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第25話 決戦前夜と、二つの想い
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三日後。
その言葉が私とそしてネットの世界に重く熱くのしかかっていた。
Kageさんが提示したナイト様との魂を賭けた配信バトル。ナイト様はKageさんの挑戦状を受けて立った。いや受けざるを得なかったのだ。彼のプライドと彼が作り上げた「悲劇のヒーロー」という仮面が逃げることを許さなかった。
こうして決戦の舞台は整えられた。
残された時間は七十二時間。
それは私にとってあまりにも短くそしてあまりにも長い時間だった。
最初の一日はほとんど何も手につかなかった。
パソコンの前に座っても歌詞もメロディーも何も浮かんではこない。ただ心臓の音だけがやけに大きく部屋に響く。
SNSを開けば私とナイト様の対決を巡る激しい論争が燃え上がっていた。
『#ルルを信じろ』
『#騎士の正義は勝つ』
二つのタグが互いの主張をぶつけ合う。その熱狂の渦が私を飲み込もうとする。
怖い。
プレッシャーで押し潰されそうだ。
私が負ければ私を信じてくれたみんなを裏切ることになる。『Kage』さんの想いを踏みにじることになる。
そんな重圧に私の心はきしみを上げていた。
二日目の朝。私は寝不足の重い体を引きずってカフェ『夕凪』へ向かった。
店のドアを開けるとコーヒーの優しい香りが私のささくれ立った心を少しだけ癒してくれる。
カイくんはもうカウンターの中にいた。
「……おはようございます」
「……顔色、最悪だな」
彼の第一声はそれだった。
いつも通りのぶっきらぼうな言葉。
でもその声には呆れとそして明確な心配の色が滲んでいた。
「……これ飲め」
彼は小さなカップを私に差し出した。エスプレッソだ。
「……眠気覚めるだろ」
「ありがとうございます……」
私がそれを受け取ると彼はすぐに顔を逸らした。
私はカウンターの隅でその苦い液体を一気に呷る。強烈な苦味が私の眠っていた細胞を無理やり叩き起こした。
その日彼は私に必要以上に話しかけることはなかった。
けれど彼の視線は常に私のことを気にしているのが分かった。
私が少しでもよろめくと彼がさっと体を動かす気配がする。
私がため息をつくと彼の眉間に皺が寄るのが見える。
その言葉にならないサポートが何よりも私の力になった。
彼は何も聞かない。けれど全て分かってくれている。
この場所は私の戦場ではない。私が羽を休める止まり木なのだ。
バイトが終わり私は帰り支度をしていた。
明日が決戦の日だ。
心がまたざわつき始める。
その時彼が私の隣に立った。
「……本城さん」
「は、はい」
「……明日の夜」
彼は少し言い淀んだ。
「……店終わったら開けといてやる」
「え……?」
「……一人でいたくないだろ」
彼のその言葉に私は息を呑んだ。
見透かされている。私の心の一番弱い部分を。
一人で戦うのが怖い。その恐怖を。
「……終わったら来いよ。コーヒー淹れてやるから」
彼はそう言うと私の返事も聞かずに店を出て行った。
その大きな背中。
私はその背中に向かって何度も何度も心の中でありがとうと繰り返した。
涙が溢れそうになるのを必死で堪える。
もう泣かない。
私は戦うと決めたのだから。
そして私の隣には彼がいてくれるのだから。
◇
決戦前夜。
カイは自室でただ時が過ぎるのを待っていた。
『Kage』として彼にできることはもうない。
あとは彼女がどんな翼を見せてくれるのか。それを信じて待つだけだ。
彼はSNSで彼女のファンアートを検索していた。
そこにはたくさんの想いが溢れていた。
彼女の笑顔を描く者。彼女の歌声をイメージしてイラストにする者。
そしてその中にひときわ目を引く一枚があった。
それはカフェ『夕凪』のカウンターの中でコーヒーを淹れているルルの姿。その隣には黒いエプロンをつけた塩対応な男の子が立っている。
その絵に添えられたコメント。
『ルルちゃんの本当の居場所はここにある気がする』
カイはその絵から目が離せなくなった。
胸の奥が熱くなる。
そうだ。
ここが彼女の居場所だ。
そして自分の居場所でもある。
ナイトのような華やかなステージではない。
ただコーヒーの香りがするこの小さなカフェ。
