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第1章
016
しおりを挟むそして、カリバーンの屋敷の一室。
クロノは仕事の支度に急かされていた。隣室ではミントも準備に追われているはずだ。
二振りの剣を模った紋様。
僅かに迷いを見せたが、彼はすぐさまそのエンブレムの刻まれた上着へと袖を通す。
暗黒色のブレザーとスラックスに身を包み、袖口の銀ボタンをカチリとねじった。
ボタンには通信機が仕込まれているので、着替え終わったら作動テストを兼ねて連絡するように言われている。緊急用なので音質は良いとは言えないそうだが、必要最低限の情報伝達には最適だろう。しかし、カリバーンからは新しいケータイも支給されているので、通信機は、ケータイすら使えないような危機的状況に用いるためのものと思って良いのだろうか。
――遺言しか用途がないんじゃないのかな。
クロノは縁起でもないことを考えながら、ボタン式通信機を口元に寄せた。
「聞こえますか」
『おっ、クロノ。着替え終わったのか、早いな!』
エイレンのはきはき声が、微かなノイズ交じりに聞こえる。
「早いって……まあ急ぐように言われたし」
『そうか! もうちょっと悩むんじゃないかと心配してたんだぞ。お前は頭が固そうだからな! まるでダイヤモンドの上をゆくロンズデーライトのように――』
要するに、カリバーンの象徴を身に纏うことに抵抗があるんじゃないのか、と言いたいらしかった。鈍いように見えて、鋭い懸念だ。クロノはすぐに返答が思い浮かばなかった。
とりあえず頼んでもいないうんちくは聞き流して、人のケータイを勝手にバラしておいてよく言うな、とにこりともせずに思う。
ビビアンいわく、勤務用、個人用問わず、彼が使っていたケータイはここへ来る前に分解して破棄したそうだ。機器の内部にGPSやら魔導反応を示すようなものが仕掛けられていたら困るから、とのことだったが。だからと言って、目が覚めたら勝手にケータイがバラされていたときたら、さすがにクロノも二の句が継げなかった。とはいえ、彼のアドレス帳には仕事関係の連絡先しか登録されていなかったし、個人用ケータイですら、友人――と呼べるのかすらわからないような、グラールの同僚としか連絡を取らなかったので支障はない。しかも、番号を教えてもいないのにどうやって調べ上げたのか毎度のように連絡を寄越してくるので、ついこの間、着信拒否にしてやった相手だ。クロノにしてみれば、良い機会だった。
黙り込んだ彼をどう捉えたのか、エイレンは少しばかり茶目っ気を抑えた声を出した。
『サイズぴったりだったろ。でも、お前はあれだ。もうちょっと肉食った方が良いと思うぞ』
「はあ、ご心配どうも。……で、何でまた学生服風なのかな」
『お! それはだな、クロノ! 学生服がお前の趣味だと聞いていたから――』
通信を切った。
何が趣味だ。変態みたいな言いがかりをつけるな。
言うまでもないが、クロノはエイレンに対して初対面の遠慮を捨てつつある。
支給されたケータイをポケットに放り込み、部屋を出る。
簡易ではあるが、仕事の前に先程のホールで打ち合わせをすると聞いていた。
既に準備を終えていたのか、どこか不安そうな面持ちでミントが立っていた。
「お待たせ。行こう、時間がない」
「はい……!」
廊下を先導する背中を、彼女は小走りに追う。
しかし、ホールに繋がる装飾扉に手にかけたクロノが、ふと思い出したように告げる。
「巻き込んでごめん。君はこんなとこにいるべきじゃないんだけどな」
突然だった。
挨拶でも告げるみたいに、軽々とそんな言葉をかける。
こんなとこ――紋章術や七つの鍵を巡る争いの中のことだ。
「え? そんな。わたしはクロノさんに助けてもらったから……」
「あー、でも、もし戦うことになったら、君は手を出さないで良い。それより、目と耳だけ塞いでてほしい。――いや、俺もなるべく気を付けるようにするけど」
珍しく歯切れが悪かった。
クロノの言いたいことがわからないのか、ひたすらに言葉を待つような沈黙があったが。
「もしかしたら、見たくないもの見せるかもしれないから」
背後で、息を呑む気配。
彼の呟きは、独り言のようにぽつりと広い廊下に響いた。
返事はない。求めてもいなかった。
言うだけのことは言ったとばかりに、クロノは扉に力を込める。
と、その腕が止まった。
ミントの細い指が、戸惑いがちに袖を掴んでいた。
「わたしも、出来ることをやります。……独りで背負わないで」
クロノは、今自分はどんな顔をしてるんだろう、と場違いなことを考えた。
少しの間があった。
そのまま扉を開く。
弱く握られていた指先が、するりと解けた。
何も言えずにいるミントだったが。
その言葉に答える代わりに、クロノは彼女の方へと振り向いた。
「――行こうか」
赤銅色の瞳が、真っ直ぐとミントを見つめていた。
迷いない口調だった。
彼女はそっと顔を上げる。
強く頷いて、二人はカリバーンのメンバーのもとへと向かった。
・
壊滅組織の残党か、壊滅見込みの組織員か。
普通ならば、組織が本格的に壊滅する前に後者を救出しようとしたかもしれなかったが、クロノはあえてそれを避けた。
簡単なことだ。カリバーンの目的は、相手の救出だけではない。救出した組織員をこちらに迎え入れることなのだ。勧誘するなら、組織が完全に潰れた後を狙った方が効果的だろう。
何せ、七つの鍵の争奪戦に関わっている組織は、どの派閥も生半可な決意で参戦しているわけではない。選択の余地や抵抗出来る力が僅かでも残っている内は、余程の理由がない限り、他組織の傘下になど加わりたがらないのが普通だ。下手に手を差し伸べてはね付けられるくらいなら、相手が徹底的に力を失ってから天の助けを買って出た方が確実だ。
「クロノ君さー、ホント性格悪いよね」
何故か嬉しそうに黒目を輝かせたナツメ。
あんたに言われたら終わりだろ、と心中でツッコミを入れたクロノだが一応自覚はあった。
人魚姫には悪いが、ひとまずは泡にならずに耐え忍んでもらう。
「良いよ。「窮鼠猫を噛む」ってこともあるしね。赤頭巾から先に片付けなよ」
――先に?
