純情赤ずきんとイケメン狼が手を繋ぐ可能性について考える話

雪葵

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逆流

 その週の金曜、夜。
 五十嵐は、父と話をするために実家へ戻っていた。

 父親から半ば強制的に勧められた仲林美優との件は、この一週間五十嵐を酷く悩ませていたが、この話が簡単に覆せるものではないことも知っている。
 ただ——何もせずにこの流れに乗せられるのは、どうしても納得がいかなかった。


「おお。廉、おかえり。
 私もちょうどお前と話す時間を作らねばと思っていたところだった。——いつもの私のブランデーでいいか?」
 父は、広い居間のソファに五十嵐を誘うと、グラスを二つ手にしながら微笑んだ。

「……俺の要件は、単純です。
 俺は、今回の仲林さんとの話は、どうしても気が進みません。
 それを父さんに伝えに来ただけです」
 ソファに腰を落ち着けることすらしないまま、五十嵐は無表情に父にそう伝える。

「気が進まない……なぜだ?
 ——まあ、とりあえず座りなさい」

 濃い琥珀色の酒と氷の輝くグラスをテーブルに置いて五十嵐に勧めると、彼は穏やかな佇まいを変化させることなくソファへ座り、手の中のグラスを静かに回す。

「条件的に、この上なくいい話だろう?
 美優さんはとても美しく、内面的にも可愛らしい女性のようじゃないか。しかも仲林さんの話では、お前を随分深く慕っているそうだ。——お前、会社で彼女のそういう気持ちに少しも気づかなかったのか?
 それに、何と言っても、大崎商事の役員で実質的に最も力のある仲林専務の愛娘《まなむすめ》だぞ。将来的にお前の力になってくれることは間違いない」

 父親のそんな言葉を遮るように、五十嵐は口を開く。

「相手の条件や将来の有利不利で交際や結婚を決めようとは、俺は思いません。 
 ……それに——
 この前の電話の際は、話せませんでしたが……
 俺は、つい先日、彼女の告白を既に一度断っています。
 彼女は、俺の気持ちが自分の方を向いていないことを知っているんです。

 なのに……
 ——こういう風に、互いの人生や幸せがかかった大切なことが、半ば力尽くで進んでいく……そのことが、疑問なんです」


 五十嵐の言葉に、父は驚いたように一瞬目を見開く。
 そして、少し考えるような間を置いてから、五十嵐へ眼差しを向けると静かに呟いた。


「——廉。
 お前には、幸せにしたい相手が既にいるのか」

 いきなり鋭く切り込んでくるような父の言葉に、五十嵐は思わず返事に詰まる。


 ——幸せにしたい相手。

 幸せにしてやりたい。
 どれだけそう望んでも、決して叶うことはない相手。

 そんな手の届かない相手の話など、ここでいくら父に語っても——何の意味もない。


「——……」

「……そういう、心に決めたような相手がまだいないならば……
 これから、お前の想いを新たな女性に向けることだって、不可能ではないだろう?
 一度断られても、こんな風にお前との関係を何とかして築きたいと、美優さんは願っているんじゃないか? 今回のことは、彼女のお前への想いがそれだけ強いということにほかならない。
 パートナーから深く愛されるということは、長い目で見れば、人生において何よりも大切なことだと、私は思うがな。

 あまり堅苦しく身構えずに——もう一度彼女に会って、彼女の持つ魅力をよく見つめてみたらどうだ」


 一度は断ったこの話に応じざるを得ない痛みを汲み取る気など、父には恐らく一切ないのだろう。
 全てを自分の望む方向へ上手く纏め上げるその強力な空気には、結局敵わない——いつも。

 最初からわかっていたこの結果を力なく見つめ、五十嵐は重いため息を落とした。









 その金曜日。
 俺は、とあるカクテルバーで佐々木さんと二人で飲んでいた。
 ここは彼女のお気に入りの店らしい。いかにも今風の洒落た雰囲気に、女性客やカップルが楽しげに喋る賑やかな空気が流れている。


