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第三章:ドミナント「瑛斗」視点
愛されているなんて知りたくなかった
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部屋のインターフォンを押すと、すぐに陸久がドアを開けてくれた。
「先輩……
ほっとしたように薄く笑みを浮かべて、陸久が部屋の中に招き入れてくれる。
手を洗い、あの夜と同じようにベッドを背もたれ代わりにして、ローテーブルに置いたうな丼を食べた。
豚汁の野菜をちまちまと箸で摘まんで食べている陸久が、とてもかわいい。彼のリスのような細かな仕草を見ているのが好きだった。小さな口や、はにかむような笑顔が大好きだった。
じっと見つめられていることに気づいた陸久が、瑛斗の方を向いて恥ずかしそうに、でも幸せそうに笑った。
こんなことで、陸久は笑ってくれる。
笑ってる顔が大好きなのに、同じくらい泣いている顔も見たいと、瑛斗のドミナントとしての本能が願ってしまう。
ダイナミクスは先天的な個性だと高校の授業で習ったけれど、この本能は個性というよりも「病気」と呼ぶべきものなのではないか。愛しい人の泣き顔をみたいなんて、そんな願いを持つ自分はどうかしている。
瑛斗は己の血を恨み、自身の運命を呪った。
うな丼を食べ終わると、陸久が何か飲むかと瑛斗に訊ねた。
「ビールか紅茶か、どっちがいい?」
「紅茶を、貰おうかな」
了解、と言って、陸久はいつもと同じように丁寧な所作で琥珀色の紅茶を淹れてくれた。
湯気の立ち上るティーカップから、一口紅茶を含んだ。同じ茶葉を使っても、瑛斗が淹れるとこんな風に香り高いまろやかな紅茶にはならない。まるで淹れる人の心の在り方を反映しているのではないかと思う。
瑛斗はティーカップをテーブルに置くと、まっすぐに陸久の顔を見つめ、口を開いた。
「陸久」
「うん?」
「……別れよう」
「え……?」
陸久の動きがぴたりと止まる。
陸久を傷つけたくないから別れたいなんて言ったら、きっと彼は「傷つけられてもいいから別れたくない」と言うんだろう。
だから、瑛斗は嘘を吐くことを選んだ。
「お前といると……、辛いんだ」
ひどい台詞だと、瑛斗自身も思う。
緩やかに結ばれていたはずの陸久の唇が薄く開き、大きく見開かれた瞳に涙の膜が張られる。
「なんで……? この前俺が吐いたから? いやだ先輩。いやだ。次はちゃんとやれるから!」
「あんなことやれるとか言うな。あんな屈辱的な行為、受け入れる必要なんてないんだ。多分俺は、これからもっとひどいことをお前に求める。大事なお前にそんなことを求める自分にうんざりする」
「何を求めてもいい! 何でもするから!」
「きっとそうだと思う。陸久は辛くても悲しくても、きっと、俺の要求には何でも応えてくれるだろう。それが……辛いんだ。俺はそんなことお前にさせる自分を、殺したくなる……」
「違う。きっと俺が悪いんだ。俺がこんなだから……先輩に見合ってないから」
「違う! 何も陸久のせいじゃない。そうじゃないんだ。多分……俺はドミナントなんだ。今なら血液検査すれば、すぐに判断できる量のホルモンが検知されると思う」
「ドミ……ナント? 先輩が……?」
急に真実を知らされた陸久は、驚いた顔で瑛斗を見上げる。
「嘘だろ?」
「嘘みたいだよな。俺にも最初は信じられなかった。でも、そうなんだ。俺にはドミナントの血が流れてる」
ドミナントに必要なのは、サブミッシブのパートナーだ。それは、太陽は東から昇り西に沈むのと同じくらい当たり前のことだ。
「すまない陸久。俺には……プレイが必要なんだ。俺にすべて委ねて、俺が出すコマンドに歓びを感じてくれるサブが……必要なんだ。ドムとしての本能を自覚すればするほど、支配的な行為に耽りたくなる。お前の世話を焼きたくてたまらない。醜い本能だと分かってる。でも、どれだけ抑えようとしても欲求が抑えられない」
「先輩……」
「俺は、ドミナントとしてのプレイを求めてもらえない限り、自分自身の存在を肯定できない……」
告げながら、瑛斗もまた涙を零していた。
呼吸もままならないほど苦しかった。
今さらドミナントというダイナミクスが発露してしまったことが苦しい。その事実が大切な人を苦しめていることが辛い。そんなもののせいで陸久を手放さなくてはならないことが悲しくてたまらない。
瑛斗は唇を噛み、両手で頭を抱えて俯いた。
せっかく気持ちが通じあえたというのに、こんな結末を迎えるのなら、陸久から愛されているなんて知らない方がマシだったのかもしれない。手に入れさえしなかったら、失う痛みはなかった。
「ごめんね、陸久……」
「いやだ。先輩、いやだ、俺は別れない」
珍しく、陸久が子供のような主張を繰り返す。
「陸久、頼む。俺を楽にしてくれ……」
ズルい言い方なのは分かっていた。陸久の優しさに甘えて、別れを承諾させようとしている。
「いやだ……絶対いやだ……」
何度も同じ台詞を繰り返した陸久が、瑛斗の身体に抱きついた。
まさかここまで頑なに別れを拒否されるなんて、瑛斗は想像もしていなかった。
陸久はどこへ行くのでも何を食べるのでも、「先輩が好きなやつでいい」と言って、どこへ連れて行っても何を食べさせても「楽しい、美味しい」と嬉しそうにしていた。だから別れを切り出しても、「分かった」と素直に受け入れてくれると思っていた。
