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第37話 勇者、移転を考える

〜5〜

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 脱衣所で休憩していると、ニーアがジュースを渡してくれた。
 のぼせた先輩の看病をしてくれるなんてよく出来た後輩だと思っていたが、渡された紙パックがやけに小さくてカルシウムやら緑黄色野菜やら、子供の成長に必要な栄養素が入っていることをアピールしたパッケージだ。
 ニーアは他の子供たちに餅でも撒くようにこのジュースを配っているから、俺は子守の区分に入れられたことがわかる。

「勇者様、ルークの部屋を使ってください。お布団は干してますから」

 2階に上がって廊下を進んで右に曲がって半階上がって左のドアを開けて奥に言って……と、迷路のような説明を受ける。
 俺は首席卒業の勇者だから完璧に覚えて、少し迷ってトイレと物置と別の部屋を開けてしまっただけで、無事ルークの部屋にたどり着くことができた。
 二段ベッドの下の段に綺麗に布団が敷かれていて、上の段は荷物置き場になっている。
 多分、ルークと他の兄弟が一緒に使っていた部屋で、上の段を使っていた奴はこの家をだいぶ前に出て行ったのだろう。
 定番にベッドの下か、タンスの奥か。
 そんなことを考えたが、今でも裁判のために裏から奥まで全て調べられているはずだ。俺がここでルークの秘密を暴くのは可哀想だし止めておいた。
 疲れたから寝ようと思ったら、トントン、と小さくドアがノックされる。
 この優しいノックはニーアではない。ニーアはプレハブくらいだったら拳の形の穴が空きそうな勢いでノックをしてくる。
 暗い廊下から顔を覗かせたのは、やはりユーリだった。

「勇者……あのね、その……一緒に寝てもいい?」

「……」

 もう騙されないぞ、と塩でも撒いて追い出そうとした。
 しかし、ニーアによく似た瞳を潤ませながら、縋るように見つめられると答えに窮する。
 ユーリが暗い所やオバケが怖いのはよく知っている。
 公園で遊びに熱中して帰り道が暗くなると、わざわざ遠回りして事務所に寄って俺に家まで送るように要求してくるほどだ。
 もしも万が一、本当に怖がっているのなら、俺が今断ったせいで、一生のトラウマを抱えてしまうかもしれない。ユーリの人生を背負うような、そんな責任は取れるのか。
 仕方なく俺が頷くと、ユーリは弾けるような笑顔になった。

「いいってさ!」

 ユーリが後ろに呼びかけると、やはり、思った通りガキ共がぞろぞろと部屋に入って来た。
 全員パジャマに着替えて枕と布団を持っていて、泊まる準備は万全だ。
 預かった子供を一晩大人しく寝かせて置けば、その時間分料金が貰えるのだからユーリからしてみれば楽な仕事だろう。できれば自分で抱えきれる程度の人数でやってもらいたい。

「トイレは一人で行けるから大丈夫だよ!」

 それは不幸中の幸いだろう。地獄に仏とはこのことか。
 俺が二段ベッドの上の段を巡ってケンカを始めているガキ共の仲裁に入っている間に、ユーリは赤子を連れて部屋のドアをパタンと閉めた。


 二段ベッドの上の段の荷物を片付けて、子供が寝られるように整える。
 人の家の荷物を勝手に動かしていいのか、という野暮な質問は止めてほしい。泊まりに来た他人に商売で預かっている子供を託すユーリの方がどうかしているのだから。
 大人しく上の段で寝てくれるかと思ったら、やっぱり下の段でみんな一緒に寝たいと言い出した。そして、勇者のマントを布団にしてみたい、と。
 床にも子供が広がって、俺は下の段の隅っこに子供に纏わりつかれながら何とか目を瞑る。
 寝返りも打てないくらい狭い所でどうにか寝ていると、マグロ漁船で捕まってそのまま船上で働かされるマグロの悪夢にうなされて目が覚める。

