Geometrially_spell_aria

吹雪舞桜

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第0章

005、術師結社グラール

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「――それで」


 濃緑色の大理石張りに、静かな、それでいて空間を裂くような声色が響いた。
 漂うのは、濃厚なシガレットの煙と沈黙のみ。

 オフィスビルを思わせる、一面ガラス張りの建造物――術師結社本部。
 その高層の一室へと呼び出されたクロノは、大理石が反射する蛍光灯の光を、ただぼんやりと眺めている。
 彼がそうしているのは、単に、目の前の女性に気圧されないためだった。
 のりの利いた白いワイシャツに黒のジレ、ストレートパンツという男装に近い服装。胸元へ施されている精巧なシルバーのせいか、それとも女性が帯びる殺伐とした雰囲気のせいか、その姿は勲章を身に付けた軍人すら彷彿とさせた。


「……現場の調査を怠り、報告もままならず。他組織の使い手と接触したが、始末もせず」


 紺青に映えるボブカットが揺れ、刺し殺すような黄金色の眼光が少年へと向けられる。


「挙句、魔導反応を示した対象を確認するも、抵抗に遭い、うっかり見逃しました、と。そう言うことか」
「はい」


 出来の良い子供みたいに頷くクロノ。
 女性は言う。


「死にたいのか、貴様」
「いえ、生きたいです」


 バカ正直な即答に、殺気を湛えた女性――セラは無表情に煙を吐き捨てた。
 ため息だったのかもしれない。
 それはそうだろう。クロノがもう少し常識的な精神の持ち主であれば、彼女がわざわざ手を下すまでもなく、この場で雰囲気に呑まれて独りでに圧死するか窒息死するかしてくれたのだろうが、彼は生憎そこまで繊細な心臓など持ち合わせていない。……いや、繊細ではあっても、それを相手に悟らせないだけの術に長けているのだろう。

 そして、ただでさえクロノは夜勤を終えて結社へと戻り、備え付けの更衣室で制服を着替え終わったところなのだ。眠気も疲労もピークを迎え、シミ抜きどころじゃなくなってしまった血染めの一張羅を嘆いて、その上で朝から上層部に呼び出されるという、何とも言えないやるせなさ。クロノはパーカーにジーパンという、上層部へ参上するには考えられないような普段着姿で、臆面もなく大理石張りの部屋をノックした。
 彼のふてぶてししさが本領を発揮してしまうのは、もはや仕方のないことだった。


「だから今、見たままを報告してるんですよ。現場は一面、緑で、あんまり手入れの行き届くいてない自然公園みたいなものがあって――」
「あのビル街に緑地など存在しない。偽証ならもっと頭を使うことだ」


 貫くような低音に遮られる。
 その通りだった。
 昨晩のあの時、あの場所で、何の整備も柵もなしに忽然と広がっていた、だだっ広い緑。どうにも違和感を拭えず、クロノは結社に戻ってすぐケータイの地図情報を確認し、目を疑った。
 緑地などなかった。
 彼が見たはずの一帯の緑は、初めからどこにも存在していなかったのだ。


「幻覚か。大方、現場で確認されていた魔力にあてられたのだろうが――使い手にあるまじき醜態だな」
「……ああー最近、夜勤とか急な雑用とかで、こき使われて疲れてるみたいなんで」


 安月給だし、などといけしゃあしゃあと述べるクロノだが、対するセラも顔色一つ変えない。
 しかし、使い手ですらあてられる魔力というのは、一体どんなものだったのだろうか。
 突風にざわめく緑も、攻撃によって削り取られた木肌も、昨日のことのようにはっきり思い出せるというのに。……いや、実際に昨夜あったことなのだから当然と言えば当然なのだが。
 とち狂ったような紋章術を繰り出したあの少女を思い出し、クロノはうそ寒さを感じた。


「と言うことで、もう戻っても良いですか」
「ふざけているのか。紋章術師である私が、なぜ貴様を直々に呼び出したと思っている」


 そこの窓から俺を放り投げるためですか。
 そう答えようとして、クロノはすんでのところで呑み込んだ。

 紋章術師。
 術師結社と銘打たれるだけあって、紋章術の使い手の中でもトップクラスの能力を持つ者がそう名乗ることを許される。彼女らは、使い手たちですら手に負えない危険極まりない任務やその指揮を請け負う、上層部の人間だ。
 相手はまさにその紋章術師。万が一、琴線に触れてしまったら最後だ。クロノの実力では太刀打ちなど出来るはずがない。
 要するに、彼のようないわば平社員からしてみれば、天上を仰ぐほど偉大であり、化け物よろしく強大である。本来なら彼女が平社員の不始末に対して説教をたれるなど、お門違いも良いところなのだが。


「さあ。わかりませんけど」
「では、私が喫煙するのはどんな時だ」
「疲れている時です」
「私が座っていたあの椅子はなんだ」
「マッサージチェアです」


 白々しい沈黙。
 クロノは、もはや血の通った人間のものとは思えないほどの氷点下の眼差しから、そうっと視線を逸らした。


 ――この人、疲れてるのか。ついでにイライラしてるのか。早く帰りたいよ。


「……お前ほどに扱い辛い使い手は、他には任せられない。そう判断した」


 この私自身がだ、と。語調も強く付け足される。
 クロノはその言葉に、更に不穏なものを感じた。
 そして「お前」などと幾分か親しい呼び名に言い換えられた時は、大抵ろくなことがないと彼は身をもって知っている。
 床の升目でも数えるように赤褐色の瞳は落とされたが、彼女は言い含めるように続ける。


「お前は有体に言えば信頼のおけない部下だが、汚れ仕事だろうと感情論を含まないその〝頭の良さ〟だけは、評価出来る」
「……それはどうも」
「しかし今回は違う。ターゲットだけに限らず、他組織の使い手と接触したあの現場で、一切の戦闘行為を行っていないとあった」


 無血主義の宗教でも始めたか、とトパーズの瞳は笑いもしない。
 一体誰がいつの間に提出したのか。セラは報告書と思しき書類の束を手に、抑揚のない口調で告げた。

 少しまずったかもしれない、と口を結んだクロノ。
 使い手は、扱える紋章術に各々が別個の属性を持つ。なので、現場の痕跡や魔導反応などを細かく調査すれば、誰がどこでどのように紋章術を使ったのか推測することも不可能ではない。
 結果から言えば、もっと凝りに凝った偽装工作を練るべきだったということだ。
 いくら時間的な猶予がなかったとはいえ、クロノは自分自身の保身のための工作をすっかり怠ってしまっていた。


 ――まあ、他のことで手一杯だったから。


 そして、セラの言うターゲットとはおそらく、魔導反応を示した対象と同義であり、あの一般人のことだろう。
 使い手でないにも関わらず、他組織の連中を紋章術でことごとく薙ぎ払った少女。
 旧友に言わせれば、鍵の模造品であり、失敗作。
 結社が魔導具を用いた人体実験によって鍵の模造品を作り出している、と言うのが事実なら、少女の処理を命じたのは、失敗作の迅速な抹消のため、と言ったところか。
 勝手に作っておいて始末だけ部下に命じる……上司は選べないからな、と淡々と思うクロノ。


 とはいえ、何のための模造品なのか。人工的に鍵を作り出すことが何を意味するのか。
 クロノにはそれがわからなかった。
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