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11月23日(金)
第19話
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煙草休憩が終わると、吉田は営業部へ、篠田マネージャーは別プロジェクトのミーティングへと向かった。俺はというと、エレベーターで四階にのぼって、第2設計室へと戻った。
「ただいま」
にこやかに挨拶をすると、メンバーから口々に「おかえりなさい」と返ってくる。特に問題もなかったようで、フロアの雰囲気も落ち着いていた。
腕にかけていたトレンチコートをハンガーラックに吊るして、ビジネスバッグをディスクに置くと、一息吐いた。
矢口の席に目を向ける。パソコンに向き合う横顔は真剣な顔つきだった。集中しているところに声をかけて良いものか、少しだけ悩む。
「矢口くん、ちょっといいかな」
「なんですか?」
「ここじゃなんだから、少し顔を貸してくれないかな?」
にこっと笑顔をつくれば、矢口は何かを察したらしく、解りました、と立ち上がった。近くの空いているミーティングルームに連れ込んで、ドアを後ろ手で閉めた。
「今夜のことなんだけど」
「何か食べたいもの思い付きましたか?」
怪訝そうな顔から、パッと顔が明るくなる。これはマズイ、と思ったものの、伝えないわけにいかない。
「今夜、篠田マネージャーと吉田と三人で飲みに行くことになってしまったからさ。矢口くんとの約束はスキップさせてほしいんだけど」
「どういうことですか?」
鋭い瞳で睨まれる。今週二回目の矢口の怒りの顔に、目を逸らすしかない。
「だから、その、日を改めさせてほしいんだけど」
「断れないんですか?」
低いトーンで、俺の提案は切り捨てられる。やはり簡単には納得してはくれないらしい。思わず溜め息を吐いてしまった。
「俺との約束の方が先ですよね?」
「上司から飲みの誘いを断るなんてできないだろ?
一昔前には、飲みニケーションって言葉があってだな」
「そんなの知りません。いつの時代の話をしているんですか?」
鼻で笑われて、カチンときた。だがしかし、俺たちの世代だって、上司からの誘いを断るやつは大勢いる。俺や吉田は、それに該当しないだけであることも知っていた。それに、今ここで、矢口と言い争いがしたいわけではない。押し黙って、どうしたものかと思案する。
「俺は、楽しみにしていたんです」
怒りよりも悲しみに訴えたトーンに、罪悪感が煽られる。
「だから、土曜に日程をズラすとか、矢口くんが都合が悪ければ日曜でもいいから」
「約束は今夜ですよね?」
頭痛がしてきた。どうすれば矢口が納得してくれるのか解らない。俯いていると、ぐいっと顎を掴まれて、顔を向き直される。表情のない顔で、じっと見つめられれば、困惑している俺の顔が瞳に映り込む。
「『大切な』飲み会が終わってから、そのまま、俺の部屋に来て下さいね」
胸の奥がドクンと響く。
「何時に終わるか、わからないんだけど」
「何時でもいいです。起きてますから」
「いや、でも、」
親指で唇をなぞられて、言葉を呑み込む。
「断れる立場にあるとでも?」
薄く整った唇が重なってくる。無理やり割って入ってくる舌が、口内をまさぐって、呼吸すらも奪いにくる。ぞくぞくと甘い痺れが背筋を走っていく。
ドンッとドアに背中を押し付けられた。押し戻そうとする腕に力を入れるが、微動だにしない。何度も重なる唇。 舌が絡まり、弄ばれる。 涙腺が緩み、次第に気が遠くなる。
ようやく離れた唇に、口元を手で覆って浅い息を整える。けれど、すぐに手を払われて、再び顎を掴まれた。矢口の濡れた瞳にドクンと心臓が跳ねた。
「ペナルティですからね」
抗うことのできない威圧感に負けて、小さく頷く。矢口は満足げに口角を上げると、身体を離して身なりを整える。俺が掴んで、ゆるんでしまったネクタイを、きゅっと締め直した。
「それでは、仕事に戻りましょうか。瀬川さん」
