桜夜 ―桜雪の夜、少女は彼女の恋を見る―

白河マナ

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第31話 おかえりなさい

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 かすかに川の流れる音がする。
 俺は彩を背負い、暗い山の中を進む。
 隣には沙夜がいて、弱音ひとつ吐かず、重い荷物を持って黙々と歩いている。

「ん……う……」

 不意に彩が目を覚ます。

「どうしたの彩。眠ってていいのよ」

 彩はまだ眠そうな両目を擦り、

「下ろして、桜居さん」

「いいのか?」

 俺は膝を曲げて彩を背中から下ろしてやる。
 彩は周囲を見回す。
 そして暗闇の一点を見つめ、そのままその方向に歩きはじめた。

「どこに行くの、彩?」

「こっちにいる」

「いる? 何がだ?」

「お父さん」

 俺はそれを聞いて彩が寝ぼけているのだと思った。
 でも、口調はしっかりしている。
 見た目もいつもの彩だ。

「彩、お父さんの夢を見ていたの?」

「違うよ」

 そう言って彩は奥へと歩いていく。水の流れる音が大きくなってくる。

「あたし、思い出したんだ。お母さんは、あたしにお父さんを助けて欲しいって言ったの」

「お父さんを助ける?」

「ようやくわかったの。この日の為にお母さんは、『ザン』と『キリ』のことを教えてくれたんだって」

「どういうことだ?」

「見えるはずだよ、お姉ちゃんにも桜居さんにも。『ザン』は思念のかたまり。悔しいとか、悲しいとか、痛いとか、そういう気持ちが何かに移ったもの」

 それは前に彩から聞いて知っている。
 沙夜は、わからないという顔をしている。

「あそこに橋があるよね」

 彩は指で示す。
 歩く先に橋が見えた。
 橋があるということは、当然道路がある。
 ようやく森を抜けることができたのだと分かり、俺は安堵する。

「……あ」

 この景色、見覚えがある。
 黒川の墓参りに行く途中の山道だ。

「明かりがあるわ」

 橋の上に光が見える。

「あれは明かりじゃないよ」

 彩はそう言うが、どう見ても外灯の明かりにしか見えない。
 俺たちは木々のあいだを抜け、道路に出る。
 ついに外の世界に戻ってきた。
 アスファルトの地面を踏みしめ、それを実感する。

「やっぱり……」

 早足で歩き出した彩の後ろを、俺と沙夜はついていく。
 橋の上に着くと、彩は空を眺める。
 どんよりとした雲が月を覆い隠そうとしていた。
 しかし、橋の真ん中あたりに外灯が立っているので明るい。弱々しいけれど確かな光が橋とその周囲を照らしている。

「ここは……」

「桜居さんが川に落ちた場所だよね、多分」

 そうだ。
 間違いない、俺がバイクもろとも川に落ちた場所だ。

「どうしてわかるの、彩」

 村を出たことのない彩がこの場所を知っているはずがないし、この道路には橋なんて幾つもある。

「桜居さんは、落とされたんだよ」

「ねえ……」

「その外灯、何か変よ……」

 沙夜が恐れを露にして俺の腕にしがみついてくる。
 俺は外灯を見る。
 どこにでもある外灯だ。

 だが──
 その不自然さに気づき、俺は唖然とする。
 外灯の蛍光灯カバーは割れていて、蛍光灯も取り付けられていない。
 この状態で光を放つはずが無いのだが、モヤのようなものが蛍光灯の部分に集まり、鈍い光を放っている。

