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第35話 勇者、日常に戻る

〜3〜

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 色々考えた結果、俺はカルムを9thストリートに置いて行くことにした。

 ここから9thストリートなら、ゼロ番街よりも事務所よりも全然近い。カルムは街灯の代わりに酒屋で貰った酒瓶を抱かせてやれば、俺でも何とか引き摺っていけるくらいの荷物になった。
 9thストーリートは魔術師しかいないからカルムは知られている。下手に移動魔術を掛けて防御魔術が暴発するようなことはないだろう。
 去り際にホテル・アルニカのオーナーに、そこでカルムが寝ていたけど大丈夫か?と声を掛けてやれば向こうの面目が保てるはずだ。
 9thストリートの公園は滅多に人が来ないけれど、芝生で一晩寝ていても体が痛くならないし、この辺りの魔術師は酔っ払いに興味がないから放置してくれる。俺もこの前一晩ここで寝過ごしたけれど財布は無事だった。

「勇者様、何してんの?」

 公園の入口からカルムを引き摺っていると、通りかかったカナタがふらふらと近付いて来た。
 頭を重そうに片手で支えていて、動く度にキシキシと硬い物が擦れる音がする。傍に来て動きを止めると、ガチッと人体とは違う固い音がした。
 どこまで変質が進んでいるのか見た目ではわからなかったがもう長くないらしい。しかし、カナタは特に気にする様子もなく、俺がずりずりとカルムを引き摺るのを揶揄うようにゆっくりついて来る。

「まさか、仕事中?」

「……いや」

 酔い潰れた人間を引き摺っている今の状況が、仕事でやらされているのと自主的にやっているのと、どちらが惨めじゃないか天秤にかけて友人だと答えると、カナタは大袈裟な溜息を吐いた。

「いくらお人好しの勇者でも、付き合う人間は選んだ方がいいんじゃね?」

「そう言うな。こいつはこう見えてこの前の戦争に出てった英雄だ」

 初対面の奴に酒瓶を抱えて泣きながら寝落ちしている所を見られて哀れだろうと俺が言うと、カナタは何かを察した表情になる。

「魔術師はたくさん死んだって噂してたな。もしかして恋人でも亡くして悪酔いしてるとか?」

「まぁ……そんな所だ」

 せっかく上がったカルムの好感度を下げることもないだろうと曖昧に頷いた。
 カナタがこの世界でどんな風に生きて来たか知らないが、いくら戦争とはいえ大量殺人者というのは元の平和な日本の記憶が残っているイナムとしてはあまり良い気はしないだろう。

「この世界の人は死んだらどうなる?」

 カナタが突然尋ねて来た。質問の意図は不明だが、戦争で恋人が死ぬ話をしたから少しセンチメンタルな気分にでもなったのかと、深追いせずに答える。

「基本は火葬か土葬だな。流行り廃りがあるらしくて、近頃の老人達は火葬は貧乏人のやり方だから嫌だとか言うらしい。でも、ヴィルドルクでは特別な理由がない限りは火葬を勧められる」

「あ、そう。じゃなくてさ、信仰の話だよ。天国に行くのか地獄に行くのか。はたまた異世界に行くのか」

「信仰上は、柱に戻ることになっている」

 遥か昔にこの世界を支えていた17本の柱は、今は魔力を失って消えてしまったがいつか復活する。柱が復活すれば、人は遠い昔のように永遠に生きる権利を得ることができて死んだ人間も皆復活できる。
 そして、人間が死ぬと保有していた魔力が柱に戻り、柱の復活の時にまた一歩近づくという話らしい。
 魔術師は特に魔力が高いから、遺体を柱の跡まで持って行くし、死を悼みつつも柱の復活が近付いたと喜ぶほどだ。
 信仰心がない俺は他の人間がどこまで復活や永遠の命を信じているのか量れないけれど、この世界では国を越えてこの死生観が信じられている。

「それなら、柱の復活のために魔術師を皆殺そうっていう流れにはならないの?」

「元々魔術師は短命だからな」

 この世界の一般人の平均寿命は80歳から90歳くらいだが、魔術師に限っては40代、50代くらいで死ぬことが多い。
 皺だらけの老人魔術師もいなくはないが数は少なく、魔術を使い続けている勇者も魔術師程ではないけれど長生きはできないらしい。

