アーザンハウス.バンド

稲葉真乎人

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食事会

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Lavaのオーナー石野は、娘を妊娠させたのは陽一と決めつけ。陽一の不誠実を責めて家にまで押し掛けてきたが、陽一も家族も「覚えのないこと」として対応した。
陽一の父の卓郎が、「そんなに仰るのなら、娘さんの優華さんに来て頂いて、本人の口から直接お話しを伺いたい」と言うと、「落ち込んでいて、そんな状態ではない」と石野は突っぱねた。
何度話しあっても埒があかず、陽一と麻野家は放置することにした。
その後、何故か石野からは音沙汰が無くなる。
桜の季節が過ぎて、東山の峰々が新緑に染まり始める頃。
アーザンハウス.バンドのファンだった客は、オーナーにバンドの消息を訊ね聞き、突然ステージに上がらなくなったことを残念がった。
田上隆司の父親を通して、オーナーから陽一に詫びの報せが入ったのは、そんな頃だった。
石野優華が嘘をついていた。
木屋町界隈では名の知れた高級クラブで働く、優華より十歳年上の、バーテンダーとしては優秀な男性が相手だったと知らされる。
ことの真相は、母親から優華に交際相手がいると聞かされたオーナーが、優華を問い詰めた。
父親の常々の言動から、水商売の彼を認めてくれる筈はないと思った優華は、父親から厳しい表情で問い詰められ、時間稼ぎに咄嗟についた嘘の相手が、父親が気に入っている陽一だったのだ。
優華は、暫く時間を置いてから打ち消すつもりだったが、真実を話す機会を失った。
色白でスレンダーな体形にワンピースが良く似合い、大人しくて静かに話す優華。
パブに姿を見せる、多くの活発で騒がしい女性達とは対照的な存在として、Lavaに来る若者達の憧れの的だった。
いつも後の壁の前に立って、アーザンハウス.バンドの演奏を聴いてくれていた優華に、陽一がピアノを演奏しながら視線を送ると、優華も優しい笑顔で視線を返す。
そんな二人の姿を、メンバーの誰もが気付いていた。似合いのふたりとして、メンバーが静かに成り行きを見守っていた中での、突然の出来事だった。
陽一にとっては、初めて結婚を意識した女性として、優華に好意を抱き、優華も好意を持ってくれていると思っていただけに、陽一の受けた衝撃は半端では無かった。それはメンバーにとっても同様であった。
石野にとって、娘の婚前妊娠に腹立ちはあったが、陽一が素直に受け入れてくれれば、二人の仲を認めようと思っていた。それだけに、意外な事実を知った後では、陽一にも麻野家にも会わせる顔が無かった。
そのとき以来、陽一が女性との真剣な付き合いを避けているのを、バンドのメンバーは知っていた。
真実が判明した後でも、陽一が優華と合うことは無く。
Lavaから遠のいたメンバーが、優華の噂を耳にすることも無かった。

竹間登が発起人の食事会は、俗に言う合コンに他ならないのだが、登は「僕らは大人だ。合コンじゃない。食事会だ」と言い張った。
金曜日に集まるのは、バンドメンバーに加えて、登が行き付けの歯科医院から連れて来る、歯科技工士の瀬川靖男を加えた男子五人。
女性陣は、陽一の会社の栂崎加奈と長野明菜。明菜が連れてくる篠宮芽衣。
竹間が同じ職場の安本香織と、アパレル関係業界雑誌の記者をしている、知人の坂崎美津子。男女五人ずつである。
会の発起人は竹間登だが、陽一が、心底からカップルになることに興味が無いと読んだ隆司が、社交下手な登に代わって、陽一に会の進行を仕切るように仕向けた。

前日の木曜日の夜。隆司が陽一に電話を掛けてきた。
登は会食の費用について「男性はひとり五千円。女性からは貰わない。不足分は全額面倒を見る」と隆司に伝えていた。
隆司は陽一に内容を伝え終わると、言った。
「陽ちゃん、ちょっと訊いていいか?」
「ああ、どうした?」
「傷は、まだ癒えてへんのか?」
「そのことか、気にすんな。こっちが勝手に思い込んで、付き合うてただけや。特に告白していた訳やないし、深く付き合うてた訳やないから、傷はオーバーだよ。ただな、ステージに立てようになったことだけは、残念やった思ってる……。みんなには悪いことをした……」
「何でや?。あれは、向こうが完全に悪いんや……。でも、本気で、その気にはなれへんか?」
「そう云う訳やない、特に急いで無いだけや……」
「あのな、もぉええ歳やで。その気にならんと……。それよりな、悪いけど、竹ちゃんに代わって仕切ったってくれへんか?。言うたように、費用の心配はいらへん。親父さんが面倒見てくれるらしいから……」
「親子で、そんなに結婚を急いでんのか?」
「そうなんや。この前、那美子ちゃんに会(お)うたとき、嫁に行ったら、後の男所帯が心配なんや言うてた……」
「那美子ちゃん、何処に嫁に行くんや?」
「滋賀の彦根市内や言うとった……」
「遠いと言えば遠いか……。市内じゃないからなあ……」
「悪いけど頼むわ?」
「分かった、何とかするよ」
「悪いなあ。結局、陽ちゃんに頼ることになるなあ……。女性も三人連れて来てくれるんやろ?」
「いいよ。さっきも言ったけど、バンドがLavaのステージに立てんようになったんは僕のせいや……。メンバーには迷惑掛けてるから……」
「気にすんなよ、落ち着いたら、またバンド再開せぇへんか?」
「そうやな。独りで弾いとっても寂しいもんな」
「そうやろ。早よぉ彼女を見つけて、結婚して、みんなでやろうや」
「ええなぁ。考えとくわ……」
「そうか……。ほな、明日、頼むわな?、僕も早めに行くから」

