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第32話 少女は彼女の恋を見る
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「……てく……い」
誰かが呼んでいる。
「……起きて……ください」
俺は桜の木の下にいた。
御神木と呼ばれ、村人たちから崇められている樹齢千年を超える大木。
花も葉もない、枝だけの木。
地面は桜の花びらに覆われていて、一面ピンク色をしていた。
御神木の前に詠が立っていた。
白と赤の巫女装束を着て、手には木の枝を持っている。
夜、だと思う。
空には雲も月も出ていない。
ただ空が黒いから夜、そう判断しただけだ。
これは夢だ。
俺は沙夜たちと村を出て、足がつりそうになるほど歩いて、山道を登って──その後のことを思い出そうとすると、
「夢とはちょっと違います」
というツッコミが入る。
「どう考えたって夢だろ」
言い返す俺。
「夢の中ではこんな風に話すことはできませんよ」
「なかなかよく出来た夢だな」
「私の話、聞いてます?」
「あんまり」
「聞いてください!」
しっかりとした詠の声が耳に入ってくる。
靴底には桜の花びらと土の感触、肌に感じる空気の流れ、怒っている詠の表情の確かさ。
確かに、夢とは、違う。
「……」
しかし。
この場所は、どこか現実離れしている。
桜の木とその周辺(俺と詠をを中心にして半径五十メートルくらい)の景色以外、闇に覆われていて何も見えない。
「桜居、さん?」
「すまん。ちょっと常識の尺度の調整を」
「はい?」
目を閉じて10数える。
調整完了。
「ひとまず、二人で同じ夢を見ているような状況だと思うことにする」
「夢じゃないのに……」
不満げに呟く。
「細かいことは気にするな。そんなことより、質問がある。お前、まだ幾つか隠してる事があっただろ」
「……昔からこんな感じだよね、桜居さんは。中学生の頃から強引で意地悪で冷たかったし」
「それだ。そのことだ。どうして俺の中学生の頃のことを知ってるんだ? それに前に、黒川が村を出てから書いた遺書の内容も知っていたよな」
「すみません……あの時は言えませんでした」
「それなら、どうして今になって話す気になったんだ。それも俺の夢の中に現れてまで」
「もう夢でいいです……」
ふてくされる詠。
だがすぐに気を取り直して、
「見てしまったんです、私は」
桜の木を見上げる詠。
「見た……? 何をだ?」
「あれは本当に偶然……予想できないことでした」
「桜居さんが黒川さんの日記を見てしまった日の前日──私は桜居さんに見つかる前に日記を燃やしてしまおうと思って、あの場所に行きました。その際、私は黒川さんが日記に込めた強い思いに触れてしまいました。そういった思いのことをお母さんや私は『残』と呼びますけど……」
あれほどの内容の日記だ。
黒川の気持ちが『残』として宿ったとしても不思議じゃない。
「『残』のことは、彩から聞いて知ってる」
「それでは説明はいりませんね」
「日記の埋まっていた場所に立った私には──見えてしまったんです。黒川さんがいつどこで生まれて、どんな環境で育って、何を考え、何を想い、生きてきたのかを」
俺は素直にその話の意味を理解しようと努める。
「ですから私は、黒川さんの過去も昔の桜居さんのことも知っています。まるで自分が体験したことのように」
「ちょっと待て」
「それだけじゃ、アイツが村を出てから書いた遺書の中身を知ってたことの説明にならない。日記の『残』からアイツの過去を知ったのなら、三年前より後のことはわからないはずだろ」
詠は、ふぅ、と一息ついて、
「ではまず最初の夜の話をしますね。桜居さんに初めて会った日、私は黒川さんに会いました」
「会った?」
