君の「好き」を教えて。~ガリ勉とイケメン定時制ヤンキーDKの奇妙な100日間の話~

清田あお

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第二話

人生初の、女の子とメッセージ?

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 二十一時過ぎ、ようやく塾が終わって、家に帰る。今日のナンパ騒動もあって、どっと疲れた。
「た、ただいま……」
玄関をおそるおそる開けると、母が待ち構えたように仁王立ちしていて、「この前の模試の結果は?」と右手を差し出してくる。
「ああ、うん、悪くなかったよ」
 今回の医学部専門の模試結果は、悪くなかった。特に数学の調子がよかった。ぎりぎりだけど、結果もB判定だった。今回は勉強も対策もとても頑張った。順位も今までで一番だった。だから、成績表を差し出すときも不安はなかったし、成績表につぶさに目を通している母の顔を、自信をもって眺めていた。のだけれど。
「まあ、たしかに全体的に悪くはないけど……。生物が七十四点じゃない。前回は八十点だったのに。どうして六点も落としたの?」
 問い正す母の表情がみるみるうちに険しくなっていく。そんなことを言われると思ってなかったから、頭は予想外の母の反応に真っ白になってしまう。
「だ、大問三が、扁形動物の系統分類の図表論述で……いつもあまり出ないからパニくっちゃって……っ」
「そんなの言い訳でしょう」
 ぴしゃりと遮ってくる声色に心臓が竦む。
「生態系や生物分類は出題頻度が低いけどちゃんと勉強しておきなさい、と前々回の模試のあと反省会したわよね? もう忘れたの? 光成、あなたは馬鹿なの?」
「うん……、ごめんなさい」
「だからあなたはK中も落ちるし、もう入試まで一年切っているのにこんな心もとない成績なのよね、本当にあり得ない」
 鋭い声が真正面から胸に、腹に突き刺さってずきずき痛み出す。
「どうしてあなたはこんなにもできてないのかしら? こんなんじゃ医学部なんて入れないわよ!?」
 母は怒号とともに、くしゃりと手の中の成績表を握りつぶした。何を言い訳しても、今の状態の母には意味がない。手こそ飛んでこないけど、機嫌を損ねたら何十分も延々と説教が続くのだ。嵐が止むのをただ待ちぼうけるみたいに、心の手で耳をふさいで母の怒りが静まるのを待つ。
「……ごめんなさい」
「もう五月よ?」
 怒号から一転、すっと声色が低くなる。
「……うん」
「どうしてあなたはこんなに頭が悪いのかしら?」
「……ごめんなさい」
「あなたの謝罪なんて聞きたくないの。なぜこの点数なのか? と聞いているの」
「……」
 押し黙って玄関のタイルを見続ける僕に辟易したのか、母は大きなため息を吐いて言い捨てた。
「八月のオープンでは、A判定取ってきなさい」
 捨て台詞のようにそう言い置くと、母はリビングのほうに引っ込んでしまった。母の姿が見えなくなって、ようやく嫌な鼓動は落ち着いてきた。
 