陽一は栂崎加奈と長野明菜、明菜の友人の篠宮芽衣と京都駅で待ち合わせる。
四人が揃って、地下鉄で四条烏丸駅まで行き、四条通からは歩いて、東洞院通を下がって会場のホテルに向かう。
加奈が歩きながら、陽一に寄り添って来る。
「今夜は男女五人だって、言ってたわね。訊いてもいい?」
「いいよ、何?」
「麻野さん、その気はあるの?」
「その気って?」
「カップル……」
「どうして?」
「わたしは、麻野さんがバンド活動をやめたときの経緯を知っているから……」
「そうだったね。まあ、好いひとが居れば成り行きかな……」
「成り行き?……。積極的にではないの?」
「相手に失礼かな?」
「まあ、この頃の若いひとはしたたかだから……。そんなに気を遣う必要も無いかもしれないわね」
「そんなに老けこんだことを言わない方がいいよ。今夜の男性陣は、みんな経済的には安定しているし、情緒も安定しているから……。僕が保証する。好いひとがいたら、君も一歩踏み出せよ……」
「勿論、そのつもりよ……。ねぇ、明菜さんのお友達、好い感じのお嬢さんじゃない?」
「そうだね。幾つなんだろ?」
「自己紹介で分かるわよ」
「本当の歳を言うのかな?」
「わたしは言うわよ。隠しても仕方無いでしょ……現実的に行かなきゃね」
「いいね。その心意気で頼むよ。僕が進行役を頼まれてしまったから……」
「いいんじゃない、知的で穏やかな麻野さんなら、格調高い合コンになるんじゃないかしら……」
「発起人に言わせると合コンじゃなくて食事会らしいよ……。おかしな雰囲気になったら助けてほしいな……」
「大丈夫よ。男性陣が麻野さんのお友達なら、みんな大人でしょ?」
「そうだな、四捨五入すると四十だもんな……」
「それを言わないでよ。わたしも同じなんだから……」
「そうだった。でも、そんなには見えないよ、ほんとに……」
「ありがとう……」

陽一達四人がホテルに入ると、先に来ていた隆司達が出迎える。
ホテルの担当者に案内されて行くと、会場は中華料理の個室で、円卓が二卓配されて、五人ずつの席が設けてあった。
席に着く前に、陽一が全員に、立ったままで簡単な自己紹介をしようと促すと、男女がランダムに並んだまま勤務先と名前を自己紹介した。
陽一は、栂崎加奈と長野明菜と篠宮芽衣の三人を、奥のテーブルに着くように言い、竹間登と瀬川靖男に奥の席に行くように促す。
陽一と隆司と雄作、登が連れてきた安本香織と坂崎美津子の五人がドアに近いテーブルに着く。
「それでは、途中で席を入れ替えますから、出された料理はそれぞれのテーブルで完食するようにして下さい。後で、あれを食べ忘れたと言わないようにお願いします。ここがお開きになりましたらホテルを出で、一軒だけラウンジに案内します。そこから先はご自由に……」
部屋に入るまえに、陽一が手洗いに行ったとき、登が「十万円入ってるから頼むわな」と言って、陽一に銀行の封筒のまま手渡していた。
会食は、誰かが大声を出すわけでもなく、和やかに会話が弾み、笑い声も聞かれる好い雰囲気で進んだ。
陽一が支払いをしているとき、ロビーでは隆司が、何時作ったのか、男性五人の携帯電話番号とアドレスをプリントした、名刺大のメモを女性達に渡して仕切っていた。
「この中の誰かに、後日連絡をするか、今夜一緒に帰られるかは、女性のみなさんにお任せと言うことでやらせてもらいますので……。+ラウンジで男性陣のアプローチがあるかも知れませんが、宜しくお願いします。それで宜しいですか?」
女性達はメモを手にしながら頷いていた。
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