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第六話
ごめんなさい、みっちゃん
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店内に入りたくなくて、カフェが入っている雑居ビルの入口で春日を待った。数分すると、駅の方向から息を切らして必死で春日が走ってきた。僕の前で、ぜえぜえと肩で息をなだめている。
「ごめん、はあ、遅れて」
「うん、全然」
そんなことは、もう全然どうでもいい。
「……これ、忘れ物。友達たちが持ってきてくれてたよ」
うまく出ない声を絞り出しながら、パスケースを差し出す。ありがとう、と礼を言って受け取ると、春日はおずおずと続けた。
「……見た? 中身」
ものすごく気まずそうな顔で。春日の顔をまともに見られなくて、俯いて何も言えないでいると、先に口火を切ったのは春日だった。
「ごめん、黙ってて」
きっぱりとした鋭く潔い声色だった。そのまま、春日は、頭を下げた。花火大会のあと、母親に見せたのと同じ姿勢だ。ちょっと地毛が生えてきて黒くなったつむじを見つめるしかできない。
「ずっと言おうと思ってた。結果的に、みっちゃんにずっと嘘ついてた。ごめんなさい」
きっとあの夏祭りの夜、春日はこのことを正直に告白して、謝ろうとしてたんだ。
喉仏が痛くて、うまく声が出せない。罵倒、怒り、悲しみ、色々な言葉が喉元でつっかえては声にならないまま、身体の中にもう一度落ちて戻っていく。まだ春日は頭を下げ続けている。
「なんでこんなことしたの」
怒りも悲しみもなるべく声に込めないようにしたけど、無理だった。春日のつむじのあたりに僕の冷たい問いはむなしく落ちて行く。春日はまだ頭を下げ続けている。
「……俺がK高だって知ったら、みっちゃんは相手してくれないと思った」
「……ッ」
はっきりと言い切られて、怒りに似た感情が頭を打つ。悔しいけれど、多分春日の予想はきっと正しい。僕が入りたくても入れなかった憧れのK高。母親をおかしくしたK高。しかも首席の春日。ちゃらくて、ゲームとバイトばっかりして僕の半分の時間も勉強してないのに。顔も良くて女の子にもモテモテで。勉強なんてしなくても全部覚えてしまう、いわゆる生まれつきの天才なんだろう。なんでも持っている春日、なんにも持ってない僕。僕となんて釣り合わない。もし春日がK高だなんて知ったら、多分メッセンジャーもブロックして縁を切っていた。自身の嫉妬がきっとそうさせた。
「最低、最低だよ、はる」
勉強できないのも、「解けた」って笑ってくれたのも、全部嘘だった。
僕は何がこんなにも悲しくて涙が出るんだろう。
勉強できないヤンキーを装って、僕を騙していたこと?
ずっと嘘をつかれていたこと?
違う。
「解けたよ」って、解けない問題が解けたときの春日の笑顔が嘘だったことが悲しい。
「ごめんなさい、みっちゃん」
心臓のあたりに、小さな嵐が巻き起こったみたいだ。ずっとぐるぐると問いが巻きあがっておさまらない。
そのごめんなさいの次には、どんな言葉が続くの?
もうしない?
春日は僕が嫌がったことをしたわけでも、約束破ったわけでもない。ただ、学校を誤魔化していただけ、たったそれだけ。
だって、そもそも、別に付き合ってないし。そもそも友達だった? 友達でもなかったかもしれない。僕だけが勝手に舞い上がっていただけだ。僕を傷つけたくない嘘だったとして、嘘をつき続けられるくらいの間柄だったのかな。
「みっちゃんと一緒にいれることが……っ、あまりに、すっごく……すげえ、楽しくて、嬉しくて、この関係を壊したくなかったっ……。最初はっ、二~三回レッスンでみっちゃん騙して遊んで……、適当にメッセンジャーブロックしてっ……消えるつもりだった……のに、気付いたらっ、ず……ずっと、次も、その次も会いたくなってた……! 終わらせたくなかった、だから、言えなかった……ごめん、ごめん、ごめんなさい……っ」
春日は、涙をこらえ、俯いて言葉をなんとか紡ごうとする。でもすぐにこらえきれなかった春日の涙が、ぽとぽととアスファルトに降って落ちる。だんだんと声をあげて泣きじゃくり始めた。
もう、自分が悲しいのか、嗚咽をあげる春日をみて胸が痛くなってるのか、もうわからない。
「……僕の時間、返して」
本当はこんなこと言いたいんじゃない。
「解けたよ!」って笑ってくれた春日の笑顔。「みっちゃんは最高の先生だよ」と言ってくれたことも。さみしいときに傍にいてくれたことも、緊張した背中を押してくれたことも、こんなことじゃ本当は嫌いになれない。あの時間を返してもらわなくてもいい。
「ごめん、ごめんなさい、みっちゃん――」
いつも飄々と笑ってくれていた春日が、泣き止まない。
プラネタリウムの星。
苺クレープの甘い味。唇についたクリームの柔らかい感触。
夏祭りの出囃子の音頭。
打ち上げられた花火の音、夏の雑草の匂い。
だって、春日と過ごした全部の一秒が、僕にとって消えない最初で最後の思い出で。この嘘のせいでくすんだとしても、ずっと消えてはくれない。
春日の足元で、アスファルトにぽつぽつと水滴を落としたような染みができる。頭を下げたまま、太腿の横で握りしめた拳が小刻みに震えている。
「……っ」
空を見上げる。青空に黒の絵具を混ぜてぐちゃぐちゃにしたみたいな、鼠色の汚い空だったけど、見上げないと涙がただ零れそうだから、ずっと見ていた。こんなにみじめで情けない自分を突き付けられるのが苦しい。
