アーザンハウス.バンド

稲葉真乎人

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バンドメンバー

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陽一が勤務する医療機器メーカーには、研究室も含めて全社員のほぼ半数が女性社員で占められている。
巷では比較的給料が良いと言われている会社で、通勤する女子社員の私服も、一見して安物ではないと分かる洒落たファッションが多く、お互いが競っているようにも見える。
男子社員もグレードの高い国産車や、外国製のスポーツ車で通勤している者も多くいる。
女性社員の高給は、他の会社に勤める女性に比べ、大いに婚期を遅らせているように、陽一の目には映っていた。
女性社員の中には、三十路を越える女性が半数に近い。
自ら結婚をしないという女性も多いらしいが、中には研究室で仕事に集中して、出会いの機会を逸している女性達もいると聞いていた。
陽一は三十七歳になるが、同期で研究室の主任をしている栂崎加奈と、社内では控えめな部類に入る、厚生課の長野明菜に声を掛けていた。
その明菜も三十歳の誕生日を迎えたばかりだ。
陽一は、昼休みに食堂で見かけた加奈に声を掛け、喫茶ルームに誘った。
加奈は陽一からの誘いを快く受けた。
「栂崎さん、君には全部話しておくよ」
「いいわよ。少々のことでは驚かないし、そんな歳でもないから……」
「何を言っているんだよ、魅力的だから声を掛けるんだよ。こっちのメンバーは僕の同期生ばかり、しかも一人はかなり真剣に早い結婚を考えているんだ」
「そうなの……」
「栂崎さんは、結婚を考えていない訳じゃないんだろ?。それとも誰か?」
「ないわよ。朝から晩まで研究室。下手をすれば深夜近い日だってあるのよ。そんなチャンスは無かったわよ……」
「そうか……」
「そうよ。何とかして、時間は作るわ。金曜日ね?、何処に行けばいいの?」
「うん。京都駅の中央出口に六時半でどうかな……、僕も行くから。それと厚生課の長野さんにも声を掛けているから、一緒に来てくれればいいから……」
「長野さん……。ハンデを感じるわね」
「どうして……。栂崎さんと聞いて、長野さんの方が、引くんじゃないのかな……」
「知っているの?、明菜さんって社内の男性が注目している女性なのよ……。彼女、麻野さんの誘いを良く受けてくれたわね……。もしかして麻野さんに気があるのかもしれないわね……」
「それはないよ。彼女から見ればオジサンだよ」
「待ってよ、それじゃあ私もオバサンてことじゃない……。麻野さんと変わらないのよ。やっぱりハンデは大きい感じがするわ……。でもいいわ、気にしないから」
「そうだよ、実年齢より見た目だよ。それで行こう、お互いに……」
「麻野さんは同期のひと達より、ずっと若く見えるから、いいわよね?」
「栂崎さんだって若いって……。でも、こんなことを言うのがオジサンなのかも知れないな、止めよう。じゃ、それでいいね?」
「いいわよ、コーヒーごちそうさま。ありがとう」

夕食後。陽一は隆司に電話をする。
「ああ、陽ちゃん。どう?」
「ふたり確保、大丈夫だよ。三十六歳と三十歳、いいやろ?」
「実戦向きやな……。陽ちゃん、ごめん」
「どうした?。中止か?」
「違うよ、竹ちゃんが、もうひとり追加だって言って来てるんや……」
「はあっ⁉……。最初から、そのつもりだったんだろ?」
「違うよ、あいつな、ご親切に雄ちゃんにも声を掛けたらしいんや。そやから、もうひとり女性が居らんことには、バランスが取れへんやろ?」
「隆ちゃん待てよ……。こっちは社内で三人も……?。ちょっと問題あるよなあ……。こっちは社内で噂になるかも知れへん……、ふたりとも社内では人気の女性なんや……」
「そうか、それは分かるよ。どうする?」
「隆ちゃん。いいよ、分かったよ。何とかやってみるよ」
「ほんとか?、助かる。経費は竹ちゃんに大奮発させるから、頼むな……」
陽一は隆司との電話を終えると、誘いを掛けたときに聞いた、明菜の携帯に電話をする。
「長野さん、麻野です……。ごめん。今、いいかな?」
「はい。今日はお声を掛けて頂いて、ありがとうございました」
「それなんだけど……、長野さんの友達で、誰か来てくれる女性は居ないかな?」
「どうされたんですか?。栂崎さん以外にですか?」
「うん、友達が女性を一人を連れて来るんだけど、男性が一人増えるらしくてね……。社内じゃないひとがいいんだけどな……、どうだろう?」
「いいですよ。ひとり心当たりがありますから。折り返しお電話をしましょうか?」
「ほんと?。そうしてくれると助かるなあ……」
「じゃぁ、後で、お電話します」
「ありがとう。じゃあ、後で……」
「失礼します……」

