Tragedian ~番を失ったオメガの悲劇的な恋愛劇~

nao@そのエラー完結

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ベータの飛躍

第82幕

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 小高い山の上にある競技場は、人がごった返していた。学園の生徒たちは、お揃いの学校指定のジャージを着込んで、観覧席の前方を陣取り、中央で柔軟をしている選手たちに野太い声援を投げ掛けている。

「隼人ー! がんばれよー!」

 河島隼人は、観客席に軽く手を振った。
 競技用のランニングから伸びる腕は、無駄なく引き締まり、足の筋肉は飛躍するために鍛え抜かれて太く逞しい。

 進学校である学園は、部活動の面では強豪校というわけではない。長く続ける者であっても、二年の夏が引退試合である。
 それでも、Bクラスの学友たちは、隼人を応援するために集まった。それは、彼の輝かしい成績と、彼の人徳によるところであろう。

 隼人は観客席を見上げる。級友たちの後方まで、見渡そうとしたけれど、刺すような夏の日差しに、目が眩む。

 薫は来てくれただろうか。

 隼人は頭を軽く振った。今は、誰よりも、何よりも、高く、高く、跳ぶことだけに集中しなければならない。

 瞳を閉じて、イメージを膨らませていけば、周囲の雑音は、次第に遠ざかり、心地好い静寂に包まれる。
 地を軽く蹴って助走をつけ、右足で強く踏み込む。地面から跳ね返る力を受けて、高く、高く、飛躍する。そうして、真っ青な空を見つめながら、マットに沈んでいく。

 隼人は、自分の肉体の爪先から毛の先まで、神経を研ぎ澄ます。

 ピッ

 笛の音を合図に、隼人は瞳を開き、手を上げると、地を蹴った。



「……隼人、」

 薫は、口元を両手で抑えて、小さく息を吐いた。心臓はドクドクと激しく脈打ち、身体中に熱い血が駆け巡る。久しぶりに目の当たりにした河島隼人は、太陽の下で燦然と光輝き、空に届くほどに高く飛び立っていた。

 どうして、俺は、あんな風に、成れないのだろう。

 日陰者には、陽を浴びる隼人の勇姿が、あまりにも眩し過ぎた。薫は、隼人に対する憧れにも似た妬ましさに、胃の辺りが熱く煮えて、背中を震わせて俯いた。

「薫、具合悪くなってきたのか?」
「…………大丈夫だよ。ちょっと暑くて、」

 薫の兄は、隣で丸くなった背中を優しく擦りながら、心配そうに声をかけた。薫は、顔を上げると、力なく笑って、額にかいた汗を拭った。

 神崎兄弟は、観覧席の後方の隅で、グラウンドを見守っていた。入院中であるはずの薫が、学友たちに見つかるわけにもいかず、カーキ色の帽子を目深に被って目立たないように、じっとしていることしかできないでいる。
 
「隼人、すげー!」
「1m96cm跳んだの、ベータだと隼人だけだろ?」
「まだ余裕ありそうだよなー!」

 瞳を輝かせて、クラスメイトたちが隼人の健闘を称え合っている。そんな彼等を、薫は遠くから見つめていた。

「河島くん、あれでベータなのか。すごいなぁ」
「……うん。隼人は、ホントにスゴいんだよ」

 グラウンドを見つめたまま、響は、感心したように呟いた。薫は、自分のことのように嬉しくなって、照れ臭そうに、小さく笑う。
 薫は、胸の辺りを、ぎゅっと握り締めて、祈る。

 隼人が、もっと、高く、跳べますように。


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