 途端に背筋が冷たくなる。

「なんだよ…これは」

 俺は後ずさる。

「『ザン』だよ。それも、もの凄く強い『ザン』。沢山の負の気持ちを取り込んで、目に見えるほど大きくなったみたい」

「これが……」

「この中にお父さんがいるんだよ……」

「……気持ち……悪い」

 そう言って、沙夜はしゃがみ込んでしまう。

「桜居さん、お姉ちゃんをこの場所から遠ざけて」

 俺は言われたとおりに、沙夜の体を支えて橋から離れた場所に連れて行く。荷物を置いて沙夜を座らせた。

「……ありがとう。少し、楽になったわ」

「彩のところに行くけど、いいか?」

「嫌。と言いたいけど、彩が心配だから行って」

「何かあったらすぐに呼べよ」

「……うん」

 彩のもとに走る。

「お姉ちゃんは、大丈夫?」

「ああ」

「桜居さんは?」

「問題ない」

 強がって笑って見せるが、正直なところ気分が悪い。
 胃の中をスプーンか何かでかき混ぜられているような不快さだ。

 酷い吐き気がする。
 だが、彩を一人にするわけにはいかない。

「彩、さっきザンが俺を川に落としたって言ったよな。どういうことだ」

「多分、最初は事故か何かだったと思うんだけど……この橋で、人が亡くなってるんだよ」

「痛くて、苦しくて、とても悔いの残る死に方で──それが原因でこの場所に強い『ザン』が生まれたの。『ザン』は、橋を通る人たちに影響を与えながら力を増していって、今の状態になったんだよ」

「影響?」

「ここを通る人を嫌な気分にさせたり、傷つけたり、場合によっては死に追い込んだりということ。そのせいで、さらにこの場所に『ザン』が溜まっていって……ここまで大きく」

 白いモヤを見上げながら、言う。

「きっと、お父さんは……村に帰ってくる途中で、この『ザン』に橋から落とされたんだよ。すごく悔いを残して死んでしまったから、そのまま『ザン』に取り込まれて。お母さんはそれを知ってて、お父さんを助けて欲しいって、あたしに頼んだのだと思う。お父さんの魂は死ねずに今もここにいるの。お母さんに会うこともできないで……」

 これが元凶なのか。
 二人の父親を殺し、俺を川に落とした。
 もしかしたら。

「その『ザン』の中にアイツはいないのか」

「アイツ? あ、黒川さんのことだね」

 彩は目を閉じて頭を下げ、真っ直ぐモヤのほうを向く。

「いない……と思う。たくさんの思念が混ざってるから、その中でも強いものしかわからないんだよ」

「そうか」

「ごめんなさい、桜居さん」

「謝ることじゃない。ありがとう、彩」

 彩は照れくさそうに微笑み、それから表情を引き締め、壊れた外灯の下に立つ。
 いつだったか彩は、


『たとえばね、さっきみたいに石で転ぶとするでしょ。転んだ人が痛いと思うと、その瞬間の気持ちがその人から抜け出して、石に入っちゃうことがあるの』

『石だけじゃなくて人形でも木でも、どんなものにでもそう。お母さんは人から人以外のものへと移った気持ちのことを『ザン』って呼んでた。マイナスの気持ち……痛いとか苦しいとかのほうが純粋で強いから、周囲のものに入り込みやすいんだよ。だから『キリ』をして『ザン』を散らす必要があるの』


 キリをして、ザンを散らす。
 彩は落ち着いた様子で『ザン』の塊を見つめながら、

「つらかったよね」

「くるしかったよね」

「いたかったよね」

 慈しみに満ちた、心のこもった言葉で、語りかけるように言葉を紡ぐ。

「もう、大丈夫だから。あたしが助けてあげるよ。みんなを、助けてあげる」

 彩は、両手を合わせ、意味の理解できない呪文のような言葉を唱えると、空気に溶けるように『ザン』の光が急速に弱まっていく。
 小さな光の塊がひとつ、中空に残される。


── おかえりなさい、お父さん ──


 その一言を最後に、辺りは本来あるべき暗闇に戻った。
 『ザン』は消え、それに伴い、不快さも和らいでいく。
 月明かりの下、彩は俺に抱きつき、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる。

「……沙夜のところに戻ろうな」

 かけてやる言葉なんて、何も無いような気がした。
 彩の体を支え、歩き出そうとした時──急に意識が揺らいだ。全身の力が抜け、懐中電灯を手から離してしまう。

 俺は、気を失った。

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