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腑に落ちない
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「……辛そうだな」
その日の終業後。
いつもの作戦会議場の美味なつくねを待ちながら頬杖をつき、五十嵐さんは普段通りの冷静沈着な声音で呟いた。
「え」
そんな彼の問いかけに、俺はもじもじと俯いた顔をやっと上げた。
「——いや。
今日一日、君の挙動不審があまりにもすごくて……向かい側で見てて、ちょっと面白い……いや痛々しくてな」
「誰のせいだと思ってんですか」
可笑しさを堪えるように口元をムズムズさせ、五十嵐さんはまるで他人事のようにそんなことを言う。
俺は思わずムスッと膨れてそう返した。
「……君が辛いなら、我慢しなくていいんだぞ」
彼は、ビールのジョッキを軽く一口煽ると、なんということもなくさらさらとそう口にする。
「……へ?」
「だから。
今日一日、こうして向かい側で過ごしてみて、やはりどうにも居心地が悪いと思うなら……
去年までの先輩後輩に戻ればいい、というシンプルな話だ。
——今日はそれが言いたくて、君を誘った」
ジョッキを静かに置くと、彼は優しい眼差しを俺に向けた。
「……」
「無理をするな。
この前の初詣の日から、何度も言ってる事だ。
——君は今、試しているだけだろ?
やはりうまくいかないという結論を君が出すなら、俺は無条件でそれに合意する」
「……無条件……」
「そう。
俺は、君に惚れてる。
けど、君は俺に惚れてるわけじゃない。
そんな君を、無理やり引き止める気はさすがにない」
「——……」
今日一日、向かいで過ごしてみて。
うまくいかないと思うなら……我慢しなくていい。
……我慢しなくていい??
じゃ、今すぐ、『やめまーす』と俺が言えば、ここで俺は無条件にリリース……
ということか?
俺の中で、『腑に落ちない』という言葉がなぜかぼこっと湧き上がった。
理由なんか知らん。
とにかく、湧き出したそういう感情が、心の中でふつふつと対流を始める。
だって、我慢するも何も。
なんっっっっにも、まだスタートしてないじゃんか?
なんっっにも始まってないうちからリリースって……どゆこと?
あー。いい言葉があった。「肩透かし」だ。
肩透かしってんじゃないのかこーゆーの……?
「……待ってください」
「ん?」
「あなたは……
そんっっなにも簡単に、リリース決めちゃうんですか?」
「は?」
今度は逆に、五十嵐さんが間抜けな声を出す。
「だって。
まだ俺からも五十嵐さんからも、何一つアクションしてませんよね?
アクションゼロじゃ……何一つ、わかんないじゃないですか」
「——しかし、今日の動揺っぷりは……
君は……困惑してたんじゃないのか?
俺の気持ちが君へ向いていることに」
「……困惑……?」
困惑……
俺のこの気持ち。
これは、困惑なのか……?
困惑。困る。迷惑。
——今日の俺の思いは……そういう類いのものだったのか?
……いや。
少なくとも、そうじゃない。
「——違います」
「…………
ならば。
今日のあれは、なんだ」
「————」
五十嵐さんの真剣な眼差しが、まっすぐに俺を見る。
俺の視線は、それを受け止めきれずに自ずと下を向く。
そんなの。
聞かれたって、わかんねーよ。
そうやって難しいことを真正面から聞かないで欲しい。
ってか恋愛経験ゼロの同性ナメんなよ!? この戸惑いを少しは察してくれてもいいんじゃねーの!? 経験豊富なキラキラ王子じゃなかったのかよあんたはっっ!!?
