アーザンハウス.バンド

稲葉真乎人

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親友の頼み

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高校時代からの友人、田神隆司(りゅうじ)から電話があったのは、秋雨の降る夕べのことだった。
午後七時過ぎに会社を出た。
《JAZZ PIANO》のCDを探すつもりで、四条通の繁華街に在る楽器店に向かっているときだった。
バッグのサイドポケットに入れていた携帯が鳴った。手にすると液晶画面には登録済みの田神隆司の名前があった。
「おい、隆ちゃん。何だ、良い話しか?」
「悪いな、陽ちゃん。竹ちゃんから話しが来たんだ……。今いいか?」
「いいよ、帰りだ。今、何処から電話をしているんだ?」
「ああ、京都駅だよ。陽ちゃんは?」
「四条通りだ」
「これからの予定は?」
「無いよ、CDを探そうと思って……」
「そうか、一杯、どうだ?。タクシーで、直ぐ行くけど……」
「ああ、いいよ。大丸(百貨店)の前で待ち合わすか?」
「いいよ。これから直ぐタクシーに乗るから、それじゃあな。話しは後で……」
「オーケー。じゃあ」

陽一と隆司は、四条通りに面したビルの地下にある、居酒屋のテーブル席に座った。
隆司が陽一にビールを注ぐ。
「じゃ、まずは乾杯……。この前、飲んだのは先月だったかな?」
「そうだよ。忙しそうやないか?。京都駅からと云うことは、何処かに出張やったんか?」
「ああ。広島だ。そうだ、これ、小母さんに渡してくれ」
「いいのか?」
「ああ、牡蠣とも思ったんやけど、広島菜漬にした。親父さん、好きや言うてはったやろ?」
「わざわざ買ってきてくれたんか?」
「うん、日頃から親父さんには、色々とお世話になっているからな……」
「そうか……じゃぁ遠慮なく。親父に渡しとくよ」
「あのな、竹ちゃんの電話なんやけど……。ちょっと焦っているみたいなんや、誰か女性を紹介してくれって……」
「待てよ、僕が準備するのか?」
「いや、僕も陽ちゃんも、お互い独りもんやろ…。だから、竹ちゃんが自分も連れて行くから、そっちも連れて来てくれ言うてんのよ……。そういう話しなんやけど……どうやろ?」
「そう言うことか……」
「ああ。陽ちゃんの会社には、独身女性が、ぎょうさん居てるやろ?」
「まあな……」
「うちは個人会社やからな、独身の女性は真紀ちゃんしか居てへん。その真紀ちゃんには彼氏がいるらしいから駄目やし。陽ちゃんは社内結婚はしない言うてたけど、社内の女性を紹介してくれるんは、ええやろ?」
「いいよ。何人連れていけばいいんや?」
「こっちが三人やから、最低二人やろ?」
「僕が二人か?」
「だから、僕には心当たりがないんや……、だから陽ちゃんに声をかけたんやないか……」
「そうか……。ええよ、何とかするよ」
「助かるよ。竹ちゃん、泣くようにして頼んでくるんや……」
「でもな……、連れてくる女性が居る言うことは、周りに女性が居て、チャンスが無いことも無い言うことやろ?」
「それがな、同じアパレル業界の女性は、竹ちゃん自身が全部裏表を知ってるから、嫌や言うて……」
「贅沢なやつやな。焦ってるんやったらそんなこと言うてられへんやろ……」
「妹の那美子ちゃんが、春には嫁に行くらしいから……」
「待て……。家事をさせるために嫁さんをって、そんな話しなんか?」
「それだけやないよ。親父さんと二人じゃ寂しくなるし、ぼく等も、そろそろの歳やろ?。陽ちゃんかて、親父さんや小母さんから言われへんか?。あれから、もう三年になるよなあ……」
「ああ。言われてはいるけど、こればかりはな……」
「そうやろ、こっちもお袋が居ないから、竹ちゃんと似たようなもんなんや……。特に内は大変なんだよ。嫁さんは嫁であって、更に店の戦力になるような女性って条件付きやから……」
「何でよ?。隆ちゃんの処は、親父さんと従業員三人を入れて五人だろ?。今の陣容で十分回せてるんと違うの?」
「まあな、ネット販売を始めただろ。予想以上に売り上げが伸びてるんや。陽ちゃんの親父さんのアドバイスのお陰や、感謝しているんだ。でもな、儲かっている間に、人材を確保しておきたいんや。そうかと言うて、正体の知れんような人間は雇われへんしな……」
「うちの親父は、資金繰りだけのアドバイスやったんやろ……。それに、この不景気や。職を求めている人は山ほど居てるんやないんか?」
「違うよ。知らへんの?。親父さんは、経営コンサルタントが十分できる経験と見識を持っておられるよ。配送を委託したお陰で、収益が上がるようになったんや。退職しはっても引く手数多や思うよ……。それとな、人が余っていても、内のような個人商店には、そう簡単に優秀なのは来てくれへん。それが実情なんや」
「そんなものか……。まあ、外で見ているだけやから、分からへんけどな……」
「そうだよ。それより、今週末の金曜の夜でいいか?」
「三日後か……、分かった。明日にでも電話するよ。大丈夫やと思うけど、場所は何処でやんの?」
「ああ、それなんや。竹ちゃん、張り切ってホテルのレストランの予定や言うてたよ。僕は金は無いぞ言うたら六、四でいい言うて……。ほんまに切羽詰まってるんかな……」
「僕らの負担が四割でいいの?。それってプレッシャーやなぁ……。その気になれる女性やないと駄目云うことやな?」
「そう云うことになるなぁ……。頼むよ。竹ちゃん不器用やから、自分から声を掛けられへんのよ……。そのくせ、伯母さんの紹介の見合いは嫌って言うんやから、よお分からん……」
「隆ちゃんだって、あまり変わらへんやろ?」
「僕は違うよ。ベースって結構みんな地味やろ?」
「それを言うなら、目立ちたがりのリードギターが積極的に手配をしてやれよ?。得意やろ?」
「そんなん、むかしのことや……」