「私が霊媒体質だということは覚えていますよね」
「神社で急に神主さんの様子がおかしくなって……あの時に聞いたな」
「桜居さんは気づかなかったかもしれないけど、いつだって黒川さんは、桜居さんの側にいましたよ」
「……」
「とてもとても小さくて遠慮がちな『残』ですけど、それは確かに彼女が桜居さんに残した想いです。私は一時的に黒川さんの『残』に体を奪われました。御神木を媒介として、彼女は私の中に入ってきました。御神木には、霊体や『残』などの思念を増幅させる力がありますから」
あの日の夜のことを思い出そうとするが、うまくいかない。
「桜居さんはあの夜、黒川さんに会っています。私はその時のことは覚えていませんけど。黒川さんは、いつも桜居さんと共にいます」
俺は僅かでも何かを感じないかと五感を研ぎ澄ます。
「……」
当たり前だが何も感じない。
「『残』はその人の一部です。置き去りにされてからも──分かり易く言うと、細い糸で本人と繋がっているんです。ですから、私は、黒川さんの最初から最後までの記憶を見てしまいました。勿論、見ようとして見たのではありませんが」
俺は思わず詠の両肩を掴む。
「今、最後、って言ったな」
「はい。言いましたけど」
「アイツは、どんな思いで死んだんだ?」
「……今ここでそれを聞きますか」
「……教えてくれ」
「言えませんよ。今さら知ってどうするんですか」
視線を逸らす詠。
俺は詠の肩から手を離し、拳を握りしめる。
「……そう、だよな」
詠の装束の両肩部分にしわが残る。
黒川のことになると感情的になってしまう。忘れられない。俺はまだアイツの影を追っている。
全ては終わってしまったことだ。
詠の言った通り、今更、だ。
だけど。
俺がもっと病院に行ってやることができたなら、一人で病気と闘っていた黒川の痛みや苦しみを和らげることができたかもしれない。
そう思うとやはりつらかった。
不意に、詠がうつむいている俺に抱きついてくる。
「頑張ってください、桜居さん」
「……詠」
「私──私は、桜居さんと離れたく……ありません」
か細い声で言う。
「黒川さんの記憶は、まるで私が黒川さんとして同じ人生を歩んできたような、そんな感覚を私に植えつけました。私は彼女と同じくらい、桜居さんのことが好きになりました。私の中にできてしまったこの気持ちは、とても強いです。抗うのが難しいです。私は桜居さんの声を聞くだけで、たまらなく心細くなって、どうしたらいいのかわからなくなります」
だんだんと口調が弱まっていく。
「でもこれは偽りの心。あのことがきっかけで黒川さんの想いと同調してしまって、できた気持ちです」
「詠……」
「それでも私は嬉しかった。誰かを好きになることが、こんなにもつらくて切なくて……こんなにも素晴らしいことだとは思いませんでした。桜居さんが村に来なければ、知ることはできませんでした。たとえ黒川さんに影響されてできた気持ちであっても、ほんの数日間でしたけど、私はとてもとても幸せでした。私は桜居さん――宏くんに恋をしていた彼女そのものでしたから」
静寂。
詠は言葉を選びながら続ける。
「苦しかったです、桜居さんと離れるのは。すべてを話してしまったら、私は桜居さんを村にとどめるか、一緒に村を出てしまいそうで……言えなかったです」
俺の腕の中で切実な思いを伝える詠。
「あと少しだけ、このまま…」
両腕に力が込められる。
詠の息づかいをすぐ間近に感じる。
俺は詠の背中に手を回しそうになる衝動に耐えていた。ここで詠を抱きしめてしまったら、何かが終わってしまう気がした。
しばらくして。
詠が名残惜しそうに俺から離れる。
「ありがとう、桜居さん」
「最後にお願いがあります」
「なんだ?」
「その、ポケットに入っているものを私にください」
「……?」
