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11月17日(土)

第13話

　人に言うと気持ち悪がられるが、休日出勤は嫌いじゃない。
　時間に縛りもなく、メンバーからの質問攻めに合うこともない。自分の作業に集中できて仕事も捗る。それに、人の気配の薄いビルは少しだけ非日常的で、僅かに自由な空気を感じられる。

　打合せの三十分前に出社して、第２設計室の扉を開けた。

「ああ、瀬川くん、おはよう」
「おはようございます」
「休日しか時間が作れなくて悪かったね」
「いえ、お忙しいのに、ありがとうございます」

　誰も居ないと思っていたが、篠田マネージャーは既にディスクに腰掛け、パソコンに向かっていた。業務自体は過密で目まぐるしいはずだが、篠田マネージャーはいつも余裕の雰囲気を纏って、穏やかな笑顔を作っている。

　自身も席について、パソコンの電源を入れる。メールチェックや今日の議題資料を確認する。

「そういえば、Ｍ社に一度、挨拶に行こうと思っているんだが、瀬川くんも同行してくれるかな」
「ええ、もちろんです」
「じゃあ、次の金曜の午後にスケジュール入れておくな。営業部の吉田くんにも声かけておくよ」

　カレンダーアプリを起動すると、篠田マネージャーが俺の予定を追加した旨の通知が届く。内容を確認して、予定の追加を許可した。

「おはようございます」

　細川リーダーが、ノートパソコンを抱えてフロアに現れた。
　隣の第１設計室が細川リーダーの持ち場であるが、今日はこちらのフロアの打合せに参加してもらうことになっていた。相変わらず、細川リーダーのインテリのオーラは頼もしい。細身のフレームの眼鏡は、まるで彼の顔のパーツの一つのように収まっており、切れ長の目を引き立てている。
　薄く形の良い唇から発せられる言葉は、いつも正しい。サブリーダーとして下についていたときには、学ばせてもらうことばかりだった。

「じゃあ、揃ったことだし打ち合わせを始めようか」

　篠田マネージャーの呼びかけに、フロアに置いてあるホワイトボードを引き寄せた。Ｙシステムプロジェクトの次工程の組織体系を簡単に書き込んでいく。

「瀬川くん、なんだか今日は小綺麗だね」

　急に降られた声に振り返る。可笑しそうに笑っている細川リーダーと目が合った。

「ああ、なんか雰囲気違うなぁとは思っていたんだが、そうか今日はちゃんとしてる日だな。いつもそうしていれば、まあまあイケメンに見えるぞ」

　篠田マネージャーも可笑しそうに笑う。

「いつもそんなに、ひどいですか？」
「別に悪くはないんだけどね。外出するときはマシだけど、瀬川くんってなんか少しダラシナイときがある気がするんだよな」

　意外と身嗜みは見られているものなんだな、と苦笑いを浮かべた。ズボラな性格であることは自覚している。家に帰ると、服は脱ぎっぱなしだし、衣類も雑に扱っているので、すぐに皺になってしまう。「ハンガーに服をかける」という、ただそれだけのシンプルな作業が、なぜか俺には非常に難しい。ひどいときは、スーツを着たまま寝てしまうこともある。週に一度はクリーニングに出しているが、それが俺にできる最大限の努力といったレベルだ。

「なるべく気を使うようにします」
「まあ、仕事はキッチリやってくれているから、うるさいことを言うつもりはないよ。ただ、リーダーになったんだし、急遽、外出することもあるだろうから……」
「篠田さん、その辺で瀬川くんをからかうのはやめてあげてくださいよ。たまに後ろ髪に寝癖つけてるのも、愛嬌があっていいじゃないですか」
「そう、それだよ。あれって、わざとなのか？」

　咄嗟に後頭部を触る。意地悪く、楽しそうに笑う男たち。

「そういうのって、その場で言ってもらえないんですか？」 

　男たちは顔を見合わせて、小さく吹き出した。

「言えないよな。真面目な顔して、ぴょこんって髪はねてるんだもんな。もう可笑しくて」
「ですよね。俺はそういう瀬川くんも好きですけど」

　朝は面倒でも、ちゃんとシャワーを浴びようと心に固く誓う。

「そんなにスねるなよ。瀬川くんはあれだな。世話焼いてくれる女性を見つけて、さっさと結婚するといい」
「そんな予定、当分ありませんけど」
「瀬川くんならすぐにできるよ」

　余裕の顔でアドバイスをくれる男たちの左の薬指には結婚指輪が光る。どうして妻帯者は、こうも無神経なのだろう。結婚は不幸だ、地獄だ、と嘯きながら、その癖、得意気に独身者を見下してくる。

　俺だって、いつかは結婚したいと思っている。いつか、そのうち。

　一瞬、矢口の顔が浮かんで消えた。