「あ、ああ……そうだな」
いつもの陽気な笑顔を取り戻した矢口の姿に安堵する。けれど、胸の奥には言い様のない不安が渦巻いていた。
「ただいま」
にこやかに挨拶をすると、メンバーから口々に「おかえりなさい」と返ってくる。特に問題もなかったようで、フロアの雰囲気も落ち着いていた。
腕にかけていたトレンチコートをハンガーラックに吊るして、ビジネスバッグをディスクに置くと、一息吐いた。
矢口の席に目を向ける。パソコンに向き合う横顔は真剣な顔つきだった。集中しているところに声をかけて良いものか、少しだけ悩む。
「矢口くん、ちょっといいかな」
「なんですか?」
「ここじゃなんだから、少し顔を貸してくれないかな?」
にこっと笑顔をつくれば、矢口は何かを察したらしく、解りました、と立ち上がった。近くの空いているミーティングルームに連れ込んで、ドアを後ろ手で閉めた。
「今夜のことなんだけど」
「何か食べたいもの思い付きましたか?」
怪訝そうな顔から、パッと顔が明るくなる。これはマズイ、と思ったものの、伝えないわけにいかない。
「今夜、篠田マネージャーと吉田と三人で飲みに行くことになってしまったからさ。矢口くんとの約束はスキップさせてほしいんだけど」
「どういうことですか?」
鋭い瞳で睨まれる。今週二回目の矢口の怒りの顔に、目を逸らすしかない。
「だから、その、日を改めさせてほしいんだけど」
「断れないんですか?」
低いトーンで、俺の提案は切り捨てられる。やはり簡単には納得してはくれないらしい。思わず溜め息を吐いてしまった。
「俺との約束の方が先ですよね?」
「上司から飲みの誘いを断るなんてできないだろ?
一昔前には、飲みニケーションって言葉があってだな」
「そんなの知りません。いつの時代の話をしているんですか?」
鼻で笑われて、カチンときた。だがしかし、俺たちの世代だって、上司からの誘いを断るやつは大勢いる。俺や吉田は、それに該当しないだけであることも知っていた。それに、今ここで、矢口と言い争いがしたいわけではない。押し黙って、どうしたものかと思案する。
「俺は、楽しみにしていたんです」
怒りよりも悲しみに訴えたトーンに、罪悪感が煽られる。
「だから、土曜に日程をズラすとか、矢口くんが都合が悪ければ日曜でもいいから」
「約束は今夜ですよね?」
頭痛がしてきた。どうすれば矢口が納得してくれるのか解らない。俯いていると、ぐいっと顎を掴まれて、顔を向き直される。表情のない顔で、じっと見つめられれば、困惑している俺の顔が瞳に映り込む。
「『大切な』飲み会が終わってから、そのまま、俺の部屋に来て下さいね」
胸の奥がドクンと響く。
「何時に終わるか、わからないんだけど」
「何時でもいいです。起きてますから」
「いや、でも、」
親指で唇をなぞられて、言葉を呑み込む。
「断れる立場にあるとでも?」
薄く整った唇が重なってくる。無理やり割って入ってくる舌が、口内をまさぐって、呼吸すらも奪いにくる。ぞくぞくと甘い痺れが背筋を走っていく。
ドンッとドアに背中を押し付けられた。押し戻そうとする腕に力を入れるが、微動だにしない。何度も重なる唇。 舌が絡まり、弄ばれる。 涙腺が緩み、次第に気が遠くなる。
ようやく離れた唇に、口元を手で覆って浅い息を整える。けれど、すぐに手を払われて、再び顎を掴まれた。矢口の濡れた瞳にドクンと心臓が跳ねた。
「ペナルティですからね」
抗うことのできない威圧感に負けて、小さく頷く。矢口は満足げに口角を上げると、身体を離して身なりを整える。俺が掴んで、ゆるんでしまったネクタイを、きゅっと締め直した。
「それでは、仕事に戻りましょうか。瀬川さん」
「あ、ああ……そうだな」
いつもの陽気な笑顔を取り戻した矢口の姿に安堵する。けれど、胸の奥には言い様のない不安が渦巻いていた。
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