Geometrially_spell_aria

吹雪舞桜

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第0章

007

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 ――まずいことになった。まさかこんなに早く対応されるなんて。


 結社本部の廊下を歩きながら、クロノは思わず苦笑を浮かべる。
 こっ酷く扱かれた挙句、今回の件での詳細な報告書の提出を渋々請け負うと、やっとのことで解放された彼だったが。
 どう考えても、この迅速さは異様だった。

 いくら即戦力といっても結社にとってたった一人の使い手の存在など瑣末なもので、常ならば彼らのミスは減給によって罰せられるか、いきなり分不相応な仕事を与えられて手っ取り早く殉職させられるかのどちらかなのだ。
 というのも、基本的に非常識人と問題児しかいないような紋章術の使い手たちを相手に、一々大真面目に取り締まっていたのではこの組織で働く事務員が過労死しかねないからだ。
 だからこそ、クロノもまた、これほどまでに堂々と職務放棄をやらかせたというのに。
 見誤っていた。
 この一件が、結社にとってそんなに重要なものだったなんて考えもしなかったのだ。

 彼は長廊下を足早に突っ切ると、エレベーターで最上層を目指す。監視カメラの目下へと身を晒すことになるが、それはこのビル内のどこにいても言えることだ。変に階段を使ったりするよりも怪しまれずに済む。
 それに、そろそろあの一般人も目を覚ましている頃だろう。


 ――うん、そうじゃないと俺が困る。


 聞くことなら山ほどあるけど、今は呑気に質疑応答してる場合じゃない。
 エレベーターのドアが音もなく開かれた。
 クロノは辺りに誰もいないことを確認すると屋上の隅にある小さな倉庫を前に、個人用ケータイを取り出した。繋ぐのは、暗号化されたプライベート通信。ボタンに指を滑らせるなり、目前の倉庫扉がカチリと開錠の音を立てる。
 これでまだ気絶したままだったらどうしよう、と場違いな心配を抱えながら、クロノはその扉を開いた。


「――気が、付いたか?」


 そして、彼が意識して穏やかな声を向けた先。
 そこには、フレアワンピースを返り血に染めたままの少女がいた。
 ……というか、両手両足を縄で縛り付けられ、鉄柱へと繋がれた上に、双眸は目隠しのネクタイ、口にはガムテープという、まるで凶悪犯に監禁されたような何とも酷い体裁で、力なく横たわっていた。
 血染めのワンピース姿と、それを縛り上げた張本人。
 どっちが被害者でどっちが加害者なのか。傍から見たらだいぶ奇妙な光景だったろう。

 一応、少女は意識があるらしい。必死に気絶した振りをしているように見えたが、恐怖のためか体は硬直し、息遣いが不自然になっているのがわかる。
 この状況なら当たり前のことだ。
 ちょっとやりすぎたかな、なんて今更分が悪そうに金髪を掻くクロノ。
 これでも彼は別段自分の趣味に突っ走ったわけでもなく、悪気があるわけでもないのだから、ある意味とんでもない凶悪犯だ。


「悪いけど、暴れられると危ないから、厳重にした」


 どちらかというと、このシチュエーションでそんなことを淡々と言ってのける少年の方がよほど危ないと言えるのだろうが、当の本人は意に介する様子もない。
 まず何から解くべきなんだろう、と身動きの取れない少女を前に真剣に考える。
 本当ならすぐにでも腕の縄を解いて、自分で他の束縛を外させた方が良心的と言えるのだろうが、四肢を解放するなりいきなり暴れ出さないとは限らない。


「……ちょっと待ってろ」


 クロノは、よほど風の紋章術に苦手意識があったのか、それとも単に用心深いだけなのか、まずはその両目を塞いでいたネクタイを解いてやった。
 衣擦れの音と共に、少女の瞳が覗く。
 まばたきするくらいの、刹那。彼はその双眼を、無意識に見つめた。
 昨晩は、深夜の暗闇の中だったのと、相手を確認する余裕すらなかったのが相まってか、正気を飛ばしたような胡乱な目付きをしていたという印象しかなかったのだが。改めて見てみると、くっきりとした二重まぶたと、美しいラズベリー色の瞳が少年の目を引いた。

 が。
 ややもすれば宝石のように光を宿すであろうそれは、もはや怯えと恐怖しか含まない敵意百パーセントの眼差しで彼を見上げていた。
 この状況では、やはり当たり前だ。
 ならしょうがない、と独りでに頷いたクロノ。


「騒ぐなよ。二度と騒げなくするからな」


 呼吸すら忘れて固まる少女。
 それを良いことに、クロノは手際良くすべての拘束を外していく。
 別に全身を解放しなくても口と意識さえあれば話は出来たのだが、相手に不信感だけを抱かせたままでは、まともに取り合ってもらえないだろうと思ったのだ。
 とりあえずは正しかったのかもしれない。
 彼女は体が自由になると、恐る恐る、その整った目鼻立ちを彼の方へ向けた。


「ここは……どこ、ですか?」
「術師結社グラールの本部」
「どうして? わたし、あの時は人に追われてて……それで」


 あの時は――と、か細い声が繰り返す。
 上手く思い出せないのだろうか。苦しげに表情を歪め、視線をさ迷わせる。
 クロノはそれを制止するように、首を振った。
 紋章術は、使い手の感情の起伏や精神状態がその魔力を左右する場合もある。
 本来なら一般人である彼女にも同じことが言えるのかどうかはわからないが、余計なことを思い出して錯乱されるのだけは、避けなくてはいけない。

