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サヘラン様並びに、その側近女のこと
しおりを挟むそうして、奴隷市場に売りに出され、
どちらにしても、運命が決まる、その時まで
何とかしようと足掻いていると、不意に
私の頬に当たる夕日の光が遮られ、目の前
というには少し遠い所に、人影が見えました。
私の目に朧気に浮かぶ、その黒い影は
二つあり、一つは背が高い男性らしき影、
そして、もう一つは髪型は男性のよう
でしたが、体の輪郭はどこか女性のように
美しい影です。
[あ……! この子良くないかな?
俺の凄い好みの子だよ……!]
[え……サヘラン様……お言葉ですが……
この女奴隷は、齢がまだ十にも満たしてなく
流石にお相手は厳しいのでは……?
本日は性のお相手をお探しにきたの
ですよね?]
[そうだよ……? えー全然大丈夫だと
思うけど……この子、案外強そうだし……
ってなんでそんなことを知っているんだ?]
[この餓鬼のような見た目でですか!?
えっと…それはここに書いてある
じゃないですか!!]
女らしき人が檻の前に置かれた説明書きを
指差し、二人の男女が最初に見えた場所から、
私の目の前へやってきました。
[プリェーナ……言葉遣いちゃんとしないと…
まっ、確かに体は酷く痩せ細って気味悪さ
さえ感じる程だけど、ほら…瞳は熱いのを
宿しているよ?……僕と同じ瞳だ……]
若い男は近くでも背が高く、少し離れた所
からでは気付かなかったのですが、
黒いスーツを身に纏っており、どことなく
畏まった雰囲気をしていました。
そして、その男の付き添いと思われる
若い女も同じように、男の深緑色のネクタイに
対して、暗紅色のネクタイを締め、
真っ白に洗われた清潔感のあるワイシャツと
スーツ、そして折り目のある
フォーマルなズボンに身を包んでいました。
彼女の外見はとても美しく、男装がとても
似合っていたのですが、自身の黒い髪の毛先を
首元の近くで揃え、そして切れ長のまつ毛に
収まっている冷たく沈んだ蛇のような
茶色の瞳からは、どこか高圧的な印象を
受けました。
[申し訳ありません……では、こちらの
女性の方にするのですか?]
[ああ……一応、彼女にも聞いてみるけど]
私はそう言われ、暫くしてその彼女が
自分自身だと分かりました。
何故なら、私みたいな奴隷は、方などと
呼ばれず、ほとんど蔑まれて呼ばれることが
多かったからです。
人畜、無人権者、疎まれ者……その他にも
沢山の人々が様々な蔑称でお呼びになり、
その言葉達を言われる度に、私は何とも
言えない……自らの出生や、世の中を恨んで
絶望する気持ちと、何をしても無駄と感じる
諦めが混ざり合ったような気持ちを
感じていました。
故に、そのような意図は、女にはなかった
のでしょうが、自分をこちらの女性の方と
呼んでくれて、誰かから初めて、
自分を一人の人として見てくれたような
気がして、それが、とても嬉しく思いました。
[そこの小さくて麗しい奴隷の君……
僕と話してくれるかな?]
[はっ……はいぃ……]
突然話しかけられて、思わず、
声が縮こまってしまいました。
今まで労働のとき以外、檻から出たことが
なく、せいぜい話したことがあるのは、
近くにいる同じような身分の者くらいで、
富裕層などと話したことが無く、
緊張してしまったからでしょうか……
私に向けられた彼の声は、草原に咲き乱れる
花達を揺らす微風のように爽やかで、
でも、その中には妙な色気も隠れています。
私はなんて不幸な女なんでしょう……
死ぬ前にこのような醜く、人ならざる
痩せ細った姿で、こんなにも美しい人に
出会ってしまうなんて……これでは死ぬのが
怖くなってしまうではありませんか……
せめて、目の前のお方の様に、美しい姿で
死んでいきたいと思ってしまうでは
ありませんか。
醜い私には届かない程、美しいのを見せ、
この世での未練を感じさせるなんて、
やっぱり神様は無慈悲なのですね……
自分で自分なりに覚悟を決めたつもりで
いましたが、どうやら覚悟は
まだまだ甘かったようです。
[newpage]
[なんて可愛らしい素敵な声なんだ……
あの……もし良かったらなんだけど、
僕と一緒に来てくれないか?]