「……あー。
悪い。ムキになって。
さすがに俺も余裕なさすぎだな。
——今のは答えなくていいから」
そこで彼はふと自分自身の問いに呆れたかのように額を指で覆い、ふうっと小さな溜息を漏らした。
「——とりあえず……
君は、お試しをまだやめる気はないのか」
「そもそもまだスタートしてないでしょ」
俺はぶうっとぶっきらぼうに答える。
とにかく、まだ何も始まっていない、ということしか、俺にはわからない。
「——……
そうか」
彼は少しだけ間を置いて、そう呟き——微かにはにかむように淡く微笑んだ。
——朝見たのと同じ、くすぐったいような甘い微笑。
「じゃ」
そこに来て初めて、彼はスーツの内ポケットから白い小さな紙袋を取り出し、俺に渡す。
「何ですか?」
「この前神社で、凹んでる君に渡すつもりで買ったんだが……あの時は、何となくタイミングを逃した」
袋の中は、何とも可愛らしい御守りだった。
小さな貝を華やかな紺の縮緬で丁寧に包み、紺の糸を撚って編んだストラップがついた、ずっと見つめていたくなるような御守り。
入っていた袋には、『恋愛成就』……と書いてある。
おお。
ビミョー。
俺は、そんな心の内をぐっと引っ込めた。
「——ありがとうございます」
嬉しい。
とりあえず——この気持ちは、間違いなかった。
「ほら、料理冷めるし。君の好きな酒をなんでも頼め。奢るよ」
「え。いいですよそんな」
「黙って奢られろ。
——君がお試しをやめる気がないなら、これはデートだからな」
「…………」
「ははっ、冗談だ。気楽に甘えてくれ。
尚、お試し期間中の俺との飲食は君は全てタダだ。充分有効利用すればいい」
そう言うと、彼はどこか悪戯っぽく、そして言いようもなく美しい微笑をキラキラと零す。
なんだこの破壊力、半端ねー……
そして、ペース戻してきた王子はやっぱぐいぐいだわ……さっきまでのなんだか余裕なくて弱気な狼くんはどこ行ったんだ??
「……わかりました。
そういうことなら、お言葉に甘えてしっかり奢られます。
でも——その代わり、俺も好きなようにあなたの横使わせてもらうんで。
俺が何しても、ぶうぶう文句とか言わないでくださいね」
そんな俺の言葉に、五十嵐さんは一瞬驚いたような顔をしたが——やがて、まるで子供のように嬉しそうな笑顔になった。
「もちろんだ。
君がどんな風に俺の横を使うのか、楽しみにしてる」
一つ、わかったことがある。
彼は、これまで確かに恋愛をいくつもしてきたんだろう。
けど……なぜか俺の前では、完璧な男前を突然どこかへすっ飛ばしたように、不器用で、子供っぽく、危なっかしいところを見せる。
多分——俺とのこういう関係は、彼にとっても、「初めて」なんだ。
だから。
この関わりを、もう少し試してみたいと思うなら。
彼から近づいてもらおうとするんじゃなくて……俺からも。
俺からもそれなりのアクションを起こさないと、この人はあっという間に、あっさりと身を引こうとする。
俺自身、肩透かしを食らったと感じるほどに。
——それだけ、俺の気持ちを大切にしてくれている、ということだ。
「……かわいいじゃん」
気づけば俺は、恋など百戦錬磨のはずのキラキラ王子に向かって、小さくそんな言葉を呟いていた。
その日の終業後。
いつもの作戦会議場の美味なつくねを待ちながら頬杖をつき、五十嵐さんは普段通りの冷静沈着な声音で呟いた。
「え」
そんな彼の問いかけに、俺はもじもじと俯いた顔をやっと上げた。
「——いや。
今日一日、君の挙動不審があまりにもすごくて……向かい側で見てて、ちょっと面白い……いや痛々しくてな」
「誰のせいだと思ってんですか」
可笑しさを堪えるように口元をムズムズさせ、五十嵐さんはまるで他人事のようにそんなことを言う。
俺は思わずムスッと膨れてそう返した。
「……君が辛いなら、我慢しなくていいんだぞ」
彼は、ビールのジョッキを軽く一口煽ると、なんということもなくさらさらとそう口にする。
「……へ?」
「だから。
今日一日、こうして向かい側で過ごしてみて、やはりどうにも居心地が悪いと思うなら……
去年までの先輩後輩に戻ればいい、というシンプルな話だ。
——今日はそれが言いたくて、君を誘った」
ジョッキを静かに置くと、彼は優しい眼差しを俺に向けた。
「……」
「無理をするな。
この前の初詣の日から、何度も言ってる事だ。
——君は今、試しているだけだろ?
やはりうまくいかないという結論を君が出すなら、俺は無条件でそれに合意する」
「……無条件……」
「そう。
俺は、君に惚れてる。
けど、君は俺に惚れてるわけじゃない。
そんな君を、無理やり引き止める気はさすがにない」
「——……」
今日一日、向かいで過ごしてみて。
うまくいかないと思うなら……我慢しなくていい。
……我慢しなくていい??
じゃ、今すぐ、『やめまーす』と俺が言えば、ここで俺は無条件にリリース……
ということか?
俺の中で、『腑に落ちない』という言葉がなぜかぼこっと湧き上がった。
理由なんか知らん。
とにかく、湧き出したそういう感情が、心の中でふつふつと対流を始める。
だって、我慢するも何も。
なんっっっっにも、まだスタートしてないじゃんか?
なんっっにも始まってないうちからリリースって……どゆこと?
