『【スパチャ感謝】バイト先の塩対応な彼が、私の正体を知らずにガチ恋してくる件』

みぃた

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第3話 カフェに響く推しの名前

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あれから数日が経った。
カイくんが口ずさんでいた鼻歌の一件以来、私の心は、晴れない霧の中にいるみたいだった。
彼の何気ない仕草ひとつひとつに、過剰に反応してしまう自分がいる。彼がスマホを触っていれば「もしかしてルルの配信を?」なんて考えてしまい、すぐに「自意識過剰だ」と頭を振る。疑念と自己嫌悪のシーソーゲームは、私の心をすり減らしていった。

その日も、私はバックヤードでグラスを拭く作業に追われていた。
フロアからは、楽しげな会話と、食器の触れ合う音が微かに聞こえてくる。平日の昼下がり。カフェ『夕凪』は、穏やかな時間の中にあった。
その平穏を破ったのは、ドアベルの軽やかな音とともに現れた、三人の男子大学生だった。

「いらっしゃいませー」

カイくんの、いつも通りの低い声がフロアに響く。私も慌ててバックヤードから顔を出し、会釈をした。
彼らは店の一番奥のテーブル席に陣取ると、メニューを広げながら、大きな声で話し始めた。その会話の内容が、私の耳に届いた瞬間、心臓が凍りついた。

「てか、昨日のルルの配信、見た? マジで神回だったよな!」
「見た見た! 恋愛ゲームのやつだろ? 嫉妬してるセバスチャンに、ルルがタジタジになってんの、最高に可愛かったわ」

ルル。セバスチャン。
聞き慣れた、けれど、この場所では決して聞きたくなかった単語の連続に、私の思考は完全に停止する。血の気が、さあっと引いていくのが分かった。
手に持っていたグラスが、つるりと滑り落ちそうになる。慌てて胸に抱きかかえるようにして、なんとか最悪の事態は免れた。

(どうしよう、どうしよう……!)

パニックに陥る私を、現実に引き戻したのは、カイくんの冷たい視線だった。彼はフロアから、バックヤードで固まる私を、射抜くように見つめている。その目は「さっさと仕事に戻れ」と、雄弁に物語っていた。

私は弾かれたように、再びグラスを磨き始める。けれど、意識はすべて、彼らの会話に吸い寄せられていた。

「しかし、セバスチャンって何者なんだろうな。毎回、赤スパだろ? 社会人なのかな」
「ルルへの愛が深すぎる。俺らみたいな学生のお小遣いじゃ、到底太刀打ちできねえよ」

彼らの会話は、すべて私の配信に関するものだった。まるで、自分の秘密が、白日の下に晒されているような感覚。息が苦しい。この場から、今すぐ逃げ出したい。
そんな私の葛藤など知る由もなく、彼らの一人が、さらに声を弾ませた。

「でもさ、俺、思うんだよね。ルルって、ガワも声も可愛いけど、たまに見せる、あの素の部分が一番の魅力じゃない?」
「あー、分かる! ちょっとドジだったり、焦って早口になったりするところな」
「そうそう! なんか、放っておけないっていうかさ。守ってあげたくなるんだよな」

その言葉に、私はハッとした。
素の私。ドジで、要領が悪くて、いつもおどおどしている、本城凪。
それは、私が一番隠したい、嫌いな部分のはずだった。でも、彼らは、そんな私の姿を「魅力だ」と言ってくれている。
画面の向こう側では、私の欠点さえも、愛すべき個性として受け入れられている。その事実に、胸の奥が、じんと熱くなった。

その時だった。
注文を取り終えたカイくんが、私の隣のカウンターに伝票を置いた。その横顔は、いつもと同じ、無表情。けれど、私は見てしまった。彼が伝票を置く指先が、ほんの僅かに、震えていたのを。そして、固く結ばれた唇が、何かをこらえるように、微かに動いたのを。

(……気のせい? いや、でも……)

彼は、あの大学生たちの会話を、どんな気持ちで聞いていたのだろう。
自分と同じ「ルル推し」の会話を。そして、自分が「セバスチャン」として崇められている、その現場を。

やがて、大学生たちは満足げにコーヒーを飲み干し、会計を済ませて店を出て行った。
嵐が過ぎ去ったあとの店内は、元の静けさを取り戻している。けれど、私の心の中は、いまだに荒れ狂う嵐の真っ只中にいた。

「本城さん」

不意に、名前を呼ばれる。
顔を上げると、カイくんが、空になったシュガーポットを私に突きつけていた。

「これ、補充しといて。さっきから、ずっと手が止まってるけど。何か考え事?」

その声は、やっぱり冷たい。私の内面を見透かすような、鋭い視線。
でも、今の私には、その冷たさの奥に、ほんの少しだけ、別の感情が隠れているように思えてならなかった。それは、動揺、だろうか。それとも――。

「……すみません。すぐやります」

私は、彼からシュガーポットを受け取った。触れ合った指先が、やけに熱い。
彼がセバスチャンだなんて、そんなまさか。ありえない。
でも、もし、万が一、そうだとしたら?
いつも私に冷たい彼が、画面の向こうでは、私に愛を叫んでくれているとしたら?
その矛盾した事実に、私はどう向き合えばいいのだろう。

夕暮れのカフェの中、答えの出ない問いだけが、私の頭の中をぐるぐると巡っていた。
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