秋汀〜御曹司は婚約破棄したい〜

Gemini

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第一章

第六話 ドアの向こう側

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「それなら私たちを描いてほしいな」
「かく……って」
「玲さんの一番得意なことさ」
「まさか絵をですか?」
「難しいことじゃないでしょう? あんなに素晴らしい絵を描くのを、私は知っているよ」
「……!」
「うちの家の玄関ホールにね。玲さんから貰った絵を大切に飾っているんです」
「ほ、本当ですか?」
「本当さ! 母が貰ったというのに父の方が大層喜んで、自分で額装もしたくらいですよ」
「そうだったんですか……」

 高校一年の時、母の倫子に頼まれて有栖川夫人の誕生日祝いに絵を描いたことを思い出した。玲は幼いころから絵を描くことに長けていて、当時しばしば倫子の頼みで絵を描いてそれを贈るということをしていたのだった。

 今はもう絵を描いてない。
 あれが最後だったんだと思い出す。しかし嬉しそうな栄の顔を見ていて、そんなにも喜んでくれていたのかと、何年も経った今それを教えてもらい玲はつい笑みを零した。すると栄は興味深げに尋ねた。

「あれ、もしかして絵の勉強のために留学を?」

 そう問われて笑みを浮かべていたことに気がついた玲は、返答に困り口を噤んだ。
 そこへ栄の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「もう。あのように大声で恥ずかしい」

 だが栄は嬉しそうに婚約者を見やる。半年ほど前になるが栄は婚約を発表した。オメガ同士の婚姻だ。

「……仲がよろしいのですね」
「まぁ、今のうちでしょう。子供が出来ればあのようにはいきません」
「こ、ども、ですか……」
「玲さんも、いずれ母になります」
「えっ、えぇ……はぁ……」
「まぁ、髙藤さんはアルファであるし玲さんを独り占めなさりたいはずだから、当分子供はお預けになるでしょうけど」
「と、とんでもない!」

 結婚でさえ最近現実味を感じないほど遠くにいる数正。今とてこうしてひとり取り残されているというのに、子供だなどと想像もできないことだ。

「絵を待っていますよ」
「でも!」
「私は気が長いんです。いつになっても構いませんから」

 すると栄は玲の頬に優しく触れた。玲ははっとして栄を見上げた。

「私はもう行きます。玲さん、あなたもすぐに髙藤さんのところへお行きなさい」
「栄さん」
「あなたを諦めた者も少なくないんです」
「え……?」

 何故そんなことを言うのか。何故そのように切なそうにするのか。優しく指先で玲の髪を耳にかけると、栄は微笑した。

「もう時間だね」

 栄の婚約者がついに栄の隣へとやってきた。玲に一礼すると栄の腰に手を回し栄を引き寄せた。

「ではご機嫌よう」

 二人は人混みへと消えていく。玲はオメガとオメガの二人の背中を見送った。






 玲は控え室へと向かっていた。
 栄にあのように言われて数正のところへ行ったほうがいいのかもしれないと、少し恐れのようなものが迫った。歩きながら、玲は自然に自身の耳に触れていた。栄が触れた耳あたりがじんわり熱を帯びているようで、玲は耳に掛けられた髪を戻した。

 控え室は何室かあり、自由に使えるようになっている。予約も可能で、玲の母はオメガの玲のために何かある場合に備えて毎回予約をしてくれているため、今夜もその部屋へと向かっている。
 一ノ瀬家に与えられている控え室に到着した玲は、ドアを開けようとドアノブに手を伸ばすも、直前で開けるのを躊躇われた。数正と竹内が中で仕事の話をしているのなら、勝手に開けてはならないだろう。すぐさま手を丸め今度はノックしようと構えると、既のところでカチャリと小さくドアが開いた。隙間から細く光が漏れて中から誰かが出てくるようだった。
 咄嗟に手を引っ込めた、その時だった。

「――気持ちは無くとも、結婚はできる」

 数正の声だった。引っ込めた手先は震えて空を掴むだけ。ドアは自重で少しの隙間が開いただけで、静かにそのまま止まった。






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