『【スパチャ感謝】バイト先の塩対応な彼が、私の正体を知らずにガチ恋してくる件』

みぃた

文字の大きさ
2 / 28

第2話 聞き覚えのある鼻歌と、彼の秘密

しおりを挟む
翌日のバイトは、昨日よりもずっと足が重かった。
カフェのドアを開ける指先が、鉛のように冷たい。ガラスに映る自分の顔は、案の定、ひどく強張っている。

「……おはようございます」

私がか細い声で挨拶をすると、すでにエプロン姿のカイくんが、バックヤードから顔を出した。その視線が、値踏みするように私を一瞥する。心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

「……おはよう。今日はシフト、一時間早く入ってもらってるから。まず豆の補充、やっといて」
「は、はい!」

昨日と同じ、温度のない声。
私は逃げるように返事をして、コーヒー豆が並ぶ棚へと向かった。
(大丈夫。大丈夫、私。いつも通りやればいいだけ)
自分に言い聞かせながら、豆の袋を開ける。けれど、焦れば焦るほど、指先は不器用にもつれていく。案の定、袋の口を大きく切りすぎて、香ばしい豆が数粒、床にころころと転がってしまった。

「……何やってんの」

背後から聞こえた声に、全身が凍りつく。
振り返ることもできずに固まっていると、カイくんが私の隣にしゃがみ込み、慣れた手つきで豆を拾い始めた。その時だった。

ふん、ふふん、ふーん……。

ごく小さな音量で、彼が鼻歌を歌っているのが聞こえた。
それは、私が昨日、VTuberのルルとして配信で歌ったばかりの、マイナーなボカロ曲のサビのフレーズ。まさか、と思った。こんな偶然があるだろうか。

「あの、相田さん……。その曲……」
「あ?」

私の言葉に、彼の鼻歌がぴたりと止まる。拾った豆をゴミ箱に捨てながら、怪訝そうな顔で私を見た。その瞳には、私が知るクールな光しか宿っていない。

「……いや、なんでもないです。すみません」

これ以上、踏み込んではいけない。本能的にそう感じて、私は慌てて言葉を濁した。
彼は「そう」とだけ短く言うと、すぐに持ち場へ戻っていく。その後ろ姿を見つめながら、私の胸は、さっきとは違う理由でざわついていた。
(気のせい、だよね。きっと、ただの偶然……)
でも、一度芽生えた小さな疑念は、なかなか消えてはくれなかった。



その日の夜。
相田カイは、アパートの自室でパソコンの電源を入れた。
カフェで見せる、完璧でクールな姿はそこにはない。少し着古したスウェットに、気の抜けた表情。しかし、その瞳だけは、獲物を待つ狩人のように、画面の一点に集中していた。

時刻は、午後九時五十八分。
お目当ての配信が始まる、二分前だ。

カイの部屋は、一見すると、ごく普通の大学生の部屋だ。けれど、クローゼットの扉を開ければ、そこにはびっしりと、VTuber『ルル』のグッズが並んでいる。アクリルスタンド、缶バッジ、タペストリー。そのどれもが、大切に、神棚に飾るかのように保管されていた。

そう。彼こそが、ルルの熱狂的ファン『セバスチャン』だった。
バイトを掛け持ちして稼いだ金のほとんどは、彼女へのスパチャとグッズ代に消えていく。友人からは「金の使い方がおかしい」と呆れられるが、カイにとっては、それこそが生きがいだった。

時間ぴったりに、画面に愛しの彼女が映し出される。
『みんなー、こんばんるるー!』
その声を聞いた瞬間、カイの口元が、誰にも見せたことのないほど、緩く、だらしなく綻んだ。

「……可愛い」

思わず、声が漏れる。
今日の彼女も、完璧に可愛い。一つに束ねたピンクの髪が、動きに合わせてふわふわと揺れている。その姿を見ているだけで、バイトでの疲れや、新人への苛立ちが、綺麗さっぱり浄化されていくようだった。

そういえば、と思い出す。
今日、新人の彼女――本城凪が、何か言いたそうに自分を見ていたことを。
(なんて言ってたんだっけな……。『その曲』、だっけか)
自分が無意識に口ずさんでいた鼻歌のことだろう。あれは確かに、ルルが昨日歌っていた曲だ。だが、それがどうしたというのか。まさか、あの地味で挙動不審な新人が、自分と同じ『同志』だとは到底思えない。

