

 俺が言いかけると、ニーアは尋ね返して小さく小首を傾げた。
 あのアウビリス様が間違ったことをするはずがない、という純粋な瞳だ。今のオグオンは明らかに間違っている。しかし、俺が知らないだけできっと何か事情があるはずだ。
 下手に中途半場な状態で説明してニーアの憧れを壊すこともないだろう。

「……何でもない」

「何でも無くてあんな事しないですよ!ちゃんと教えてください」

「後でな」

 取りあえず事務所に戻ると、コルダが広間から出て来たところだった。コルダが口を開いて何か言おうとするが、言葉になる前にそれを止める。

「出なくていい」

「でも……」

「オグオンは、きっとアルルカ大臣にいつもみたいに怒鳴られて焦っているだけだ。気にするな」

 コルダが顔を上げる前に、話は終わりと切り上げた。


 +++++


 ホテル・アルニカは昼でも薄暗いホテルだが、宿泊客も疎らだし従業員も殆どいないし、外の通りのように魔術師たちが余所者を見る目で窺って来ない。慣れれば意外にも快適な場所だった。
 しかも、最近気付いたがロビーの隅の本棚に並ぶ魔術書は、国内では流通していないものだった。
 おそらくオーナーの個人的な蔵書だろう。アムジュネマニスから国外に出版が許可された魔術書には国印が付いているが、ここに並ぶ本には付いていない。
 所謂禁書と呼ばれるようなもので、国に見つかったらアムジュネマニスとの緊張した友好関係を維持するために即座に焼き捨てられるだろう。しかし、それがスポーツ新聞のように雑に並んでいる。
 オーナーが上手く隠していることを信じて、俺は有難くそれを読ませてもらっていた。
 なぜなら、尻尾が消えない事が判明してからリリーナが涙目で恨めしそうに睨んで来るからだ。国外秘になっている魔術書なら、モベドスの理事達の魔術の解除方法のヒントが書かれているかもしれない。
 隣のソファーでは、さっきまで泣いていたカルムがようやく静かになった。俺がいない所でクラウィスとカルムを一緒に残して置く訳にはいかないから、仕事前に事務所で寝ているカルムも無理矢理ここまで引き摺って来た。
 カルムも優秀な魔術師なのだから8thストリートでも馴染めるはずだと思ったが、酒もハーブも取り上げられてホテルのロビーでぐずぐずと泣いていた。やっと大人しくなったから寝たのだろう。

 ホテルのドアが開いて宿泊客が入って来た。
 フードを深く被って顔を隠しているが、頭を重そうに支えてフラフラ歩いているからカナタだとわかった。俺に気付くと、危なっかしい足取りで近付いて来る。

「勇者様、何してんの?」

「見てわかるだろう。読書だ」

「へー暇なの?」

 読書=暇な奴がやること、という考え方が21世紀の現代人らしい。
 真面目に相手をするのが面倒だから無視しようとしたが、食事も面倒がっていたカナタが外出をするのは何だか妙だった。ローブのフードと顔に巻いた布で隠しているが顔も体も変質が進んでいて動くのは辛いはずだ。

「カナタは、また部屋の掃除から逃げてたのか?」

 前に会った時は、部屋に掃除が入るから外に出ていた。今日も同じ理由かと思ったが、カナタは俺を嘲るように固い唇を歪めて笑った。

「ボクはね、皆に求められているんだ。勇者サマと違って」

 知り合いもいないはずのこの国で一体何をしているんだ、と尋ねる前にカナタはまたフラフラと歩き出して部屋に戻っていた。
 追い駆けようとしたが、入れ替わりに巨大な体を揺らして掃除道具を抱えたオーナーが通りかかる。
 俺がいるのに気付いてもチラリと見るだけで興味が無さそうだったが、横のソファーでひっくり返っているカルムを見ると小さく呻いた。

「こいつは何をしているんですか?また勝手に出国していないでしょうね」

「多分。なんだ、知り合いなのか?」

「単なる監視対象です。こいつが余計な事をすると私がルリシャコルディーリと大臣に叱られるのです」

「なるほど」

 オグオンが言っていたようにカルムは監視対象で、監視者がオーナーらしい。それで、アムジュネマニスから来ているスパイと書いて外交官と読むポテコと、防衛担当のオグオンに報告しているのか。
 ポテコが俺にあんなに怒っていた訳がわかった。仕事を増やすなと言いたかったのだろう。

「それは、大変だったな」

 カルムが勝手にやったこととはいえ、用件は事務所のメンバーのクラウィスとのデートだ。俺が悪いとは一切思わなかったが、一応気の毒そうな顔だけしてみた。しかし、オーナーはあっさり頷いて怒っていない様子だった。

「まぁ、こいつからお金を貰いましたから」

 オーナーはモップの先でカルムを指した。俺は散々面倒を看ているのに、カルムから一銭も貰ったことがない。

「こいつは金があれば全て済むと思ってるんですよ」

「……人聞きの悪いことを言わないでくれ」

 寝ているかと思っていたカルムが弱々しい声を出した。起き上がろうとして寝返りを打って、ソファーから床に落ちる。

「有り余るほど持っているから渡しただけだ……」

 人生で一回でも言ってみたい言葉だと感心していたが、オーナーはほら見ろ、とでもいうように大袈裟に顔を顰めて首を横に振った。

「こういう奴なので、金に困っている時だけ仲良くすべきですね」

 オーナーはそう言うと、掃除用具を抱え直して忙しそうに客室に向かって行った。
 そうなると、俺はいつもカルムと仲良くしなくてはいけなくなる。
 床に落ちたカルムは、テーブルにぶつけて出来た額のコブを抑えてまた愚図り始めた。少し正気になれは、簡単な治癒魔術で自分で治せるはずだ。俺はカルムを放って読書を続けた。
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