小学校高学年のとき、日本最難関の中高一貫校・K中を目指して、僕は死ぬ気で中学受験をした。
K中・K高は、日本で一番偏差値が高い中高一貫校だ。東京の都心にあるが、全国から秀才が集い、制服もない超自由放任な校風で、「犯罪行為は行わない」「授業の単位さえとれば卒業可」の二つしか校則がないらしい。生徒たちは頭が良すぎて、数学オリンピックで金賞をとったり、自分で会社を興しているようなぶっ飛んだ天才もたくさんいるそうだ。父も親戚の男性や僕より年上の従兄たちも皆そのK高を卒業していて、よく個性的な同級生や教師たちの面白い思い出話を聞かせてくれた。僕にとって、そんな超自由なK中の校風は憧れだった。母も僕をK中に入れるべく猛勉強した。
でも僕はあえなく不合格だった。
初日で第一志望のK中に落ちた僕は、ずるずると調子があがらず第二志望第三志望に立て続けに落ち、結局滑り止めだったS中に入った。
母がおかしくなったのはその頃からだった。親戚でK中に入れなかったのは僕だけ。大学で医学部に入って挽回しなさい、お父さんの跡を継ぎなさい――。そう言われて、中学に入ってからもずっと勉強してきた。父は多忙な開業医で家にいないから、こうやって毎日のように怒鳴られていることは知らない。相談したところで、夫婦喧嘩になるだけだろうから言えない。
 本当は、別に医学部になんて興味ない。むしろ血とか苦手だから嫌だ。医者になんてなりたくない。本当は全部逃げ出して、今日ワックにいたヤンキー達みたいにゲームや恋愛に興じたい。でもそれも、たぶん僕が本心でやりたいことでもない。
(じゃあ、何がやりたいんだろう、僕って)
 いつも母に怒られるたびに思う。
(……勉強?)
 勉強以外に、僕ができることなんて思いつかない。でもその勉強ですら、上には上がいっぱいいる。
(僕なんて、大人になったら、なにになれるんだろ?)
 玄関に突っ立ったまま自分の身体の中に問いかけても、誰も答えを返してはくれなかった。


