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ベータの飛躍
第80幕
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タワーマンションの地下にある駐車場から、一台の外車が滑り出した。
夏の太陽がフロントガラスを刺すように照りつけ、ドライバーの視界を奪う。響は停止線でブレーキを踏み込むと、手探りで助手席のグローブボックスから細身のサングラスを取り出した。
文字通りに太陽光から眼球を守るためにかけたシンプルなデザインのサングラスは、響の端正な顔に良く映えて、五歳は大人びて見せていた。
響は、ちらりと助手席に視線を流した。
「どうかしたか?」
「……なんでもない、」
実兄の運転する車の助手席で、窓の外を眺めている薫は、どこか浮かない顔をしている。
待ちわびたはずの外出であったが、薫には気がかりがあって、何度も手の内のスマホを弄っては溜め息を吐いた。身内にプライバシーを侵害された薫は、スマホの認証を暗証番号に切り替えており、何度もロックと解除を繰り返す。そうして、スマホの画面に映し出されたメッセージを見つめながら、考えあぐねる。
薫が博己からのメッセージに気がついたのは、一昨日の深夜のことであった。
その晩、響は、薫を離そうとしなかった。
ベッドに横になると、響の大きな手に手を取られ、ぎゅっと強く握られた。
薫は、なんとも懐かしいような気恥ずかしいようなむず痒さを感じたが、珍しく弟の自分に甘えるような仕草を見せる兄を振り払うこともできなかった。だから、幼い頃に過ごした夜のように、兄弟で向かい合って、一緒に眠りについた。
深夜にスマホのバイブ音が響く。
薫は静かに瞼を開け、隣で眠っている兄を起こさないように、眠気眼で液晶画面を確認する。「もういい」と簡潔なメッセージに、薫は一瞬、息が止まり、響に握られた手を解くと、慌てて一つ前のメッセージを確認した。博己から「23時に来い」と逢い引きの約束を取り付けるメッセージが入っていたことに、きゅぅと胸が締め付けられた。
「もういい」というのは、どういう意味だろうか。薫は昨日から何度もメッセージを読み返しては、博己の真意を推し量ろうとしている。
けれど、正しい「答え」など、本人に訊ねない限りは、導き出せるはずもないのだ。だが、薫には「自分から博己に疑問を問いかける」というような当たり前の果敢さすら、持ち合わせていなかった。
高級外車が狭い路地に入る。
小さなコインパーキングを見つけると、器用に駐車した。響がエンジンを切ると、車の振動は止み、車内は静まり返る。
「少し歩くけど、いいよな、」
「…………どこ行くんだっけ?」
響の言葉にハッとして、薫は窓の外をキョロキョロと眺めた。見慣れない景色に、薫は少し動揺する。薫の様子に、響は困ったように苦笑いした。
「ラーメン、食べるんだろ?」
「……ぁ、うん、」
薫は漸く、自分が強請ったご褒美を思い出して、照れ臭そうに微笑んだ。響はグローブボックスを開ける。
「ほら、外は暑いから、」
響の大きな手が、薫の頭に布製の帽子を被せて、ポンポンと軽く撫でた。カーキ色のサファリハットは、陰気な薫の印象を、少しばかりカジュアルに見せる。薫は、すっかり子供扱いされていることに、ムッとしたけれど、「ラーメン」という食欲を駆り立てる響きに、心がときめいた。
夏の太陽がフロントガラスを刺すように照りつけ、ドライバーの視界を奪う。響は停止線でブレーキを踏み込むと、手探りで助手席のグローブボックスから細身のサングラスを取り出した。
文字通りに太陽光から眼球を守るためにかけたシンプルなデザインのサングラスは、響の端正な顔に良く映えて、五歳は大人びて見せていた。
響は、ちらりと助手席に視線を流した。
「どうかしたか?」
「……なんでもない、」
実兄の運転する車の助手席で、窓の外を眺めている薫は、どこか浮かない顔をしている。
待ちわびたはずの外出であったが、薫には気がかりがあって、何度も手の内のスマホを弄っては溜め息を吐いた。身内にプライバシーを侵害された薫は、スマホの認証を暗証番号に切り替えており、何度もロックと解除を繰り返す。そうして、スマホの画面に映し出されたメッセージを見つめながら、考えあぐねる。
薫が博己からのメッセージに気がついたのは、一昨日の深夜のことであった。
その晩、響は、薫を離そうとしなかった。
ベッドに横になると、響の大きな手に手を取られ、ぎゅっと強く握られた。
薫は、なんとも懐かしいような気恥ずかしいようなむず痒さを感じたが、珍しく弟の自分に甘えるような仕草を見せる兄を振り払うこともできなかった。だから、幼い頃に過ごした夜のように、兄弟で向かい合って、一緒に眠りについた。
深夜にスマホのバイブ音が響く。
薫は静かに瞼を開け、隣で眠っている兄を起こさないように、眠気眼で液晶画面を確認する。「もういい」と簡潔なメッセージに、薫は一瞬、息が止まり、響に握られた手を解くと、慌てて一つ前のメッセージを確認した。博己から「23時に来い」と逢い引きの約束を取り付けるメッセージが入っていたことに、きゅぅと胸が締め付けられた。
「もういい」というのは、どういう意味だろうか。薫は昨日から何度もメッセージを読み返しては、博己の真意を推し量ろうとしている。
けれど、正しい「答え」など、本人に訊ねない限りは、導き出せるはずもないのだ。だが、薫には「自分から博己に疑問を問いかける」というような当たり前の果敢さすら、持ち合わせていなかった。
高級外車が狭い路地に入る。
小さなコインパーキングを見つけると、器用に駐車した。響がエンジンを切ると、車の振動は止み、車内は静まり返る。
「少し歩くけど、いいよな、」
「…………どこ行くんだっけ?」
響の言葉にハッとして、薫は窓の外をキョロキョロと眺めた。見慣れない景色に、薫は少し動揺する。薫の様子に、響は困ったように苦笑いした。
「ラーメン、食べるんだろ?」
「……ぁ、うん、」
薫は漸く、自分が強請ったご褒美を思い出して、照れ臭そうに微笑んだ。響はグローブボックスを開ける。
「ほら、外は暑いから、」
響の大きな手が、薫の頭に布製の帽子を被せて、ポンポンと軽く撫でた。カーキ色のサファリハットは、陰気な薫の印象を、少しばかりカジュアルに見せる。薫は、すっかり子供扱いされていることに、ムッとしたけれど、「ラーメン」という食欲を駆り立てる響きに、心がときめいた。
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