[えっ……あっ……え、ええ!
こんないやらしい自分でも、よ、良ければ
……で、でっ、でも、私、きっと貴方達の
何のお役にも立てないと、と思いますよ?]
そうして嘆いていると、突然、
自分を買うような言葉を言われ、美しい人と
いられる嬉しさによるものなのか、
黙りながら喋ってしまい、後から自分が
変なことを言っていたのに気づきました。
元々、少し黙ってしまう癖があるのも
原因だとは思うけど……
[良いんだ……確かに今、その状態では、
僕の家で奉仕は愚か、皿洗いでさえも
できないだろう ならば君に最低限……
衣服と食事、そして住む場所を与え、
病院に行かせることも約束する]
[えっ、良いのですか? 唯の消費物である
奴隷の私如きに、そのような素晴らしい
待遇を施していただいて……]
私は彼の言葉を聞き、嬉しさと共に
不信感を抱きました。
何の対価も与えず、そんな待遇を受けて
良いものなのかと……でも、それは
彼から言われた、次の言葉で無くなって
いきました。
[ああ……勿論だ ただ、何も君から
くれなくて、衣食住は与えられない……
君には僕の家で、その痩せた体を人並みに
まで良くして貰って、それ次第、僕に性的に
奉仕し、自分の野望にも手伝って貰う]
[野望にですか?]
[ああ、まぁ、それは君を買ってから、
おいおい話すとして、衣食住はそれの対価、
お金としてあげる……で、どうかな?
それに、君はきっとこんな場所で
終わっていけない人だ……僕には分かる!]
そう、彼は確信するような口調で仰り、
続けて、同じ目線にまでしゃがみ、
私と目を合わせると、全てを諦めかけている
自分に対し、言い聞かせるよう……
諭すようにこう言ったのです。
[今まで酷い扱いをされてきた分、
これからは僕と一緒にこの世界を
楽しまないか?
僕が君を救ってみせるさ]
そう綺麗な声で微笑みながら言う彼からは、
優しい雰囲気ながらも、どこか危険な
雰囲気が伝わってきました……
きっと、このお方は、人としての感性が
無くなり始めている私を今以上に狂わして
しまうお人なのだろうと……
でも、その提案は死ぬか、酷く醜い
金持ちに買われるだろうと思っていた私に
とって、不都合なことは何もなく、
あまりに魅力的な提案で、同時に彼のためなら、
私はどうなっても良い……そう思えてしまう
ほどに、彼の外見と雰囲気に酔い始めても
いました。
そのため、自分の掠れた女性らしからぬ
声が出せる精一杯の声量を出し、ゆっくりと、
けれども迫った様子で懇願します。
[確かにそうかもしれません……!!
私、新しい世界を貴方の元で知りたい……
お願いします! わた、あ、失礼しました……
こんな醜い私を買っていただけませんか!]
私のこの先が決まる、言わば運命の
審判が訪れたとでも言いますか……私は、
彼の言葉を聞き、変わった胸の内を
彼に全て伝え、審判を待ちました。
[ああ……分かった! 君を買おう!
例え、どんなに値段が張っても買うさ…
だか、これからなるべく自分のことを
卑下しないでおくれ……君は僕に劣らぬ、
素晴らしい女性だから……]
暫く間が空いてそう仰りながら、彼……
サヘランさんは、私の痩せて細いながらも、
見捨てられないよう、必死に檻を掴む指先を、
自身の綺麗な手で、大事そうに包み込んで
くれました。
その手は骸のように痩せて、色気のない
私の手とは比べ物にならず、
とても血が通っており美しく、
卑下しないようにと彼は言いますが、
今は少なくとも、その温かみのある手と、
自分の冷え切った手を比べられずには
いられませんでした。
その後、彼と付き添いの女性が、
奴隷売買の取引を仕切っている男に声を掛け、
無事、私はサヘランさんに買い取られることに
なりました。
値段は三万パルナ程の金額です。
[いや~こいつは売れないと思ってたんで
売れて良かったですよ……]
[僕も良い買い物が出来たよ
また、よろしく頼む]
サヘランさん……いいえ、もう、私は
買われたので、様呼びしないといけませんね。
サヘラン様が売人と、そんな義務的な
会話をして話し終わると、また私の手を
優しく握ってくれます。
その手の温もりは、荒んだ自分の心を
癒してくれて、これからの人生への希望を
持たせてくれるような温かさでした。
[では、サヘラン様、用事が済みましたので、
そろそろ豪邸へとお帰りになさいますか?]
