君の「好き」を教えて。~ガリ勉とイケメン定時制ヤンキーDKの奇妙な100日間の話~

清田あお

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第五話

オープンキャンパス、一緒にいこ

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翌々日の十三時、午前中は勉強をして、前も待ち合わせたクマクロー像の前にとりあえず着いた。夏休みの日曜日だから、人で溢れている。
(暑い……)
木の葉の隙間から差し込む火のように熱い陽光に肌を焼かれ、何重にも重なる蝉の声に思わず耳をふさぎたくなる。今日は最高気温三十六度らしい。安易についてきてしまったが、そもそもどの大学のオープンキャンパスに行くのか、肝心な情報を聞いていなかった。春日が興味のある大学が近くにあるのだろうか。
「みっちゃーん、ごめん遅れて」
 一際明るい声に呼ばれる。振り返ると、真っ白な半袖のTシャツに細身のジーンズに濃紺のキャップから覗くいつものピンク色がアクセントになっている。飾り気のないシンプルな服装が、夏の陽光の中ただただ眩しい。
「じゃあ、さっそく行こ~」
 当たり前のように僕の手をひいて歩き出すので、思わず僕は足を止めて訊いた。
「オープンキャンパスって、どこ行くの?」
 春日は振り向いて、にっと笑った。
「教育大学のオープンキャンパスに行くよー」



