純情赤ずきんとイケメン狼が手を繋ぐ可能性について考える話

雪葵

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 こんな風に冷えた身体に、日本酒の熱燗は何ともジワリと心地よく染み込んでいく。
 気づけば徳利一本をぺろりと開け、俺はいつになくふわふわと気分良く酔ってしまっていた。

「そろそろ茶屋も閉まる時間だ。外もだいぶ暗くなったな……あんまりのんびりしてちゃ帰りが遅くなるし」
「あれ、もうですか~? 外出るの寒すぎて辛いですねえ」
「ここから駐車場へショートカットで繋がってる道があるから、そう遠くないさ。それに、酔っ払いに居座られちゃ店も迷惑だろ。おばちゃん、お勘定ね」
「えー? そんな酔ってませんって~」
「まいどありー。お兄ちゃん、足元危なっかしいねえ?暗いから転ばないように気いつけなよー」
「……はい……」

 そんなこんなで、もうすっかり日の暮れた夜の闇に包まれながら、俺たちは駐車場へ向かったのだった。



 参拝の車も既に引けたがらんとした駐車場にポツンと残ったBMWまでたどり着くと、俺たちは寒さに耐えきれず急いで車内へ乗り込んだ。
 エンジン音と同時に吹き出したエアコンの暖かな空気が、フワッと柔らかく体を包む。

「指先が冷えてガチガチだ。もう少し温まってから発車するか」
「おあっ! 五十嵐さん、見てください! 星すげえーー!!」
 寒さから解放されて初めて、森に囲まれて澄んだ夜空に無数の星たちが冴え冴えと輝いていることに気がついた。
 星が降るようだっていうのは、まさにこういうことを言うんだな……こんな夜空を見たのは、初めてだ。
 広いフロントガラス越しに、その輝きに見入る。

「……よかった。楽しそうで」
 星を見て思わずガキみたいにはしゃぐ俺の様子を、気づけば五十嵐さんにしげしげと眺められていた。

「あ……
 なんだか酔ってひとりで楽しんじゃってますね俺……済みません」

「だから、それでいいんだって。
 失恋の痛手でべっこり凹んでるんじゃないかって心配だったから……安心した」

 楽しげに微笑む五十嵐さんのそんな言葉に、俺は思わず彼を見た。


「あの……
 もしかして、今日……俺のために、ここへ連れて来てくれたんですか?」

「いや別に。
 前も言っただろ、俺もやることないから単なる暇つぶしだって」

 俺の言葉に、彼はさらりと視線を逸らして窓の外を見る。



「……」


 そうなんだろうか。

 何となくそんな疑問符を漂わせる俺の表情を見てとったのか、彼がポツリと続けた。

「——今の答えじゃ、何か納得がいかないか?」


 そんな彼の呟きに、なぜかドキッと鼓動が小さく跳ね上がる。


「…………」

「なら……逆に聞こう。
 君は、なぜ今日俺がここへ君を連れてきたと思う?」


 彼の眼差しが、まっすぐ俺を捉える。
 さっき一瞬跳ねた鼓動は、治まるどころか一層速まっていく。


 なんだろう?
 少しずつ、退路が狭くなっていくこの感じは……
 また俺の考え過ぎか??

 ……彼の質問に、俺は何と答えたらいいんだ?



「——わかりません」



「…………篠田くん。
 君は、俺がただのお人好しで君の恋の助っ人を買って出たと思ってるんだろうけどな。
 最初に俺が何と言って君に近づいたか、忘れたのか?
『小宮山なんかやめて、俺の嫁になれ』——そういうことを言われた段階で、普通少しは警戒するところだろう。自分が狼にロックオンされた赤ずきんかもしれない、と。

 今日、俺が何の下心もなく、ただ暇だから君を誘ったと——それを一切疑わずに、君はここまでついてきたのか?」



「——……」


 心のどこかで……やっぱり、と微かに呟く自分がいる。


 来るときの車内で突然漂った、どこか甘酸っぱい沈黙とドギマギを、不意に思い出した。

 ……あの沈黙も、ドギマギも……
 俺の考え過ぎっていう訳じゃなかったんだな……やっぱり。

 ほんと、気づくの遅いっつーの。


 けど……
 どこかで、そういうのを全て否定したかったんだろう、俺は。


 五十嵐さんの「嫁になれ」発言は、単なるブラックジョークだったと。
 彼は、そんなジョークの好きな、優秀で頼もしく優しい、俺の先輩だと……
 ただ、それだけだと。
 なんとかして、そう思いたかったんだ。