「……ああ、結局は両方行かせるつもりですか。そうですか」
「あら。貴方ってそういう、あからさまに不満げな顔もするのね」
物珍しげに覗き込んでくるビビアンに、さらに顔立ちを険しくするクロノ。
まるでずいぶん前から一方的に顔を知られているみたいだったが、それもそのはずだ。通信部なら、使い手の顔くらいモニター越しに何度も見ているのだろう。これでも危険を伴う救出劇を繰り広げようと言う時なのに、まったく緊張感のない彼らのやり取り。
ミントは木苺色の瞳をきょろきょろさせている。
「悪いな、二人共。オレたちも動くことには動くんだが、今は時間もないし人手も足りない」
水を打ったようとはこのことだった。
エイレンの落ち着いた声音に、女性陣が自然と彼の話に耳を傾けた。
「本拠の防衛が手薄になるが、その辺はまあ仕方ない。今回は特例だ。戦闘員は同時に動く」
他に確認しておきたいことはあるか、と揺るがない眼差しをメンバーに向ける赤髪。
しかし、何か変だった。
今確認しないとほぼ確実に聞き逃すとクロノは思ったが、ここまで誰にも触れられないとなると地雷じゃない保証がない。安全策でいこうかな、と彼が自分を納得させようとした時だ。
「あの……質問しても良いですか?」
ミントがそろりと細い手を上げた。
まるで学校の授業風景のような気の抜けた様子に、ナツメが今にも吹き出しそうににやついていたが、一応彼女も我慢するだけの気遣いは出来るらしかった。
というか、ビビアンの視線に塞き止められているのか。
「どうした、彼女! ちなみにオレには恋人はいないぞ!」
助手席は空いてるぞ、などと意味のわからない供述を続けるエイレンだったが。
「ええっと。このお屋敷を紋章術で守っている使い手さんは、どうされるんですか?」
それはまさにクロノが呑み込もうとした疑問そのものだった。
そう。紋章術に馴染みのないミントがそれに気付いたのはクロノにとって驚きだったが、カリバーンの新入りとしては、使い手ならもう一人いるだろうと言うのが本音だ。
この屋敷を他組織の目から隠している人間。カリバーン内では完全に非戦闘員扱いなのだろうか。恐らく、装飾扉に掛けられていた紋章術も同じ使い手のもののはずだが、クロノはここに来てから一度もそれらしい人間と顔を合わせていない。これだけ大きな洋館をまるごと秘匿出来る使い手なら、まったく戦闘に関わらないのも妙な話だし、そもそも、誰もその人間について触れないのが不審だ。
だが。空気が凍った。
やっぱり先に聞いてやるべきだったかな、と一時停止しているカリバーンの連中を見て、何となくミントに悪い気持ちになる。
「うーむ。そいつは……そうだな、うん」
「ええ。まぁ、そうね」
「そだねー」
――いや、何が「そう」なんだよ。
延々とまばたきを続けるミント。
エイレンは一つ咳払いすると、真夏の太陽みたいな豪快な笑顔で押し切った。
「そいつはここの警備員だ。留守番するのが仕事だから、本拠の守備に回ってもらう」
要するに自宅警備員か、とクロノが口に出さなかったのは、ただならぬ雰囲気が漂っていたからだ。どう見ても地雷だ。と言うか、核弾頭だ。
この組織には触れてはいけない何かがいるらしい。
「よし。じゃあ、合流地点はそれぞれケータイで確認しておいてくれ。以上だ」
とにかく、と言わんばかりだったが、エイレンの一声に、一同がまとめ上げられた。
カリバーンは動き出した。
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