 しかし。フレアワンピースの水色を、いまだどす黒く染めた血糊。
 一応は気絶している間に着替えさせることも考えたのだが、クロノは服なんかろくに持っていなかったし、何より、それで女の子の乙女心を致命的に傷付けたりしたんじゃ意味がないと、結局そのまま放置してしまった。拘束は徹底出来るのに、服の一枚も替えられないというのも変な話だが。


 ――目隠しを取ったのはまずかったかもしれない。


 かといって、「やっぱり付け直せ」とも言えないので、クロノはこちらに意識を向けさせることにする。


「とりあえず、落ち着いて聞いてほしいんだけど。良いかな」
「えっ? な、なんですか」
「この結社は君を狙ってる。俺も命じられたから」


 ひゅっと息を呑む気配。
 青ざめた顔がクロノを注視したが、彼はすらすらと台本を読むように続ける。


「まあ、ここにいれば他の魔導反応に混じってカモフラージュになるし、まさか自分の真上にターゲットが隠れてるなんて考えないだろ」
「……」
「でも、そのまま担いで戻って来たら俺まで殺されるだろうから、スーツケースに詰めて運んで来た。君、体柔らかかったから、関節外さずに済んだし。ひとまず監視カメラに直接映るのだけは回避出来たと思う」
「…………」
「けど、苦労して運び込んだのに、暴れられたり騒がれたりしたらお互い身の破滅だろ? だから、目を覚ますまではここで大人しくしてもらってた。――けど、ちょっと強引だったよな。ごめん、痛かったろ」
「………………ええっと、あの。口が、少しだけ」
「だよな。俺もガムテープじゃなくて猿ぐつわにするべきだったかな、って思ってたんだ」


 そう言う問題じゃないでしょ、と言いたかったのかもしれない。
 少女は呆気に取られたようにぽかんとしていたが、クロノを見る眼差しは幾分か和らいだように見えた。


「どうして、そこまで? あなたは結社の人なんでしょう?」
「だからだよ。上が何をしようとしてるのか、知らないでこき使われるのもシャクだろ」


 しかも給料割りに合わないし、とか軽々しく言ってのける。
 彼の言葉が意味することをどう捉えたのか。
 まるで朝食のメニューでも教えるような口調に、少女はふるふると首を振った。


「わたしはいいの。わたしより、他の人たちは……!」


 他の人たち。
 模造品のための人体実験が事実なら、他にも被験者がいる可能性は考えられるが。仮にそうだとしても、あの場には彼女しか見当たらなかったし、別の魔導反応も確認されなかった。実験に殺されたか。他の使い手に始末されたか。それか、暴走した彼女の紋章術に巻き込まれたか。……いずれにせよ、今は下手に深入りしない方が良いだろう。
 クロノはそろそろ限界に近付いてきた夜勤明けの疲労感に負けまいと、口を動かす。


「ともかく、今、狙われてるのは君だから。正直、隠れていられるのもあと一日、二日くらいだろうな」


 いや、正直に言えばおそらくもう感付かれていると考えた方が良い。
 人一倍図太いクロノではあるが、あのセラが浮かべた冷笑を思うと、眠いなんて言っていられない気分にもなる。
 少女は彼の胸中を汲んだのか、顔を伏せた。


「ごめんなさい。わたしのせいで」
「……何が? 誰のせいでもないだろ」
「だけど、わたしを匿ったらあなただって危ないんでしょう?」


 クロノはややあって、深い煉瓦色の瞳をすいと細めた。「何だ、そんなことか」とおかしそうに声を弾ませて。


「俺にとって、君は目的じゃなくて手段だ。結社に迫れるなら何でも良いと思ってるような相手に、負い目感じるだけ無駄だな」


 ある種、残酷な言葉だった。人によっては酷く傷付くかもしれない。
 だが、ろくに飾り気もない真水のように冷たい透明さを持った言い草が、どういう理由か相手に不快感を与えない時がある。彼があまりにも朗らかすぎて、告げられた語意とのギャップに混乱させられるのだろうか。しかも、さっきからしきりにあくびを噛み殺すように眠たげな目付きをしているクロノ。
 少女は小首を傾げると、物珍しげにぽつりと漏らす。


「……変な人」


 幾分かは少女の緊張が解けたことを確認すると、クロノは彼女から視線を外した。
 とりあえずは、と胸中で呟きながらクロノはケータイで時間を確認する。
 やらなくてはいけないことはたくさんあるのに、与えられた時間は少ない。
 何より優先すべき安全確保が現時点では最も難関であるのだけれど。
 どうすれば良いのか何度自問しても、答えはわからない。
 自分の命は何よりも大切だが、かといって折角手に入れた手がかりをみすみす手放すつもりもない。だが、どちらも守れるほど、今のクロノは強くない。


「あの……」


 少女の控え目な声が響く。


「……少し、休んだらどうですか?」


 時間さえ教えてくれれば起こしますよ、と躊躇いがちに告げられる。


「えっと……?」
「疲れていると頭の回転が鈍くなる、と聞いたことがあるから……」


 見ず知らずの一般人である少女に、端くれとはいえ紋章術の使い手が心配をされている。
 その事実に気付いたクロノは自分が惨めに思えたが、それ以上に、自分はどれだけ疲れてるんだと、その疲労すら隠せない状況に頭を抱えたくなった。
 だがもちろん、そんなことをしている余裕すらあるわけがなく。
 クロノは疲れの色を隠して、作り笑いだけを返した。
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