君の「好き」を教えて。~ガリ勉とイケメン定時制ヤンキーDKの奇妙な100日間の話~

清田あお

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第四話

春日の学校での話

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木曜日の夕方、チャイムとともに生徒達は思い思いの方向に散らばったから、教室内はすでに人はまばらだった。すでに遠くからは、「いち、に、さん、しー」と気の抜けた運動部の掛け声が響いてくる。
「なにそれ」
 春日が自身の机で自習していると、前の席のハニが気持ち悪いものを目にしたときの声で訊いてきた。小学生の頃からずっと一緒の幼馴染である羽仁田、苗字の頭二文字をとってずっと「ハニ」と呼んでいる。ハニの髪はまたブリーチしなおしたのか銀髪を越えて白髪になりかけていて、真面目な黒髪男子が多い教室ではこの列だけ髪色が異様に明るくて悪目立ちする。
「今週の宿題」
「みっちゃん?」
「そう」
 ハニは舌を出して顔を歪ませる。
「……はるが勉強してるとか、キモい。そろそろまじで大地震でも起きるんじゃないの」
 解いているのは光成お手製のプリントだ。明日金曜日は光成に会える至福の時間だ。一週間ダルい学校に通った甲斐がある。プリントも完璧に仕上げて褒めてもらいたい。
(やっぱ、みっちゃん、向いてると思うんだけどなあ、教師)
 でも、本人は医師にならなければならないと思い込んでいるみたいだ。本人の希望ならまだしも、親の厳しい言いつけだというのだから、聞いているこちらとしてはついもどかしくなるも、出しゃばったことは言えずにいた。
 お手製のプリントを見るたびにいつも思う。例題の順番や構成から、解く人間に伝えたい意図とポイントがしっかり伝わってくる。時間をかけて丁寧に作ってくれたのものだと、少ない文字からでも伝わってくる。無料で無理やり家庭教師をやらされているのだから、教科書のコピーでもとって解かせればいいのに、そんなことはしない光成のことが好きだ、とこんな他愛もない瞬間にも感じる。
光成に出会ってから、生活態度も百八十度変わった。先月までは明け方までオンラインゲームに明け暮れ、単位の出欠要件ギリギリを攻め、放課後は同じグループの友達か適当な女の子と暇をつぶす日々だった。ここ最近はちゃんと毎日一限からちゃんと登校するようになってきて、先生達にも驚かれている。光成の手前、怠惰な自分でいることは許せなかった。
ハニが漫画を読む手を止めてプリントを覗き込む。
「ふーん、お前がちゃんと宿題やってるなんてきもすぎ」
「なあそれ褒めてんの?」
 こちらの質問を無視し、プリントを覗き込んだハニが目を細める。すぐにつまらなさそうに手元の漫画本に視線を戻す。
「それに、ずいぶんと簡単そうだけど」
「簡単か難しいかとか関係ないんだよ。みっちゃんが作ってくれたことに意味があんの」
「へえ。首席が言うと説得力が違うな」
 ハニは言って欠伸をした。
「なんか変わったな、はる。みっちゃんとやらとつるむようになってから。急に生命力満々で逆に怖いわ」
「興味あんの?」
「なにに?」
「みっちゃんに」
「はあ? あるわけないじゃん。『うちマニ』の新刊読むので忙しいんだよこっちは」
 漫画から一瞬目を上げたハニが胡乱げに睨んでくる。ハニには暇さえあれば散々光成の話をしているから、いい加減疎んじられ始めている。
 スマホをちらっと見ると、「これから塾だよ」と光成から簡単なメッセージが入っていた。「頑張ってね」という応援と、ポップな猫のスタンプを添える。既読はつかないから今頃もう塾だろう。
「まあ、目の前でニヤニヤニヤニヤニヤされたらそりゃこっちも気にならざるを得ないよね」
 そんなつもりはなかったので、急にそんなことを言われて面食らう。口角に両手の指をそえて、あえて下に落としてみる。
「俺、ニヤニヤしてる?」
「気づいてないの? きも」
「学校では普通にしているつもりだったんだけど」
「へ~。全然なってないよ」
 確かに、気付いたら休憩時間の一分の間でも光成を思い出しては口角がゆるんでいる自分がいる。
「みっちゃん、この前もね、『可愛いよ』って言ったら顔真っ赤にして恥ずかしがってて、それがますます可愛いの。そのまま抱きしめてもっと可愛いよって言いたくなったの我慢した」
「お前、言ってることくそきもいエロ親父と変わんねーぞ」
「うるせー」
「どうせ今まで付き合ったことないタイプのウブな黒髪眼鏡が珍しくてほだされてるだけなんじゃねーの?」
「……違うし」