 だって——そうだろう。
 俺が、彼にとってそれ以上に何か特別な存在だなんて……どうやっても、頭が理解してくれないんだから。


「…………

 なら、聞きます。
 五十嵐さん……本当に、俺を嫁にしたいと思ってるんですか?」

「君が頷いてくれるならな」

 さらりと返ってきた迷いのないその返事に、俺はますますあわあわとたじろぐ。

「だ、だって……
 これまで付き合ってたのは、女の子なんでしょ?
 どうして……」

「君は、俺の初恋の子にそっくりだ」


「……」

 五十嵐さんらしくないきゅんとくるような答えに、俺の胸が思わずぎゅっと詰まる。


「なんだろうな。
 俺の初恋の子は、小1の時のクラスメイトの男の子だった。
 色白で目のくるんとした……小柄で目立たないけれど、いつもニコニコと優しくて可愛い……そんな子だった。
 幼いなりに、手を繋いでドキドキしたり、その子を守りたい……なんて本気で思ったりな。

 だが、そんな幼い初恋なんて、本当に幻みたいなものだ。
 その後、付き合ったのはみんな女の子だったし……と言っても、あるところまでくるとなぜかいつも気持ちがすうっと冷めて。結局、味気ない恋ばかりだったがな。
 けれど……なんにしても、幼い頃のあの恋心は、何かの勘違いだったんだろうと……遠い昔の初恋のことなど、そんな風にすっかり俺の中から消えかけていた。

 ——そのはずなのに。

 おかしいだろ。君に出会った拍子に、そんなものが全部一気に蘇ってくるなんて。
 あの時の恋心は、今までのどんな恋よりも本気だったと……そんなことまで思い出す始末だ。
 今になって、君に対して再び同じ気持ちが動き出すとは——。

 そして、小宮山のことを真剣に思い、まっすぐブレずに行動する君の姿を見ているうちに、ますます深く君に惹き込まれた。
 君は可愛くて、でも心の奥に熱い芯があり、いつも一生懸命で……外見も内面も全てが、俺の奥底の何かをたまらなく揺さぶる。
 ……ぶっちゃけた話、俺自身が一番混乱してるんだ」


 そう呟きながら、彼はその美しい指で額を覆うと小さくため息を漏らした。


 常にほぼ隙のない明晰な頭脳を誇り、クールで端麗な無表情を貫く完璧な男前。
 そんな彼の心の奥を、こんな風にいきなり包み隠さず打ち明けられ……
 俺の思考は、もはや完全に混乱していた。
 言うなれば、キラキラな王子にいきなり熱烈に跪かれた赤ずきんの気分だ。


「俺の気持ちは、今全て君に明かした。
 だが……君に何かを無理強いする気は、一切ない。

 こんな話を聞かされてもひたすら迷惑でしかないならば——今ここで、はっきりそう言ってほしい。
 それが聞ければ……俺と君はこれまで通り、ただの会社の同僚だ」



「…………」


 なんと答えるんだ、俺?


 この人を、ただの先輩だと……そう思いたいんだろ?

 ならば、今すぐそう伝えたらどうだ。




「——……」


 身体に残る甘い酔いが、俺の脳に変な揺さぶりをかける。



 ……おい。
 どうした、俺??



「……あなたがこうして俺を想ってくれることが、迷惑だなんて——俺には言えません」

 気づけば、脳の制御をすり抜けて口からそんな言葉が漏れた。


「——篠田くん。
 こういう場面で、曖昧に逃げるな。
 はっきり答えてやらないと、ますます相手を傷つけるだけだ」

「はっきり答えろなんて……言えないものは、言えません。

 あなたの優しさの中にいる心地良さを……俺はもう、知ってしまいましたから」


 え……
 ええええーっと……?
 ち、ちょっと待って俺!! なんでそういう返事!!!?
 かっ、仮に実際そうでも……今ここでそれ言っちゃう!?