明菜からの電話では、高校の同期で、市内の医院で受付をしている、篠宮芽衣を連れていくと連絡があった。
園田雄作が加われば、かつてのバンドメンバーが勢揃いすることになる。
陽一が通っていた高校のブラスバンド部は、部員不足が続く少人数の部活で、吹奏楽に必要なすべての楽器が揃っている訳でもなく、せいぜい校内の文化祭で演奏をする程度の小規模の合奏団のようなものだった。
部活のメンバーの中で、鍵盤楽器担当の麻野陽一、ギターの田神隆司、ドラムの園田雄作、ベースの竹間登の四人は、部活と離れてバンドを組んで楽しんでいた。
四人それぞれが得意とする楽器に関わりを持った動機はまちまちだったが、ジャズを目指すことについては同じだった。
両親共に音楽教師の園田雄作は、学生時代の楽団でドラムをやっていた父親の影響で、幼いころからドラムを始めた。
テクニックは中学生とは思えない、大人っぽいスティックやブラシ捌きを駆使して演奏をする。
父親の音源コレクションの影響で、デューク.エリントン楽団を好んで聴いている。
田神隆司は、型破りと言われたギターリスト、スタンリー.ジョーダンに惹かれてギターを始める。技巧派のギターリストに憧れて、テクニックを磨くギターオタクだ。
反物屋の息子の竹間登は、中学生の頃にテレビのコマーシヤルで見た、ベーシストのロン.カーターに憧れてウッド.ベースを始めた。
高校卒業の頃には伸長が190㎝を超え、細身の身体と癖髪のショートカットの風貌が、薄暗いステージでは、ロン.カーターのシルエットに酷似していた。
最近は中古のエレキベース《Art-Tech》の六弦を手に入れて、テクニックを磨いていると話している。
麻野陽一は母親に勧められて幼い頃から音楽教室でピアノを習っていたが、中学時代に桑田佳祐の「いとしのエリー」を「エリー.マイ.ラブ.ソー.スィート」と歌う、レイ・チャールスに惹かれる。
それをきっかけに、自分でもピアノを弾きながら歌うようになる。その後、ジャズを歌うようになり、今度はナット.キング.コールに興味を持つと、好んで聴くようになる。
社会人になってバンド活動を始めてからは、スタンダード.ポップスも歌うようになり、エルトン.ジョンやビリー.ジョエルのレパートリーも好んで選曲した。
今はオスカー.ピーターソンのピアノに惹かれている。
ピーターソンが歌っている『With respect to nat-Oscar Peterson trio』のCDは、ピーターソンの声がナント.キング.コールに似ていると云うこともあり、愛聴盤の一枚だ。
バンドのメンバー四人は、高校時代から、父親が骨董店を営む隆司の家の、二棟ある土蔵の使わなくなった土蔵で、ポップスを中心に演奏していた。
ある時、隆司の父親の膨大なジャズレコード.コレクションから、気分転換にと、多くの演奏を聞かされるようになり、ジャズへの興味を深くする。
四人とも違う大学に進んだが、休みが合うと土蔵でセッションを楽しんでいた。
大学二年の冬休みのある日の夜だった。
いつものように、土蔵の中で演奏を楽しんでいると、ツィードのハンティングジャケットを着てハンチング帽子を被った、上品な感じの男性を、隆司の父親が案内してきた。
隆司の父親とその客は、寒い土蔵の敷居に腰かけて、熱心に演奏を聴いていた。
客は隆司の父親の友人で、市内の北区でパブ《Lava》(ラーヴァ)を経営している石野繁樹だと、後で聞かされる。
Lavaはバンドメンバーも、音楽仲間の先輩達から聞いて知っている、ライブステージが在るので有名なパブだ。
石野が来てから後。月に一度、プロミュージシャンがステージを勤める午後九時までの穴を埋めるため、7時と8時からの30分の2回、陽一達のバンドが『Lava』のステージに上ることになった。
バンド名の《アーザンハウス.バンド》は、オーナーの石野が、陽一達の練習場である土蔵からインスピレーションを受け、英語のEarthen Warehouseを《アーザンハウス》としてバンド名にした。
大学を卒業して就職してからの数年、アーザンハウス.バンドとしてステージに上がることは無かった。
就職して五年くらい経った頃に、オーナーから誘われて、ときどきステージに上がるようになる。
その頃は、アーザンハウス.ジャズ.カルテットとしてステージに出ていた。
出演バンドリストには、ミルト.ジャクソンが結成したミルト.ジャクソン.カルテット、後にモダン.ジャズ.カルテットになったMJQに因んで、EJQとして載っていた。