ジーンズの後ろのポケットを探る。
何かが入っている。
そんなはず……ないのに。
「憧れていたんです」
ポケットの中には、飴玉が2つ入っていた。それは、あの日と同じ──
「飴玉、村には無い食べ物ですし」
「桜居さんと歩きながら食べた飴玉……本当に、涙が出るくらい嬉しくて美味しかったんです。黒川さんの気持ちを通してだけど、私は感じました。だからもう一度、」
「駄目だ。お前も村を出て来い」
「無理です」
「飴玉なんて、何百個でも舐めさせてやるから」
「そんなにはいらないです」
「どうしてだ……」
「不可能ですから」
「橋が落ちたんなら、ロープでも何でも使って渡ればいいだろ!!」
「私だって、そうしたいよ!!! でもできないんだよ!!!」
長い黒髪が上下に揺れる。
「なぜだって聞いてんだ!!!!」
「私は、死んでしまいましたから」
「……そんな顔して、下らない冗談言うな。信じちまうだろ」
「……」
「なあ、反論してくれよ」
「……できません」
「どうしてお前が、俺と同じくらいの歳のお前が、そんな目に遭わなくちゃいけねーんだよ……」
「最初から、決まっていたことなんです。私で終わると」
そう言って優しく微笑む。
詠はこの状況に満足しているようだった。
「あまり苦しくはなかったから安心してください。呪いの苦痛に比べたら、死ぬときの痛みなんて些細なものでした」
「こうやって話してるじゃないか。死んだなんて言われて納得できるか」
「……私には、信じてくださいとしか言えません」
嘘を言ってるとは思えない。
詠は死んだ。
詠が、死んだ?
また。
俺の知らないところで、人が死んだ。
目の前にいるのに。
詠はこんなにも近くにいて、手を伸ばしたら届く場所にいるのに。
沈黙が続く。
言葉が、出てこない。
「桜居さん、私の我侭を聞いてください」
「……」
俺は飴玉をポケットから取り出す。
包装紙を解いて、一つは自分の口の中に、別の一つを詠に差し出す。
手を伸ばす詠。
「あれ……」
しかし、詠の手は飴玉を、そして俺の手をもすり抜けてしまう。
「あはは……時間、ないみたい」
俺は飴玉の袋を破り、詠の口に入れてやる。飴玉はすり抜けて地面に落ちることなく、ちゃんと詠の口の中に入った。
「おいしい」
無邪気に笑う。
「おいしいよ、桜居さん」
「本当に、子どもみたいなやつだな。最初から最後まで」
「これが愛の味か……」
「違う」
「うん、わかってる。桜居さんには、沙夜ちゃんがいるし」
「それも違う」
「私にはわかるんだよ。隠さなくてもいいです」
「詠、」
「ごめんなんて言わないでください」
先に釘をさされる。
「俺は……俺はまた、誰かを好きになっていいのか? 俺はこんな性格だから、また、好きな人が俺の知らないところで苦しんで、痛がっていても、気づいてやれないかもしれない」
「黒川さんはあなたに会えたことを、何よりも幸せに思っていました。自信を持ってください。桜居さんは、桜居さんが自分で思っている何倍も素晴らしい人ですから。私が保証します」
「嫌……だ。俺は、俺の知っている誰かが死ぬことに、二度も耐えられない」
「生に終わりがあるように、死にも終わりがあります。きっとまた会えます。その時まで元気でいてくださいね」
詠の話す一言一言が、胸を締めつける。
本当に、
本当に最後なんだ、と思った。
「そうそう。初めて会った日の夜──死んでしまいそうだった桜居さんを村に運ぼうと頑張ったのは、私ではありません。黒川さんです。彼女に救われた命を、大切にしてください」
詠の姿が消え、御神木も無くなる。
次に世界が崩れ去り、俺は朝の光によって目を覚ました。
寄り添うように彩と沙夜が眠っていた。
詠の姿はどこにもなかった。
俺は──彩が父親の『残』に対してそうしたように、両手を合わせる。
そして。
