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第16話 理由
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詠は神社の境内にいた。
竹箒を使って、地面に落ちている木の枝や葉っぱを一箇所に集めている。
「訊きたいことがある」
俺の顔を見た途端、逃げ出そうとした詠の頭を掴む。
「は、離してくださいっ!」
じたばだと手足を動かして暴れる。
漫画みたいなやつだ。
「なぜ逃げる?」
「顔が怖いからだよっ!」
失礼な理由だった。
「そうかそうか」
俺は手を離す。
そして、持ってきた包装紙を目の前にちらつかせる。
「……なにそれ?」
「せっかく、彩の手作りクッキーを届けにきてやったのになぁ」
「!?」
「そうか、いらないか……」
「あ……」
まだ温かさの残っているクッキーをひとつ口に運ぶ。うむ、美味い。
「仕方ない、全部一人で食うとするか」
背を向ける。
「待って!」
「なにか用か?」
「……です」
「よく聞こえないな」
「……食べたいです」
「訊きたいことがあるんだが」
「……う」
「帰るか」
「きょ、脅迫ですかっ!?」
前にもこれと同じようなことがあったような、ないような。
「3年前にこの村に来た女──黒川葉子について知りたい」
「……だ、誰のことですか?」
しらばっくれる気らしい。
俺は黒川のことを訊くために神社にやってきた。
黒川は村に来てこの神社で寝泊りしていたと、彩が教えてくれた。俺はアイツが村を訪れた理由が知りたかった。
神社に着いた俺は、まず神主さんに話を訊いてみた。
神主さんは、あの時は神事の準備が忙しくて、黒川とあまり話をすることができなかったらしい。
でも、大きな収穫があった。
この村に来るのが目的じゃなかった。
黒川はこの村に来たくて来たんじゃない、それがわかった。
「俺は黒川葉子の知り合いだ」
知り合いという言葉に、僅かに詠の口元が反応する。
しかし、次の言葉は出てこなかった。両拳を強く握り、何かを必死に我慢しているように見える。
「……もう何も隠さなくていい」
「何も……隠してないよ」
「俺は何を知っても怒らないし、お前を責めないし、この焼きたてのクッキーも全部やるから」
「桜居さんは、何もわかっていません」
「ああ。だから知りたいんだ」
「知ってどうするんですか?」
「わからない」
「それでは……教えられません」
「神主さんに、お前に訊けって言われたんだ」
「それでも、」
詠は地面に視線を落とす。
「教えられません」
ぽつりと呟く。
「お母さんは、何も知らないから……」
「黒川は──この村に来るのが目的だったんじゃない。あの河原近くで倒れてたらしいな。俺と同じように、全身ずぶ濡れで」
そこまでは神主さんが教えてくれた。
「偶然なのか? 俺が今ここに居て、黒川が以前ここに居たことは」
「……知りません」
「詠はアイツと仲が良かったらしいから、何か知ってるんじゃないのか?」
「……」
無言。
「私は、倒れていた彼女を助けただけです。それだけです」
「それに関しては礼を言っておく。ありがとな、黒川を助けてくれて」
「桜居さんに言われても困ります」
「気にするな。単に言いたかっただけだ」
「……」
「俺は、お前が全部知ってるんじゃないかと思ってる」
3年前、黒川が俺と同じように、河原で倒れていた理由。助かったのに黒川が落ち込んでいたという訳。
神事に参加して、死を宣告されて。
きっと、その様子を詠は間近──その頃まだ月使だった母の傍で見ていたのだと思う。
黒川が何を思い、どんな様子で村を去ったのか。詠はきっと知っている。
そしてそれは言い淀むことらしい。
「話してくれなくてもいい、自分で調べる」
「何もわかりませんよ」
落ち着いた口調で言う。
しかし、ほんの一瞬だけ──その瞳がある方角(神社の裏の方)に向いたのを、俺は見逃さなかった。
そして詠と俺の視線が合い、
「……あ」
何かあると直感した。
「待ってくださいっ!!」
走り出そうとしたところを詠が叫び止める。
「行かないで……ください」
「……」
「お願い……します」
「神社の裏に何がある?」
前に散歩で立ち寄ったことがあったが、ただの草むらとその奥に竹林が広がっているだけだった。何も無かったはずだ。
「……」
「どうして教えてくれないんだ?」
「……桜居さんが」
「俺?」
「きっと、悲しむことになるから……」
「……どうしてだ?」