彼の隣にいる、よく研がれた刃物の
ように鋭いショートカットの側近が、
家に帰るかと低く冷淡な声で言っていて、
どうやら、私達は、これから
サヘラン様の家へと向かうようです。
[ああ………お望みの素晴らしい娘が
見つかったことだし、我が家へと
帰るとするか……]
[分かりました、では只今、馬車を
準備致しますので……]
[ああ……頼む]
その後、少し奴隷市場から歩き、中央に
大きな噴水がある広場で、暫く馬車を
待っていると、遠くの方に大きな物体が見え、
それは瞬く間にこちらの方へと
走ってきました……その影が鮮明に
なっていくにつれ、その正体は品良く
飾られた馬車だということに気づきます。
馬車の外見は、二匹の美しい白馬と
若い男の馭者により動かされていて、
全体が深い赤色で飾られ、所々に
風のような金の装飾がされていました。
また、私達が座るであろう場所が、
緩やかなカーブを描く、鉄製の前後で
大きさが違う車輪付きの土台の上に
乗せられていて、そのあまりの美しさに
声が出そうになりました。
ガラッガラガララッ……ガラッ……
地面の小さな石を蹴る音と共に、
目前へやってきたそれを見て、サヘラン様は
こちらを振り返り、自信に満ち溢れた表情で
こう言いました。
[どう……? この馬車、職人を呼んで、
一から作ったのだけど、この曲線とか
良くないか?]
[はい! 深い赤色で統一されている車体や、
細い線で描かれた金色の装飾が、とっても
美しいです!!]
私はそう言われ、馬車を見て素直に思った
ことを口にしましたが、少し、ありきたりな
感想になってしまったかもしれません。
でも、彼はそう言う私を見て、とても
満足そうでした。
[そうか、そうか、だろ~?
この車体の色とか、結構こだわって
作ったんだ……やっぱり君とは
話が合いそうだな……]
そう彼が言い、少し微笑むと屋根付きの
馬車のドアを自ら開けてくれて、
私の手を持ち、一緒に車内へ入ってくれます。
[サヘラン様ぁ! 私が、その者を車の中へ
お連れします!! で、ですから、
サヘラン様は……]
[良いんだ……この子も、初めてのことで
驚いているだろう 僕が家まで面倒を見る]
[そ、そうですか?…………なら、
良いんですが……]
突然、付き添いの女が、そう、自分がすると
言いましたが、彼に自分に任せるようにと
言われると、黙って静かにドアの横に立ち、
私とサヘラン様が馬車に乗ったのを
確認すると、御者に出発してくれと叫び、
彼女も私達がいる横の席に座りました。
そうして、私達、三人を乗せた馬車が
彼の家に向かって走り出していき、
軽く揺れる車内で、私が、あまりにも
身分が違う方々と座っていて緊張し、
固まっていると、彼のほうから
話しかけてくれました。
[どうかな……この馬車の乗り心地は?]
[と、とても素晴らしいです!!]
そう口に出した瞬間、また自分が発した
感想の拙さに嫌気がさして、
自らを恥じましたが、サヘラン様は、
そんな小さなことをお気になさらない
お人柄でした。
[newpage]
[良かった、良かった……君は大事な客……
おっと失礼、私の元で働いてもらうんだったな
……この馬車は客人ばかり乗せるもんだから
つい、そう思ってしまった……]
[それほど……普段、客人や、要人しか
乗せない馬車に乗せるほど、サヘラン様は
この娘が気に入ったのですか?]
唐突に、隣の女がサヘラン様に、
そう質問を投げかけました……
彼女は当然、私よりも彼とずっと
一緒にいて、話しかけられるのを待たなく
とも、自分から話せるのは分かっては
いますが、急に私達の話に入ってこられる
ので、毎回少し驚いてしまいます。
[ああ、そんなところだな……
ところで話は変わるが、君の名前は
なんというんだ?