詠と黒川、二人のもとに届くよう、ありったけの思いを込めて、俺は大丈夫だ心配するなと、ひとり呟いた。
誰かが呼んでいる。
「……起きて……ください」
俺は桜の木の下にいた。
御神木と呼ばれ、村人たちから崇められている樹齢千年を超える大木。
花も葉もない、枝だけの木。
地面は桜の花びらに覆われていて、一面ピンク色をしていた。
御神木の前に詠が立っていた。
白と赤の巫女装束を着て、手には木の枝を持っている。
夜、だと思う。
空には雲も月も出ていない。
ただ空が黒いから夜、そう判断しただけだ。
これは夢だ。
俺は沙夜たちと村を出て、足がつりそうになるほど歩いて、山道を登って──その後のことを思い出そうとすると、
「夢とはちょっと違います」
というツッコミが入る。
「どう考えたって夢だろ」
言い返す俺。
「夢の中ではこんな風に話すことはできませんよ」
「なかなかよく出来た夢だな」
「私の話、聞いてます?」
「あんまり」
「聞いてください!」
しっかりとした詠の声が耳に入ってくる。
靴底には桜の花びらと土の感触、肌に感じる空気の流れ、怒っている詠の表情の確かさ。
確かに、夢とは、違う。
「……」
しかし。
この場所は、どこか現実離れしている。
桜の木とその周辺(俺と詠をを中心にして半径五十メートルくらい)の景色以外、闇に覆われていて何も見えない。
「桜居、さん?」
「すまん。ちょっと常識の尺度の調整を」
「はい?」
目を閉じて10数える。
調整完了。
「ひとまず、二人で同じ夢を見ているような状況だと思うことにする」
「夢じゃないのに……」
不満げに呟く。
「細かいことは気にするな。そんなことより、質問がある。お前、まだ幾つか隠してる事があっただろ」
「……昔からこんな感じだよね、桜居さんは。中学生の頃から強引で意地悪で冷たかったし」
「それだ。そのことだ。どうして俺の中学生の頃のことを知ってるんだ? それに前に、黒川が村を出てから書いた遺書の内容も知っていたよな」
「すみません……あの時は言えませんでした」
「それなら、どうして今になって話す気になったんだ。それも俺の夢の中に現れてまで」
「もう夢でいいです……」
ふてくされる詠。
だがすぐに気を取り直して、
「見てしまったんです、私は」
桜の木を見上げる詠。
「見た……? 何をだ?」
「あれは本当に偶然……予想できないことでした」
「桜居さんが黒川さんの日記を見てしまった日の前日──私は桜居さんに見つかる前に日記を燃やしてしまおうと思って、あの場所に行きました。その際、私は黒川さんが日記に込めた強い思いに触れてしまいました。そういった思いのことをお母さんや私は『残』と呼びますけど……」
あれほどの内容の日記だ。
黒川の気持ちが『残』として宿ったとしても不思議じゃない。
「『残』のことは、彩から聞いて知ってる」
「それでは説明はいりませんね」
「日記の埋まっていた場所に立った私には──見えてしまったんです。黒川さんがいつどこで生まれて、どんな環境で育って、何を考え、何を想い、生きてきたのかを」
俺は素直にその話の意味を理解しようと努める。
「ですから私は、黒川さんの過去も昔の桜居さんのことも知っています。まるで自分が体験したことのように」
「ちょっと待て」
「それだけじゃ、アイツが村を出てから書いた遺書の中身を知ってたことの説明にならない。日記の『残』からアイツの過去を知ったのなら、三年前より後のことはわからないはずだろ」
詠は、ふぅ、と一息ついて、
「ではまず最初の夜の話をしますね。桜居さんに初めて会った日、私は黒川さんに会いました」
「会った?」
「私が霊媒体質だということは覚えていますよね」
「神社で急に神主さんの様子がおかしくなって……あの時に聞いたな」
「桜居さんは気づかなかったかもしれないけど、いつだって黒川さんは、桜居さんの側にいましたよ」