 それは絶対にない。そもそも男とは付き合ったことない。同じクラスには、光成に風貌も似た黒髪眼鏡の地味めな男子もたくさんいるが、彼らに光成と同じ尺度で、方向で、気持ちを向けたくなることなどないのだ。
(俺、男もいけたのかな)
 気持ちの唐突さに驚きながらも、もうそれは光成に対するいまの気持ちを考えたら、小さすぎる疑問だった。
(でも、あっちは違うかもしれないし)
 ワックのJK店員の振りをしてLINEをしてたとき、光成は明らかに喜んでいた。きっと、あの可愛い店員さんのことを想像して嬉しがっていたのだろう。ならば、普通に女性が好きと考えるのが自然だ。それなら、今の気持ちのいきつく先は一つしかない。
でも、考えると憂鬱になるのでやめようと思うのに、不安は常に身体の中の不安を吸ってさらに膨らんでいってしまう。
「相談なんだけど」
「なに」
「みっちゃんが女の子が好きだったらどうしよう」
「ていうか、そうなんじゃね、普通は」
 それを言われてしまうと、もう何もできなくて絶望的になる。
「……付き合えたり、しないかな……」
 ハニは漫画をめくる手をとめ、こちらをぐるりと睥睨して「はあ?」とすごみをみせてくる。
「両手に収まらない元カノ達に聞けば。『どうして君は俺と付き合ってくれたの? やっぱり顔と学歴? それで俺はどう振舞ったら俺を振らないでいてくれたの?』って」
「……嫌だ」
「ま、奢ってくれたらみっちゃん攻略の傾向と対策を考えてやってもいいけど。あと期末の生物のシケタイペーパー作って」
「この前もワック奢っただろ」
「足りない、あー、腹減ったなー。あー、今回の物理の試験難しそうだから嫌だなー、ああー、俺文系で物理苦手だから、効率的に山場がまとまってあるペーパーがほしいなー」
「……来週末までに作る」
 ハニは満足気に頷くと「最初からそう言えばいいんだよ」と笑んだ。相談相手がハニしかいないから、最近は弱みを握られなにかと要求をのまされている。でも、自分のなかだけじゃ恋の不安も孤独ももてあましてしまうからそれでもよかった。
 最初は完全に暇つぶしの遊びだった。
 ワックで初めて光成を見たときは驚いた。あの地味でガリ勉っぽい黒髪の眼鏡男子が、急に店員をナンパし始めたからだ。あの動揺具合をみるにどうせ友達間の罰ゲームかなにかだろうかとは思ったが、そこから妙にどうも気になってしまった。トレイを受け取る瞬間、こっそり書いた自分の連絡先のメモを、隣の光成のトレイに隠した。その後、光成にナンパされていた店員に交渉して、光成の連絡先のメモをもらった。食事中も様子を観察していた。
 そうしたら、トイレで出くわした。そこで再び驚かされた。トイレでトイレットペーパーを交換しようとしている姿をみて、驚愕してしまった。あんなにも他人思いで一生懸命な人間を見たことがなかった。
「ていうか、どうすんの?」
 ハニは声色を低くして呟いた。
「いつまで黙っておくつもり? その『みっちゃん』とやらに」
 光成との夢の時間で忘れかけていた現実を突き付けられ、一気に気分が下がる。
「……嘘がバレて、みっちゃんに嫌われるのが怖い」
「嘘ついた方が悪いんだろ、バーカ」
 ハニは漫画に視線を落としながら舌を出す。「自業自得だ」と表情が語っている。もう反論のはの字もできない正論に、ショックを通り越して悶絶しそうになるのを、まだ教室に居残っている同級生達の目を気にしてどうにか我慢する。自分が悪い。分かってはいるのだけれど。
「……嫌われたくない」
 呟いた声は、自分でもびっくりするほど生気がないうえに、不安で小刻みに震えていた。
 恋愛は統計の平均値を底上げするくらいには経験したけれど、たぶんお遊びというか恋愛ゲームをプレイしているのと大して変わらなかったんだと今になって思う。「嫌われたくない」なんて切実に願いながら、光成は優しいから嫌わないでいてくれるかもしれない、と心のどこかで裏切りを正当化している自分にも腹が立つ。
「ていうかさ、『みっちゃん』のどこがいいの? ただのガリモサじゃん」
 「ガリモサ」という言葉が聞き捨てならず目尻がぴくりと反応するが、ハニは口が悪いだけでおそらく本意はないので、怒りをおさめる。
「あんな優しい子、いないから」
今まで、女の子に告白されたら、そのときフリーならそのまま断らず付き合った。暇だったから。恋愛は半分暇つぶしだった。