大阪に本社のある、アパレル関係の会社に勤務する竹間登は、高校時代に陽一と隆司が所属していたブラスバンド部のメンバーで、部員からは竹ちゃんと呼ばれていた。
それぞれが違う大学に進んだが、ブラスバンド部で一緒だった陽一と隆司と竹間登。
それに、今は社会福祉士をしているドラムの園田雄作を加えた四人は、バンドを組んで色々な場所で演奏活動をしていた仲間だ。
隆司は陽一の返事を聞いて安心したいのか、落ち着いた感じで「よーし、飲むか」と、溜息を吐くと、リラックスした様子で椅子に凭れた。
「隆ちゃん、出張帰りなんやろ?。ゆっくりしとってもええんか?」
「ああ、いいんだ。実はな、仕事で広島に行ったんと違うんや……」
隆司が真面目な顔をして背筋を伸ばした。
「どうしたんや?。もしかして典子ちゃんのことか?」
「陽ちゃん、相変わらずいい勘してるな。そうなんや。親父の妙代で……」
「典子ちゃんに何かあったん?」
「うん……。病院勤めをして三年だ……。医者だからと云って、早く結婚してはいけないって理由は別にないんやけど……」
「結婚話しで、なんか問題が?」
「相手は良いひとなんやけどなあ……。僕らより七つ年上のお医者さんなんや。典子とは十歳違う……」
「歳の差か?」
「違うよ、子供が居る子持ち……。それと離婚が成立したばかりでな……」
「それで問題は何?。親権か?」
「こどもは三歳や。親権は父親になってるし、離婚は成立して、こどもの母親は今後一切の行き来はない云うことで決着だって……」
「そんなん云うても、面会はできるやろ?」
「それが酷いんや。母親はこどもに未練はないと来た……薄情な母親もおるもんなんやな……」
「だから問題は何……。まあ、無理に訊いちゃ悪いな……」
「癌なんだ……」
「典子ちゃんが?」
「違う、相手だ。典子は承知で結婚したい言うてるんや……」
「先が短いのか?」
「そこまでは聞いてへん。親父は、苦労を買ってまでする必要はない言うてな。それ以上典子の話しを聞こうとはせえへん……」
「それは、そうやろなあ……。それで、隆ちゃんは相手に会うてきたんか?」
「会った。いいひとや、と言うか。いいお医者さんって感じのひとやった……」
「そんな良い人なのに、なんで離婚したんや?」
「ああ、思い出させて悪いけど、あの時のバーテンと彼女の関係に似てるんや……」
「そうか……。奥さんが、ふとした感情の揺らぎで、お医者さんの方に来てしまった言うことか?」
「そんな感じみたいやな……。だから、奥さんは、元の彼氏の処に戻るってことやろなあ……」
「それで隆ちゃんは、親父さんに何て報告をするつもりなんや?」
「典子は言い出したら聞かへんやろ……。二人が並んでいる処を見ると、良い感じなんや。彼は、ちょっと顔色が悪かったけど……。典子の話しやと、十分治療は可能で、完治の可能性は高い云うことや。僕は悲観的には考えてへん。典子はしっかりしてるよ。死んだお袋によお似てる……」
「結婚に反対はせえへんのや?」
「ああ。男と女の出会いに、定番も定石も無いやろ?」
「そうだな、その話しを聞いたら、合コンなんて、安易な出会いの手段みたいに思えるな……。それをやろうとしてるんや。なんか笑えてくるよ……」
「まあ、そう言うなよ。最初からハンデを抱えたひとを選ぶひとは、そんなに居てへんやろ……」
「まあ、それはそうかもな……」
「そんな話しで広島に行ってたんや。典子のために親父を説得してやろうかと思ってる。だから何も気に病むことはないんや。飲もう……」
「そうか、飲もうか……」
隆司の妹の典子は、ミッション系の女子高校時代に、広島と長崎の原爆体験談に触れ、平和について考える機会があった。
大学受験のとき、当時は健在だった母親を説得して、わざわざ広島の大学の医学部に進学すると言った。母親は典子の広島行きを止めはしなかった。
物静かで優しい雰囲気の典子だが、芯の強い、しっかりとした女子高生だった。
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