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第五話
僕の夢と君といる未来
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「僕なんか、教師になれるのかなあ……」
だって、こんなに人に話しかけたりするのも一苦労なくらい上がり症で引っ込み思案なのに、数十人を前に講義なんてできない気がする。膨らみかけていた希望が萎んで、代わりに不安が風船のように膨らんでいく。そもそも医学部を受けないなんて母親に言ったら説教どころか本当に顔面を殴られそうだ。
「だいじょぶっしょ」
「……そうかな」
「だって、みっちゃんは俺にとって最高の先生だもん」
春日はいつでも気が良くて楽天的だ。
「……違うよ」
春日は力強く言い切って、続けた。
「俺は、みっちゃんが俺のカリキュラムを真剣に考えてくれたことがすごく嬉しかった。俺のことを思ってくれた気持ちが嬉しくて、俺もちゃんと勉強しようと思えた。だから、みっちゃんはずっと俺にとって最高の先生だよ」
食べ物を売っている模擬店が並んでいた。終わりの時間が近づいているからか、けっこう空いている。
「あ、クレープだ」
春日はクレープにめざといようだ。
「食べる?」
「うん」
並ぶと、すぐにバナナクレープがでてきた。
「一口もらっていい?」
「あ、うん、いいよ」
そう言って、春日にクレープを差し出す。春日は僕よりはるかに背が高いから、頑張って腕を伸ばしたけど顎くらいの位置になってしまった。
腰をかがめ、クレープを支える僕の左手の甲に、そっと春日が右手を添える。案外節くれだった、男らしい手だ。長いまつ毛を伏せて、形の良いピンクの唇が薄い黄色いクレープの膜を食んで、白いクリームをついばんで、なめとる。ただでだえ血色の良い唇が、さらに艶をまとって僕の目に飛び込んでくる。
その動きがスローモーションのように流れるのを、微動だにせず眺めるしかできなかった。
「ありがと、おいしい」
僕の手首を持ったまま、目線だけこちらに向けて微笑む。
まるで、キスしているみたいだった。僕の知らない、男の顔だった。
(こんな風にキスするのかな、春日は)
心臓がいつもの三倍くらい膨らんでいて、息が苦しい。なんでこんなくだらないことを何度も考えちゃうんだろう。
「どしたの?」
「あっ、ごめん、な、なんでもない」
鳴りやまない心臓の早鐘を悟られないように、僕は春日が噛んだクレープをかじって誤魔化す。
(間接キス……)
そのまま歩いていると、校門前のウッドデッキに着いた。「座ってちょっと休憩しようよ」と言われたのでその通りにする。
「はい」
座って待っていると、春日が渡してくれたのは、自販機で買ったら式お茶のペットボトルだった。春日はレモンスカッシュ。甘いクレープにお茶はちょうどいい。
「ありがとう」
木の広いウッドデッキの階段に腰かけ、ふたりでスカッシュのプルタブをあける。ぷしゅ、とビールみたいな気の抜けた音がする。横で春日がごくごくと喉を鳴らし、飲み干して「うめー」としみじみ言った。
「あー! 早く大人になりてえ!」
春日が突然、琥珀色に暮れかかった夕空に思い切り叫んだ。近くにいた何人かの通行客がびっくりしたようだったが、可愛い高校生の戯言だと思ったのか、ちょっと笑いながら気にも留めず去っていく。
「大人になったら、人の役に立つ仕事して、いっぱい金稼ぎたい」
単純かつ生々しい願望に思わず吹き出してしまった。「笑わないでよー」と春日もけたけた笑う。
「それで、稼いだお金で、みっちゃんと色々なところに遊びに行く。海とか山とか温泉とか海外とか」
大人になったら?――そんなこと、一回も考えたことなかった。医学部に入って、頑張って勉強して、医者になってどこかの病院に就職する――。それしか考えたことがなかったから。
(大人になったら……)
春日と、色々なところに行けたら楽しいだろうな。海とか山とか温泉とか海外とか。あとお花見とか、花火とか、釣りとか、映画も観たいし、ゲームもしたいし、そうだ、またプラネタリウムにも行きたい。きっと春日となら、どこに行っても、なにをしても楽しくて、どきどきして、ずっと笑いがとまらない気がする。今日みたいに。
でも大人になるってことは、新しい場所で今まで出会っていない人に出会って、友達になったり恋をしたりするということだ。それこそいつかは結婚とかもする。春日なら女の子選び放題だから、すぐそのいつかは、思ったよりもすぐ来ちゃいそうだ。しかもヤンキーは早婚傾向だっていうし。そのとき僕はどんなことを思うんだろう。その頃には、僕とのこの時間なんて忘れてしまっているかな。
(なんか、変だ、僕)
鎖骨のあたりにもわもわした塊が現れて、膨らんでいく。鎖骨が押されて苦しくなって、思わず指の爪を噛んで誤魔化そうとするけどうまくいかない。「むまむま」って、こんな感じなのかな。胸がむまむまする。伸ばしたいのに伸びきれないゴムみたい硬くて気持ち悪い違和感だ。
「一口ちょうだい」
「? いいよ」
春日のレモンスカッシュを半ば強奪するようにして一口含む。間接キス二回目。でもモテる春日には、たかが間接キスでこんなになってる僕の気持ちなんて分かんないんだろうな。