「……」
「とてもとても小さくて遠慮がちな『残』ですけど、それは確かに彼女が桜居さんに残した想いです。私は一時的に黒川さんの『残』に体を奪われました。御神木を媒介として、彼女は私の中に入ってきました。御神木には、霊体や『残』などの思念を増幅させる力がありますから」
あの日の夜のことを思い出そうとするが、うまくいかない。
「桜居さんはあの夜、黒川さんに会っています。私はその時のことは覚えていませんけど。黒川さんは、いつも桜居さんと共にいます」
俺は僅かでも何かを感じないかと五感を研ぎ澄ます。
「……」
当たり前だが何も感じない。
「『残』はその人の一部です。置き去りにされてからも──分かり易く言うと、細い糸で本人と繋がっているんです。ですから、私は、黒川さんの最初から最後までの記憶を見てしまいました。勿論、見ようとして見たのではありませんが」
俺は思わず詠の両肩を掴む。
「今、最後、って言ったな」
「はい。言いましたけど」
「アイツは、どんな思いで死んだんだ?」
「……今ここでそれを聞きますか」
「……教えてくれ」
「言えませんよ。今さら知ってどうするんですか」
視線を逸らす詠。
俺は詠の肩から手を離し、拳を握りしめる。
「……そう、だよな」
詠の装束の両肩部分にしわが残る。
黒川のことになると感情的になってしまう。忘れられない。俺はまだアイツの影を追っている。
全ては終わってしまったことだ。
詠の言った通り、今更、だ。
だけど。
俺がもっと病院に行ってやることができたなら、一人で病気と闘っていた黒川の痛みや苦しみを和らげることができたかもしれない。
そう思うとやはりつらかった。
不意に、詠がうつむいている俺に抱きついてくる。
「頑張ってください、桜居さん」
「……詠」
「私──私は、桜居さんと離れたく……ありません」
か細い声で言う。
「黒川さんの記憶は、まるで私が黒川さんとして同じ人生を歩んできたような、そんな感覚を私に植えつけました。私は彼女と同じくらい、桜居さんのことが好きになりました。私の中にできてしまったこの気持ちは、とても強いです。抗うのが難しいです。私は桜居さんの声を聞くだけで、たまらなく心細くなって、どうしたらいいのかわからなくなります」
だんだんと口調が弱まっていく。
「でもこれは偽りの心。あのことがきっかけで黒川さんの想いと同調してしまって、できた気持ちです」
「詠……」
「それでも私は嬉しかった。誰かを好きになることが、こんなにもつらくて切なくて……こんなにも素晴らしいことだとは思いませんでした。桜居さんが村に来なければ、知ることはできませんでした。たとえ黒川さんに影響されてできた気持ちであっても、ほんの数日間でしたけど、私はとてもとても幸せでした。私は桜居さん――宏くんに恋をしていた彼女そのものでしたから」
静寂。
詠は言葉を選びながら続ける。
「苦しかったです、桜居さんと離れるのは。すべてを話してしまったら、私は桜居さんを村にとどめるか、一緒に村を出てしまいそうで……言えなかったです」
俺の腕の中で切実な思いを伝える詠。
「あと少しだけ、このまま…」
両腕に力が込められる。
詠の息づかいをすぐ間近に感じる。
俺は詠の背中に手を回しそうになる衝動に耐えていた。ここで詠を抱きしめてしまったら、何かが終わってしまう気がした。
しばらくして。
詠が名残惜しそうに俺から離れる。
「ありがとう、桜居さん」
「最後にお願いがあります」
「なんだ?」
「その、ポケットに入っているものを私にください」
「……?」
ジーンズの後ろのポケットを探る。
何かが入っている。
そんなはず……ないのに。
「憧れていたんです」
ポケットの中には、飴玉が2つ入っていた。それは、あの日と同じ──
「飴玉、村には無い食べ物ですし」
