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第37話 勇者、移転を考える

〜6〜

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 ゼロ番街は支配人が休業と言っているのに、それに逆らって小さな飲み屋がぽつりぽつりと営業している。
 それでも明け方近い今は客も店員もいなくなっていて、消し忘れた店の明かりだけが疎らに残されていた。
 人影を探して街に入ると、メインの通りの真ん中にバラバラの何かが雑に積み重なっているのに気付いた。
 客の荷物か店の生ごみが放置されているのかと思ったが、一歩近付いてそれが何なのか分かった。
 もう一歩近付いて、それが誰なのか気付く。ニーアがこれ以上近付かないように、振り返って肩を掴んだ。

「ゆ、勇者様、大丈夫ですよ」

 ニーアも、道の真ん中に遺棄されたものがバラバラになった人だとは気付いていた。
 酔いではなく声が上擦っているが、誰なのかまでは気付いていないようで気丈にも勇者養成校の生徒として任務を果たそうとしている。

「ニーアも戦争に行きましたから、これくらい何でも……」

「カルムだ」

 俺はニーアの肩を抑えて元来た道を戻るように方向転換させる。俺の言った意味を理解し切れていないがその意味はわかったのか、ニーアの体から一気に力が抜けて倒れないように背中を支えた。
 戦場では魔術や兵器で死んだ人間は、飽きるほど見る。
 でも、勇者を相手にして死ぬのは敵国の知らない人間ばかりだ。
 顔見知りの人間が無残な姿で死んでいるのはニーアは慣れていないだろうし、俺も何度見ても慣れない。

「市役所の夜番に報告して来てくれ」

「あ、わ、わかりました」

 ニーアは大人しく市内に戻って行ってくれた。その姿が完全に見えなくなってから、地面に広がる物体に向き合う。
 正直な所、これが本当にカルムなのかあまり自信はなかった。
 死んだ人間は単なる物体になる。魔力の量も優れた魔術ももう関係がなく、魔力の気配で確かめることはできない。
 しかし、行方不明になってからおそらく生きて会えないだろうとは思っていたし、見つかったとしても安らかな表情の死体ではないだろうと予感していた。
 別人だったら、知らない人が死んでいるだけだったとニーアに報告して、拍子抜けして少し安心すればいいだけの話だ。
 しかし、2、3歩近付いて頭部らしき部分が確認できると、おそらくカルムだろうとほぼ確信できた。
 頭部があれば、眼球から記憶を読み取るか鼓膜から音を再現するかして、こんな形での再会になった訳も分かるだろう。
 俺が手を伸ばそうとすると、背後でカツンとヒールが石畳に当たる音がした。乾きかけた血の臭いを掻き消すように、子供のような甘い苺の香水の匂いがする。
 俺が振り返る前に、バサリと黒いローブが広がって死体を覆い隠した。リコリスが指を伸ばして術式を発動させると、ローブの下の歪な塊が人の形に変わる。

「カルムだわ」

 リコリスは別れの言葉でも呟くように名前を呼んだ。
 しかし、感傷的な表情はなく、いつもの冷静さを崩さないままローブを捲る。
 辛うじて普通の死体があって、少し動悸が収まった。

「欠けてる。腕と、下顎かしら」

 リコリスに並んでローブの下を見る。
 先程の惨状と比較すれば些細なことだが、リコリスが元の形に再生したのにカルムは見知った体ではなくて、特に頭部は下半分が無かった。
 カルムの腕には防御魔術の術式が彫られていた。それが邪魔で切り取ったのかもしれないが、下顎が無いのは理由がわからない。

「勇者様、これでよくカルムだってわかったわね」

「勘だ」

 リコリスに合わせて何ともないフリをして返事をしたつもりだったが、口がカラカラに乾いていて上手く声が出なかった。
 ローブの下に手を伸ばして、固い瞼に触れる。眼球はどうにか無事だった。濁った瞳と目を合せて、視界の記録を読み取る魔術を発動する。