レモンスカッシュを飲み込むと炭酸はもう抜けて、酸味の抜けたシロップの味が口の中に広がった。
だって、こんなに人に話しかけたりするのも一苦労なくらい上がり症で引っ込み思案なのに、数十人を前に講義なんてできない気がする。膨らみかけていた希望が萎んで、代わりに不安が風船のように膨らんでいく。そもそも医学部を受けないなんて母親に言ったら説教どころか本当に顔面を殴られそうだ。
「だいじょぶっしょ」
「……そうかな」
「だって、みっちゃんは俺にとって最高の先生だもん」
春日はいつでも気が良くて楽天的だ。
「……違うよ」
春日は力強く言い切って、続けた。
「俺は、みっちゃんが俺のカリキュラムを真剣に考えてくれたことがすごく嬉しかった。俺のことを思ってくれた気持ちが嬉しくて、俺もちゃんと勉強しようと思えた。だから、みっちゃんはずっと俺にとって最高の先生だよ」
食べ物を売っている模擬店が並んでいた。終わりの時間が近づいているからか、けっこう空いている。
「あ、クレープだ」
春日はクレープにめざといようだ。
「食べる?」
「うん」
並ぶと、すぐにバナナクレープがでてきた。
「一口もらっていい?」
「あ、うん、いいよ」
そう言って、春日にクレープを差し出す。春日は僕よりはるかに背が高いから、頑張って腕を伸ばしたけど顎くらいの位置になってしまった。
腰をかがめ、クレープを支える僕の左手の甲に、そっと春日が右手を添える。案外節くれだった、男らしい手だ。長いまつ毛を伏せて、形の良いピンクの唇が薄い黄色いクレープの膜を食んで、白いクリームをついばんで、なめとる。ただでだえ血色の良い唇が、さらに艶をまとって僕の目に飛び込んでくる。
その動きがスローモーションのように流れるのを、微動だにせず眺めるしかできなかった。
「ありがと、おいしい」
僕の手首を持ったまま、目線だけこちらに向けて微笑む。
まるで、キスしているみたいだった。僕の知らない、男の顔だった。
(こんな風にキスするのかな、春日は)
心臓がいつもの三倍くらい膨らんでいて、息が苦しい。なんでこんなくだらないことを何度も考えちゃうんだろう。
「どしたの?」
「あっ、ごめん、な、なんでもない」
鳴りやまない心臓の早鐘を悟られないように、僕は春日が噛んだクレープをかじって誤魔化す。
(間接キス……)
そのまま歩いていると、校門前のウッドデッキに着いた。「座ってちょっと休憩しようよ」と言われたのでその通りにする。
「はい」
座って待っていると、春日が渡してくれたのは、自販機で買ったら式お茶のペットボトルだった。春日はレモンスカッシュ。甘いクレープにお茶はちょうどいい。
「ありがとう」
木の広いウッドデッキの階段に腰かけ、ふたりでスカッシュのプルタブをあける。ぷしゅ、とビールみたいな気の抜けた音がする。横で春日がごくごくと喉を鳴らし、飲み干して「うめー」としみじみ言った。
「あー! 早く大人になりてえ!」
春日が突然、琥珀色に暮れかかった夕空に思い切り叫んだ。近くにいた何人かの通行客がびっくりしたようだったが、可愛い高校生の戯言だと思ったのか、ちょっと笑いながら気にも留めず去っていく。
「大人になったら、人の役に立つ仕事して、いっぱい金稼ぎたい」
単純かつ生々しい願望に思わず吹き出してしまった。「笑わないでよー」と春日もけたけた笑う。
「それで、稼いだお金で、みっちゃんと色々なところに遊びに行く。海とか山とか温泉とか海外とか」
大人になったら?――そんなこと、一回も考えたことなかった。医学部に入って、頑張って勉強して、医者になってどこかの病院に就職する――。それしか考えたことがなかったから。
(大人になったら……)
春日と、色々なところに行けたら楽しいだろうな。海とか山とか温泉とか海外とか。あとお花見とか、花火とか、釣りとか、映画も観たいし、ゲームもしたいし、そうだ、またプラネタリウムにも行きたい。きっと春日となら、どこに行っても、なにをしても楽しくて、どきどきして、ずっと笑いがとまらない気がする。今日みたいに。
でも大人になるってことは、新しい場所で今まで出会っていない人に出会って、友達になったり恋をしたりするということだ。それこそいつかは結婚とかもする。春日なら女の子選び放題だから、すぐそのいつかは、思ったよりもすぐ来ちゃいそうだ。しかもヤンキーは早婚傾向だっていうし。そのとき僕はどんなことを思うんだろう。その頃には、僕とのこの時間なんて忘れてしまっているかな。
(なんか、変だ、僕)
鎖骨のあたりにもわもわした塊が現れて、膨らんでいく。鎖骨が押されて苦しくなって、思わず指の爪を噛んで誤魔化そうとするけどうまくいかない。「むまむま」って、こんな感じなのかな。胸がむまむまする。伸ばしたいのに伸びきれないゴムみたい硬くて気持ち悪い違和感だ。
「一口ちょうだい」
「? いいよ」
春日のレモンスカッシュを半ば強奪するようにして一口含む。間接キス二回目。でもモテる春日には、たかが間接キスでこんなになってる僕の気持ちなんて分かんないんだろうな。
レモンスカッシュを飲み込むと炭酸はもう抜けて、酸味の抜けたシロップの味が口の中に広がった。
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