秋汀〜御曹司は婚約破棄したい〜

Gemini

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第一章

第ニ話 副社長と大学生

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髙藤たかとう様にお伺いを立ててはいかがでしょうか』

 髙藤というのはあきらの婚約者である。ちょうど、月に一度の婚約者とのデートという名の会食とパーティーとの日にちが近しい。招待状をじっと睨んだままでいる玲に、執事の原がそう提案したのだった。そうして玲は原の提案を受け、考えた末に髙藤数正に打診の手紙を出していたのだった。


 屋敷の二階にある自室に戻ってカウチに腰を下ろす。玲は背もたれに寄りかかり大きくため息をついた。そうしてポケットにしまった手紙を取り出し、今一度便箋を眺める。
 数正の書いた文字は、濃い藍色のインクで滑らかに紙の上を滑っている。美しい文字だ。このインクは数正の気に入っているインクのメーカーだと玲は知っている。
 お決まりの季節の挨拶のあと、『パーティーの件、僭越ながらエスコート役を務めさせていただきます』という一文。唯一数正の体温が乗せられているはずの一行が、そこには全くと言っていいほどに熱を感じられなかった。
 細い指先で文字をなぞりながら、いつからこんなに素っ気なくなったのか。玲はぼんやりと便箋を見つめた。


 二人は二年前、玲が十八となる年に正式に婚約した。
 家同士が決めた婚約だった。互いに幼い頃には二人の家を行き来しあい一緒に遊んだり、年上の数正に勉強を教わることもあった。夏になれば両家で葉山や上高地に出かけたりもした。互いの誕生日も祝った。婚約のことを除いても『幼馴染み』という関係がしっくり来るほどの仲だったはずだ。
 それなのに婚約後、逢瀬は激減する。数正は副社長、玲は大学生。学生の玲とは違って副社長という立場にある数正だから、きっと忙しい。最近冷たくとも構ってくれないのは仕事が忙しいだけだ。結婚し一緒に暮らせば昔のように優しく微笑みかけてくれる時間もできるかもしれない。そう言い聞かせてきた。

「だって、今度のパーティーでは婚約者としてエスコートしてくれるんだもの」

 それでも、空白ばかりの便箋を眺めると我慢していた涙がはらりと零れた。










「今夜も美しい」

 その夜、玲は聞き覚えのある車のエンジン音に自室を飛び出した。二階の廊下に出て吹き抜けの玄関ホールを見下ろすと、真っ黒のタキシード姿の数正が玄関扉から入って来るところだった。

 ――やはり数正兄さまの車だった!
 
 数正は玲のやってくる気配に気がつくと階段を見上げ、別段明るい表情でもなくそうつぶやいた。それでも玲は嬉しさに頬を緩めてしまう。あのような温度のない手紙を受け取っていても、玲の心は裏腹に高鳴っていく。ただの社交辞令だとしても美しいだなどと言われては、玲の心は舞い上がるのは仕方ない。数分前まで原に散々服装の点検をしてもらったことに安堵した。ちらりと原を盗み見れば、同じことを考えていたのだろう、目が合うと目尻にしわを作ってにんまりとしている。

 手摺に手を添えて数正に見守られるように吹き抜けの階段を降りきると、玲は数正に会釈をした。そうして頭一つ分大きな数正をゆっくりと見上げ「数正兄さまも、素敵です」と笑みを返す。
 近くで見る数正は、当たり前だがとても男前だ。襟足が清潔に整えられた黒い髪を後ろに撫で付け、少し厚みのある身体がタキシードの生地を美しく張らせていた。
 玲はいつまでも数正を見上げていたかった。しかし数正は無表情を保ち、視線をふいっと逸らすと屋敷を出ていってしまった。
 もう出発するのだろうか。応接室には数正の好きであろう珈琲を用意させていたのに、と少し寂しい気持ちを隠し後ろを付いていくと、数正は停めていた車の反対側へと回り込み車に乗り込むところだった。玲が小さく息を吐くと、手前のドアが開かれた。数正の秘書兼運転手だった。

 玲の背後に付いてきていた原は「坊ちゃん、笑顔をお忘れなきよう」と口元を手で隠しつつ小さな背中に声をかける。その声に玲は咄嗟に口角を上げて振り返ると微笑んでみせた。原に心配をかけてはいけない。玲は頬の筋肉を緊張させていってきますと再び笑顔を作ると車に乗り込んだ。

 

「玲坊ちゃん、今夜の装いも素敵ですよ」
「本当ですか? 良かった」

 車のエンジンをかけると、数正の秘書がルームミラー越しに玲へ視線を寄越した。玲は照れ隠しに少し大きめの蝶ネクタイに触れてみる。ちらりと横を盗み見ると数正は仕事の書類のようなものを読んでいた。

「坊ちゃんに嘘などつきません! 今夜は一段とお綺麗です! ねえ副社長?」
「……ちゃんと前を見ていろ」

 数正は不機嫌だ。書類から視線を逸らすことなく低い声だけが響いた。原に何度も点検してもらったし、何より数正にもさっき褒めてもらえたんだ。今日は素敵な自分であるはずだ。失敗はしていないだろう。
 今夜も無理に時間をあけてくれたんだ。数正は仕事で忙しかったに違いない。数正の足を引っ張らないように行儀よく、数正の婚約者として恥じないように。玲は到着までの間、数正には声をかけず母親に仕込まれた社交の術を頭の中で何度も思い出していた。
 



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