そこで彼女と並んで立っていること。
それがカイの本当の願いだったのかもしれない。
彼はその絵にそっと『いいね』を押した。
『Kage』としてではなく誰でもない一人の人間として。
◇
決戦当日。
私は人生で一番集中していた。
歌詞を何度も見返す。メロディーを何度も口ずさむ。
今日私が届けるのはただの歌ではない。
私の魂そのものだ。
私が本城凪として生きてきた二十年間の全て。
私がルルとして出会ったたくさんの想い。
そしてカイくんへのこの名前のない感情。
その全てをこの一曲に込める。
夜十時。
私の最後の戦いが始まる。
配信画面には驚くほどの数の視聴者が集まっていた。
ナイト様の配信と完全に時間が被っているにも関わらず。
コメント欄は祈りの言葉で埋め尽くされている。
私はマイクの前に座った。
心臓は不思議なほど静かだった。
もう怖くはない。
私は画面の向こうのみんなに語りかける。
「皆さんこんばんは。ルルです」
いつもの元気な挨拶ではない。
ただ静かに真っ直ぐに。
「今夜は私の全てを聴いてください」
そして私は歌い始めた。
新しく作ったオリジナルソング。
タイトルは『夜明けのコーヒー』。
それは一人の臆病な女の子が、一人の不器用な男の子に出会って恋をして、そして自分の翼で飛び立とうとする物語。
私の声はもう震えていなかった。
そこには私の全ての想いが乗っていた。
ありがとうという感謝。
ごめんなさいという後悔。
そして大好きですという告白。
歌い終えた時私は泣いていた。
コメント欄も涙の絵文字で溢れかえっていた。
勝ったとか負けたとかもうどうでもよかった。
私は私の全てを出し切った。
それで十分だった。
配信を終える。
私はヘッドセットを外し静まり返った部屋で一人余韻に浸っていた。
その時スマートフォンの通知が鳴った。
『Kage』さんからのダイレクトメッセージ。
そこに書かれていたのはたった一言。
『店で待ってる』
その言葉。
それは私が今一番聞きたかった言葉だった。
私は立ち上がった。
そしてアパートのドアを開ける。
夜の空気が私を優しく包み込んだ。
夜明けはもうすぐそこまで来ていた。
私は彼の待つあの場所へと走り出した。
物語はついに本当のクライマックスを迎えようとしていた。
その言葉が私とそしてネットの世界に重く熱くのしかかっていた。
Kageさんが提示したナイト様との魂を賭けた配信バトル。ナイト様はKageさんの挑戦状を受けて立った。いや受けざるを得なかったのだ。彼のプライドと彼が作り上げた「悲劇のヒーロー」という仮面が逃げることを許さなかった。
こうして決戦の舞台は整えられた。
残された時間は七十二時間。
それは私にとってあまりにも短くそしてあまりにも長い時間だった。
最初の一日はほとんど何も手につかなかった。
パソコンの前に座っても歌詞もメロディーも何も浮かんではこない。ただ心臓の音だけがやけに大きく部屋に響く。
SNSを開けば私とナイト様の対決を巡る激しい論争が燃え上がっていた。
『#ルルを信じろ』
『#騎士の正義は勝つ』
二つのタグが互いの主張をぶつけ合う。その熱狂の渦が私を飲み込もうとする。
怖い。
プレッシャーで押し潰されそうだ。
私が負ければ私を信じてくれたみんなを裏切ることになる。『Kage』さんの想いを踏みにじることになる。
そんな重圧に私の心はきしみを上げていた。
二日目の朝。私は寝不足の重い体を引きずってカフェ『夕凪』へ向かった。
店のドアを開けるとコーヒーの優しい香りが私のささくれ立った心を少しだけ癒してくれる。
カイくんはもうカウンターの中にいた。
「……おはようございます」
「……顔色、最悪だな」
彼の第一声はそれだった。
いつも通りのぶっきらぼうな言葉。
でもその声には呆れとそして明確な心配の色が滲んでいた。
「……これ飲め」
彼は小さなカップを私に差し出した。エスプレッソだ。
「……眠気覚めるだろ」
「ありがとうございます……」
私がそれを受け取ると彼はすぐに顔を逸らした。
私はカウンターの隅でその苦い液体を一気に呷る。強烈な苦味が私の眠っていた細胞を無理やり叩き起こした。
その日彼は私に必要以上に話しかけることはなかった。
けれど彼の視線は常に私のことを気にしているのが分かった。
私が少しでもよろめくと彼がさっと体を動かす気配がする。
私がため息をつくと彼の眉間に皺が寄るのが見える。
