『【スパチャ感謝】バイト先の塩対応な彼が、私の正体を知らずにガチ恋してくる件』

みぃた

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第1話 塩対応な同僚と、画面越しの王子様

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夕暮れの光が、磨かれたカウンターテーブルを橙色に染めている。
店内に漂うのは、深煎り豆を丁寧にハンドドリップした時の、香ばしくて、どこか甘い香り。壁にかけられた古時計の秒針が、カチ、カチ、と静かに時を刻む音だけが、BGMのジャズピアノの旋律に混じって耳に届く。

ここは、大学の近くにある個人経営のカフェ『夕凪』。
私の新しいバイト先だ。

「あの、相田さん。これ、洗い物終わりました」

バックヤードの入り口で、おそるおそる声をかける。視線の先にいるのは、黒いエプロンをつけた同僚の相田カイくん。私より一つ年上の、この店の先輩。
彼はちらりとこちらに視線を向けただけで、すぐに手元のスマートフォンに目を戻してしまった。長い指が、慣れた手つきで画面をスワイプしている。色素の薄い髪が、バックヤードの蛍光灯の光を弾いて、さらりと揺れた。

「……そこに置いといて」

低くて、温度のない声。
まるで、私の存在などないかのような、無関心な態度。
これが、彼のいつもの対応だった。
カイくんは、所謂イケメンというやつだ。整った顔立ちに、モデルみたいな細身の長身。仕事も完璧にこなす。けれど、その分、他人への当たりが強いというか、とにかくクールで、私のような要領の悪い新人には特に厳しい。
私は「はい」と小さく返事をして、洗い終わったカップを棚に戻した。心臓が、きゅっと小さく縮こまるのを感じる。

(また、やっちゃった……)

さっき、お客さんの注文を取り間違えそうになったのを、彼に助けてもらったばかりだった。
『ちゃんと確認しろよ』
そう言われた時の、氷みたいに冷たい声が耳の奥でリフレインする。
別に、怒鳴られたわけじゃない。ただ、事実を淡々と指摘されただけ。でも、その事実が、ナイフみたいに私の胸に突き刺さる。

地味で、内気で、何をやっても人並み以下。
それが、本来の私、本城凪(ほんじょうなぎ)、二十歳。
こんな自分を変えたくて、大学デビューを夢見て、接客のバイトを始めたのに。現実は、自己肯定感をすり減らす毎日だ。

バイトが終わって、重い足取りでアパートへの道を歩く。夕闇に沈む街の景色が、自分の心の中みたいで、なんだか息苦しい。
六畳一間の、私の城。ドアを開けて、電気もつけずにベッドに倒れ込む。
天井のシミをぼんやりと眺めながら、今日一日の失敗を反芻する。カイくんの冷たい視線が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。

(もう、ダメかも……。明日、バイト行くの怖いな……)

そんな弱音が、喉まで出かかった時だった。
枕元に置いたスマートフォンが、ぶぅ、と短く震える。設定した、配信開始一時間前のアラームだ。
それを見た瞬間、私の心に、小さな灯火がともる。

そうだ。私には、もう一つの顔がある。

ベッドから勢いよく起き上がると、クローゼ-ットの奥に隠した機材を取り出す。パソコンを起動し、マイクをセットして、ウェブカメラの前に座る。
画面に映るのは、ピンク色のツインテールを揺らす、大きな青い瞳の、アニメキャラクターみたいな女の子。

――これこそが、もう一人の私。個人VTuber『ルル』。

『みんなー、こんばんるるー! 今夜もルルに会いに来てくれて、ありがとー!』

マイクに向かって、できるだけ明るい声を出す。リアルでの私とは、まるで別人。ルルは、いつも笑顔で、元気で、ちょっとおっちょこちょいだけど、みんなに愛される女の子。私の、理想の姿。

コメント欄が、ものすごい速さで流れていく。
『るるちゃん、待ってた!』
『今日の髪飾り、可愛い!』
『世界で一番、愛してる!』

現実では、誰にも必要とされていないのに。ここでは、こんなにたくさんの人が、私を待っていてくれる。その事実が、私の心をじんわりと温めてくれる。
ゲーム実況をしたり、歌を歌ったり、リスナーさんとおしゃべりしたり。配信をしている二時間だけは、地味でダメな本城凪を忘れることができた。

そして、今夜も、彼は現れた。

【セバスチャンさんが、10,000円のSuper Chatを送信しました】

画面に、ひときわ大きな赤い通知が表示される。表示された金額に、思わず息を呑んだ。
コメント欄が、どよめきで埋め尽くされる。

『ないスパ』
『赤スパきたー!』
『セバス様、きたああああ!』
『今日もすごい額……!』
『太っ腹すぎる!』

セバスチャン。
それは、数ヶ月前から、毎日のように私の配信に現れては、高額のスパチャを投げてくれる、熱狂的なファンの名前だ。

『今夜のルルも、宇宙一可愛い。君の笑顔が、僕の生きる意味だよ』

スパチャに添えられたメッセージは、いつだって、甘くて、情熱的で、少しだけ大袈裟だ。
顔も、本名も、年齢も知らない。けれど、彼の言葉は、いつも私の心の隙間を優しく埋めてくれる。カイくんに冷たくされるたびに凍りついた心が、セバスさんの言葉で、ゆっくりと解かされていくような感覚。

「せ、セバスチャンさん! いつも本当にありがとうございます……! こんなにたくさん……! ルル、嬉しすぎて、空も飛べちゃいそうです!」

慌ててお礼を言うけれど、声が少し上ずってしまう。嬉しい。嬉しいけど、それと同じくらい、胸がチクリと痛んだ。

もし、このセバスチャンさんが、本当の私を知ったら?
地味で、根暗で、バイト先では失敗ばかりしている、ただの女子大生だって知ったら、きっと幻滅するに違いない。
こんな大金、受け取る資格なんて、私にはないのに。

画面の向こうで私に愛を叫んでくれる、優しい王子様。
現実世界で私に冷たい視線を向ける、クールな同僚。

二つの世界で、二人の男性に翻弄される私の日常。
この奇妙なすれ違いの先に、何が待っているのかなんて、今の私には、知る由もなかった。
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