 俺自身既に大きく混乱を極めたその答えに、五十嵐さんも半ば信じられないような顔をする。

 そのまま、しばらくじっと何かを考えるようにしてから……彼は、これまでよりも更に真剣な眼差しを俺に向けた。


「——もし、君が……
 もしも、ごく微かにでも……俺を受け入れてみようかと、そう思うのなら……

 試してみるか?」


「……え」


「君が嫌でなければ——
 今までよりも、もう少しだけ……俺の側に来ないか。

 恋人として、とは言わない。
 俺の隣をどんな気持ちで使っても、それは君の自由だ。
 君が頷いてくれるなら……全力で、君を大事にする」


 俺に真っ直ぐに向けられた真剣な瞳と、耳に低く響くその囁きに……胸の奥が、思わず細やかに振動する。


 ……この身体の反応、なんだよ?


 どうしよう……
 さすがに、恋人としては……

 けれど……
 その関係は、どうやら強制されてはいない。


 ————どうしたらいい?



 こんな風に、強く誰かに求められるなんて——
 どうしたらいいんだ。



「…………」


「……
 何度も言うが、無理はするな。
 嫌なら断れ」


「だっ……だから……!
 嫌かどうかなんて、わからないんですってば!

 ……わからない——……
 試してみなければ」


 ああ。
 今日の俺には、何か違うものでも憑いてるみたいだ。



「——それは……
 今俺の言ったことに頷く、という意味か?」



 否定するなら、今だぞ。


 ——取り消さないのか?



 わからない。

 けれど——


 いっつもクールで、無表情なこの人が胸の奥に隠している、深くて大きな温もり。
 今、その場所は、俺だけに向かって開かれている。

 この人が、俺のためだけにそこを開けてくれるのなら……
 そのふかふかな場所に、すっぽりと寄りかかってみたい。
 
 確かに、そう思っている俺がいる。


 必死にブレーキを踏んでいたもう一人の俺も、とうとう姿を現したその本心を認めざるを得ない。




「——……本当に、試してみるだけ……
 ……それでも、いいんですよね?」



「————
 君がそう答えるとは、これっぽっちも思っていなかった。

 ……嬉しいよ。

 もう聞き直さないぞ。前言撤回されたくないからな」

 俺を見つめる彼の優しい微笑が、なんだかもうやたらに美しくて……思わず訳の分からない眩暈を催す。
 そんなふうに意識のぐるぐるし始めた俺の顎を、彼の指がすいと捉えた。

「……っ……
 待っ……
 キッキスは……待ってください」

 顔を優しく上向けられたすぐ間近にある彼の瞳を必死に見つめ、そう訴える。

「……試してみなければわからないだろ?」
「……でっ、でもあのっ……
 本当に俺、初めてなので……っ」

 そんな俺のしどろもどろな言葉に、彼は一瞬虚をつかれたような顔になり……やがてクスクスッと楽しげに笑う。

「——そうか。
 君のファーストキスか。
 じゃ、思い切り大切にしないとな」

 そんな言葉と同時にするりと指が離れ、俺は激しい緊張から解放されて一つ大きな息をつく。

「……はぁ……」

 ヘナヘナと力の抜けたような俺を見て、彼はますます楽しげに微笑んだ。

「——心配するな。
 取って食ったりはしないから」
「そりゃそうでしょうよ!! そんなことされちゃ困りますよマジで!!!」

 ムキになってそう返す俺に、彼はクックッと肩を震わせて笑いを堪える。
 ぐああああっっ、やっぱりこういうヤツだよこの人は!!!


「でもな——
 これは、冗談ではなく。
 君が嫌がることは、絶対にしない。
 さっきも言ったが……君がどんな気持ちで俺に寄りかかっても、君の自由だ。
——俺の隣を好きなだけ、好きなように使えばいい」

 楽しげな眼差しが、ふっと真摯な色を湛え——五十嵐さんは、穏やかにそう呟く。



「……」


 その言葉に甘えてしまって、本当にいいんだろうか?
 一瞬、そんな思いが頭をよぎる。


 けど。
 この話を、彼が本気でしていることは、間違いない。


 現段階では、交渉は成立した——そう言わざるを得ない。
 



「——すっかり遅くなったな。
 そろそろ行くか」

 やがて、彼はすいといつもの顔に戻ると、慣れた仕草でハンドルに手をかける。


 そんな横顔を、俺は何か奇妙な夢の中でも歩いてきたような気持ちで見つめた。


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