純情赤ずきんとイケメン狼が手を繋ぐ可能性について考える話

雪葵

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矛盾だらけの幸福

 五十嵐さんのマンションへ向かう途中、彼はふと足を止めると、何か難しげな表情で俺を振り返った。

「……篠田くん。
 まさか……君は、また何の警戒心もなく、夜道をここまでひょこひょこ俺についてきたんじゃないだろうな?」

「ちゃんとわかってます。
 ってか、幼稚園生に話しかけるみたいな言い方しないでください」

 俺は敢えてむすっとそう返す。

「——そうか。
 君を見てると、どうしても心配になる」

 そう小さく微笑むと、彼は俺の先に立ってマンションのエントランスに足を進めた。


 街中から少し離れた静かな通りの、大きくはないが洗練されたマンション。いかにも五十嵐さんらしい雰囲気だ。
 6階の部屋。室内は必要最小限のものがすっきりと整理され、どことなく無機質だが穏やかに安らぐ感じだ。

 酒の酔いと、自分の中に口を開いてしまったよくわからない思考の沼に足を取られつつ、俺は勧められるままにぎこちなくソファに座った。

 目の前のローテーブルに、缶ビールがコトリと置かれた。
「——それとも、コーヒーとかの方がいいか?」
 俺の様子を見るように、彼がそう問いかける。

「いえ。これがいいです。
 ——ありがとうございます」

 今、変なふうに酔いが覚めてしまったら……
 俺はまた中途半端に、溜まっていくモヤモヤをガッツリ胸に残したまま、ここを出ることになる。
 そんな気がした。

「ちょっとずつ飲めよ、強くないんだから」
「わかってます!」

 再度むくれた俺に、彼はクスクスと小さく笑って向かい側のソファに座ると、自分のビールのタブを開けた。




* 




「——外では、どうにも話が進まない気がしたんだ。
 あんな場所で変に君を問い詰めるのも、嫌だった」

 しばらく、お互いに黙ったままビールを呷ってから——手の中の缶を見つめるように、彼が口を開いた。
 そして、ふっとどこか自虐的な微笑みを浮かべる。

「なんていうのかな——
 望みを、探してしまうんだ。必死になって。
 君の行動や、君の言葉に」

 初めて見るような彼のその様子を、俺はじっと見つめた。

 動きの少ないその端整な表情も、部屋の光を無機質に反射する華奢な眼鏡も——その心の奥を頑なに押し隠そうとする壁のように見えた。
 厚い壁の奥にいる、心細く震えるような彼が、ちらちらと見え隠れする。

「……」

 なんだかよくわからない気持ちが新たに混ざり込み、俺はビールをぐっと一口喉へ流し込むと、自分の思いを何とか必死に言葉に変換する。

「——俺も……
 自分自身の気持ちが見えないままになるのは、嫌です。
 放置しておくと、果てしなく不安になるから……」

「君の気持ちを知りたいと思うのに——はっきりと聞いてしまうのが、たまらなく怖いんだ。
『終わりだ』とすっぱり君に告げられたら、君と繋いだこの関係は、有無を言わさずそこで終わってしまう。

 君の意思を妨げないギリギリのところで、俺は君を離すまいと必死だ。
 ——随分重い男だろ?」

 言いようもなく美しい微笑で、彼はそんな言葉を口にする。


「——……」

『終わりだ』なんて——
 何かを捨て去るような言葉を、あなたに言いたくない。

 ——だから、俺もこうして沼に嵌っているんだ。

 口から、そう出かかる。


 けれど——
 どこかでは、区切らなければならない、と。
 そう呟く、もう一人の自分がいる。
 その声を、どうしても無視することができない。

 俺はなぜ、こんなにもその声に固執するのか。


 俯いていた顔を上げ、彼は意を決したように俺を見つめた。

「君を追い詰めようとは思わない。
 ただ、ひとつだけ——
 さっき俺の聞いた問いには、答えてくれるか?

 君の気持ちは……
 この関係を、ここで終わりにしたいのか、そうではないのか」


「————」

 その眼差しを、俺は必死に受け止める。


 ここで終わりにする、と言ってしまえば、きっと楽になる。
 この沼のような思い煩いから、解放される。

 けど——
 解放された俺は……

 この暖かい場所を、失うのだ。


 この温もりは、コタツじゃない。
 いつでも自由に出入りできる電化製品の温もりなんかではない。

 これは——
 彼が、俺へ向けて必死に灯している、たったひとつの温もりだ。
 こんなものは不要だと、いつ俺に言われても仕方ないと……
 それでも、消したくないと。
 そんな思いで、彼が全力で俺へ向けてくれる、かなしいほどの温もりだ。

