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第七話
お前のことが好き
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「……なあみつ、元気出せよ」
「……」
「……まあ、こんなこと言っても、無理だよな」
誰もいなくなった放課後の教室。今日は登校日ではないが図書館で勉強しにきて、昼ごはんの弁当を大夢と食べていた。自室にいるとどうしても春日とのことを思い出してしまうから、大夢を無理やり連れだして登校した。大夢は夏休みで部活を引退した。最後は、自己最高の都大会ベスト四までいった。僕の知らないところで、大夢の高校最後の夏も終わっていた。
窓際の机に突っ伏している僕の対面で、こっちを向いている大夢が溜息を吐いた。昨日の夜も泣きはらしたから、まだまぶたの辺りが熱っぽくてだるい。
今思えば、おかしいところがいくつかあった。
初めて春日と出会ったワック。僕の前であの大量の注文を一度聞いただけですぐ覚え、その場で合計額を正確に計算してぴったり現金で払っていた。
初めて二人で会ったカフェ。カフェで、カレンダーを一目みただけで百日後が八月三十一日であることを計算していた。謎の長文漢語だって、一言一句正確に覚えていた。
そんなの、知能が高くないとできない芸当だ。僕にはできない。服も髪も自由でチャラかったのも、服装自由のK高だったからだ。
推理小説の種明かしみたいに、全て辻褄が合う。――今更だけど。
そして、沈んでいた気持ちとは裏腹に、僕の成績は上がり続けていた。七月に受けた模試も返ってきたけれど、全教科十点以上上がっていて、合格判定もA判定になり、母も機嫌がすっかり直していた。春日と出かけるのを楽しみに無意識に勉強に集中していたのかもしれない。とても皮肉なことだ。
「ったく、本当に、あのクソヤンキーしばいてやりてえ」
大夢が、飲み干した牛乳パックをくしゃりと握りつぶす。
「大夢がそんな怒ることじゃないよ……。俺が勝手に勘違いして勝手に騙されてたことだから」
大夢のこういう正義感の強さが好きだ。いつも軽薄でやる気なさそうに見えて、本当は情に熱い。
でも、騙されたのは確かだけど、僕は自分の中の嫌な一面に気づいていた。
見た目がチャラくて馬鹿そうだからって、定時制高校と言われてもなんの疑問も持たなかった。ただの見た目で春日を判断していたのは、僕なんじゃないか。見た目で春日を差別していた母と大して変わらない。そのことが、より今の沈んだ気持ちを増大させている。
「……怒るだろ、すげえむかついてる」
静かな怒りを孕んだ声が、ぴんと張り詰めている。嘘をついた春日に対して、大夢が怒ってくれている。そんな大夢の気持ちが嬉しいはずなのに、沈んだ心はまったく浮上してこない。それなら、大夢には僕のためになんて怒らないでいてほしい。
「だから怒らないでいいよ……」
力なく言うと、大夢は口をつぐんだ。
大きく開けた窓で、レースのカーテンが風を巻き上げて揺れる。校庭から、部活の元気な掛け声をのせて。九月二日の空気は生ぬるくてまだ夏の余韻を残していて、もう夏が終わったなんて実感が湧かない。これから気温は下がって、季節は秋になって冬になる。夏はもうどんなに祈っても戻ってこない。
終わったんだ。十八歳の夏は終わってしまった。もうこない。春日にも会えない。
「お前が……みつが他の人間に傷つけられて。それを流せるくらい俺は大人じゃない。いや、そんなの大人じゃねえよ」
震える声が、いつも冷静な大夢らしくなくて、あまりの不自然さに僕は机に突っ伏していた顔をあげる。大夢と目が合う。顔を凝視されて、視線が強く絡んだ。
「なんで大夢がそんな怒ってんの。関係ないじゃん」
「……」
僕の指摘に大夢は目を見開くと、みるみるうちに頬が真っ赤に染まっていった。耳まで真っ赤で、こんな大夢は初めてみた。黒い瞳は泣きだす手前まで潤み、目のなかで小さな波がおこる。そのまま大夢は俯いてしまった。
「……だから……」
「ん?」
あまりに小さい声すぎて聞き返してしまう。
「みつのことが……だから」
大夢はまだもごもご言っている。
「なに、聞こえないよ」
「……っ、お前のことが、好きなんだよ!」
大夢は声を荒らげた。その声の大きさにびっくりして、内容は全く頭に入ってこない。
「……え? 好き? 何が?」
本気でわけがわからなくて問い返すと、大夢は舌打ちした。
「ったく、なんでお前はいつもそうやって肝心なとこが抜けてるんだよ……!」