三年前まで、月に二、三度は、午後8時からワンステージだけスタージに出ていた。
三年前、オーナーの娘の恋愛騒動に陽一が巻き込まれ、それを機にLavaのステージには上がらくなった。

パブのオーナー石野は、芸大を卒業してから、暫くは音楽講師をしながら、ピアノ奏者としても活躍していた。
やがて、頼まれて学外の音楽イベントやコンテストに関わる様になると、次第に学外の音楽関係者との関わりが多くなり、特にジャズとポップス関係者には広く知られる処となった。
三十代になると、突然、大学を辞め。書画骨董商を営んでいた父親のバックアップを得て、自らが経営者としてライブ.ステージの在るパブLavaを開いた。
《Lava》の名は、パブのステージから、若いミュージシャンを《溶岩》のように、音楽業界に向けて流出させたいと云う願望を籠めて命名された。
若い頃は、見掛けに寄らず派手な性格で、音楽関係者とも無茶な遊びをしていたらしいが、父親となってからは、自分の娘に厳格な躾をしていた。
長男は居るが、ひとり娘にはミッション系の大学を卒業させた後、堅気の青年と結婚をして欲しいと願っていた。

事件は三年前の春、鴨川の土手の桜が満開の頃だった。
陽一はパブのオーナーに呼び出されて、開店前のLavaに行くと、オーナーは陽一の顔を見るなり言った。
「わたしは反対をしてはいないんだ。どうして堂々と言ってくれなかったんだ?」
陽一は面喰った。何のことか理解できずにいると、続けてオーナーの口から、「娘の優華が妊娠をしている」と知らされる。
「去年うちでやった、クリスマスライブの打ち上げのときらしいな……」
確かに、バンドのメンバー全員と、他にも五、六人の男女で、深夜まで遊んだことは覚えているが、その中に優華は居なかった。陽一には心当たりが無く否定する。
オーナーは陽一の言葉を疑い、陽一を卑怯だと一方的に罵倒する。
紳士的で温厚な年長者として、遠慮をしていた陽一も激昂して反論する。
騒ぎを聞いたパブのチーフが割って入り、後日、落ち着いて話し合うようにと、取り成してくれて、その日は終わった。
後日、パブのチーフに事情を訊きに行ったバンドの仲間は、穏やかで激しく怒ったのを見たことの無い陽一が激怒したと知り、同じように全員が激怒した。
メンバーはパブから戻って陽一に会うと「バンドとして二度とLavaには行かへんぞ」と言い切った。
アーザンハウスバンドは、陽一が呼び出された日以来、二度と石野に会うこともLavaのステージに立つことも無かった。
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