「あの人は……戻ってきません。でも、あそこにはまだ彼女の──私は桜居さんにそれを……見せたくありません。彼女も見せたくないから、それを置いていったのだと思います」
「なあ、俺は今どこにいる?」
「……どういうことですか」
「俺がここにいるのは、黒川が俺にそれを見せたかったからじゃないのか?」
「……違うと思います」
「じゃあ、何で俺はここにいる?」
「交通事故に遭って……」
「あんなのを事故って言うのならな。人間が橋の手すりを飛び越えて、バイクごと川に転落するなんてことが考えられるか? それも風なんてない日に。普通じゃない」
俺は黒川の墓参りの為にバイクで山道を進んでいる最中、突然何かの衝撃で吹っ飛ばされた。
対向車はいなかったから後方から追突されたのだと思った──が、空中に投げ出されながら道路側を見た時、間違いなく車両の姿はなかった。スリップもしていない。
「そのことについては、私にもわかりません」
「なら、それ以外のことは教えてくれ、頼む」
「できません」
「なら、勝手に見るだけだ」
「やめてくださいっ! 見ないでくださいっ! 彼女が何故あれをこんな所に置いていったのか……あの人の気持ちをわかってあげてくださいっ!」
「お前になにがわかる!」
「わかりますっ!!」
俺以上に声を張り上げる、詠。
「私には……彼女の気持ちが全てわかるんです。だから、つらい……です。彼女のことも、桜居さんのことも……みんな、つらいです。知りたくなかった。桜居さんなんて、この村に来なければよかった。そうすれば、私はこんな気持ちを知らずに済んだのに」
「……」
「……わかりました。質問にお答えします。でも、ひとつだけ約束してください」
「約束?」
「何を知っても、自分を責めないと」
「……わかった」
俺の顔を正面から見据え、頷く。
詠は空を仰ぐ。
上空には、抜けるような青空が広がっていた。
── ありがとう。ごめんなさい ──
そう、詠が言った。
心臓を針で刺されたような痛みが走る。
この言葉は、黒川が残した遺書の最初の──
眠っていた感情が蘇ってくる。
あの時の気持ちは、俺の腹の底のほうに冷たい塊として残っていた。
3年経った今でもそれは消えない。
目の前に黒川はいない。
目の前には、詠だけがいる。
泣いていた。
詠の瞳からは止め処なく涙が溢れ、頬を伝い、地面を濡らす。
長い銀色交じりの黒髪が風を受けて揺れていた。
「私は死にました」
はっきりとした声で、詠が言葉を紡ぐ。
それは、間違いなく詠の声なのだけれど、まるで黒川が詠の体を借りて語っているようだった。
「まだ生きています。結構元気だったりします。なんか変だね。うーん。イショを書くのって変な……気分です」
俺が読んだ遺書と一語一句の違いもない。
何度も読んだ手紙。
ほろぼろになるまで読み返した手紙。
アイツの、最後の言葉。
その内容を詠が知っている。
なぜだ?
あの遺書は、この村で書いたのか?
そんな筈がない。
考えられない。
黒川は病室であの遺書を書いた。
それは遺書の内容を見れば、すぐにわかることだ。
「……」
俺が考えを巡らせている間も詠の暗唱は続く。
「10年前の3月14日から、死ぬ瞬間の瞬間まで──私は桜居宏則くんのことが好きでした」
やがて、
「本当にさようなら。手紙の中に、ひとつだけ嘘を書いちゃいました。ごめんなさい。許してください」
終わる。
「……」
長い、息をつく。
「……彼女の嘘、桜居さんはわかった?」
わからない。
3年前、懸命に考えて。考えて。
最後には、たとえ答えがわかっても黒川が死んでしまった事実は変わらない、そう思って考えるのをやめたんだ。
「彼女はね、生きてるのがつらかったの。死んでしまうより」
「そりゃあ、神事で死ぬ日なんて教えられたら、誰だってそう思うだろ」
「そういうことじゃないです」
「……なら、」
「彼女は3年前、この村で死期を告げられました。だけど、もう桜居さんは知ってるよね、神事で授かる託宣は、人を殺したりするものじゃないって。ただ、少し先の未来を教えてくれるだけのものだって」
「それは沙夜から聞いた」
「何が理由で彼女は亡くなったの?」
「病気だ」
病名は分からない。
黒川も看護婦さんも、原因は不明だが、たいしたことないと俺に聞かせてくれた。俺はそれを信じた。
心配しなくていいと黒川の両親にも言われた。アイツも笑っていた。
大丈夫。
どこも痛くない、って。
いつもより元気なくらいの笑顔を見せてくれた。
だから。
なんでもない病気なんだ、すぐに退院できる──心配して損した、とまで俺は思っていた。
だが、黒川葉子は死んでしまった。
「それが理由」