あー。いい言葉があった。「肩透かし」だ。
肩透かしってんじゃないのかこーゆーの……?
「……待ってください」
「ん?」
「あなたは……
そんっっなにも簡単に、リリース決めちゃうんですか?」
「は?」
今度は逆に、五十嵐さんが間抜けな声を出す。
「だって。
まだ俺からも五十嵐さんからも、何一つアクションしてませんよね?
アクションゼロじゃ……何一つ、わかんないじゃないですか」
「——しかし、今日の動揺っぷりは……
君は……困惑してたんじゃないのか?
俺の気持ちが君へ向いていることに」
「……困惑……?」
困惑……
俺のこの気持ち。
これは、困惑なのか……?
困惑。困る。迷惑。
——今日の俺の思いは……そういう類いのものだったのか?
……いや。
少なくとも、そうじゃない。
「——違います」
「…………
ならば。
今日のあれは、なんだ」
「————」
五十嵐さんの真剣な眼差しが、まっすぐに俺を見る。
俺の視線は、それを受け止めきれずに自ずと下を向く。
そんなの。
聞かれたって、わかんねーよ。
そうやって難しいことを真正面から聞かないで欲しい。
ってか恋愛経験ゼロの同性ナメんなよ!? この戸惑いを少しは察してくれてもいいんじゃねーの!? 経験豊富なキラキラ王子じゃなかったのかよあんたはっっ!!?
「……あー。
悪い。ムキになって。
さすがに俺も余裕なさすぎだな。
——今のは答えなくていいから」
そこで彼はふと自分自身の問いに呆れたかのように額を指で覆い、ふうっと小さな溜息を漏らした。
「——とりあえず……
君は、お試しをまだやめる気はないのか」
「そもそもまだスタートしてないでしょ」
俺はぶうっとぶっきらぼうに答える。
とにかく、まだ何も始まっていない、ということしか、俺にはわからない。
「——……
そうか」
彼は少しだけ間を置いて、そう呟き——微かにはにかむように淡く微笑んだ。
——朝見たのと同じ、くすぐったいような甘い微笑。
「じゃ」
そこに来て初めて、彼はスーツの内ポケットから白い小さな紙袋を取り出し、俺に渡す。
「何ですか?」
「この前神社で、凹んでる君に渡すつもりで買ったんだが……あの時は、何となくタイミングを逃した」
袋の中は、何とも可愛らしい御守りだった。
小さな貝を華やかな紺の縮緬で丁寧に包み、紺の糸を撚って編んだストラップがついた、ずっと見つめていたくなるような御守り。
入っていた袋には、『恋愛成就』……と書いてある。
おお。
ビミョー。
俺は、そんな心の内をぐっと引っ込めた。
「——ありがとうございます」
嬉しい。
とりあえず——この気持ちは、間違いなかった。
「ほら、料理冷めるし。君の好きな酒をなんでも頼め。奢るよ」
「え。いいですよそんな」
「黙って奢られろ。
——君がお試しをやめる気がないなら、これはデートだからな」
「…………」
「ははっ、冗談だ。気楽に甘えてくれ。
尚、お試し期間中の俺との飲食は君は全てタダだ。充分有効利用すればいい」
そう言うと、彼はどこか悪戯っぽく、そして言いようもなく美しい微笑をキラキラと零す。
なんだこの破壊力、半端ねー……
そして、ペース戻してきた王子はやっぱぐいぐいだわ……さっきまでのなんだか余裕なくて弱気な狼くんはどこ行ったんだ??
「……わかりました。
そういうことなら、お言葉に甘えてしっかり奢られます。
でも——その代わり、俺も好きなようにあなたの横使わせてもらうんで。
俺が何しても、ぶうぶう文句とか言わないでくださいね」
そんな俺の言葉に、五十嵐さんは一瞬驚いたような顔をしたが——やがて、まるで子供のように嬉しそうな笑顔になった。
「もちろんだ。
君がどんな風に俺の横を使うのか、楽しみにしてる」
一つ、わかったことがある。
彼は、これまで確かに恋愛をいくつもしてきたんだろう。
けど……なぜか俺の前では、完璧な男前を突然どこかへすっ飛ばしたように、不器用で、子供っぽく、危なっかしいところを見せる。
多分——俺とのこういう関係は、彼にとっても、「初めて」なんだ。
だから。
この関わりを、もう少し試してみたいと思うなら。
彼から近づいてもらおうとするんじゃなくて……俺からも。
俺からもそれなりのアクションを起こさないと、この人はあっという間に、あっさりと身を引こうとする。
俺自身、肩透かしを食らったと感じるほどに。
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