「それならさ、柱のためにさっさと死んであげようっていう気の利く魔術師はいないの?」

「さぁな。俺は柱なんてどうでもいいからそうは思わないけど、そういう奴もいるのかもな」

「ふーん……」

 カナタは俯いて何か考えている様子だったが、「それならいいか」と呟いてぱっと顔を上げた。

「何が?」

「ううん、何でもない」

 カナタは、来た時と同じように言う事を聞かない体を重そうに揺らしてふらふらと歩き出した。ガチガチと固い音がして、カナタが歩いた後に所々キラキラと光る結晶の欠片が落ちている。
 こんな状態になっているのに、ホテルの部屋を出て外にいるのはおかしいと気付いた。

「なぁ、何してるんだ?」

「何にも。どうせもうすぐ死ぬんだから好きにさせてくれよ」

 いつもの口調であっけなくそう言われて、俺が怯んでいる間にカナタは公園をのろのろと出て行った。
 死を目前にしたカナタは好きにさせてやりたい。が、人間は自棄になると何をやらかすかわからないものだ。
 カナタが部屋を出て行かないようにホテル・アルニカのオーナーに見張ってもらうように頼もうかと考えていると、地面で寝ていたカルムが俺のマントを掴んだ。

「シスは?」

「クラウィスならいない」

 寝ぼけているらしく、カルムはマントを掴んだまま俺に縋り付いてくる。振り払う訳にもいかずに、酔っ払って力が無いカルムの体を支えるとマントに顔を埋めて泣き出した。

「ティフォーネを見ててくれるって言ったじゃないか。だから何度も行ったのに、どうしていないんだ……」

「なぁ、ティフォーネって誰なんだ?」

 俺が尋ねても、カルムは泣き続けるばかりで答えるのを拒否するようにマントから顔を上げない。

「見つけて楽になるなら、俺も探すのを手伝うよ。女の子だろう。どんな顔をしてる?歳は?」

 カルムが言う事を聞き洩らさないように手帳を広げて構えていたのに、カルムは答えずに泣くばかりだった。
 酔っている時じゃないと聞きだせないから今を逃さないように質問を続けたのに、何も答えを聞き出せないままカルムはすぐに泣き止んでマントから顔を上げた。
 元気になったなら良かったと思ったが、転がっていた酒瓶を拾って呑もうとするから取り上げる。これは3番街の酒屋で借りて来たもので、栓を開けていないなら返品できるはずだ。
 酒を取り上げられて、カルムは不満そうに俺を見上げる。

「クラウィスは?」

「いない。そろそろ戻って来るはずだから、事務所で待ってるか?」

「いやだ。クラウィスがいないなら行かない」

 カルムは街灯の代わりに俺のマントを握り締めていた。カルムが行かないなら当初の予定とおり公園に置いて行くだけなのに、俺まで道連れにしようとしている。

「クラウィスは俺たちのように移動魔法で一瞬で行き来できるわけじゃないんだ」

「そうか……大変だろうな」

「ああ、それにクラウィスも向こうで働いて疲れているはずだ。戻って来た時に何かあげられるようにプレゼントでも準備したらどうだ?」

 前に里帰りをした時は雇い主からの福利厚生として土産を持たせたが、今回はそんな暇がなかった。クラウィスはあの孤児院で率先して下の子の面倒を看ているから、事務所にいる時よりも仕事が多いはずだ。
 クラウィスの贈り物のために店を探すとか、金のために真面目に働くとか、カルムがまともに過ごしてくれればいいと試しに言ってみたが、悪くない考えだったらしくカルムは俺から奪い取った酒瓶を抱き締めたまま、珍しく正気に戻った目をしている。

「クラウィスは、何をあげたら喜ぶ?」

「結構派手なものが好きだからな……ああ、でもこんな首飾りを持っていた」

 俺はちょうど持っていた手帳にクラウィスが持っていた首飾りを描いた。クラウィスが前に勤めていたホテルに忘れたと言って、俺が変装して取りに行った物だ。
 黒い革紐に黒いガラス玉が付いた地味な物だが、クラウィスの白い肌によく映える。そんなに高価に見えないけれど、大切にしていたからどこかのブランドの品だったりするのかもしれない。

「これ……」

 カルムは俺が手帳に描いた絵を見て言葉に詰まった。
 まさか最上級ブランドだったりするのかと尋ねようとして、カルムの表情が強張っているのに気付く。酔いが一瞬で冷めた様子で、今までに見た事がないくらい辛そうな暗い瞳をしていた。

「これを、持っていたのか?」

「ああ、事務所の前に働いていたホテルに忘れたって。俺が取りに行ったんだ」

「……そうか」

 それがどうしたんだ、と俺が尋ねても、カルムは何も答えないまま移動魔術で姿を消してした。
 残された酒瓶が転がって、砂場に落ちる音がやけに大きく響いた。
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