その言葉にならないサポートが何よりも私の力になった。
彼は何も聞かない。けれど全て分かってくれている。
この場所は私の戦場ではない。私が羽を休める止まり木なのだ。
バイトが終わり私は帰り支度をしていた。
明日が決戦の日だ。
心がまたざわつき始める。
その時彼が私の隣に立った。
「……本城さん」
「は、はい」
「……明日の夜」
彼は少し言い淀んだ。
「……店終わったら開けといてやる」
「え……?」
「……一人でいたくないだろ」
彼のその言葉に私は息を呑んだ。
見透かされている。私の心の一番弱い部分を。
一人で戦うのが怖い。その恐怖を。
「……終わったら来いよ。コーヒー淹れてやるから」
彼はそう言うと私の返事も聞かずに店を出て行った。
その大きな背中。
私はその背中に向かって何度も何度も心の中でありがとうと繰り返した。
涙が溢れそうになるのを必死で堪える。
もう泣かない。
私は戦うと決めたのだから。
そして私の隣には彼がいてくれるのだから。
◇
決戦前夜。
カイは自室でただ時が過ぎるのを待っていた。
『Kage』として彼にできることはもうない。
あとは彼女がどんな翼を見せてくれるのか。それを信じて待つだけだ。
彼はSNSで彼女のファンアートを検索していた。
そこにはたくさんの想いが溢れていた。
彼女の笑顔を描く者。彼女の歌声をイメージしてイラストにする者。
そしてその中にひときわ目を引く一枚があった。
それはカフェ『夕凪』のカウンターの中でコーヒーを淹れているルルの姿。その隣には黒いエプロンをつけた塩対応な男の子が立っている。
その絵に添えられたコメント。
『ルルちゃんの本当の居場所はここにある気がする』
カイはその絵から目が離せなくなった。
胸の奥が熱くなる。
そうだ。
ここが彼女の居場所だ。
そして自分の居場所でもある。
ナイトのような華やかなステージではない。
ただコーヒーの香りがするこの小さなカフェ。
そこで彼女と並んで立っていること。
それがカイの本当の願いだったのかもしれない。
彼はその絵にそっと『いいね』を押した。
『Kage』としてではなく誰でもない一人の人間として。
◇
決戦当日。
私は人生で一番集中していた。
歌詞を何度も見返す。メロディーを何度も口ずさむ。
今日私が届けるのはただの歌ではない。
私の魂そのものだ。
私が本城凪として生きてきた二十年間の全て。
私がルルとして出会ったたくさんの想い。
そしてカイくんへのこの名前のない感情。
その全てをこの一曲に込める。
夜十時。
私の最後の戦いが始まる。
配信画面には驚くほどの数の視聴者が集まっていた。
ナイト様の配信と完全に時間が被っているにも関わらず。
コメント欄は祈りの言葉で埋め尽くされている。
私はマイクの前に座った。
心臓は不思議なほど静かだった。
もう怖くはない。
私は画面の向こうのみんなに語りかける。
「皆さんこんばんは。ルルです」
いつもの元気な挨拶ではない。
ただ静かに真っ直ぐに。
「今夜は私の全てを聴いてください」
そして私は歌い始めた。
新しく作ったオリジナルソング。
タイトルは『夜明けのコーヒー』。
それは一人の臆病な女の子が、一人の不器用な男の子に出会って恋をして、そして自分の翼で飛び立とうとする物語。
私の声はもう震えていなかった。
そこには私の全ての想いが乗っていた。
ありがとうという感謝。
ごめんなさいという後悔。
そして大好きですという告白。
歌い終えた時私は泣いていた。
コメント欄も涙の絵文字で溢れかえっていた。
勝ったとか負けたとかもうどうでもよかった。
私は私の全てを出し切った。
それで十分だった。
配信を終える。
私はヘッドセットを外し静まり返った部屋で一人余韻に浸っていた。
その時スマートフォンの通知が鳴った。
『Kage』さんからのダイレクトメッセージ。
そこに書かれていたのはたった一言。
『店で待ってる』
その言葉。
それは私が今一番聞きたかった言葉だった。
私は立ち上がった。
そしてアパートのドアを開ける。
夜の空気が私を優しく包み込んだ。
夜明けはもうすぐそこまで来ていた。
私は彼の待つあの場所へと走り出した。
物語はついに本当のクライマックスを迎えようとしていた。
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