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第1章
海面で王子様っぽい人と遭遇してしまいました。 2
しおりを挟むどうしたものかと、王子様っぽい人を眺めている間に、辛うじて捕まっていた体は、ずるずると力が抜けて、沈みかけてしまう。
『絶対に! 絶対に、溺れている王子様なんて、助けたらだめ。もし、見つけたとしても、絶対に見捨てるのよ!』
脳裏で反響を繰り返す、お姉様の声。
そう。堅実な人魚姫は、王子様を助けて恋に落ちたりしない。絶対に。でも、でも!
「――――うぅ。沈んじゃダメ!」
でも、見捨てるなんて出来るはずもない。そうでしょう?
恋にさえ落ちなければいいのだ、と心の中で言い訳をしながら、私は王子様っぽい人のわきの下から抱きしめるように支えると、泳ぎ始める。
体力には自信がある。人魚が暮らすのは南の海の底。
北には、大きな大陸があるのだと、お姉様に聞いたことがある。
つまり、目指すのは北。北なのだろう。
「……人魚姫って、どうやって陸地まで王子様を連れて泳ぎ切ったんだろう?」
おとぎ話の人魚姫は、きっと体力があったに違いない。地上なら、フルマラソンを完走できるくらい。
一生懸命泳ぐけれど、人を一人引っ張りながら、長距離を泳ぎ切るのは、人魚にだって大変な作業だ。
その時、一羽の青い鳥が頭上を通り過ぎて、なぜか近くまで下りてきた。
『ニンゲン。否、ニンギョ』
「ひえ、しゃべった!」
この世界では、鳥も言葉をしゃべるのだろうか?
この世界の常識なんて、海の底に暮らしていた私は知らない。
だから、鳥がしゃべるのが普通なのかどうかの判別が、私にはもちろん出来ない。
そんな私の困惑をよそに、青い鳥は耳元でバサバサと羽ばたきながら、私に指示を与えてくる。
『彼方に向かって泳ぐように。褒美を与えよう。ニンギョ』
「ニンギョだけど、そう呼ばれるの慣れないわ。レイラというの」
『そうか、レイラ……』
私のことを人魚といった時に比べ、名前を呼んでもらった瞬間、鳥に親近感がわく。
褒美をくれるらしい、鳥について泳ぎ始める。
行き先もわからず、途方に暮れていたこともあり、私は、その言葉に従った。
「ねえ、あなたの名前は?」
『名前はないから、好きにつけるといい』
「ふぅん……。じゃ、ラック」
『――――初めて海面に出たばかりか? 本当に、世間知らずだな』
その言葉は、あまりに小さかったから、波音にかき消されて、必死に泳ぐ私には、聞こえなかった。
だって、世間知らずなのは事実なのだ。私は、この世界のことについて、あまりにも知らな過ぎた。
名前を付けることの意味なんて、海面に初めて出た成人ほやほやの人魚が知るわけない。
そもそも、ほとんどを海底で暮らす人魚は、世間知らずが多い。
前世の記憶がある私が、少し変わっているだけで。
でも、この時は、その知識も、記憶も、まったく役には立たなかった。
『あの船だ。探しに来ている』
「――――あの、あまり人と関わりたくないのだけど」
『今さら何を……。もう、運命は動き出した』
「えぇ?」
そのとき、ザブンと遠くに浮かぶ船から、誰かが飛び込んだ。
私は、助けが来たことにホッとして、そちらに向かって泳いでいく。
近づくと、その人の頭には、柴犬みたいな耳が生えていた。
泳ぎが得意なのか、着衣のまますいすい泳いでいる。
「桜色の髪……。あなたが、助けて下さったのですか?」
「――――ただの、通りすがりの人魚です。お気遣いなく」
「……え?」
その人が、海の中の私の下半身を凝視した。ドレスを着ているけれど、裾から尾ひれがのぞいているのが、波もなく透明な海に透けて見えている。
そもそも、人魚じゃないとしたら、こんな海の真ん中に、人間がいたら、おかしいと思う。
あ、この人はなぜかいたけれど……?
「それでは、失礼します」
お別れをしようと、王子様っぽい人を犬耳騎士様に押し付けて去ろうとした瞬間、急にその瞳は開かれた。私の驚いている顔が映り込んだ、深紅の薔薇のような色に、釘付けになる。
美しい人だ。人魚の私がいうのもなんだけれど、神様が作った彫刻みたいな、人外の美貌だ。
……うん、大丈夫。恋になんて落ちていない。
「で、では! 失礼します」
『あ、褒美!』
青い鳥が何か言っていたけれど、泡になって消えてしまうエンドには、絶対にたどり着きたくない。
私は、全速力で、海底に向かって泳ぎ始めたのだった。
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