81 / 168
ベータの飛躍
第81幕
しおりを挟む
薫の目の前にラーメンどんぶりが置かれた。
海苔と味玉子と厚いチャーシューがバランス良く盛り付けられ、見た目にも華やかな一杯であった。レンゲで掬った魚介豚骨スープは、どろりとして濃厚そうだったが、口に含めば思いの外、落ち着いた重厚な旨味が広がった。店主の拘りが詰まっているであろう濃厚スープに沈んでいるのは、絶妙にマッチした中華そばである。一度、すすってしまえば、もう止まらない。
薫は、額に汗を滲ませて、頬を紅く染めながら、久しく口にしたラーメンを堪能する。気温三十度を越える真夏日の中、十五分歩いて、二十分並んだ甲斐があった。
「薫、そんなに慌てなくても、」
「……だって、」
薫が美味しそうに麺をすすっている姿に、響は目を細めて笑う。武骨で狭い店内は、カウンターのみで十五席程しかなく、ぎゅうぎゅう詰めで、隣の席とやたら距離が近かった。
ラーメンはベータ性の食べ物である、という決まりはなかったが、店内はベータの男たちで占められていて、汗を流しながら暑苦しくズルズルと麺をすすっていた。
そんな中で、神崎兄弟は些か目立っていた。カウンターの中央に陣取っているのは、涼しく華やかなオーラを纏っているアルファ性の青年である。いつもであれば、気配を消してベータに紛れ込めるはずの薫も、隣から放たれるオーラに共鳴して、美しい容姿が際立っていた。けれど、そんな彼等の美貌よりも、どことなく優しく甘い雰囲気を纏う二人の姿は、どんぶりに黙々と向かい合う男たちの中では異質であった。
「おいしかったー……」
薫はスープを半分ほど飲むと、満足そうに息を吐く。唇はテカテカと油で濡れて、仄かに紅い頬にはスープが跳ねていた。
「スープついてるぞ」
響はくすりと小さく笑うと、眼前にあるティッシュを数枚取り、無防備な薫の頬に宛がった。
「…ッ………自分でするから、」
薫はビクッと肩を震わせて、慌てて響からティッシュを奪い取り、頬をごしごしと乱暴に拭う。
「ホント、薫は変わらないな、」
「…………もう、やめてよ、」
頑固そうな店主が、ゴホンッと咳払いをした。薫は、ハッとして自身が周囲の視線を集めていることに気がついた。周囲の男たちから、チラリとチラリと視線を投げかけられる。
あのアルファの連れは、オメガだろうか。
神崎薫は、ベータにしては麗しく艶やかで、アルファにしては華奢で儚げであった。黒い首輪が、自ずと希少種のオメガを連想させる。周囲から向けらる視線は、好奇と蔑みの色を含んでいて、薫はそっと顔を伏せた。
「食べ終わったのなら、席を空けてくれませんかね、」
芸術的なラーメンを造り出した店主は、鼻で笑いながら、薫の方に声をかけた。響は不快そうに眉を曇らせて、何か言おうとしたが、シャツの裾を引っ張られる。振り返ると困った顔で見上げてくる弟の瞳と目が合った。
「もう、出ようか」
「うん……」
ポンと軽く薫の頭を撫でて、響は立ち上がった。薫は、兄の背中を追って店を出ようとするが、響のどんぶりには、まだ具材が残っていることに気がついた。けれど、背後からは、チラチラと好奇の視線が刺さるようで、薫は振り返ることができない。遠くからクスクスと笑い声が聞こえてくれば、薫は、自分のことを嘲笑されているのではないかと胸の奥がざわついた。
神崎兄弟は、言葉を交わすことなく、来た道を戻っていく。どことなく不機嫌そうな響の一歩後ろを、薫は俯き加減でついて歩く。
「……兄さん、ごめん、」
「ん?」
「俺のせいで、イヤな思いさせちゃって、」
響は驚いて薫に振り返る。薫は不安げな瞳で見上げていた。
神崎響は、確かに苛立っていた。客に対する店主の傲慢な態度や、薫に向けられる周囲からの不躾な視線が、酷く不快であった。けれど、目の前の実弟は、オメガ性である自分の存在が悪いのだと思い込んでいるらしい。
神崎薫は、どうしてこんなにも不憫なのだろう。
「……薫は悪くないよ。俺は気にしてないから、」
響はふっと肩の力を抜くと、薫に優しげに微笑みかけた。
