『【スパチャ感謝】バイト先の塩対応な彼が、私の正体を知らずにガチ恋してくる件』

みぃた

文字の大きさ
12 / 28

第12話 差し出されたマグカップと、小さな兆し

しおりを挟む
あれから三日が過ぎた。
私とカイくんの関係はまるで薄い氷の上を歩いているようだった。いや氷はもう完全に凍てついて割れることすらないのかもしれない。
カフェでの私たちは必要最低限の言葉すら交わさなくなった。視線が合うこともない。彼は私の存在をまるで風景の一部のように扱っていた。その徹底した無視は私の心をじわじわと蝕んでいく。
けれど私はもう泣かなかった。
泣いてはいけない。そう自分に強く言い聞かせていた。
これは私が選んだ道なのだから。

その間もナイト様とのコラボ準備は着々と進んでいた。
毎晩のように私たちはボイスチャットで打ち合わせを重ねた。彼のリードはいつも的確で優しい。私が企画についてうまく言葉にできないでいると彼は決して急かしたりはしない。
『ルルちゃんのペースで大丈夫ですよ』
そう言って穏やかに微笑むのだ。声だけで彼が微笑んでいるのが分かる。
彼の優しさに触れるたびに私の心は少しだけ安らいだ。けれどその安らぎはどこか借り物のような居心地の悪さを伴っていた。
そして打ち合わせが終わるたびに私の心にぽっかりと穴が開く。
その穴の正体を私はもう知っていた。
セバスチャンさん。
あの日以来彼が私の配信に姿を現すことは一度もなかった。

その日のカフェは珍しく朝から雨が降っていた。
窓ガラスを細い雨筋がいくつも伝っていく。店内に流れるジャズの音色が雨音に混じっていつもより物悲しく響いた。
客足もまばらだ。
私とカイくんはそれぞれの持ち場で黙々と作業をこなしていた。
私はバックヤードで野菜の仕込みをしていた。冷たい水が指先の感覚を奪っていく。
その時だった。

「……本城さん」

不意に背後から声をかけられた。
びくりと私の肩が大きく跳ねる。振り返るとそこにはカイくんが無表情で立っていた。
この三日間彼から名前を呼ばれることなど一度もなかったのに。

「……マスターが呼んでる」

彼はそれだけ言うとすぐに私に背を向けた。
マスター。このカフェのオーナーだ。温厚でいつもにこにこしているおじいさん。
私は濡れた手をエプロンで拭くと彼の後を追ってフロアに出た。

「やあナギちゃん。ちょっといいかい」

マスターはカウンターの中で手招きをしていた。その隣にはカイくんが腕を組んで立っている。

「実はね新しいコーヒー豆が入ったんだ。二人にも味見をしてもらいたくてね」

そう言ってマスターは二つのカップに淹れたてのコーヒーを注いだ。琥珀色の液体から芳醇な香りが立ち上る。

「さあどうぞ。感想を聞かせておくれ」

マスターににこやかに促される。
断ることはできない。
私はおそるおそるカップを手に取った。そしてカイくんと数メートルの距離を置いてカウンター席に腰を下ろす。
気まずい。
心臓の音がうるさいくらいに響いている。
私は彼のことを意識しないように必死で目の前のコーヒーに集中した。
一口含む。
最初に華やかな酸味が舌の上を駆け抜けた。そしてその後にチョコレートのような深いコクと甘みが追いかけてくる。
美味しい。
素直にそう思った。

「……どうかな?」

マスターの優しい声。
私が答えようと口を開きかけたその時だった。

「……少し酸味が強いですね」

先に口を開いたのはカイくんだった。
彼の声はいつもと同じ低いトーン。けれどその言葉にはコーヒーへの真摯な愛情が感じられた。

「若い子にはもう少し苦味があった方が飲みやすいかもしれません。後味はすごくいいですけど」
「ほうなるほどねえ。カイくんはさすがよく分かっているねえ」

マスターは感心したように何度も頷いている。
私は何も言えなかった。
彼が私の言いたかったことを全て代弁してくれたからだ。そして私以上に的確な言葉で表現してくれたから。
私はただ黙ってコーヒーを飲み干した。
カップの底に残った黒い澱がまるで今の私の心のようだった。



その日のバイトの終わり際。
雨はさらに勢いを増していた。外はもう薄暗い。
私はバックヤードで自分の荷物をまとめていた。
今日一日結局私たちはあの味見の時以外一言も口を利かなかった。
彼の態度は相変わらず冷たい。
でもなぜだろう。今日の彼は昨日までの彼とは少しだけ違って見えた。
私を拒絶する氷のような冷たさではない。
ただそこに静かに存在している冬の空気のような張り詰めた静寂。
そんなことを考えていた時だった。