「桜居さんと歩きながら食べた飴玉……本当に、涙が出るくらい嬉しくて美味しかったんです。黒川さんの気持ちを通してだけど、私は感じました。だからもう一度、」
「駄目だ。お前も村を出て来い」
「無理です」
「飴玉なんて、何百個でも舐めさせてやるから」
「そんなにはいらないです」
「どうしてだ……」
「不可能ですから」
「橋が落ちたんなら、ロープでも何でも使って渡ればいいだろ!!」
「私だって、そうしたいよ!!! でもできないんだよ!!!」
長い黒髪が上下に揺れる。
「なぜだって聞いてんだ!!!!」
「私は、死んでしまいましたから」
「……そんな顔して、下らない冗談言うな。信じちまうだろ」
「……」
「なあ、反論してくれよ」
「……できません」
「どうしてお前が、俺と同じくらいの歳のお前が、そんな目に遭わなくちゃいけねーんだよ……」
「最初から、決まっていたことなんです。私で終わると」
そう言って優しく微笑む。
詠はこの状況に満足しているようだった。
「あまり苦しくはなかったから安心してください。呪いの苦痛に比べたら、死ぬときの痛みなんて些細なものでした」
「こうやって話してるじゃないか。死んだなんて言われて納得できるか」
「……私には、信じてくださいとしか言えません」
嘘を言ってるとは思えない。
詠は死んだ。
詠が、死んだ?
また。
俺の知らないところで、人が死んだ。
目の前にいるのに。
詠はこんなにも近くにいて、手を伸ばしたら届く場所にいるのに。
沈黙が続く。
言葉が、出てこない。
「桜居さん、私の我侭を聞いてください」
「……」
俺は飴玉をポケットから取り出す。
包装紙を解いて、一つは自分の口の中に、別の一つを詠に差し出す。
手を伸ばす詠。
「あれ……」
しかし、詠の手は飴玉を、そして俺の手をもすり抜けてしまう。
「あはは……時間、ないみたい」
俺は飴玉の袋を破り、詠の口に入れてやる。飴玉はすり抜けて地面に落ちることなく、ちゃんと詠の口の中に入った。
「おいしい」
無邪気に笑う。
「おいしいよ、桜居さん」
「本当に、子どもみたいなやつだな。最初から最後まで」
「これが愛の味か……」
「違う」
「うん、わかってる。桜居さんには、沙夜ちゃんがいるし」
「それも違う」
「私にはわかるんだよ。隠さなくてもいいです」
「詠、」
「ごめんなんて言わないでください」
先に釘をさされる。
「俺は……俺はまた、誰かを好きになっていいのか? 俺はこんな性格だから、また、好きな人が俺の知らないところで苦しんで、痛がっていても、気づいてやれないかもしれない」
「黒川さんはあなたに会えたことを、何よりも幸せに思っていました。自信を持ってください。桜居さんは、桜居さんが自分で思っている何倍も素晴らしい人ですから。私が保証します」
「嫌……だ。俺は、俺の知っている誰かが死ぬことに、二度も耐えられない」
「生に終わりがあるように、死にも終わりがあります。きっとまた会えます。その時まで元気でいてくださいね」
詠の話す一言一言が、胸を締めつける。
本当に、
本当に最後なんだ、と思った。
「そうそう。初めて会った日の夜──死んでしまいそうだった桜居さんを村に運ぼうと頑張ったのは、私ではありません。黒川さんです。彼女に救われた命を、大切にしてください」
詠の姿が消え、御神木も無くなる。
次に世界が崩れ去り、俺は朝の光によって目を覚ました。
寄り添うように彩と沙夜が眠っていた。
詠の姿はどこにもなかった。
俺は──彩が父親の『残』に対してそうしたように、両手を合わせる。
そして。
詠と黒川、二人のもとに届くよう、ありったけの思いを込めて、俺は大丈夫だ心配するなと、ひとり呟いた。
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