「……」
「彼女は病気でした。ずっと昔から」
「嘘……だ」
声がかすれていた。
喉の奥が乾いていて、うまく話すことができない。
「どこも痛くない……というのが彼女の嘘。彼女は毎日苦しんでいました。長く生きられないことは、小学生のときに医師に言われて知っていました。不治の病の痛みと苦しみを抱えながら、ずっと生きていたんです。死の瞬間まで。私や桜居さんには想像もできないような苦痛に耐えながら、彼女は生きていたの」
「そんな姿は、微塵も見せなかったじゃないか!」
「桜居さんは知ってるよ、その事。昔のことだから覚えていないだけ」
「……知ら……ない」
記憶に、ない。
「彼女はね、痛みに耐えられなくなって自殺したんだよ。川に身を投げて。でも、運良く助かって、偶然それを私が見つけたの」
聞きたくない。
「だから最初、私は彼女に責められた。なんで助けたの、って。彼女が村に来て落ち込んでいたのは──」
こんなことは知りたくなかった。
「死ねなかったから、だよ」
俺は詠の忠告も聞かず、開けてはいけない箱を開けてしまった。
本当に何も知らなかったんだ、俺は。
黒川のことを何にもわかってやれていなかった。
自分が情けなかった。
死んだ後でさえ、俺は黒川の気持ちを踏みにじっている。
こんな気持ちになって欲しくないから、アイツが隠していたのに。謝りたい、会って話がしたい。
「……約束、守ってください」
「……」
「自分を……責めないでください」
「……う゛……あ゛あ……」
目の前が滲んでいく。
胸が痛い。
息が苦しい。
俺は両膝をついて泣いていた。
辺りには、彩が作ってくれたクッキーが散乱していた。
アイツのことを思い出す時──まず頭に浮かぶのは、頬を膨らませて少しだけ目を吊り上げて怒っている顔。子どものような仕草。
笑っている事のほうが多かったはずなのに、俺の印象に残っているのは、なぜか怒っている顔ばかりだ。
黒川が苦しんでいる姿なんて、俺は見たことがない。
1度も、だ。
遺書の中でさえ、アイツは笑っていた。
竹箒を使って、地面に落ちている木の枝や葉っぱを一箇所に集めている。
「訊きたいことがある」
俺の顔を見た途端、逃げ出そうとした詠の頭を掴む。
「は、離してくださいっ!」
じたばだと手足を動かして暴れる。
漫画みたいなやつだ。
「なぜ逃げる?」
「顔が怖いからだよっ!」
失礼な理由だった。
「そうかそうか」
俺は手を離す。
そして、持ってきた包装紙を目の前にちらつかせる。
「……なにそれ?」
「せっかく、彩の手作りクッキーを届けにきてやったのになぁ」
「!?」
「そうか、いらないか……」
「あ……」
まだ温かさの残っているクッキーをひとつ口に運ぶ。うむ、美味い。
「仕方ない、全部一人で食うとするか」
背を向ける。
「待って!」
「なにか用か?」
「……です」
「よく聞こえないな」
「……食べたいです」
「訊きたいことがあるんだが」
「……う」
「帰るか」
「きょ、脅迫ですかっ!?」
前にもこれと同じようなことがあったような、ないような。
「3年前にこの村に来た女──黒川葉子について知りたい」
「……だ、誰のことですか?」
しらばっくれる気らしい。
俺は黒川のことを訊くために神社にやってきた。
黒川は村に来てこの神社で寝泊りしていたと、彩が教えてくれた。俺はアイツが村を訪れた理由が知りたかった。
神社に着いた俺は、まず神主さんに話を訊いてみた。
神主さんは、あの時は神事の準備が忙しくて、黒川とあまり話をすることができなかったらしい。
でも、大きな収穫があった。
この村に来るのが目的じゃなかった。
黒川はこの村に来たくて来たんじゃない、それがわかった。
「俺は黒川葉子の知り合いだ」
知り合いという言葉に、僅かに詠の口元が反応する。
しかし、次の言葉は出てこなかった。両拳を強く握り、何かを必死に我慢しているように見える。
「……もう何も隠さなくていい」
「何も……隠してないよ」
「俺は何を知っても怒らないし、お前を責めないし、この焼きたてのクッキーも全部やるから」
「桜居さんは、何もわかっていません」
「ああ。だから知りたいんだ」
「知ってどうするんですか?」
「わからない」
「それでは……教えられません」
「神主さんに、お前に訊けって言われたんだ」
「それでも、」
詠は地面に視線を落とす。
「教えられません」
ぽつりと呟く。
「お母さんは、何も知らないから……」
「黒川は──この村に来るのが目的だったんじゃない。あの河原近くで倒れてたらしいな。俺と同じように、全身ずぶ濡れで」
そこまでは神主さんが教えてくれた。