いつまでも君というのでは素っ気ない……]
私は、彼にそう名を聞かれましたが、
やはり、富裕層というべきでしょうか……
奴隷なんてものは、最初から名前がないことを
サヘラン様は知らないようです。
奴隷は、生まれたときから奴隷という
名前なのを……
まぁ、最も、私が生まれたときは
奴隷ではなく、そこそこ良い階級の者で
名前もあったような気がしますが……
今は、もう昔のことなので
忘れてしまいました。
[サヘラン様……私は奴隷なので、
名前などはないのです 申し訳ありませんが]
[ああ、そうか……すまない
幾らか君の気持ちを察することが
出来なかった……]
[いえいえ!大丈夫ですっ……!!
誰だって分からないことはありますから……
それに奴隷のことなんて、みんな
分からないと思いますし……!!]
私は冗談らしく、少し大きめの声で
そう説明しましたが、彼は自分が言った
言葉にとても反省しているようで、
なんだか申し訳なく思いました。
その後、暫くの間、三人とも沈黙し、少し
微妙な雰囲気が流れていたので、どうしよう
かと一人悩んでいると、サヘラン様が
沈黙を破りました。
[なぁ……もし、良かったらなんだが、
僕が君の名前をつけても良いかな?]
[い、良いんですか!? 光栄です!
ぜ、是非お願いします!!]
綺麗な彼から名前をつけてもらえるのが
嬉しく、つい、敬語を使うのを忘れてしまい、
[ちょっと……立場分かってるの?
貴方は、これからサヘラン様に仕えるのよ?]
そう、彼の側近の女に怒られてしまいました。
[すみません……言葉遣いが出来てません
でした……]
私は申し訳なさそうに謝り、反省してると、
サヘラン様が頭を優しく撫でて、彼女……
側近の女性の方を向くと、
[まぁまぁ、まだ彼女は子供なんだから……
それも礼儀を学んでない。
だから、プリェーナ……注意するのも
優しくね]
そう仰り、軽く注意しました。
それには、女も素直に従うしかないらしく、
自分を見て、目を合わし、深々と
頭を下げました。
どうやら、彼女とサヘラン様の間には、
絶対的な服従関係があるようです。
そうして、彼は続けて、真剣な趣きで
私を見ながら仰ります。
[話は戻るが……名前についてだけど、
ヴィクトリアはどうかな? あ、勿論
嫌だったら言って欲しい……他の案も
まだまだあるんだ……]
ヴィクトリア……ヴィクトリア……
私はサヘラン様が考えてくれた自分の名前を
心の中で繰り返し呼びました。
ヴィクトリア……なんて良い響きの名前
なのでしょう。
ただでさえ彼に買われ、一緒にいられて
幸せなのに、その上、名前までつけてくれる
なんて、私にとってこの上ない幸せでした。
当然、拒む理由などなく、私は、
彼に感謝の意を示すことにします。
[ヴィクトリア、とても良い名前ですっ……
その名前が気に入りました。
私の名前、ヴィクトリアという名前が良い
です……]
[そうか……! 気に入ってくれて良かった
これから一緒に生活していくから
改めてよろしく、僕の美しいヴィクトリア……]
[はっ、はいっ!]
そうして兼ねて自分の名が決まり、
住んでいる所へ、あとどれくらいかかるのかと
お聞きすると、もう少しかかるようでした。
そして何気なく、ふと座っている端の席
から窓の外を見ると、乗った頃と比べ、
自然が多くなっている周りはもう日が暮れ、
真っ暗で、空高く沢山の星が散りばめられて
光っていました。
星は奴隷舎でも、高いところにある
窓代わりの檻から見えましたが、
あの頃は自由な星に、どうしても縛られている
自分を見てしまい、あまり良い印象を
持てなかったので、こうして自由になった
今、改めて見て、こんなにも美しかったのかと、
何だか感慨深い気持ちになりました。
[ヴィクトリア……星を見てるのかい?
星を見るなんて君は素晴らしい感性を
持っている……どう? この辺りは海が
近いから、邪魔な物が無くて、綺麗に
良く見えるだろ?]
[はい……とっても綺麗な星です]
私はこれから始まる生活に、少しの不安と
沢山の期待を込め、星をぼんやりと
眺めていました。
それ以降、自分を含めた三人とも
話すことはなく、自然と目以外…………
耳や鼻に入ってくるのは、海のさざめきや
車輪が回る音と、車内を包むように香る、
付き添いの女がつけている香水の匂いだけで、
時々、開けていた馬車の窓から
吹いてくる風が心地よい、
そんな静かな……静かな夜でした。
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