 だから、俺は——
 こんなにも幸せで、苦しいんだ。
 彼の向けてくれる想いに応えられたら、と……
 そう思わずにいられないのだ。


「————『終わり』なんて、嫌です」

 俺の口から、そんな言葉が零れた。
 ブレーキを踏む間も無く。


 俺の返事に、彼は微かに表情を変える。

 そして、しばらく何かを考え込むように俯くと——どこか改まったような真剣な眼差しを俺へ向けた。


「——篠田くん。
 ……俺は、方針を少し変えようと思う」

「……え?」

「これまで俺は、君の希望は全て無条件に受け入れるつもりできた。
 どんな状況であれ、俺から君を引き止めるような言動を取るのは一切よそう、と——そう思って来た。

 だが……
 これからは、俺の気持ちも主張させてもらう。
 ——それでもいいか?」


「……」

「今後は俺も、自分の気持ちを、君にはっきり伝える。
 つまり——俺の気持ち次第では、君の希望が却下される場合がある、ということだ。
 君の一言だけでは、俺との関係が片付かなくなるかもしれない……そういう意味だぞ。

 ——降りるなら、今がチャンスだ」


「——いいえ。
 降りません」


 俺も——あなたに、そうしてほしい。

 俺のいいなりには、ならないでほしい。
 このままでいてはいけないと感じるこの気持ちを、力を込めて引き止めて欲しい。

 俺の本心は、そう願っている。
 間違いなく。


 俺の明確な答えに、彼は一瞬ぐっと言葉を詰まらせ……
 やがて、何とも複雑な表情になってぼそりと呟く。

「——君の今の返事に、俺はぶっちゃけかなり喜んでいるのだが……
 そういうことで、いいんだな?」

「えーと、そういう小っ恥ずかしい確認とかしないでください。
 返事取り消したくなります」
「え!? ちょっ待て、それは困る!!」

 彼のその慌てた顔に、俺は思わずクスクスと笑う。

「嘘です。取り消したりしません。

 だって——俺も。
 そうだといいと、思っていましたから」


「——……」

 俺の言葉に、彼はおもむろに手のひらで口元を覆うと、静かに俯いた。

 このポーズが彼の大きな喜びの表現だということを、俺は知っている。


「——嬉しいよ。とても」

 その視線を静かに上げ、彼は真っ直ぐに俺を見る。
 こういう時の彼の顔は、たまらなく王子だ。
 どうして、この人が俺なんかを……改めて、そんなことを不思議に思わずにいられない。

「ならば……早速言わせてもらうぞ。

 ——俺のためやその他の女子のことを思って、俺の隣を離れなければならないと考えるのは、やめてくれ」

「……」

「俺は、君に側にいて欲しい。
 これ以上の幸せは、俺にはない。
 そして——俺の幸せの内容をジャッジする権利は、君にはない。
 俺が誰か別の女の子と結ばれることが何よりだと、君はそう思っているようだが……俺に言わせれば、それは全くの見当違いだ。
 そんな関係を結んでも、俺にとってもその彼女にとっても、それは実を結んだのではなく……中身のない寂しさに、お互い一層寒くなるだけだ。
 そんな不幸なカップルを作りたくないと思うなら——君は今のまま、俺の隣を占領し続けるべきだ。
 ……もちろん、君が嫌でなければ、の話だが。

 ——わかったか?」


「——……
 わかりました」

 彼の強い視線と言葉に、返すべき返事が見つからず——
 俺はただ、そう答えた。


 このまま、ここにいてもいいんだ。
 彼の隣に。

 そんな矛盾だらけの幸福感が湧き出すのを、抑えようもないまま。


「——それから、もう一つ」

「はい?」

「君のファーストキスが欲しい」


「————……」


「——そこは拒否られたか」

 軽くそう呟く彼の淡い微笑みに、俺はどぎまぎと俯く。


「——……
 すみません」

「じゃ、百歩譲ってハグは?」

 彼はおどけたようにすいと両腕を広げ、少し悪戯っぽい顔で微笑んだ。


「————……

 それなら」


 彼の腕の中に、優しく引き寄せられる。
 思ったよりも広い胸と逞しい腕に、すっぽりと包まれた。


 自然と鼻が近付いた彼の首筋から、仄かに甘く爽やかな香りが漂う。


 俺の背に回った両腕に、ぐっと力が籠り——その胸に、一層強く抱き締められた。

 彼の鼓動と体温が、ありありと伝わる。


 その鼓動の速さ、強さ。
 俺を包む、身体の熱さ。

 俺へ向けられた彼の想いが、そっくり自分の中へ流れ込んでくるようで——


 ——なぜ……

 なぜ俺は、この人の想いに、応えられないんだろう——?


 そんな奇妙な疑問だけが、目を閉じた俺の胸にぐるぐると巡った。



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