「篠田くん、今日はごめんね。無理に付き合わせたみたいになっちゃって。
 でも、誕生日に一人っきりでヤケ酒飲んでるはずのところを、篠田くんみたいな優しくてキュートな男の子と一緒に過ごせるなんて、ほんと嬉しい!」
「佐々木さん、今日誕生日って言ってましたよね。
 なので、彼の代わりにはならないけど、ちょっとプレゼント用意しました。……喜んでもらればいいんですが」
 そう言って、俺は脇に置いていたピンクの可愛らしいラッピングを彼女に差し出した。

「え……私に?
 開けてもいい?」
 彼女は嬉しそうに瞳を輝かせて包みを受け取り、リボンを解く。

「うあー、マグカップだ!! すごくいいサイズ、それにかわいい~~! 篠田くん、こういうのセンスいいんだね~♪
 それと……この袋は、コーヒー豆? すっごい芳ばしい香り!」
「ええ。佐々木さんも、よくボトルにコーヒー入れて持ってきてますよね? コーヒーお好きなんだろうと思って……俺の一番好きな豆、今朝うちで挽いて持ってきたんです。苦味は弱めで、少し酸味の強い爽やかな風味です」
「あ、私も酸味のあるのが好きなの! めちゃくちゃ嬉しい~~!! ありがとう♪ もー大事に飲まなきゃっ♡」
 彼女は、それらのささやかなプレゼントをぎゅうっと胸に抱きしめるように明るく微笑む。

「——こんな風に、なんだかふんわり優しいプレゼントもらったの、初めてだなあ……私の好みとか、私の気持ちをしっかり考えてくれた、細やかな思いのこもったプレゼント……
 嬉しい。……本当に」

 そんなことを明るく話しながらも、後半の言葉は細く震えるような声になり……彼女は、瞳を微かに潤ませた。

 そんな彼女の様子に、俺は微妙に照れそうになる気持ちを押し殺しつつ、ボソボソと呟く。

「……我慢とか、しなくていいですから。
 涙が出るときは、思い切り泣いちゃってください。
 気の利いた言葉を選んだりするのは苦手ですけど……その代わり、そういう悲しさや苦しさを思い切りぶつけてもらっても、俺は大丈夫ですから」


「……うう~~~……
 そんなこと言われたら……ますます泣いちゃうじゃん……」

 そんな呟きと共に、彼女は堪えきれなくなったように俺の肩に両腕を回し、その綺麗な前髪を俺の胸元にぐいっと押し付けた。

 一瞬びっくりしたが——今日は癒し係に徹するつもりで、俺はじっとそのまま動かずに彼女を支えた。


 俺の顔のすぐ間近で、華奢な肩が小さく震えている。
 抑え難い嗚咽が、俯いた髪の間から漏れ聞こえ——そうして揺れる髪に合わせるように、甘い柑橘系の香りが俺の鼻先へ立ち上る。

 すぐ側に感じる異性の匂いに——鼓動が、勝手に速くなる。
 自分自身の中の本能を、ありありと感じる。


「————」


「——ねえ、篠田くん。
 今、彼女とか……好きな人とか、いる?」


「——……」

 胸元で俯いたまま問いかけられた彼女の唐突な言葉に、動きの鈍くなりかけた俺の脳は必死に活動を再開する。
 そうしてみて初めて、彼女の問いが思った以上に難しい質問であることに気づいた。


 ——彼女は……
 
 いない。


 ならば——好きな人は。


「————……」


「——もし、今そういう人がいないなら……
 私と、付き合わない?」

 その額を俺の胸から離し、俺と視線を合わせながら、彼女は小さく囁く。


「……」


「篠田くん、少し前に比べて、すごく素敵になった……
 最近、あなたをそんな風に見てたんだって……私、自分の気持ちに気づいた」

 その囁きに、俺の耳の奥が甘く振動し——彼女の眼差しが発する熱を吸い込むように、自分の胸の奥にも柔らかな熱が生ずる。


「…………
 少し、考える時間をくれますか」

「もちろん。
 でも——あまり長くは引き延ばさないでくれたら、嬉しい」

「……わかりました」


 考えなければならないことがある。
 ——答えを出さなければならないことが。

 俺は、目の前に運ばれてくるグラスをただひたすら呷った。


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