 最初に見えたのは、どこかのパーティー会場だった。
 壇上に立って、会場にいる年齢も様々な魔術師を見下ろしている。魔術師から羨望と尊敬の視線を向けられるが、臆する事なく受け止めていた。
 視界からして幼い子供の時だ。酷いノイズが入って顔が分からなかったが、隣に誇らしげに立つ男性は父親かもしれない。
 同じくノイズが入って表情が見えないが、隣に立つ女性は母親だろう。
 女性の腕に抱かれた赤子の顔にはノイズが入っておらず、大きな紫の瞳で会場を不思議そうに眺めている顔が見えた。
 一瞬で場面が変わる。
 同じ会場で処刑が行われていた。
 壇上に首吊り用のロープがぶら下がり、自決用の刃物が各種並べてある。
 しかし、処刑人はいない。会場を埋め尽くす魔術師たちは、自らの手で自らの処刑を執行することを望んで声を上げていた。
 胸に抱き締めた柔らかいものが動いて、少し大きくなった赤子だとわかった。
 腕の中に納まるくらいまだ小さいのに、自分は死ななければならないと理解していて、大きな紫の瞳に涙を溜めて見上げて来る。
 また、一瞬で場面が変わる。
 今度は映像も音声もノイズが酷い。
 ただ、泣き声と悲鳴と断末魔と、激痛の記憶が流れ込んで来て、ぶつんと追い出された。

「だから、止めた方がいいって言ったのに」

 魔術を強制的に切断されたのと、強烈な記憶が流れ込んで来たせいで吐いている俺を見下ろしながら、リコリスは煙草をのんびり吸いつつ呟いた。
 ニーアと飲んだ酒のせいだ、と言い訳をして少し落ち着いた。

「言ってない」

「言ったわ。勇者様が聞いてなかったのよ」

 リコリスはそう言ってグラスを差し出してくる。
 酒かと思ったらただの水だった。素っ気ないように見えて、一応俺の身を案じてくれているらしい。

「駄目だ。ここ最近の記憶が消されている」

「でしょうね」

「カルムが殺した奴がやったのか?」

「そうかもしれないわ」

 リコリスは興味が無さそうに適当に返事をしている。
 軍事魔術師のカルムを殺すような相手なら魔術を使って証拠を消すくらい当然だ。そう驚くことでもないが、それにしてもリコリスは、仕事仲間が殺されたのに悲しいとか悔しいとかそういう感情が無さそうだった。

「誰がやったのか、わかるのか?」

 尋ねつつ水を飲み干したグラスを返そうとしたが、リコリスは受け取らなかった。
 俺が持ったままのグラスを魔術で赤ワインが満ちたワイングラスに変える。自分の手にも同じ物を出現させると、乾杯するように小さく打ち付けてリンと音を鳴らした。

「勇者様、ここを閉めるわ」

「危険な相手なのか?」

 リコリスは首を横に振る。それは俺の問いに対する否の回答ではなく、回答自体の拒否だった。

「従業員も全員解雇。補償はするわ。国境を正したいならご自由にどうぞ」

「逃げるのか?」

 仲間の従業員が殺されて、死体が放置されるなんて、大胆な宣戦布告だ。
 生粋の魔術師のリコリスだからまた魔術師たちを引き連れて戦うのかと思っていた。しかしリコリスは、まるで予想していたかのように淡々と引き上げる段取りを進めている。
 リコリスは地面に膝を付くと、ワイングラスを傍に置いてカルムの瞼を閉じた。
 リコリスがそっと頬を撫でると、頭部が欠けている死体でも安らかに眠っているように見える。

「これは脅迫じゃなくて警告よ。こうなることは勇者様も本当は気付いていたでしょう?」

「どういう意味だ?」

 リコリスは顔を上げて、俺と目を合わせた。
 無言のままだったが、その瞳には俺を責めるように怒りと諦めの色が揺れている。
 何の話なんだと俺が重ねて尋ねる前に、リコリスがパチンと指を鳴らして姿を消した。
 ローブとカルムの死体も消えて、石畳には血の飛沫一つ残っていなかった。

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