13
 てっきり都心にある大学の医学部キャンパスに行くものだと思っていたから、教育大学のキャンパスに到着したあともしばらく実感が湧かなかった。春日はすでにウェブで二人分の入場チケットを予約してくれていて、それを無駄にするわけにもいかずまんまと連れられてきてしまった。
「すげー、広いね」
 都心から電車で約一時間、東京郊外にある教育大学のキャンパスは青青しい森に包まれている。僕も初めて訪れた。
 教育大学は、日本で唯一の教員養成専門の国立大学だ。教育学部単科で、幼稚園から各教科の高校までの教員を養成するコースがあり、多くの教員志望者が入学する。教育学部としては日本最高の教育水準を誇っている。
 校門をくぐると、学生棟外にも多くのコーナーが並び、学生が呼び込みをしている。その活気に興奮する。
「めちゃくちゃいっぱい展示あるねー。どこから回る?」
 春日がもらったリーフレットを見ながら首をひねっている。キャンパスはかなり広くて、道には自転車がたくさん停めてある。中に大量のフライヤーが挟まっていて、読むのに苦労している。
「ねえ」
「なに?」
「なんで教育大のオープンキャンパスに行くの?」
 リーフレットの束から目をあげた春日は首を傾げる。
「だって、みっちゃん、先生に興味あるんでしょ?」
「へ?」
 間抜けな声が漏れた。
「いや、僕は別に」
「えー? そう?」
 春日はとぼけた声で首を左右に振っている。
「ま、とりあえず、どこ行こうか決めよ」
(すごい)
 教育学、発達支援、ICT、グローバリゼーション――教育研究の最先端の英知がここには集まっている。各教室では、ゼミの活動報告だけでなく、タブレット教材の企業や教育関連のICT企業まで多種多彩なブースが出展されている。リーフレットの中から、『数学科 模擬授業 D-105教室』というフライヤーを見つけた。
「これ、これ行ってみたいな……」
 最先端の研究の場で、どんな授業が行われているか、興味が惹かれた。
 D―105教室は、何百人もの聴衆でほぼ満員だった。模擬授業を行うゼミの教授も実績のある人らしい。
 授業が始まると、とにもかくにも圧巻だった。導入の掴みも興味を引く入りだった。最新のデジタル機器を使い、2D3Dで二次関数グラフの描画がされている。S高の授業は全て黒板とノートのアナログで冗長に展開されるから、その趣向の凝らされた濃密な三十分は瞬く間に過ぎていった。
(すごい……、すごい、すごい!)
 こんなに時間は過ぎるのが早いなんて知らなかった。
「どうしたの?」
「いや、あまりにもすごすぎて、その……感動して……」
 圧倒されて、まるで運動したあとみたいに息が絶え絶えになる。人は感動すると、息を継げなくなってしまうらしい。その様子を見ていた春日が、にやりと笑った。
「じゃあさ、行こうよ」
「え?」
 すると突然、春日が僕の手を引いて、大教室の階段を教壇のほうへ下っていく。訳もわからないままついていくと、春日が教壇に向かって「すみません」と言った。もうほぼ聴衆たちは退室していたが、何人か残っていた人達がこちらを振り向く。
「あ、あ、あの」
「どうされましたか?」
 模擬授業を終えた教授が尋ねてくる。周囲にいたサポートの学生達が、微笑みを湛えながらも怪訝そうにこちらを見ている。人見知りだから、こういうことをするのは大の苦手なのだ。あのワックでナンパしたときの緊張を身体が思い出して、嫌な汗が噴き出る。
(う、うう……)
 頭のなかでは言いたい言葉が興奮に彩られていくつも溢れてくるのに、たくさんの女性達を前にするとうまく口にできない。高三にもなって情けなくて涙が出てきそうになる。
「そ、その、えーと」
言葉に詰まっていると、ぽん、と僕の肩に春日が手を置いた。そのまま、すっと一度だけ肩を下に撫でてくれる。
(あ……)
温かくて大きな手のぬくもりが伝わってきて、緊張していた身体がすっと楽になった。
「なんかー。俺、勉強まじで苦手なんすけど、さっきの授業すごい楽しかったす、分かりやすくて。ね?」
 と言って、春日が首をこちらにむけて傾げる。こっちに話を振ってくれているようだ。僕はその勢いに乗って、想いの丈をぶちまけた。
「あ、そう、そうです! え、えっと……、えっと、すごい、工夫が凝らされてて、勉強になりました。すごい楽しかったです……。特に、後半、座標軸移動をアニメーションにしていたところとか、特に素晴らしくて……その……」
 興奮してはやる気持ちと裏腹に言葉がうまく乗ってこなくて、もどかしさが募る。
「僕、分からないことが分かるようになったり、知りたいことができたときってすごく楽しくて嬉しい瞬間だと思うんです。それを多くの人に知ってもらえたらなあ、と、その……思って……ます……今日の授業はすごい、嬉しい瞬間が色々な場面で散りばめられてて……すごい勉強になりました、ありがとうございました!」
 春日が分からない問題を解けるようになったとき、その笑顔が眩しかった。自分のことのように嬉しかった。
 手を両手で握られ、ぶんぶんと上下に振られた。
「君みたいな志高い子、すばらしい! しかも教育業界、人手不足だからさ! 若い子大歓迎だよ!」
「教授~!」
 周囲の女子学生達がけらけら笑う。
「君、高三? 受験生?」
「あ、はい、そうです」
「教育学部志望? うち受けるの?」
「あっ、その」
 言葉に詰まる。
「受けたいなとは、思っているんですけど……」
 瞬間的に脳裏に母の顔が過って、どうしてもそれ以上言えなかった。しかも、こんなによくしてくれる人々の手前、もし入試を受けないなんてことになったら申し訳なさが過ぎて。
教授は浮かない表情をしている僕に気を使ったのか、「いつでも大歓迎だからね」「もし受かったらうちのゼミに来てね」と歓迎してくれた。
その後、女子学生達と教授は教育大受験に役立つ参考書などを教えてくれて、そのまま僕達は教室を出た。そのまま、広場のベンチに座ると、疲労感がどっと押し寄せてきた。
「ありがとう、春日」
「んーなにが?」
「さっき、背中をおしてくれて」
「全然、全然」
 春日は本当に気にも留めていないようで軽く笑っている。でもあれはわざとやったことだろう、と分かる。その優しさが嬉しかった。僕は他人に対してこんなにも思いやりが持てない気がする。
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