「狭すぎる……」

 部屋を抜け出そうと思ったが、床にも子供が寝ていて踏まずにドアまで行き着ける気がしない。
 ベッドの脇の小窓から抜け出して、どうにか屋根の上に立った。
 時間は深夜を過ぎた所だ。空の端の闇が徐々に薄くなっている。
 随分家の中を歩いたと思ったが、少し歩くと3番街に面した場所に着いた。
 屋根から落ちないように良い感じのポジションを探して腰掛ける。
 人がまだ起き出していない通りを眺めながら、朝になるまでここで時間を潰そうかと考える。

「勇者様」

 カタカタと屋根を鳴らして、ニーアが俺の隣に現れた。
 屋根が抜けないかなと一瞬心配になったが、ニーアなら大丈夫だろう。

「迷惑を掛けて本当にごめんなさい。幼馴染が働いているホテルに空き部屋があるそうです。今からでも行きませんか?」

 もう朝になるから大丈夫、と答えると、予想していたのかニーアが懐から酒の小瓶を出して渡して来た。
 2人で分けるのかと思ったら、もう1本出して来たから1人1本らしい。
 無駄にしないように一度開けてもまた栓が出来るタイプの瓶であることを確認した。ニーアがぐびぐび飲み干せる酒も、俺には一口で睡眠薬になり得る。残りは煮物にでも使おう。

「ここで寝ても大丈夫ですよ。下から見えませんし」

 ニーアも良くここで寝ているのか、慣れた様子で屋根の上にころりと仰向けに寝転がった。
 俺も真似をして寝転んだが、俺がこのまま寝たら絶対に落ちる。ニーアのようなバランス感覚と筋力が必要だ。
 ニーアは器用に半回転寝返りを打って俺の方を見る。

「勇者様、怪我は治ったんですか?」

「怪我?」

 俺も半回転してニーアと向き合う。ニーアは手を伸ばして俺の胸の辺りを突いた。

「エイリアス様に刺された所です」

 勇者の剣で刺された傷は、魔獣にやられたのと同じように通常の治癒魔術では治らない。
 俺は死にかけた時にポテコの魔術で治してくれたけど、死なない程度に雑に繋げてくれただけで傷痕はそのまま残っている。
 多分放っておけば治るだろうが、それなりの大怪我だから完全に消えるまで1年以上は掛かるはずだ。もう痛くも痒くもないけれど、目立つから魔術で隠していた。

「ニーアのは」

 少し痕が残っていたよな、と言おうとしたがどこで見たんだと聞かれそうだからギリギリで言葉を止める。

「もう治ってます。勇者様の方が重傷だったじゃないですか。ポテコさん、治療の時に貧血を起こしそうになってましたよ」

「それは悪いことをした」

「ニーアがやりましょうかって言ったら、絶対失敗するから手を出すなって言われちゃって」

 だろうな、と俺はつい素直に頷いてしまった。
 魔術の成績が低空飛行墜落寸前のニーアがやったら、俺は傷痕の心配なんてする暇もなく潔く死んでいただろう。

「でも、ポテコさんが絶対に助けるから黙って見てろって。ポテコさん、勇者様のこと大好きですね」

「だといいけど」

「勇者様が思っているよりも、勇者様はみんなに好かれてますよ」

「そうか?」

「ニーアも、勇者様が好きですよ」

 ニーアがあまりに率直な言葉を使うから、冗談だろうと軽く流すのも、俺も好きとかふざけて言うのも忘れてしまった。
 酔っているのか、寝ぼけているのか、と思ったが、ニーアの瞳は真剣そのものだった。

「ニーア、俺は」

「はい」

 俺が体を起こすと、ニーアも起き上がって俺と目を合せる。
 正直に隠していたことを伝えるなら今だ、と思ったが、視界の端で何かが動く。
 人影がゼロ番街の方に向かっているのが見えた。最近のゼロ番街は縮小営業だからとっくに営業時間は終了して、片付けも済んでいるはず。人がいるのは妙だ。

「少し見て来る」

 俺が屋根から飛び降りると、ニーアも行きますと続いて下りて来る。
 ニーアから酒の臭いがするのがやや心配だったが、俺はゼロ番街に向かった。
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