『今日はねー、この前リクエストをもらった、恋愛シミュレーションゲームをやっていこうと思いまーす!』

画面の中のルルが、はしゃいだ声で言う。
コメント欄が、一気に沸き立った。カイもまた、キーボードを叩く指に力を込める。

セバスチャン:『ルルの恋愛ゲーム実況、待ってた。神回確定だね』
セバスチャン:『どんな男が出てきても、僕のルルへの愛は揺るがないから』

次々と、愛の言葉を打ち込んでいく。
現実の自分では、絶対に口にできないような、甘くて、キザなセリフ。でも、ここでは、誰も彼を笑わない。むしろ、『セバス様、今日もキレッキレ!』と、他のリスナーから称賛されるくらいだ。この場所だけが、カイが素直になれる唯一の世界だった。

ゲームが始まり、攻略対象のイケメンキャラクターが登場するたびに、ルルは「きゃー、かっこいい!」と無邪気に声を上げる。そのたびに、カイの胸は、ちりちりと焦げるように痛んだ。

(……俺以外の男に、そんな顔、見せんなよ)

独占欲が、黒い煙のように心に立ち上る。
分かっている。彼女はアイドルで、自分はただのファンだ。そんなことは、百も承知だ。
それでも、抑えきれないこの気持ちを、どうすればいいのか。

気づけば、カイの指は、スパチャのボタンに触れていた。
金額の欄に、躊躇なく『10,000』と打ち込む。そして、メッセージ欄に、今、心に渦巻いている全ての感情をぶつけるように、言葉を綴った。

『他の男に笑顔を見せるのは、ほどほどにして。僕が、嫉妬で狂いそうだから』

送信ボタンを押した直後、画面の中のルルが、驚いたように目を見開いた。

「せ、セバスチャンさん!? あ、ありがとうございます……! えっ、し、嫉妬……?」

真っ赤になって、しどろもどろになっているルル。
その姿が、たまらなく愛おしい。
カイは、満足げに口角を上げると、椅子に深くもたれかかった。

バイト先の、あの要領の悪い新人のことなど、もう彼の頭からは完全に消え去っていた。
まさか、今まさに画面の向こうで自分を真っ赤にさせている相手が、その本人だとは、夢にも思わずに。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Blue Bird ―初恋の人に再会したのに奔放な同級生が甘すぎるっ‼【完結】

remo
恋愛
「…溶けろよ」 甘く響くかすれた声と奔放な舌にどこまでも落とされた。 本宮 のい。新社会人1年目。 永遠に出来そうもない彼氏を夢見つつ、目の前の仕事に奮闘中。 なんだけど。 青井 奏。 高校時代の同級生に再会した。 と思う間もなく、 和泉 碧。 初恋の相手らしき人も現れた。 幸せの青い鳥は一体どこに。 【完結】 ありがとうございました‼︎

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

狼隊長さんは、私のやわはだのトリコになりました。

汐瀬うに
恋愛
目が覚めたら、そこは獣人たちの国だった。 元看護師の百合は、この世界では珍しい“ヒト”として、狐の婆さんが仕切る風呂屋で働くことになる。 与えられた仕事は、獣人のお客を湯に通し、その体を洗ってもてなすこと。 本来ならこの先にあるはずの行為まで求められてもおかしくないのに、百合の素肌で背中を撫でられた獣人たちは、皆ふわふわの毛皮を揺らして眠りに落ちてしまうのだった。 人間の肌は、獣人にとって子犬の毛並みのようなもの――そう気づいた時には、百合は「眠りを売る“やわはだ嬢”」として静かな人気者になっていた。 そんな百合の元へある日、一つの依頼が舞い込む。 「眠れない狼隊長を、あんたの手で眠らせてやってほしい」 戦場の静けさに怯え、目を閉じれば仲間の最期がよみがえる狼隊長ライガ。 誰よりも強くあろうとする男の震えに触れた百合は、自分もまた失った人を忘れられずにいることを思い出す。 やわらかな人肌と、眠れない心。 静けさを怖がるふたりが、湯気の向こうで少しずつ寄り添っていく、獣人×ヒトの異世界恋愛譚。 [こちらは以前あげていた「やわはだの、お風呂やさん」の改稿ver.になります]

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちだというのに。 入社して配属一日目。 直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。 中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。 彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。 それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。 「俺が、悪いのか」 人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。 けれど。 「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」 あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちなのに。 星谷桐子 22歳 システム開発会社営業事務 中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手 自分の非はちゃんと認める子 頑張り屋さん × 京塚大介 32歳 システム開発会社営業事務 主任 ツンツンあたまで目つき悪い 態度もでかくて人に恐怖を与えがち 5歳の娘にデレデレな愛妻家 いまでも亡くなった妻を愛している 私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

処理中です...