大夢は耳まで真っ赤にしたまま、自分の手で顔をごしごし、頭をわしゃわしゃかき回して、睨むように縋るように僕を見た。
「……」
「……まあ、こんなこと言っても、無理だよな」
誰もいなくなった放課後の教室。今日は登校日ではないが図書館で勉強しにきて、昼ごはんの弁当を大夢と食べていた。自室にいるとどうしても春日とのことを思い出してしまうから、大夢を無理やり連れだして登校した。大夢は夏休みで部活を引退した。最後は、自己最高の都大会ベスト四までいった。僕の知らないところで、大夢の高校最後の夏も終わっていた。
窓際の机に突っ伏している僕の対面で、こっちを向いている大夢が溜息を吐いた。昨日の夜も泣きはらしたから、まだまぶたの辺りが熱っぽくてだるい。
今思えば、おかしいところがいくつかあった。
初めて春日と出会ったワック。僕の前であの大量の注文を一度聞いただけですぐ覚え、その場で合計額を正確に計算してぴったり現金で払っていた。
初めて二人で会ったカフェ。カフェで、カレンダーを一目みただけで百日後が八月三十一日であることを計算していた。謎の長文漢語だって、一言一句正確に覚えていた。
そんなの、知能が高くないとできない芸当だ。僕にはできない。服も髪も自由でチャラかったのも、服装自由のK高だったからだ。
推理小説の種明かしみたいに、全て辻褄が合う。――今更だけど。
そして、沈んでいた気持ちとは裏腹に、僕の成績は上がり続けていた。七月に受けた模試も返ってきたけれど、全教科十点以上上がっていて、合格判定もA判定になり、母も機嫌がすっかり直していた。春日と出かけるのを楽しみに無意識に勉強に集中していたのかもしれない。とても皮肉なことだ。
「ったく、本当に、あのクソヤンキーしばいてやりてえ」
大夢が、飲み干した牛乳パックをくしゃりと握りつぶす。
「大夢がそんな怒ることじゃないよ……。俺が勝手に勘違いして勝手に騙されてたことだから」
大夢のこういう正義感の強さが好きだ。いつも軽薄でやる気なさそうに見えて、本当は情に熱い。
でも、騙されたのは確かだけど、僕は自分の中の嫌な一面に気づいていた。
見た目がチャラくて馬鹿そうだからって、定時制高校と言われてもなんの疑問も持たなかった。ただの見た目で春日を判断していたのは、僕なんじゃないか。見た目で春日を差別していた母と大して変わらない。そのことが、より今の沈んだ気持ちを増大させている。
「……怒るだろ、すげえむかついてる」
静かな怒りを孕んだ声が、ぴんと張り詰めている。嘘をついた春日に対して、大夢が怒ってくれている。そんな大夢の気持ちが嬉しいはずなのに、沈んだ心はまったく浮上してこない。それなら、大夢には僕のためになんて怒らないでいてほしい。
「だから怒らないでいいよ……」
力なく言うと、大夢は口をつぐんだ。
大きく開けた窓で、レースのカーテンが風を巻き上げて揺れる。校庭から、部活の元気な掛け声をのせて。九月二日の空気は生ぬるくてまだ夏の余韻を残していて、もう夏が終わったなんて実感が湧かない。これから気温は下がって、季節は秋になって冬になる。夏はもうどんなに祈っても戻ってこない。
終わったんだ。十八歳の夏は終わってしまった。もうこない。春日にも会えない。
「お前が……みつが他の人間に傷つけられて。それを流せるくらい俺は大人じゃない。いや、そんなの大人じゃねえよ」
震える声が、いつも冷静な大夢らしくなくて、あまりの不自然さに僕は机に突っ伏していた顔をあげる。大夢と目が合う。顔を凝視されて、視線が強く絡んだ。
「なんで大夢がそんな怒ってんの。関係ないじゃん」
「……」
僕の指摘に大夢は目を見開くと、みるみるうちに頬が真っ赤に染まっていった。耳まで真っ赤で、こんな大夢は初めてみた。黒い瞳は泣きだす手前まで潤み、目のなかで小さな波がおこる。そのまま大夢は俯いてしまった。
「……だから……」
「ん?」
あまりに小さい声すぎて聞き返してしまう。
「みつのことが……だから」
大夢はまだもごもご言っている。
「なに、聞こえないよ」
「……っ、お前のことが、好きなんだよ!」
大夢は声を荒らげた。その声の大きさにびっくりして、内容は全く頭に入ってこない。
「……え? 好き? 何が?」
本気でわけがわからなくて問い返すと、大夢は舌打ちした。
「ったく、なんでお前はいつもそうやって肝心なとこが抜けてるんだよ……!」
大夢は耳まで真っ赤にしたまま、自分の手で顔をごしごし、頭をわしゃわしゃかき回して、睨むように縋るように僕を見た。
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