そのまま春日を目に入れないようにして、僕は駅まで走った。後ろをみても、春日は折ってこなかった。
「ごめん、はあ、遅れて」
「うん、全然」
そんなことは、もう全然どうでもいい。
「……これ、忘れ物。友達たちが持ってきてくれてたよ」
うまく出ない声を絞り出しながら、パスケースを差し出す。ありがとう、と礼を言って受け取ると、春日はおずおずと続けた。
「……見た? 中身」
ものすごく気まずそうな顔で。春日の顔をまともに見られなくて、俯いて何も言えないでいると、先に口火を切ったのは春日だった。
「ごめん、黙ってて」
きっぱりとした鋭く潔い声色だった。そのまま、春日は、頭を下げた。花火大会のあと、母親に見せたのと同じ姿勢だ。ちょっと地毛が生えてきて黒くなったつむじを見つめるしかできない。
「ずっと言おうと思ってた。結果的に、みっちゃんにずっと嘘ついてた。ごめんなさい」
きっとあの夏祭りの夜、春日はこのことを正直に告白して、謝ろうとしてたんだ。
喉仏が痛くて、うまく声が出せない。罵倒、怒り、悲しみ、色々な言葉が喉元でつっかえては声にならないまま、身体の中にもう一度落ちて戻っていく。まだ春日は頭を下げ続けている。
「なんでこんなことしたの」
怒りも悲しみもなるべく声に込めないようにしたけど、無理だった。春日のつむじのあたりに僕の冷たい問いはむなしく落ちて行く。春日はまだ頭を下げ続けている。
「……俺がK高だって知ったら、みっちゃんは相手してくれないと思った」
「……ッ」
はっきりと言い切られて、怒りに似た感情が頭を打つ。悔しいけれど、多分春日の予想はきっと正しい。僕が入りたくても入れなかった憧れのK高。母親をおかしくしたK高。しかも首席の春日。ちゃらくて、ゲームとバイトばっかりして僕の半分の時間も勉強してないのに。顔も良くて女の子にもモテモテで。勉強なんてしなくても全部覚えてしまう、いわゆる生まれつきの天才なんだろう。なんでも持っている春日、なんにも持ってない僕。僕となんて釣り合わない。もし春日がK高だなんて知ったら、多分メッセンジャーもブロックして縁を切っていた。自身の嫉妬がきっとそうさせた。
「最低、最低だよ、はる」
勉強できないのも、「解けた」って笑ってくれたのも、全部嘘だった。
僕は何がこんなにも悲しくて涙が出るんだろう。
勉強できないヤンキーを装って、僕を騙していたこと?
ずっと嘘をつかれていたこと?
違う。
「解けたよ」って、解けない問題が解けたときの春日の笑顔が嘘だったことが悲しい。
「ごめんなさい、みっちゃん」
心臓のあたりに、小さな嵐が巻き起こったみたいだ。ずっとぐるぐると問いが巻きあがっておさまらない。
そのごめんなさいの次には、どんな言葉が続くの?
もうしない?
春日は僕が嫌がったことをしたわけでも、約束破ったわけでもない。ただ、学校を誤魔化していただけ、たったそれだけ。
だって、そもそも、別に付き合ってないし。そもそも友達だった? 友達でもなかったかもしれない。僕だけが勝手に舞い上がっていただけだ。僕を傷つけたくない嘘だったとして、嘘をつき続けられるくらいの間柄だったのかな。
「みっちゃんと一緒にいれることが……っ、あまりに、すっごく……すげえ、楽しくて、嬉しくて、この関係を壊したくなかったっ……。最初はっ、二~三回レッスンでみっちゃん騙して遊んで……、適当にメッセンジャーブロックしてっ……消えるつもりだった……のに、気付いたらっ、ず……ずっと、次も、その次も会いたくなってた……! 終わらせたくなかった、だから、言えなかった……ごめん、ごめん、ごめんなさい……っ」
春日は、涙をこらえ、俯いて言葉をなんとか紡ごうとする。でもすぐにこらえきれなかった春日の涙が、ぽとぽととアスファルトに降って落ちる。だんだんと声をあげて泣きじゃくり始めた。
もう、自分が悲しいのか、嗚咽をあげる春日をみて胸が痛くなってるのか、もうわからない。
「……僕の時間、返して」
本当はこんなこと言いたいんじゃない。
「解けたよ!」って笑ってくれた春日の笑顔。「みっちゃんは最高の先生だよ」と言ってくれたことも。さみしいときに傍にいてくれたことも、緊張した背中を押してくれたことも、こんなことじゃ本当は嫌いになれない。あの時間を返してもらわなくてもいい。
「ごめん、ごめんなさい、みっちゃん――」
いつも飄々と笑ってくれていた春日が、泣き止まない。
プラネタリウムの星。
苺クレープの甘い味。唇についたクリームの柔らかい感触。
夏祭りの出囃子の音頭。
打ち上げられた花火の音、夏の雑草の匂い。
だって、春日と過ごした全部の一秒が、僕にとって消えない最初で最後の思い出で。この嘘のせいでくすんだとしても、ずっと消えてはくれない。
春日の足元で、アスファルトにぽつぽつと水滴を落としたような染みができる。頭を下げたまま、太腿の横で握りしめた拳が小刻みに震えている。
「……っ」
空を見上げる。青空に黒の絵具を混ぜてぐちゃぐちゃにしたみたいな、鼠色の汚い空だったけど、見上げないと涙がただ零れそうだから、ずっと見ていた。こんなにみじめで情けない自分を突き付けられるのが苦しい。
そのまま春日を目に入れないようにして、僕は駅まで走った。後ろをみても、春日は折ってこなかった。
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