「偶然なのか? 俺が今ここに居て、黒川が以前ここに居たことは」
「……知りません」
「詠はアイツと仲が良かったらしいから、何か知ってるんじゃないのか?」
「……」
無言。
「私は、倒れていた彼女を助けただけです。それだけです」
「それに関しては礼を言っておく。ありがとな、黒川を助けてくれて」
「桜居さんに言われても困ります」
「気にするな。単に言いたかっただけだ」
「……」
「俺は、お前が全部知ってるんじゃないかと思ってる」
3年前、黒川が俺と同じように、河原で倒れていた理由。助かったのに黒川が落ち込んでいたという訳。
神事に参加して、死を宣告されて。
きっと、その様子を詠は間近──その頃まだ月使だった母の傍で見ていたのだと思う。
黒川が何を思い、どんな様子で村を去ったのか。詠はきっと知っている。
そしてそれは言い淀むことらしい。
「話してくれなくてもいい、自分で調べる」
「何もわかりませんよ」
落ち着いた口調で言う。
しかし、ほんの一瞬だけ──その瞳がある方角(神社の裏の方)に向いたのを、俺は見逃さなかった。
そして詠と俺の視線が合い、
「……あ」
何かあると直感した。
「待ってくださいっ!!」
走り出そうとしたところを詠が叫び止める。
「行かないで……ください」
「……」
「お願い……します」
「神社の裏に何がある?」
前に散歩で立ち寄ったことがあったが、ただの草むらとその奥に竹林が広がっているだけだった。何も無かったはずだ。
「……」
「どうして教えてくれないんだ?」
「……桜居さんが」
「俺?」
「きっと、悲しむことになるから……」
「……どうしてだ?」
「あの人は……戻ってきません。でも、あそこにはまだ彼女の──私は桜居さんにそれを……見せたくありません。彼女も見せたくないから、それを置いていったのだと思います」
「なあ、俺は今どこにいる?」
「……どういうことですか」
「俺がここにいるのは、黒川が俺にそれを見せたかったからじゃないのか?」
「……違うと思います」
「じゃあ、何で俺はここにいる?」
「交通事故に遭って……」
「あんなのを事故って言うのならな。人間が橋の手すりを飛び越えて、バイクごと川に転落するなんてことが考えられるか? それも風なんてない日に。普通じゃない」
俺は黒川の墓参りの為にバイクで山道を進んでいる最中、突然何かの衝撃で吹っ飛ばされた。
対向車はいなかったから後方から追突されたのだと思った──が、空中に投げ出されながら道路側を見た時、間違いなく車両の姿はなかった。スリップもしていない。
「そのことについては、私にもわかりません」
「なら、それ以外のことは教えてくれ、頼む」
「できません」
「なら、勝手に見るだけだ」
「やめてくださいっ! 見ないでくださいっ! 彼女が何故あれをこんな所に置いていったのか……あの人の気持ちをわかってあげてくださいっ!」
「お前になにがわかる!」
「わかりますっ!!」
俺以上に声を張り上げる、詠。
「私には……彼女の気持ちが全てわかるんです。だから、つらい……です。彼女のことも、桜居さんのことも……みんな、つらいです。知りたくなかった。桜居さんなんて、この村に来なければよかった。そうすれば、私はこんな気持ちを知らずに済んだのに」
「……」
「……わかりました。質問にお答えします。でも、ひとつだけ約束してください」
「約束?」
「何を知っても、自分を責めないと」
「……わかった」
俺の顔を正面から見据え、頷く。
詠は空を仰ぐ。
上空には、抜けるような青空が広がっていた。
── ありがとう。ごめんなさい ──
そう、詠が言った。
心臓を針で刺されたような痛みが走る。
この言葉は、黒川が残した遺書の最初の──
眠っていた感情が蘇ってくる。
あの時の気持ちは、俺の腹の底のほうに冷たい塊として残っていた。
3年経った今でもそれは消えない。
目の前に黒川はいない。
目の前には、詠だけがいる。
泣いていた。
詠の瞳からは止め処なく涙が溢れ、頬を伝い、地面を濡らす。
長い銀色交じりの黒髪が風を受けて揺れていた。
「私は死にました」
はっきりとした声で、詠が言葉を紡ぐ。
それは、間違いなく詠の声なのだけれど、まるで黒川が詠の体を借りて語っているようだった。
「まだ生きています。結構元気だったりします。なんか変だね。うーん。イショを書くのって変な……気分です」
俺が読んだ遺書と一語一句の違いもない。
何度も読んだ手紙。
ほろぼろになるまで読み返した手紙。
アイツの、最後の言葉。
その内容を詠が知っている。
なぜだ?