デートの調整をしたり、メッセージを送ること自体は苦じゃなかった。別に暴力とか浮気とか遅刻とかそんなことをしたことはないけれど、言いたいことはハッキリ言った。『合わないものは合わないよね』って、割り切れた。その結果、半年も経てばどんどん彼女達とみている景色は二人の間でズレていったようで、彼女達は離れていった。別れてから数日は寂寞感がなかったわけではないけれど、それはすぐに収まった。久しぶりに街を訪れたら、昔あった店の看板が変わっていた、ちょっと寂しいけど数日後には忘れている、それくらいの話だ。
なのに、今は違う。
 嫌われるのが怖い、会えない時間が長い、会えなくなるのが怖い、離れている間に光成が他の人間に惹かれるかもしれないのが怖い。ワックの店員に成りすましていた頃のLINEでの浮かれ具合を見るに、光成は女の子が好きなんだろう、でもそれを面と向かって確認するのが怖い。いずれ自分の嘘で幻滅されて、離れられるのが怖い。恋をしている時間は、幸せよりも怖くて苦しい時間のほうが多いかもしれない。ずっと胃のあたりがもやもやしている。食欲も減って、二キロ痩せた。そうしたら昔よりもさらに街やカフェで声をかけられる機会が増えた。なのに、光成は彼女達と同じような視線でこっちを見てくれることはない。
「知らねえよ。でも、本気ならそれこそちゃんと言わないとだめなんじゃねえの」
 最初は、百日後まで言わずに黙っていようと思っていた。そして、そのまま夏にはフェードアウトすればいいと考えていた。ひと夏の暇つぶしのつもりだったから。でも、もうフェードアウトなんてできない。むしろ夏が終わってもずっと光成と付き合っていきたい。たとえ友達としてでも。なのに、そうするには取返しのつかない嘘をついてしまった。
「……今度、言う。ちゃんと」
 今度、と口の中でもう一度確認するように発音する。今度、ちゃんと光成に言わないといけない。不誠実なことをするのはもう終わらせる、そう心に決める。誠実でありたい、あらねばならないと思う。
「俺、最近わかんないだよね」
「なにが」
「みっちゃんがどうすれば幸せになれるのか、って。みっちゃんはあんなに素敵なのに、なんで自信がなさそうだから。俺はどうしたらみっちゃんの幸せを後押しできるんだろうって」
「へー、きんもー」
「みっちゃんが自己否定するたびに胸が苦しくなる。そんなこと言わないで、って毎回止めるんだけど、やっぱり止まらない。だから可愛いよ、大好きだよって伝えてるんだけど、なんかうまくいかない」
光成の前で笑っている時間さえ、心のどこかで不安が薄く影を落としている。なのに、少し会える時間がその苦しさの何倍も幸せだから、会える時間に縋っている。いつも光成の前では笑顔を崩さないようにしているけど、時折とても辛くて苦しくなる。光成はいつも他人のことを考えて優しさを振りまいているのに、光成は光成自身を愛していない。会うたびに好きな光成を目の前で傷つけられているようで、本当は目をそむけたくなるくらい心が痛む。
「だから、あんな嘘ついたこと後悔してる。時間最初から戻してやり直したい」
 後悔のあまり突っ伏して腕の間に顔を埋める。机の表面はひんやり冷たくて、机にまで「バーカ」と突き放されている気分になっていると、ハニが小さく鼻で嗤った。
「ま、お前にも後悔することなんてあるんだな。世界はまだまだ広かったわ」
 机に顎を乗せたまま、スマホを取り出して、S高校の名称で検索する。S高のウェブサイトの「お知らせ」欄が更新されている。文化祭は来週だ。
「今度さ、みっちゃんの学校で文化祭あるらしいんだけどさ、S高」
「着いてかないぞ?」
「……お願い」
 机に頭をこすりつける。
「はあ? なんでだよ」
「俺が一人で行ったら浮くから。タケ達も誘う」
「俺達がついていった方が浮くだろ。てか出禁になんじゃね? S高なんてお上品な学校」
 確かに、ピアスをあけた金髪やピンク髪が大挙して押し寄せてきたら、敬虔なカトリック校であるS高からは締め出されるかもしれないが。
 それでも、光成のことをもっと知りたかった。学校にいる間はずっと離れている。光成が学んでいる学校のことも、友達のことも、たくさん知りたいことがある。
「みっちゃんの前で、援護射撃して。俺のこと褒めたりしてよ」
「はあー? なんでそんなことしなきゃなんねーんだよ、小学生かよ」
「なあ、頼むって! 奢るから! 今日! これから!」
 言いざま、ハニの腕に縋ると、
「あー! わかった、わかった! わかったから離せって!」
 と堪忍したハニに乱暴に腕を振り払われる。ハニは溜息をつくと、「お前まじでキャラ変わり過ぎ、きもいよ」と舌打ちした。
(きもいくらい、分かってるって)
 きもくなりたくないのにきもくなってしまう、そんな自分が嫌でも止められないみたいだ。
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