「陸久……分かってくれ……」
「俺、ちゃんと勉強するから。サブになるから」
「ダイナミクスは先天的なものだ」
「分かってる。でも、俺とのプレイを試してほしい。それでダメなら諦めるから……。先輩、別れたくない」
「先輩……
ほっとしたように薄く笑みを浮かべて、陸久が部屋の中に招き入れてくれる。
手を洗い、あの夜と同じようにベッドを背もたれ代わりにして、ローテーブルに置いたうな丼を食べた。
豚汁の野菜をちまちまと箸で摘まんで食べている陸久が、とてもかわいい。彼のリスのような細かな仕草を見ているのが好きだった。小さな口や、はにかむような笑顔が大好きだった。
じっと見つめられていることに気づいた陸久が、瑛斗の方を向いて恥ずかしそうに、でも幸せそうに笑った。
こんなことで、陸久は笑ってくれる。
笑ってる顔が大好きなのに、同じくらい泣いている顔も見たいと、瑛斗のドミナントとしての本能が願ってしまう。
ダイナミクスは先天的な個性だと高校の授業で習ったけれど、この本能は個性というよりも「病気」と呼ぶべきものなのではないか。愛しい人の泣き顔をみたいなんて、そんな願いを持つ自分はどうかしている。
瑛斗は己の血を恨み、自身の運命を呪った。
うな丼を食べ終わると、陸久が何か飲むかと瑛斗に訊ねた。
「ビールか紅茶か、どっちがいい?」
「紅茶を、貰おうかな」
了解、と言って、陸久はいつもと同じように丁寧な所作で琥珀色の紅茶を淹れてくれた。
湯気の立ち上るティーカップから、一口紅茶を含んだ。同じ茶葉を使っても、瑛斗が淹れるとこんな風に香り高いまろやかな紅茶にはならない。まるで淹れる人の心の在り方を反映しているのではないかと思う。
瑛斗はティーカップをテーブルに置くと、まっすぐに陸久の顔を見つめ、口を開いた。
「陸久」
「うん?」
「……別れよう」
「え……?」
陸久の動きがぴたりと止まる。
陸久を傷つけたくないから別れたいなんて言ったら、きっと彼は「傷つけられてもいいから別れたくない」と言うんだろう。
だから、瑛斗は嘘を吐くことを選んだ。
「お前といると……、辛いんだ」
ひどい台詞だと、瑛斗自身も思う。
緩やかに結ばれていたはずの陸久の唇が薄く開き、大きく見開かれた瞳に涙の膜が張られる。
「なんで……? この前俺が吐いたから? いやだ先輩。いやだ。次はちゃんとやれるから!」
「あんなことやれるとか言うな。あんな屈辱的な行為、受け入れる必要なんてないんだ。多分俺は、これからもっとひどいことをお前に求める。大事なお前にそんなことを求める自分にうんざりする」
「何を求めてもいい! 何でもするから!」
「きっとそうだと思う。陸久は辛くても悲しくても、きっと、俺の要求には何でも応えてくれるだろう。それが……辛いんだ。俺はそんなことお前にさせる自分を、殺したくなる……」
「違う。きっと俺が悪いんだ。俺がこんなだから……先輩に見合ってないから」
「違う! 何も陸久のせいじゃない。そうじゃないんだ。多分……俺はドミナントなんだ。今なら血液検査すれば、すぐに判断できる量のホルモンが検知されると思う」
「ドミ……ナント? 先輩が……?」
急に真実を知らされた陸久は、驚いた顔で瑛斗を見上げる。
「嘘だろ?」
「嘘みたいだよな。俺にも最初は信じられなかった。でも、そうなんだ。俺にはドミナントの血が流れてる」
ドミナントに必要なのは、サブミッシブのパートナーだ。それは、太陽は東から昇り西に沈むのと同じくらい当たり前のことだ。
「すまない陸久。俺には……プレイが必要なんだ。俺にすべて委ねて、俺が出すコマンドに歓びを感じてくれるサブが……必要なんだ。ドムとしての本能を自覚すればするほど、支配的な行為に耽りたくなる。お前の世話を焼きたくてたまらない。醜い本能だと分かってる。でも、どれだけ抑えようとしても欲求が抑えられない」
「先輩……」
「俺は、ドミナントとしてのプレイを求めてもらえない限り、自分自身の存在を肯定できない……」
告げながら、瑛斗もまた涙を零していた。
呼吸もままならないほど苦しかった。
今さらドミナントというダイナミクスが発露してしまったことが苦しい。その事実が大切な人を苦しめていることが辛い。そんなもののせいで陸久を手放さなくてはならないことが悲しくてたまらない。
瑛斗は唇を噛み、両手で頭を抱えて俯いた。
せっかく気持ちが通じあえたというのに、こんな結末を迎えるのなら、陸久から愛されているなんて知らない方がマシだったのかもしれない。手に入れさえしなかったら、失う痛みはなかった。
「ごめんね、陸久……」
「いやだ。先輩、いやだ、俺は別れない」
珍しく、陸久が子供のような主張を繰り返す。
「陸久、頼む。俺を楽にしてくれ……」
ズルい言い方なのは分かっていた。陸久の優しさに甘えて、別れを承諾させようとしている。
「いやだ……絶対いやだ……」
何度も同じ台詞を繰り返した陸久が、瑛斗の身体に抱きついた。
まさかここまで頑なに別れを拒否されるなんて、瑛斗は想像もしていなかった。
陸久はどこへ行くのでも何を食べるのでも、「先輩が好きなやつでいい」と言って、どこへ連れて行っても何を食べさせても「楽しい、美味しい」と嬉しそうにしていた。だから別れを切り出しても、「分かった」と素直に受け入れてくれると思っていた。
「陸久……分かってくれ……」
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