あの遺書は、この村で書いたのか?
そんな筈がない。
考えられない。
黒川は病室であの遺書を書いた。
それは遺書の内容を見れば、すぐにわかることだ。
「……」
俺が考えを巡らせている間も詠の暗唱は続く。
「10年前の3月14日から、死ぬ瞬間の瞬間まで──私は桜居宏則くんのことが好きでした」
やがて、
「本当にさようなら。手紙の中に、ひとつだけ嘘を書いちゃいました。ごめんなさい。許してください」
終わる。
「……」
長い、息をつく。
「……彼女の嘘、桜居さんはわかった?」
わからない。
3年前、懸命に考えて。考えて。
最後には、たとえ答えがわかっても黒川が死んでしまった事実は変わらない、そう思って考えるのをやめたんだ。
「彼女はね、生きてるのがつらかったの。死んでしまうより」
「そりゃあ、神事で死ぬ日なんて教えられたら、誰だってそう思うだろ」
「そういうことじゃないです」
「……なら、」
「彼女は3年前、この村で死期を告げられました。だけど、もう桜居さんは知ってるよね、神事で授かる託宣は、人を殺したりするものじゃないって。ただ、少し先の未来を教えてくれるだけのものだって」
「それは沙夜から聞いた」
「何が理由で彼女は亡くなったの?」
「病気だ」
病名は分からない。
黒川も看護婦さんも、原因は不明だが、たいしたことないと俺に聞かせてくれた。俺はそれを信じた。
心配しなくていいと黒川の両親にも言われた。アイツも笑っていた。
大丈夫。
どこも痛くない、って。
いつもより元気なくらいの笑顔を見せてくれた。
だから。
なんでもない病気なんだ、すぐに退院できる──心配して損した、とまで俺は思っていた。
だが、黒川葉子は死んでしまった。
「それが理由」
「……」
「彼女は病気でした。ずっと昔から」
「嘘……だ」
声がかすれていた。
喉の奥が乾いていて、うまく話すことができない。
「どこも痛くない……というのが彼女の嘘。彼女は毎日苦しんでいました。長く生きられないことは、小学生のときに医師に言われて知っていました。不治の病の痛みと苦しみを抱えながら、ずっと生きていたんです。死の瞬間まで。私や桜居さんには想像もできないような苦痛に耐えながら、彼女は生きていたの」
「そんな姿は、微塵も見せなかったじゃないか!」
「桜居さんは知ってるよ、その事。昔のことだから覚えていないだけ」
「……知ら……ない」
記憶に、ない。
「彼女はね、痛みに耐えられなくなって自殺したんだよ。川に身を投げて。でも、運良く助かって、偶然それを私が見つけたの」
聞きたくない。
「だから最初、私は彼女に責められた。なんで助けたの、って。彼女が村に来て落ち込んでいたのは──」
こんなことは知りたくなかった。
「死ねなかったから、だよ」
俺は詠の忠告も聞かず、開けてはいけない箱を開けてしまった。
本当に何も知らなかったんだ、俺は。
黒川のことを何にもわかってやれていなかった。
自分が情けなかった。
死んだ後でさえ、俺は黒川の気持ちを踏みにじっている。
こんな気持ちになって欲しくないから、アイツが隠していたのに。謝りたい、会って話がしたい。
「……約束、守ってください」
「……」
「自分を……責めないでください」
「……う゛……あ゛あ……」
目の前が滲んでいく。
胸が痛い。
息が苦しい。
俺は両膝をついて泣いていた。
辺りには、彩が作ってくれたクッキーが散乱していた。
アイツのことを思い出す時──まず頭に浮かぶのは、頬を膨らませて少しだけ目を吊り上げて怒っている顔。子どものような仕草。
笑っている事のほうが多かったはずなのに、俺の印象に残っているのは、なぜか怒っている顔ばかりだ。
黒川が苦しんでいる姿なんて、俺は見たことがない。
1度も、だ。
遺書の中でさえ、アイツは笑っていた。
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