怒鳴られた余韻を引きずりながら自室に戻った。塾の教材や宿題を鞄から取り出すついでに、内ポケットに入れておいたメモをこっそり取り出す。春日さんにもらった連絡先のメモだ。それをみたらつい心が甘く高鳴ってきて、ベッドに身を投げてメモをしげしげと眺める。
(こんなもん、送ったって無視されるだけだよなあ……)
でも、もしかしたら。もしかしたら返信してくれるかもしれないし。そうしたら十八歳にして初めて彼女ができる……かもしれない。いやでもあんな可愛い子が不細工落ちこぼれな僕に連絡先なんてくれるはずない。
(それに、こんなことしてたら、また成績下がる……)
さっきの母の説教を思い出したら、もう過ぎたことなのに、身が竦んだ。
小学生の頃からずっと勉強ばっかりなせいで目が悪く、分厚い眼鏡をかけてたから、いつも「がり勉」と呼ばれていた。身体が細いから、ガリガリとがり勉そして名前の「光成」を掛け合わせて「ガリ成」というあだ名がついた時代さえあった。
そんな、顔も運動神経もよくないがり勉だった僕からしたら、彼女なんて手の届かない天のうえの宝物だ。不相応な希望に、自分で恥ずかしくなる。
人のこと好きになるってどういう感じ? こんな僕のことなんて、好きになってくれる人なんているのかな? こんななんも取り柄もない僕のことなんて。
(そんなことより、模試で間違えた箇所の復習しなきゃ……)
そんな淡い期待と諦めをブランコみたいに何度も繰り返す。
「あー疲れたあ」
 そのうち、もう考えるのも嫌になって、ベッドに身を投げた。
そのときだった。ぴろん、とベッドの上に置いておいたスマホが鳴った。メッセンジャーの通知だ。知らない人からの招待希望のメッセージだった。
「春日です。こんばんは。連絡先くれてありがとうございました」
その文言を見た瞬間、心臓が口から飛び出るんじゃないかと思うくらい鼓動が大きく鳴った。急いでスマホを手に取りよせる。さらに着 信音とともに、新たな通知がくる。
「遠山光成くんのスマホで、あってますか?」
 アイコンは、可愛いミニチュアダックスフンドだった。全体的にチョコレートみたいに濃い茶色をしていて、瞳はまるく潤んでいる。とてもかわいい犬だった。
(どうしようどうしようどうしよう……!)
 急展開すぎる展開に、スマホを握る手にじんわり汗が滲む。
「こんにちは。返信ありがとうございます。遠山光成です」
 とりあえず無難オブ無難な返事をして、数秒迷いながらも思い切って送信ボタンを押す。どうしよう、大丈夫かな? さすがにつまんなすぎたよな? と心配になっていると、すぐに既読がついてしまった。
(うわああ……!どうしようどうしよう)
 数分経っても返信がこなくて、無難すぎて飽きられちゃったのかなと不安になる。
そのとき、しゅぽん、という気の抜けた音とともに新しいメッセージがきた。
「メッセージありがとう。光成だから、みっちゃんって呼んでもいい?」
 続けて、可愛い兎のスタンプが送られてきた。
(うわあああ! 急すぎる、どうしよう)
こんなこと女の子から言われたことないから頭が沸騰しそうになる。スマホの奥で、こてんと小首をかしげているあの可愛い春日さんを想像して、勝手にどきどきしてしまう。
「全然いいよ」と送ろうと思って、zをタップした瞬間、画面に次の吹き出しが生まれた。
「こっちのことは、はるひでいいよ」
 また連続して、すぐに次の吹き出しが現れる。
「みっちゃん、ワックのあと今日はなにしてたの?」
 よし、これなら正解が一つしかない問いだ。そのまま素直に答えればいいだろう。
「塾だよ」
『そうなんだ。みっちゃんって、S高?』
 どきりとする。なんで知ってるんだろう。
「そうだよ。なんで知ってるの?」
『ワックでみたときの制服、S高のだったから』
 そこまで見られていたのはちょっと恥ずかしい。S高が男子校で女の子とメッセージをやりとりするのが初めてだからどう返せばいいのかわからなか、とりあえず答えをひねり出す。
「アイコンの犬、可愛いね」
 完全につまんない男だ、僕。でもうまい返し方がわからない。自己嫌悪と裏腹に、返事はすぐにきた。
『ありがとう。みうって名前なんだ』
 よかった、まだメッセージは続けてくれるみたいだ。
「そうなんだ」
『みうの顔、みっちゃんに似てるよね』
 そうかな? 似ている気はしない。
『むまむましてて、可愛い』
(むまむま、ってなに?)
むまむまって、初めて聞いた。春日さんはなんだか独特な語彙と感性の持ち主だった。でもそれもなんだか面白い。みうは十歳のダックスフンドの雌で、人間にしたら結構なおばあちゃんだということも教えてくれた。
『ところで、みっちゃんの好きなタイプってどんな感じ?』
 頬を赤らめた熊のスタンプ。めちゃくちゃ可愛い。ワックでは清楚そうな雰囲気だったのに、意外に案外大胆なことを言うタイプなのかな。
 好きなタイプの女の子? そんなの考えたこともなかった。春日の顔は可愛いなと思ったけれど、僕からしたら女の子は皆可愛い。大夢にも「彼女作れよ」とはやし立てられるが、実際、恋バナとか下ネタを真剣に話すことはなく、「いつか結婚しろよな」くらいの遠い未来の話をしている感覚だ。
 ていうか、いきなり好きなタイプ聞かれるって脈あり? 展開早くない? 脈ありなの――? あまりの急展開さに、ベッドの上で右往左往してしまう。
(どういう風に返せば無難なのかな。あまり断定的に書くと角が立ちそうだから、とりあえずぼんやり曖昧に返したほうがいいかな……)
「明るくて優しい子かな」
 なんかまたありきたりな返信になってしまった。もうちょっとちゃんと会話を続けないと。こういう時は、オウム返しして、ちゃんと相手のことも聞かないと――って、なにかで読んだ気がする。
「はるひの好きなタイプはどんなひと?」
 ちょっとどきどきしながら返信すると、光速で返事がきた。
『みっちゃんみたいな人かな』
「えっ……」
 思わず声が出た。お世辞? お世辞にしてはちょっと攻めすぎなのでは? これって脈あり? もしかしてマチアプのサクラ? マッチングアプリに結婚詐欺師がたくさん潜んでいるとこの前、ワイドショーで見た。こんなガリ成なんて相手にされるわけない。いや、それとも本当に脈ありなの――? いや、いくらなんでも急展開すぎる。
『だから、これからもメッセージしていい?』
 そんなの大歓迎に決まってる。頬にかあっと熱がともった
「全然いいよ、むしろ僕もメッセージしたい」
「ありがとう、おやすみ」
 ナイトキャップをかぶったペンギンがおやすみしているスタンプがすぐにその吹き出しの下に続いた。
 僕はその夜、ふわふわとした温かい雲に乗った気分で、すぐに眠りに落ちて行った。
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