「……本城さん」

再び彼が私を呼んだ。
振り返ると彼はドアの前に立っていた。その手にはマグカップが一つ。

「……これ」

彼はぶっきらぼうにそれを私に差し出した。
白いマグカップから湯気が立ち上っている。甘いミルクの香り。

「……ホットミルク。それ飲んで少し雨が弱まるの待ってけよ」

そう言うと彼は私の返事も待たずにフロアへと戻ってしまった。
私は差し出されたマグカップをただ呆然と見つめていた。
ホットミルク。
あの日土砂降りの夜に彼が私に淹れてくれたものと同じ。
指先からじんわりと温かさが伝わってくる。
その温かさはゆっくりと私の凍てついていた心まで溶かしていくようだった。
涙がまた溢れそうになる。
でも今度はそれをぐっと堪えた。
私はマグカップを両手で大切に包み込む。
そしてゆっくりとフロアへと歩き出した。

彼はカウンターの向こうで片付けをしていた。
私は少し離れた席に静かに腰を下ろす。
私たちは何も話さない。
ただ雨音と彼が食器を片付ける音だけが店内に響いている。
私はホットミルクを一口飲んだ。
優しい甘さが体中に広がっていく。
それはまるで彼からの声にならないメッセージのようだった。
『無理するな』
『お前は一人じゃない』
そんな言葉が聞こえたような気がした。
もちろん彼の勝手な自己満足なのかもしれない。
けれどそれでもよかった。
今はこの静かで不器用な優しさにただ身を委ねていたかった。
雨が止むまで。
もう少しだけこのままで。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Blue Bird ―初恋の人に再会したのに奔放な同級生が甘すぎるっ‼【完結】

remo
恋愛
「…溶けろよ」 甘く響くかすれた声と奔放な舌にどこまでも落とされた。 本宮 のい。新社会人1年目。 永遠に出来そうもない彼氏を夢見つつ、目の前の仕事に奮闘中。 なんだけど。 青井 奏。 高校時代の同級生に再会した。 と思う間もなく、 和泉 碧。 初恋の相手らしき人も現れた。 幸せの青い鳥は一体どこに。 【完結】 ありがとうございました‼︎

お隣さんはヤのつくご職業

古亜
恋愛
佐伯梓は、日々平穏に過ごしてきたOL。 残業から帰り夜食のカップ麺を食べていたら、突然壁に穴が空いた。 元々薄い壁だと思ってたけど、まさか人が飛んでくるなんて……ん?そもそも人が飛んでくるっておかしくない?それにお隣さんの顔、初めて見ましたがだいぶ強面でいらっしゃいますね。 ……え、ちゃんとしたもん食え? ちょ、冷蔵庫漁らないでくださいっ!! ちょっとアホな社畜OLがヤクザさんとご飯を食べるラブコメ 建築基準法と物理法則なんて知りません 登場人物や団体の名称や設定は作者が適当に生み出したものであり、現実に類似のものがあったとしても一切関係ありません。 2020/5/26 完結

狼隊長さんは、私のやわはだのトリコになりました。

汐瀬うに
恋愛
目が覚めたら、そこは獣人たちの国だった。 元看護師の百合は、この世界では珍しい“ヒト”として、狐の婆さんが仕切る風呂屋で働くことになる。 与えられた仕事は、獣人のお客を湯に通し、その体を洗ってもてなすこと。 本来ならこの先にあるはずの行為まで求められてもおかしくないのに、百合の素肌で背中を撫でられた獣人たちは、皆ふわふわの毛皮を揺らして眠りに落ちてしまうのだった。 人間の肌は、獣人にとって子犬の毛並みのようなもの――そう気づいた時には、百合は「眠りを売る“やわはだ嬢”」として静かな人気者になっていた。 そんな百合の元へある日、一つの依頼が舞い込む。 「眠れない狼隊長を、あんたの手で眠らせてやってほしい」 戦場の静けさに怯え、目を閉じれば仲間の最期がよみがえる狼隊長ライガ。 誰よりも強くあろうとする男の震えに触れた百合は、自分もまた失った人を忘れられずにいることを思い出す。 やわらかな人肌と、眠れない心。 静けさを怖がるふたりが、湯気の向こうで少しずつ寄り添っていく、獣人×ヒトの異世界恋愛譚。 [こちらは以前あげていた「やわはだの、お風呂やさん」の改稿ver.になります]

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちだというのに。 入社して配属一日目。 直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。 中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。 彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。 それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。 「俺が、悪いのか」 人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。 けれど。 「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」 あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちなのに。 星谷桐子 22歳 システム開発会社営業事務 中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手 自分の非はちゃんと認める子 頑張り屋さん × 京塚大介 32歳 システム開発会社営業事務 主任 ツンツンあたまで目つき悪い 態度もでかくて人に恐怖を与えがち 5歳の娘にデレデレな愛妻家 いまでも亡くなった妻を愛している 私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?

【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!

satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。 働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。 早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。 そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。 大丈夫なのかなぁ?

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...