海苔と味玉子と厚いチャーシューがバランス良く盛り付けられ、見た目にも華やかな一杯であった。レンゲで掬った魚介豚骨スープは、どろりとして濃厚そうだったが、口に含めば思いの外、落ち着いた重厚な旨味が広がった。店主の拘りが詰まっているであろう濃厚スープに沈んでいるのは、絶妙にマッチした中華そばである。一度、すすってしまえば、もう止まらない。
薫は、額に汗を滲ませて、頬を紅く染めながら、久しく口にしたラーメンを堪能する。気温三十度を越える真夏日の中、十五分歩いて、二十分並んだ甲斐があった。
「薫、そんなに慌てなくても、」
「……だって、」
薫が美味しそうに麺をすすっている姿に、響は目を細めて笑う。武骨で狭い店内は、カウンターのみで十五席程しかなく、ぎゅうぎゅう詰めで、隣の席とやたら距離が近かった。
ラーメンはベータ性の食べ物である、という決まりはなかったが、店内はベータの男たちで占められていて、汗を流しながら暑苦しくズルズルと麺をすすっていた。
そんな中で、神崎兄弟は些か目立っていた。カウンターの中央に陣取っているのは、涼しく華やかなオーラを纏っているアルファ性の青年である。いつもであれば、気配を消してベータに紛れ込めるはずの薫も、隣から放たれるオーラに共鳴して、美しい容姿が際立っていた。けれど、そんな彼等の美貌よりも、どことなく優しく甘い雰囲気を纏う二人の姿は、どんぶりに黙々と向かい合う男たちの中では異質であった。
「おいしかったー……」
薫はスープを半分ほど飲むと、満足そうに息を吐く。唇はテカテカと油で濡れて、仄かに紅い頬にはスープが跳ねていた。
「スープついてるぞ」
響はくすりと小さく笑うと、眼前にあるティッシュを数枚取り、無防備な薫の頬に宛がった。
「…ッ………自分でするから、」
薫はビクッと肩を震わせて、慌てて響からティッシュを奪い取り、頬をごしごしと乱暴に拭う。
「ホント、薫は変わらないな、」
「…………もう、やめてよ、」
頑固そうな店主が、ゴホンッと咳払いをした。薫は、ハッとして自身が周囲の視線を集めていることに気がついた。周囲の男たちから、チラリとチラリと視線を投げかけられる。
あのアルファの連れは、オメガだろうか。
神崎薫は、ベータにしては麗しく艶やかで、アルファにしては華奢で儚げであった。黒い首輪が、自ずと希少種のオメガを連想させる。周囲から向けらる視線は、好奇と蔑みの色を含んでいて、薫はそっと顔を伏せた。
「食べ終わったのなら、席を空けてくれませんかね、」
芸術的なラーメンを造り出した店主は、鼻で笑いながら、薫の方に声をかけた。響は不快そうに眉を曇らせて、何か言おうとしたが、シャツの裾を引っ張られる。振り返ると困った顔で見上げてくる弟の瞳と目が合った。
「もう、出ようか」
「うん……」
ポンと軽く薫の頭を撫でて、響は立ち上がった。薫は、兄の背中を追って店を出ようとするが、響のどんぶりには、まだ具材が残っていることに気がついた。けれど、背後からは、チラチラと好奇の視線が刺さるようで、薫は振り返ることができない。遠くからクスクスと笑い声が聞こえてくれば、薫は、自分のことを嘲笑されているのではないかと胸の奥がざわついた。
神崎兄弟は、言葉を交わすことなく、来た道を戻っていく。どことなく不機嫌そうな響の一歩後ろを、薫は俯き加減でついて歩く。
「……兄さん、ごめん、」
「ん?」
「俺のせいで、イヤな思いさせちゃって、」
響は驚いて薫に振り返る。薫は不安げな瞳で見上げていた。
神崎響は、確かに苛立っていた。客に対する店主の傲慢な態度や、薫に向けられる周囲からの不躾な視線が、酷く不快であった。けれど、目の前の実弟は、オメガ性である自分の存在が悪いのだと思い込んでいるらしい。
神崎薫は、どうしてこんなにも不憫なのだろう。
「……薫は悪くないよ。俺は気にしてないから、」
響はふっと肩の力を抜くと、薫に優しげに微笑みかけた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
187
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる